昨年11月から今年の2月末までお店を手伝ってくれていた「まるちゃん」。
今回は彼女の冒険について。あれから3ヶ月経って、ようやく書ける。それが嬉しい。
まるちゃんは以前勤務していたお店の同僚で、ほぼ同時期に入店した(僕が2014年の3月、彼女は同年4月スタート)。僕は1年後に旅をテーマにしたダイニングバーを開くことを見据え、彼女もまたパニーニ屋さんを出店することを目標に、お互いに切磋琢磨した。時間と体を削り、コミュニケーションを積極的にとり(主に真夜中の日高屋で)、その中で強めなことを強めに言うこともしばしばあった(たまに真夜中の白木屋で)。正直言うと、泣かせちゃったことも何度かある(ほとんどがハングリーな悔し涙ね)。それだけ本気だったし、本気だったなあ、と今でも思う。
物件の内定が決まり、オーナーの配慮もあって、僕は1年を満たず、2015年2月中旬に退職。まるちゃんは同年5月に前線から退いた。
たまにお店に遊びにきたり、お店のイベント時にお手伝いとしてフォローしてくれたりする中で、「ワタシ、シンさんが選んでくれたらJ×Jで働くから‼」と言われたことがあった。けれど、その時はオープン仕立てで諸々不透明だったし、何よりも3人目を雇うほどの売上もなかったので、真に受けないふりをしながらやんわりこれを見送った。パニーニ屋さんを自分でやりたいという気持ちがあるのであれば、1年目のお店に関わることは彼女にとって有意義なことだし、経営数値など彼女が今までタッチしてこなかったことに触れるいい機会にもなるだろうと思った。けれど、パニーニとダイニングバーでは業態として大きく異なる。一度、パニーニやそれに類似するものに直接的に携わってみるべきではないかとも感じていたし、実際そう伝えた。
「1年後、早くて半年後の繁忙期前、まるちゃんを迎え入れる体制ができてたらその時また考えるよ」と僕は言った。
2015年9月、ジャパン・ラウンド(「日本」にフォーカスしたお店のイベント)。この日、まるちゃんは受付のお手伝いを引き受けてくれたのだが、イベント後、彼女はSNSに下記を投稿した。
2015年9月6日
___________________
こんな風にイベントで、日本の良い所を再認識。
結果、盛り上がったイベント、山本真太郎の人徳で、つながり&ふところの深さだと思う。
悔しいと思う自分も、1年前には感じれなかった成長だと思い。
小学生みたいな事を言うが、いつか『ぎゃふん』と言わせてやろう!!!
_________________________
まるちゃんは普段この手のことを言わない。ましてや、SNSに投稿したりしない。
この投稿を受けて、やっぱり早くまるちゃんと働きたいなと改めて思った。ピヨピヨのルーキーがこんなこと言ったらいけないのはわかっているけれど、お預けになっていた「ぎゃふん」を僕は心待ちにしていた。この気持ちについては相手が誰であれ、仕事以外のことであれ、一貫している。生粋のマゾを自負する自分は「ぎゃふん」と言わされたいし、言うなれば、打ちのめされたいのだ。そういう人たちといつも一緒にいたいと切に思っている。
彼女の希望やスケジュールを加味しながら、僕は繁忙期となる直前の11月に彼女を迎え入れるための体制を整えることにした。そして実際、11月から一緒に働くことが決まった。当面はまるちゃんに自店の料理を習得してもらうことが第一の仕事になるだろうと思い、そのための準備も進めていた。
まるちゃんの妊娠がわかったのはその直前、10月末のことだった。
「もし可能であれば、J×Jで働きたい」というのが妊娠発覚後の彼女の意向だった。「期間限定になるし、予定していたようなシフトでは働けないから、それでお店の負担になるのはやだけど、もしそうじゃないのであれば働きたい」とまるちゃんは言った。確かに計画からは大きく軌道を見直すことになるが、いずれにせよまるちゃんのフォローはありがたかったし、それによってできることの幅は大きく広がる。僕とまるちゃんは「お腹が大きくなるまでの間、無理のないシフトで働く」ということで合意した。
まるちゃんはまさに獅子奮迅の働きをしてくれた。視野は広く、気遣いも丁寧、スピードも桁違いで(と言っても妊婦さんなのでそれを考慮して)、テンションは常に一定でぶれない。献身的で、責任感も強い。そして何より明るい。とにかく明るくて、ひたすらスマイリー。サービスで言えば僕よりも全てにおいて遥か上で、と言うか、飲食業界全体で見ても傑出していると言ってきっと過言ではない。そのアビリティの高さに関して、僕は何もしていない。数年間務めたスターバックスと直近の前職が引き出し、もたらしたものだと思う。
ただそれよりも僕にとって印象深いのは、まだ働き始めてすぐの11月、Kが年金問題で無断欠勤した日のこと。その日は予約が多く入っていて満席だった。もともとまるちゃんもシフトに入っていたため、シフト的には何とかなるところだったが、当然極力負荷はかけたくない。その分、自分が動くしかないのだけど、それにも限界がある…、といったかなり切迫した状況だった(結果的には予約の時間がずれたり、予約のほとんどが身内だったこともあって、それほどタイトな事態にはならなかったのだけど)。
「余計な負担かけちゃって申し訳ない」と謝ると、
「おまえも大変だなー」とあっけからんと言われた。
「でもK君どうするの?」
「まだどういうことなのかわからないから何とも言えないけど、俺だけならまだしも、全然関係ないまるちゃんやお客さんに迷惑かけているのは事実だからね、断固とした措置をとるよ」
「ふーん、でもそれでもワタシはK君の味方だからね!」
と、まるちゃんは言った。あっけからんと。
それでもワタシはK君の味方だからね!
参ったな、と思った。
この状況でそんなことをそんなふうに言えるまるちゃんに文字通り、心を打たれた。ああ、こういうハンパないヤツっているんだな、と思った。俺はまるちゃんに出会えてよかった、そして自分のまわりにこういう人間がいてくれるのってほんとにかけがえのないことだな、と。
「ぎゃふん」と言わされちまったじゃないか。
と、その場で言おうと思ったけど、その時は口にしなかった。代わりに今ここで伝える。俺はあの時、まるちゃんに見事に「ぎゃふん」と言わされましたよ。
不安や心配をよそにまるちゃんは2月末まで元気いっぱいに働いてくれた。まるちゃんはとっても楽しそうに働いていた。2月29日のタイラウンドにおいて、たくさんのお客さんにお腹をなでなでされながらの有終の美。
そして、クランクアップから3ヶ月後。
今日、『まるちゃんの冒険』を書くにあたり、久しぶりに電話をした。
「まるちゃんと赤ちゃんが一緒に写ってる写真ないの?」
と尋ねると、「ないなあ」と彼女は答えた。やはり、あっけからんと。
ああ、こういうハンパないヤツっているんだな、と思いながら書き進めていると、「一枚だけあった‼」と送られてきたのが上の写真。
またいつか、ぎゃふんと言わせに来てほしいな、と思う。
そう簡単に唸されないように俺もそれまでに腕あげとくから。