Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

山本ジャーニーの国家権力と10周年への冒険-前編-

朝、8時半、ドアの前に立つ3人の男たちを見て、はじめは詐欺か強盗かと思った。そういうニュースがちょうど世間を騒がせていた。

ただ、詐欺であれ強盗であれ、この部屋に彼らが望むものはない。何故なら、本当に何もないからだ。くたびれた42歳が、辛気臭く暮らす、辛気臭い部屋だ。

そもそも、彼らはどのようにして私の部屋のドアの前に立っているのだろうか?数分前、マンション自体のエントランスからのインターホンが鳴っていたが、私はこれを無視した。が、今、彼らはどういうわけかマンション内に入り、どういうわけか自分の部屋のドアの前に立ち、チャイムを鳴らしている。住人がちょうど出入りしたタイミングですっと入ったのか、あるいは、誰かが故意に入棟を許可したのか。

国税庁の後藤(仮名)です」と後藤さんは言った。

名刺を渡されてもなお、にわかには信じられなかったし、むしろ、ますます疑念を強めた。名刺なんてどうにでもなるし、それっぽい服装や髪形に寄せることなんて、わけないはずだ。こうなってくると、逆に、彼らは自分たちが国税庁の職員であることをどう証明するのだろうかと心配したくらいだ。

ひととおりの挨拶的なものを済ませると、後藤さんは私にこう訊ねた。

「ところで山本さん、昨日はお店からどうやってお帰りになりましたか?」

「…。歩いて帰りましたけど…?」

前日の晩、私は久しぶりに店から歩いて帰宅した。できるだけ歩いて帰ろうと心掛けているが、『クレイジージャーニー』の件が持ち上がって以来、その余裕を持てないまま、自転車で帰る日が続いていた。それがちょうど一段落して、まさに昨夜から歩き始めたところだった。

「そうでしたか…。いや、いつもマンションの駐輪場に停めてある緑の自転車が、今朝は見当たらなかったので…」

と言われ、背骨を抜き取られるような感覚に陥った。自分の知らないところで、自分の想像をはるかに超える巨大なパワーが動いている。そして、その「力」は明確な強い意志を以って、今まさに自分に向けて放たれている。彼らがオートロックを造作なく潜り抜け、部屋の前に立っていたのもそういうことなのだろう。生まれて初めて「国家権力」という言葉を現実に認識し、現実に知覚した。そうか、これが「国家権力」か…。そして、目の前の3人は今まさに「国家」というわけか…。

結果的に彼らは紛れもなく国税庁の職員であり、この訪問は詐欺でも強盗でもなく、世に言う「税務調査」であった。


その家宅捜索(という仰々しい表現が正しいのかわからないけれど)から始まった税務調査はそれから約一か月続いた。その一か月というもの、日々、刺激的で、痺れる展開もありながら、結論を言えば、確かに自分には不備があった。そして、自分の意識は甘かったし、自分の知識は足りなかった。それに尽きる。加えて、独身でよかった。それにも尽きる。


というわけで、その点について、多いに反省し、改めるべきものは速やかに改めた(まだ一部、精算が追いついてないものもあるけれど)。が、このブログで記したいのは税務調査そのものではない。税務調査とはどういうものか、体験者として生の情報を発信するのは社会的に有意義だろう。何故ならば、その発信によって、自分のような「不備」が少しでも減るのであれば、認識が少しでも正されるのであれば、それは誰にとっても正義であり、意義深いからだ。けれど、あらぬ誤解は生みたくないし、不本意な流れを作りたくもない。「正義」や「意義」はそれを生業としている他の皆様に委ねることとする。


だから、私がここで記し、示したいのはそういうことではなく、別の部分にある。


税務調査が始まった初日に「ジャーニージャーニーさんは時折、通常営業以外のイベントを開催されてると思うのですが、次回、訪問時までに過去のイベントを遡っていただいて、いつどこでどんなイベントをして、そのイベントにどれぐらいの人数が来たか、チェックしてもらっていいですか?」と後藤さんに言われた。

この話は聞いたことがある。イベント営業時の売上をきちんと計上しているかどうかを確認したいのだ。言われた通り、早速、その日の夜、スタッフが帰宅したのち、確認作業に取り掛かった。昔はそれなりにイベントしてたかもしれないけれど、コロナ禍においてはほぼ皆無だし、コロナを機にめっきりやらなくなった。確認作業はあっという間に終わるだろうと踏んでいた。

ところが、実際にはそうはならなかった。

いつか振り返る時にいいだろうと思って投稿していたSNS(主にフェイスブック)上の記録だが、実際に振り返ることはほぼない。たまに何らかの理由で過去の画像を引っ張りたいことがあった時に、遡ることはあれど、目的だけ果たしてすぐに切り上げる。そうした作業をする時は常に、何らかの理由で何らかに追われているからだ。この日もまさに同様で、さっと終えて、翌日に備えなければならなかった。が、この夜、マウスを操作する指の動きは極めて重たかった。

次の投稿に進まないといけないのに、一つ一つの出来事に見入ってしまった。「今」を形成し、「今」を脈打つのはその一つ一つの過去であることを噛みしめてしまった。その夜、何故そうだったのかはうまく言葉にできないが、税務調査というディープインパクトが走馬灯を流したのかもしれないし、主に『クレイジージャーニー』に由来する長きにわたる緊張状態がバグを起こしたのかもしれない。あるいは、それとは関係なく、10年という節目が単純に郷愁を誘ったのかもしれない。

が、PCの前で過去の写真を見ながら不覚にも浮かべてしまった涙目は少なくとも追徴課税の恐怖によるものではなかった。一つ一つの投稿に、たまらなく、たまらない気持ちになった。そういうわけで、その事務的な確認作業に思いがけぬ多大な時間を要してしまったが、それは然るべきノスタルジーであり、またとない邂逅であった。

4月19日の10周年のイベントではそうしたたまらない気持ちを感謝に変えて、少しでも伝えられるよう、努めたい。そして、改めて改まった感謝を胸に11年目も励んでいきたい。

という文章を11年目の初日である4月1日に投稿したかった。でも、どうしても間に合わなかった。そして、この物語はこれで幕を閉じない。この税務調査を追徴課税とセンチメンタリズムでは終わらせない。むしろ、ここからが本編だ。



話を家宅捜索(という仰々しい表現が正しいのかわからないけども)の朝に戻す。あの朝、くたびれたこの部屋で一体何があったのか。