Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

いずみの冒険

2020年1月、お店をオープンして以来初めて、休暇でヨーロッパを旅行した。ドイツ、チェコハンガリーオーストリアを5泊6日で旅をして、とても充実したいい時間だったのだけど、帰国後、超重量級の想定外に立て続けに見舞われ、瞬く間にかなりシビアな状況に追い込まれた(少し前の2019年の12月もトラブル続きだったので、そのヨーロッパ旅行はまさに隙間を奇蹟的に縫った一週間だった、と言える)。

思いがけぬ窮地に立たされ、どうしたものかと思い悩み、とりあえず酒でも飲もう行きつけの居酒屋で不貞腐れていると、その場にたまたま居合わせたお店の常連さんが「飲食店への転職を考えている」ということを聞き、ダメ元で誘ってみることにした。二人ともかなり酔っぱらっていたので、何はともあれ、改めてちゃんと一回面接しよう、という話にその時は落ち着いたが、後日、改めて改めた面接もほとんどただ飲んでるだけのラフな感じとなった。が、このコがウチで働いてくれてたら、お店がパーッと明るく拓けるな…、と強く感じた。

一方、この頃ちょうど(2020年2月中旬)、日本でもコロナが少しずつ騒がれ始めていた。この時点で影響はまだ限定的だったが、J×Jはまさに直撃で、2月の貸切予約がほぼ全てキャンセルとなり、顔面蒼白したのを今でも鮮明に覚えている。けれど、僕にとってより深刻だったのはキャンセルよりも、もしあのコがウチで働きたいと言ってくれた場合、この状況できちんと彼女に給料が払えるかどうか、という不安だった。

いや、でも待て。そもそも、彼女がウチを見送ることだって十分ある。というかむしろ、そっちのほうが可能性高いでしょ?、他にも色々誘われてるみたいだし、選んでくれるかも、なんておこがましいわ…?、だよねだよね…、ですよねですよね…。

でもさ、もし彼女が働いてくれるってなったら、おまえ、どうすんの?


コロナって、空前絶後の前代未聞の未知との遭遇なわけだけど、腹括る覚悟あんの?もしかしたら、J×Jがコツコツ積み上げてきた全部、吹っ飛ばすぐらいの嵐になるかもしれないけど、ほんとに雇っちゃって大丈夫なの?いやでも、そのわけのわからないものにビビッてこの千載一遇のチャンスを自ら棒に振るのか?どうなのよ、どうするよ。



どうする?

 

という、ぐるぐるの中で、


「お疲れ様です!あれから色々考えた結果、略、ジャーニー×ジャーニーで働きたいと思い、略、努めます!」というLINEが届いた。この瞬間、ぐるぐるはビシっとした一本道となった。


どうするも、ああするこうするもないわな。GOする一択。

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という経緯を経て、2020年4月、いずみは入社しました。そして、一週間もしないうちに緊急事態宣言というSTOPがかかったわけですが、半ばヤケクソと泣きべそで、それを無視して突っ切ることにしたのです。

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入社したばかりだし、いきなり休みじゃあれだから、やれる範囲で営業してみようぜ、という意味合いでの見切り発車だったわけども、結果として、その見切り発車から約2年、結局そのまま動きを止めることなく、突っ切り切りました。

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国や東京都からの要請には沿ったけども、結局一度も休業することはなく働き続けてくれました。時短要請の営業補償とは別に雇用調整助成金や休業支援金というシステムものちにできわたわけだから、ランチも含めて全面的に休業するという選択肢もあったわけだけど、そうしなかった理由の主たる部分はいずみが占めたように思えます。チープな言葉になるけれど、いずみと働いていると、もっと働きたいという気持ちになる、もっと頑張りたいという気持ちになる(いずみからすればノーサンキューだったかもしれないが)。何がそうさせるか、と言うと、よりチープな表現になるけれど、ひとえに彼女が頑張り屋さんだから、ということに帰結するんじゃないかと。誰かの器用さや要領の良さに憧れを抱くことはあれど、人が人の胸を打つのは結局のところ、そうしたひたむきさ以外にそう他にない、と僕は思います。多分、時代も、社会も関係なく。

 

とは言え、別の側面からすれば、ある意味自分のわがままに付き合わせてしまったわけだから、それについては申し訳なく思う部分も少なからずあります。感染拡大防止という大義のもとに休業して、部屋でゴロゴロしながらNetflixを貪っていたらどれだけ楽で、どれだけ楽しかっただろうかと思います(今まさに僕はNetflixに夢中なので、まんざら皮肉でもない)。けれど、大変だろうと、リスクがあろうと、赤字が拡大しようと継続を継続したからこそ、見えてくる風景もある。僕にとってそれは「ちょっと、いいお店になったかも」という感触を得たことだった。


勿論、この手の話に終着はなく、どこまで行っても何かが足りなくて、埋めても埋めても埋まらないものだけど、この前、いずみが接客しているのを見て、「ちょっと、いいお店になったかも」と感じました。いずみの接客が良かったからとかそういう表面的な話ではないのだけど、その景色にいずみがいたからこそ感じることのできた実感的な感触だったと思います。日々頑張っていても、こういう感触はあまり得られるものではあない。

だからこそ、改めて御礼とお疲れ様を言いたい。コロナ禍というこの死線を一緒に働けて本当に良かった。しばらくはゆっくりしたいかもしれないけれど、頑張り屋さんだから新しいところでも頑張っちゃうことでしょう。だから、あまり頑張りすぎないようにしてほしいし、無理しないでね、と、多くの人と時代と社会は言うかもしれないが、それは多くの人と時代と社会が言ってくれるので、俺は別のことを言いたい。

 

健康には気をつけつつも(飲みすぎですよ)、そのひたむきさを以って、また誰かの胸を打つような仕事をしてほしい。この路地裏で、俺やオミや、まるやゆかさんや、ダイシ君の胸を打ったように。