「結論から申し上げて、ポンプ室の鍵を開けることはできると思います」。
と鍵屋さんは言った。
「特殊な鍵なので5万弱かかりますが…」
5万弱…。やはりぼちぼちの金額だ。そもそも相場が全くわからない。相見積をとっている余裕もないし、値下げ交渉に踏み切ろうにも左手で切断面を抑えながらうずくまり、下から鍵屋さんを見上げるようなスタンスでは「交渉」というよりも単に「同情」を買っているようで、どうにも分が悪い。もう言い値でやってもらうしかないだろう。何はともあれ、打てる打開策を打ち続けるしかない。
数十分後、鍵は開いた。
費用はクレジットカードで決済した。片手が塞がれたままそのまま体勢でカードを切ったわけだが、あとにも先にもあんなカードの切り方は今後ないだろうし、鍵屋さんにしてもあんなカードの切られ方は今後ないだろう。
そして、水道屋さんを呼び戻し、ポンプ室に入ってもらい、どうすれば大元を閉められるかを点検してもらった。
その時、管理会社の担当者からの折り返しがようやく入った。事情を説明すると「業者を手配したのち、すぐにそちらに伺う」との回答を得られた。おそらく1時間ないし2時間はかかるだろう、とのことだった。水道屋さんが水を止めらなければ、この体勢であと2時間か、とも思ったが、無間地獄にも思えていた永遠に終止符の光が射し、心は幾分軽やかになった。
結局、水道屋さんはポンプ室に入ったものの解決策を見いだせなかった。が、管理会社と連絡が取れた以上、慌てることはない。水道屋さんには丁重にお引き取りいただいた。
ところで、僕は掌で切断面を抑えているわけだが、別に足でもいいのではないかと思い至った。左手を抜き、相変わらず荒れ狂う水圧を押しのけ、今度は右足を突っ込んだ。すると具合よく切断面に滑り込ませることに成功した。
未だかつてない難問に散々頭を悩まされ、ずぶ濡れになりながら必死で解を模索し続けたわけだが、おそらく正解はこれだったのだろう。おかげで随分楽になった。
それからしばらくして放水は止まった。足を離しても何も出てこなくなった。タンクにあった水が全て出きったということなのかよくわからないけれど、4,5時間にも及ぶ水攻めはついに幕を閉じた。
自分の手を明るい場所で照らしてみると切り傷でズタズタになっているのがわかった。
でもそんなことがどうでもよくなるくらいの解放感だった。久しぶりにシャバの空気を吸った気分だ。
そうこうしているうちに管理会社の担当者と内装屋さんが到着。内装屋さんは60歳前後の年配の方だったが、その道の達人で「怖かったねー、もう大丈夫だよー」と言いながら颯爽と現れ、問題点とポイントとなる箇所を的確にそして迅速に把握し、すぐにまた水道屋さんを手配した。内装屋さんはアル・パチーノに似ていた。
改めて水道屋さんが来ると、パチーノはここをこうして、あそこをああして、あーしてこーして、こーしてあーして、と指示を出した。数十分前まで全くの暗夜行路だったにもかかわらず、パチーノはこの絶望的な五里霧中にあっというまに筋道の立った道筋を照らした。
それだけ終えるとパチーノはイスに座り、水道屋さんが修理を終えるのを待っていた。僕らも一息ついて、座りながら修理の行方を見守る。パチーノは無類のワイン好きらしく、待っている間、ワインの話をひたすら続けていた。不思議なものだな、と思う。さっきまで海猿さながらのスペクタクルを繰り広げていたのにも関わらず、今は優雅にワインの話を聞いている。
午前3時、修理工事は無事に終わった。何事もなかったように水道管から水道が流れるのを見て、涙が出そうになった。店内に溢れかえっていた水も全て掻き出し、エアコンをガンガンに効かせて乾かしていたので、フロアも元通り。全てが元の然るべく姿に戻った。
「よかったね、明日のレセプション頑張って、じゃあお疲れさまー」と言って、パチーノは管理会社の担当者とともに颯爽と去っていった。
僕らは近所のラーメン屋でガツガツのコッテリのラーメンを食べて(あまりにハードワークなので半年に一回程度ここぞの時しか食べない)、帰宅した。
そして、翌日。
24時間前は大海原で波を打っていたにも関わらず、よく持ち直したなと思う。
そして、さらに数時間後。
こうして、4月11日の最後のレセプションは幕を下ろした。
僕が左手で水道管を抑えている間、スタッフの加藤が動画を撮ってくれていた。
この動画の中で彼はこうナレーションしている。
「これほんとに我がジャーニージャーニー、船出としたいと思います」。
まさにそのとおりだと思っている。ジャーニージャーニーの沈没の日であり、船出の日だ。
『J×Jの冒険への冒険』はこれで完結、
これより『J×Jの冒険』が始まる。