Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

「罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」

思いがけない時間ができたので、思いがけない場所に行ってみることにした。セブンイレブン寒川小谷一丁目店。茅ヶ崎と厚木の間の寒川という町にあり、自分が15年前に初めて直営店の店長として(セブンイレブンの社員として)、新卒2年目で配属された店だ。このお店で働いた7か月は自分の人生の中で最も壮絶な日々で、それ以降も、J×Jを開けてからも大変なことはあったけれど、この7か月間に比べればどうってことのないと思える。

残業は200時間くらいしていた。残業8時間を25日間すれば大体それぐらいの数字になるわけども、そんなものだろうと思っていたし、単純に自分の能力が低いからそうなっていると思っていた。ひどい時は朝方帰ってきて、風呂の中でビールを飲み、めざましテレビを観て、そのまま出勤、なんていうこともあった。

お店は陸の孤島で(のように感じていた)、仕事が終わっても遊びに行けるような場所も手段もなく、店から歩いてすぐにある今にも崩れそうなアパートの、今にも窒息しそうな狭い部屋に住んでいた。隣の部屋にはブラジル人が数人かでシェアしていて、ドアを開けてシュラスコを作っていた。今であればそのシュラスコに混ぜてもらいたいと思うかもしれないけど、当時はそのバイタリティも気力もなかった。

過酷な販売目標を負わされたクリスマスケーキをがむしゃらに売り、死ぬ物狂いで予約を獲得したケーキを、サンタクロースの恰好で配達していると地元のヤンキーたちに煽られ、絡まれた。俺は一体何をやっているのだろうかと虚しさに浸ることもできないまま、年末商戦を迎え、その殺人的な忙しさのまま、年越しを迎えた。元日には寒川神社への初詣に来た参拝客と車で店はごった返した。ごった返すのは喜ばしいことだけども、問題はトイレで、焦りと苛立ちを纏うその長蛇の列はまさに邪悪な蛇かのように店を這い、店の外へと容赦なく伸び続けた。その矢先に、顔を真っ青にしたアルバイトが戦慄の一言を放つ。

「店長、小に大があります…」

我慢の限界を超えたお客様が男子用の小に大を放たれた。その堂々たる鎮座と、その後ろに並ぶ苛立つ長蛇の列を見た時の絶望感たるや。強固な意志と未だかつてない覚悟を持って、その緊迫した情勢に臨み、手際よくその爆破物を処理したのだけど、記憶は朧気だ。極限状態の中で、自分のスタンドか何かが出現してくれたのだと考察している。


深夜1時まで働いて、2時に寝て、3時に深夜シフトのアルバイトにクレームで呼び出されてスーツに着替えて店に行ってみると、明らかに社会に反する勢力の方々がいた。販売期限が切れた幕の内弁当が売り場に並んでいた(そのバーコードを打つとレジが自動的に弾くような仕様になっている)、というのがクレームの原因だった。

「よく聞け、兄ちゃん。罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」と言われた。「はやく選ばねえと若い衆呼んで、暴れさすぞ」と彼は付け加えた。「若い衆」というのを実社会で聞いたのは後にも先にもこれが初めてだった。そんなの圧倒的に土下座に決まってるじゃないか、と、圧倒的土下座をそそくさと準備しようとすると、彼に電話がかかってきて、そのままお帰りになられる運びとなった。「悪かったな、ちょっと機嫌が悪かったんだ」と帰り際に彼は言った。ちょっと機嫌が悪くてこれか…、さすが、スケールが違うぜ…、と驚愕した。いずれにしても、このようにして難を逃れたわけども、選択肢の一つとして挙がった「ポール看板に吊るされる」というのも、人生経験としては悪くなかったかもしれないな、と15年ぶりにそのポール看板を眺めながら思った。多少辛いことがあっても「小に大」ほどのインパクトがなければ大抵は忘れてしまうものだし、土下座したところで微妙な非公開ネタとしてお蔵入りするだろうけども、ポール看板に吊るされたとしたら、自分だけのとっておきとして生涯にわたり語り継ぐことができたのではなかろうか。駆け付けてくれたおまわりさんや救急隊員が僕に聞く。「なんでこうなったんですか!?」。「すいません…、販売期限切れの幕の内弁当があったんです…」と儚げに僕は言うのだろう。


何が一番強烈だったかというと、そういうことではなくて、当時の上司なのだけど、もう大分長くなってしまったので、そこはショートカットします。上司はHunter×Hunterのフランクリンに似ていて、


まさに両手で機関銃をぶっ放すかのように、毎日のように自分をあらゆる言葉と角度で罵倒していたのだけど、

会社全体が上と右へ倣えの風土の中で、フランクリンはまさに幻影旅団のように自由に暴れ、その暴れっぷりには彼なりの哲学と信条があった。その哲学と信条は少なからず、心を打つものがあり、ある種の憧れとして今の自分の中にも生き、J×Jの運営にも投影されているように思える(こんなこと言ってるのを見られたら、また両手で機関銃をぶっ放されそうだが)。

ネガティブなようなことを散々書いたけれども、何故その過酷の中で頑張れたかと言うと、優秀で素敵なパートさんに恵まれたからというのは大きい。今回、お店に行ってみて、もし当時のパートさんがいたら…なんて思ったけども、当然、不在だった。あれから15年経つ。

あれから15年経つのにも関わらず、数多くのセブンイレブンの中の一つに過ぎないにも関わらず、店舗の前に立つととても厳かな気持ちになった。ついでに寒川神社にも寄ろうとスケジュールを組んでいたけれど、十分に厳粛と静謐を感じることができたので、旅程から外すことにした。ビニール傘を買って、あのシュラスコアパートはどうなったかと歩いてみたが、その場所には大手ドラッグストアが建っていた。近くに小さなサンドイッチ屋さんがあって、そこのひじきとくわいのサンドイッチが最高だったのだけど、ここもまた同ドラッグストアの駐車場として飲み込まれていた。

これも「時代」ということになると思うのだけど、僕は「時代」という言葉があまり好きではない。時代という言葉で処理されるほど、物事は一元的ではない。自分が本質と信じるものはたかだか数年の時代区分によって翻弄されるものではないし、変容するものでもない。純度100%、生粋のブラックな7か月だったわけども、ブラック的なものが一元的にブラックであるとは思えないし、ホワイト的なものが一元的にホワイトであるとも思えない。あくまで人それぞれだろうし、個人の話で言えば、過去のどんな白よりもこの黒の方が今の自分に脈打ち、実際的に役に立っている。

あの日々が悪夢だったのか、いい思い出なのかは自分次第。自分にとっては、悪夢やいい思い出という枠を飛び越えた、かけがえのない礎だ。黒と少しの白がマーブルに塗られた礎だ。そして、僕はそのマーブルな礎の上に今も胸を張って、立っている。

 

J×J Books①レシピ本×旅エッセイ『世界一周ナニソレシピ』

J×Jをオープンする前から、ECサイトを作ってみたい、物販もやってみたい等、飲食営業だけでなく、それに付随する事業(と言えるほど大それたものではないけれど)にも取り組んでみたいと思っていました。それと同様に「本を出版したい」という気持ちも強く、いつかチャンスがあれば…、なんて考えてたりもしてましたが、そんな簡単に「機」が転がってくるはずもなく、一方、緊急事態宣言やマンボーによって(もはや懐かしき言葉になりつつある)時間だけはたっぷりあり、であれば自分で作ってしまえということで、レシピ本を作ってみました。同人誌と言えば同人誌ですが、同人活動から生まれてるわけでもないので、「ZINE」と言ったほうが近いかもしれません。要はフリーではないフリーペーパーのようなものです。

media.thisisgallery.com

メインテーマは「レシピ本×旅エッセイ」です。レシピ本を作ろうというところから始まりましたが、いくら多国籍と言ってもいわゆるのレシピ本を作っても退屈だし(他に色々名著もあるし)、ということで旅エッセイの要素を加えることにしましたが、それにしてもなんだか凡庸です。「レシピ本×旅エッセイ」をベースとした上で、また違う切り口というかフックがほしいと思い、考案したのが「ナニソレ」の概念でした。

全ての料理に名前があるかと言うと、そんなことありません。むしろ、名前を授けられている料理はごく一部の恵まれた特権階級で、名前すら与えれていない料理も数多く存在します。でも、そうした無名性にこそ、新しい発見や可能性があったりするのだと僕は思っています。例えば、「白いご飯の上にオリーブをのせて、オリーブオイルをかけて、塩胡椒を振ったもの」、これだけで十分美味しいのですが、名前はないですし、日本人の感覚からしたら「何それ?」感が強いです。

一例とした挙げた「オリーブ」ですが、例えば、本格的なパスタを作ろうと思って買ったはいいものの、その後、使い道を見失って成仏させられないまま、冷蔵庫の中でお地蔵さんのように鎮座させている、そんなようなことありませんか?そうした食材のことを化石化食材と呼んでいるのですが、本書ではその化石化食材たちをサルベージし、海外料理(や海外ならではのアイディアや工夫)との掛け合わせにより、新しい価値としてトランスフォームさせることに挑戦しています(そして提案しています)。上記「オリーブごはん」はその典型例ですし、パクチーとかピクルスとか豆とか、買ったはいいけど使い道ない、あるいはスーパーでたまに見かけて買ってみようと思うけど結局買わないとか、けっこう多いと思うのです。そうした不憫な食材たちに不必要なまでに強烈なスポットライトを当てているのがこの『世界一周ナニソレシピ』です。


まさに大多数の方にとっては「何それ?」かつ不必要なレシピのロイヤルストレートフラッシュだと思いますが、ごくごく一部の方にとっては必要な「ナニソレ」なのではないかと自負しております。ごくごく一部の方の中のごくごく一部の方にこのナニソレシピをサルベージしていただくことを願います。正気の沙汰ではないことを重々承知しながらも、1000部、刷りました。狂気です。大変です。どうぞよろしくお願いします。店頭、もしくはJ×Jのオンラインサイトからご購入いただけます。

旅エッセイ×レシピ本『世界一周ナニソレシピ』journeyjourney-ec.myshopify.com





J×J online apartmentについてのお知らせ②

J×JのECストア「J×J online apratment」。コロナ療養中に自分で作りました。商品はもともとあるものですし、ブログなどコンテンツを作りこんでるわけでもないでもなく、拡張アプリを使ってどうのこうのというのもないので、シンプルな作りですが、所要日数は3日かからないくらいです。でも、まあ丸3日空けるというのも普通ではなかなか難儀なので、ずっとつっかえていたものを療養中に対応できてよかったです。

店のECならBASEでもいいかと悩みましたが、結局、今までどおりShopifyを使うことにしました。その理由について話し始めると長くなるので割愛しますが、簡単に言えば「BASEより色々充実してる」ということです。個人がブログを持ち、メディアを持つようになり、ネットショップを持つようになり、さらにそれがメタバースへと展開されるような世の中です。僕的には個人がShopifyでネットショップを普通に持つような世の中になるのではないかと思ってますが、メタバースやNFTのことを言い始めたら、それすらももはや旧時代の考えなのかもしれません。

このアパートメントの品揃えは現在のところ、

①東京ロマンティックベーカリーのパンと燻製ジャム
②世界一周した弱激辛ジャム
③J×J Books
④J×J Fashions

の4カテゴリーで構成されています。①についてはコロナの始まりとともにすぐに取り組んだ事の一つで、SNSやブログでも積極的にアナウンスしてきました。定期的にご購入いただけるファンのお客様もついてくださり、嬉しい限りなのですが、ネックとなるのはその超属人性で、パン職人であるゆかさんがお休みとなると営業も休止せざるをえません(実際、この4か月、ゆかさんのご家庭の事情でお休みしておりました)。なので、今後は季節に応じたアイテムを特化させつつ、ラインナップそのものは絞りながら、アパートメントの中で「東京ロマンティックベーカリー」というブランドで販売していきたいと考えてます。また燻製ジャムに関しては上記のような課題を克服してる商品なので、燻製ジャムは燻製ジャムで強化していきたいポイントです。

東京ロマンティックベーカリーjourneyjourney-ec.myshopify.com

 

②の弱激辛も初期から構想し、アクションも早かったのですが、実際にOEMをかけて商品化するまでには結局、かなり時間がかかりました。販売してから半年経ったあたりで激辛インフルエンサーの方に弱激辛ジャムを取り上げたいただり、そこからの派生でグルメ系Youtuberにも紹介していただいたりしたのですが、

www.youtube.com

この波と流れに乗り切れなかったのは僕の失敗です。通常営業が忙しくなってきたタイミングと被り、手がまわらなかったのが実際のところです。もう少し頑張って、踏ん張るべきだったと反省しています。

インフルエンサーの方々と絡んだのも今回がはじめてでしたが、楽しかったです。

インスタやYoutubeでは世界中の唐辛子を使った世界中の激辛料理を一度に同時にお楽しみいただける「世界一周弱激辛コース」を中心に取り上げていただきましたが、ECにおける商品は「世界一周した弱激辛ジャム」になります。

実店舗におけるメニューも含めて、J×J史上、最も尖った最も刺激的なアイテムとなっております。となると当然、万人受けはしないわけですが、一部の方には強烈に刺さっていただいておりますww何と言ってもJ×Jのジャックナイフ的な存在なわけなので、お客さんにとっては近寄りがたいよなあと思っていたのですが、意外と店内営業において反応がよく、意外とお買い上げいだいております。けれども、本懐としてはせっかくEC用に立ち上げた商品なので、店内に留めず、やはり広い世界に羽ばたいてほしいのです。改めて、この弱激辛ジャムも仕切り直して、現状をなんとかブレイクスルーしていきたいと思います。

 

 

J×J online apartmentについてのお知らせ①

8月8日に通常営業を再開しましたが、スタッフの嗅覚が戻らなかったり、体力低下が顕著だったりで、夏季休暇は夏季休暇で予定通り8月11日~14日まで、しっかりいただきました。そして、8月15日から通常営業を本格的にリスタート。

ではありますが、さてどうしたものか。

見事に暇です。まあ本格的に再開したのは今日ですし、やってみないことにはわかりませんが、予約が入りません。予約が入らなければたとえ平常時での金曜日でも来客数ゼロを叩き出すお店なので、予約が入らない=売上ゼロにほぼ等しいわけです。つまり、当然、どくどくと赤が流れていきます。

強みが時に致命的な弱みとなることを重々承知した上で築き上げてきたスタンスですし、禍が始まって2年以上、シフトチェンジに踏み切るだけの十分な時間があったわけですが、結局、本店は従来のスタンス(事前予約及び貸切重視)を継続してきました。勿論、天秤にかけたとしても、その方が売上と利益と最適化(最大化ではなく)と、労働環境の適正化を実現できると考えたからです。

ただし、これは本店に限った話です。本店が頑固親父のように自分の型を貫き通すのに対し、2号店はむしろ逆で、状況に合わせてカメレオンのようにアジャストできる柔軟な存在で在りたいのです。去年一年は、2号店はほぼ無視(手が回らなかった)の状態でしたが、今年に入ってマンボウの影に隠れて、2号店をカメレオンにすべく、あくせくせこせこ進めてきました。本来であれば今こそ、そのあくせくせこせこを放流すべきなのですが、いかんせん、スタッフが足りないのと、いてくれる主力スタッフも嗅覚味覚が失われているし、そもそもお客さんもいないとなると、実店舗営業においては手の打ちようも、足の出しようもないという状況です。なので、ここ数か月で仕込んでいた2号店のカメレオン作戦も封じられてしまい、残念ではあるのですが、まあそのうち、役に立つこともあるでしょうということで、いったんポケットにしまうことにします。

となると、どうするか。療養中、僕が籠って取り組んだのは「J×JのECサイトを作ること」でした。それこそ禍が始まって以来、ECサイト自体は3つ作りました。自家製パンがメインの「東京ロマンティックベーカリー」と、スパイスをテーマにした「スパイスホリック&ハングリーアパートメント」、そしてオリジナルの調味料である「世界一周した弱激辛ジャム」、この3つです。ただ、どれも独立したサイトで、「J×Jの~」という感はあまり前面に出してきませんでした。そういう意味では「J×JのECサイト」というのは今までなかったのです。

意図的にそうしてきたわけですが、それを方針転換し、この3つのECストアを一本化し、J×JのECサイトの中に「東京ロマンティックベーカリー」というパン屋さんがあり、その隣に激辛ジャムを販売しているお店があるという運営にシフトします。本来であればJ×Jとは切り離した形でECを運用したかったわけですが、現状でそれは難しいと判断し、諦めました。一方、J×Jが運営するECサイトなわけだから、「J×JのECサイト」というのはある意味、自然なところに落ち着いた、とも言えます。

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店名は「J×J Online apartment」です。複数のお店が複数のメニューやアイテムを展開する形になるので、スーパーマーケットのようなイメージになるのですが、今後はJ×Jのスタッフや提携先のお店を出店できるような形にしていきたいので、「それぞれの部屋にそれぞれの人が住んでいるアパートメント」の方がより近いかなと。

というわけで、トップページには香港にある実際のモンスターアパート(マンション?)を採用しました。ここまでごちゃごちゃさせるわけにはいかないですが、これぐらい雑多な感じに仕上げていきたいと思ってます(今はまだスカスカですが)。





全滅まで③

前回に続き「採用」、広く言えば「人」の問題です。採用をどうするか、というより採用すべきなのかどうか、も色々と悩ましい、という話ではありますが、ここにも「そもそも」が立ちはだかります。前回のブログでも少し触れましたが、そもそも「応募があった20名のうち面接にまで至ったのは3名」なのです。面接まで至らなかった17名のうち、まず10名が「応募はしたけど応募しただけ(=それ以降は無反応)」、残りの7名のうち面接の日程は組んだけど面接に来ずが4名(そのうち連絡があったのは1名)、そして面接をしたのが3名、採用したのは2名、採用はしたけれど一度も出勤せずそのままフェイドアウトが1人、働いてくれたのが1人(のち、3か月後退職)。なかなかシビアな世界です。

勿論、ここにも様々な要因が絡んでいるので一概に何がどうとは言えません。今の世の中こんなの普通なのかもしれないし、僕ができるのはお店の中のことだけで、お店の外に関してできることはほとんどありません。けれども、この20名の方とのやりとりを通じて感じたのは「採用活動に取り組んでいるのではなく、何か別のものと戦ってるような感覚」でした。「面接をセッティングしたのに時間になっても来ず、そのままバックレ」が続くと、面接に対する期待は自ずと低下し(やっぱ、つらいんで…)、中途半端なモチベーションのまま、なんとなく気持ちが雑になっていくというのを自分で感じます。ので、まずは自分自身がこのあたりの無重力感を改めないな、と思います。

一方、自分のマインドセットと病める現代社会はともかく、現実的には今いる既存のスタッフと人数でまわさなくてはいけません。そこで初めて導入してみたのが「Timee(タイミー)」。

timee.co.jp

橋本環奈さんがCMしてます。「この時間だけ働きたい働き手」と「この時間だけ働いてほしい雇用主」をつなぐ、スキマバイトアプリ。自店の場合、昼のパートさんは保育園などの事情により突発的な欠勤があったり、ランチはある程度単純作業に落とし込めるので、その点においてタイミーは有効です。さらに言えば、タイミーはワーカーさんを直接、採用することを禁止していないので、もし双方お互い条件があったりすれば、そのまま採用につながる可能性もあります。場当り的な採用活動よりもタイミーの中から模索するほうがいいかもしれません。

あとは近隣店舗と提携して、人的補完を構築するのも有効な一手でした。人手不足のお店もあれば、逆に人が余っていたり、売上と人件費が見合わずシフトを作れていないというケースもあるので、店同士がつながってそうしたスキームを作ったり、予防線を張るというのも、これからの飲食業にとっては必要なことだと考えます。

あとは「業務委託」。「間借り」という言葉が今どれほど一般的なのか、僕は中の人間なのでわからないけども、「空いてるスペースと時間を貸して有効活用したいテナント」と「飲食業、飲食店を試しにやってみたい方」をつなぐための仕組みとして取り上げられますが(物件の転貸借は賃貸借契約上NGなことも多いので個々に確認は必要ですが)、業務委託として外部の方に自分たちでまわせない部分を部分的、一時的に担ってもらうのも、ケースによっては人手不足による損失の軽減にもつながるかもしれないし、飲食業の利益構造の改善にもなりうるかもしれい、と捉えています。

といった具合で、採用や「人」の問題がその折々において変遷するように、その解決策も形を変えていくし、新しいパターンも出てくるので、それを自店の状況に合わせて当てはめていくことが重要だと思うし、何よりも「人がいないならいないでフォーメーションAで、ダメならBで」という状況を作れるかどうかが、もしかしたら抜本的なのかもしれないな、と。

というわけで、人手不足の問題はずっと続いているわけですが、タイミー、他店舗との提携、業務委託など新しいやりくりでなんとか凌いできたというのが今です。そして、そうして築いてきたその身軽さゆえ、全滅でもまだ冷静でいられるという逆説。では今後はどうすべきか。今まさにそれを考えていて、そして答えは今まさに出ていません。

 

 

 

全滅まで②

というわけで、すっかり全滅しているジャーニージャーニーですが、

www.journeyjourney-blog.com

通常営業再開は8月8日(月)で調整しています。幸い、僕は無症状なので問題ないですが、まだ起き上がれないほど直撃しているスタッフもいるので、療養期間を終えたからと言ってスムーズに営業再開できるのか、ちょっと不安だったりもします。そもそも、営業再開したとてもすぐにお盆で暇だろうなと不安な観測が立ち、ていうか、そもそも、今の感染状況じゃお盆とか関係なく、お客さん来なくない?、とその点も不安です。7月後半から予約の問い合わせもまた全滅しています。そもそも、その「そもそも」たちを打開するために今から準備せねばならず、楽しみだった『愛の不時着』を離陸したものはいいものの、完走できないまま不時着しそうで残念です。

そんな暗澹たる状況の中で唯一、ポジティブなのは「スタッフの数が少ないこと」。人手不足はそれこそ今年になってずっと課題だった点ですが、今は逆に助かっています。採用活動がうまくいって、全開で推し進めていたら、その分、現在のこの反転がもたらすインパクトはまた一段とシビアなものになっていただろうなと痛感します。まるでオセロのよう。白が黒になり、黒が白になる。


ただ、人手不足を課題としながらもどこかで慎重な自分もいて(ここまでの感染爆速再拡大は想定していなかったものの…)、採用のために予算と時間を大々的に投じたかというそうでもなく、最低限の採用広告を出しながらの様子見にとどめました。去年のうちに税金対策の意味合いも含めて、飲食店専門の求人サイトである「飲食店.com」に年間広告(1ヶ月約2万、年間だと確か18万くらい)を申し込み、それを掲載するのみで、あとは特に施策を打ってこなかったのが実情です。

job.inshokuten.com

年間広告を出して、今7か月が経過し、結果がどうだったかと言うと、応募自体は20件くらいはあったかと思います。ただそのうち、面接に至ったのは3人程度で採用したのはアルバイト1人のみです(そのアルバイトは3か月で退職しました)。今まで一か月のスポットで求人を出したことはあるものの、まとまった期間の間、掲載したのはこれが初めてなので「約10万という予算に対して採用が1人」というのが適正かどうかは何とも言えませんし、広告効果というのは媒体や予算の多寡で測定できるものではありませんが、結論を言えば「採用活動はうまくいってない」ということになるでしょう。

ただ、繰り返すように「うまくいかなったからこそ、今まだやりようがある」という側面もあります。そして、今の感染再拡大は今後の見通しをより不透明とせしめ、より消極的に考えるべきなのか、あるいは積極採用に転じるのがベターなのか判断が難しいところです。皆さんだったらどうしますか?多分、これをここまで読んでる人の7割は「いや採用すべきでしょ」と思う人が多い気がしますが、テレビ朝日の『相棒』がシーズン21に突入するように、このあと波が第21波まで続くかもしれませんし、世界ではケンタウロスが暴れ始めてるように、そのうちサルだけでなく、ユニコーンやペガサスの痘が猛威を振るう可能性だってあります。

という皮肉はさておき、僕自身もどこかで積極姿勢に転じなければ、立ちはだかる「そもそも論」を打ち破ることなんてできないとは思っていますが、問題はそのタイミングです。飲み屋における恋愛論において、散々議論したのち「結局タイミングだよね」と着地してしまうことに敗北感を感じてしまう自分ですが、結局タイミングです。

今回は「採用・求人」をテーマに書きましたが、次回もまた同じテーマを違う側面から書いていきたいと思います。飲食店の問題点はマンパワーへの依存度だと思います。その依存度をDXで最適化しようぜという話も十分わかりますが、DXな飲食店が自分のやりたい「飲食業」なのかという疑念もあります。難しいです。難しいからこそ掘り下げたいものです、無症状の療養中のうちに。

 

全滅まで①

2022年7月末、J×Jはついに全滅しました。

禍が始まってから今に至るまで(というかオープン以来7年)、対外的にどうなろうとも、店内的にどうであれ、なんやかんやでランチは営業しつづけてきました。誰も罹患することなく、どういうわけかくぐりぬけてきたわけですが、ここにきてスタッフ全員が陽性となり、最後の砦ごっこをしていた自分も感染し、華麗なるパンデミックに追い込まれました。

僕は幸い、無症状なので「じゃあ久しぶりにブログでも書こうか」という次第です。ブログを書くのはいつ以来だろうかと振り返ってみると4か月ぶりでした。どんなに忙しくても、気持ち的に余裕がなくてもそれこそオープン以来、7年にわたり継続的に書き続けてきた(むしろ切羽詰まってる方が書きたくなる)ので、大分疎かにしたなあとは思いつつ、ただ単に書かなかっただけで、この筆不精には特に意図も背景もありません。

さて改めましてになりますが、この度、J×Jは全滅いたしました。

最近の感染急増に伴い、病院や発熱外来は見事なパンクを起こしており、政府があれほど苦心、連呼していた「医療提供体制」はあっさりと打ち砕かれた様相を呈し、正式な診断を受けようにも受けれない状態なので、ほんとのところ全滅なのかはちょっとわかりませんし、逆にあからさまな症状が出ているのにも関わらず、陰性の通知が届けられるスタッフもいたりするので、事態はいっそうの混迷を極めています。なので、「見なし」や偽陰性の可能性など不確定要素も含めて、になりますが、合計4人のスタッフが4人とも離脱している状況です。

興味深いのは発生源がJ×Jではないこと。勿論、疫学に詳しいわけではないので素人の観測ですが、状況的に考えて、4人がそれぞれの場所でそれぞれに感染し、アベンジャーズのごとく集結したという線が濃厚です。予感や予兆めいたものはなく、息つく間もなくわずかこの1日,2日にして、あっというまにバルスされました。この大都会の片隅にさえ、東西南北、四方八方からウィルスが押し寄せてきたということであり、今のウィルスそのものを疾病上の脅威と見るかはともかくとして、一定期間に渡る臨時休業を余儀なくされている現実を考えれば、まさしく「禍い」に他ならず、これぞまさに緊急事態宣言です。



おそらくは7月22日にこの記事をスマートニュース内の中央日報の記事として見かけ、「中央日報って韓国のゴシップ誌だっけ?」と逡巡しながら、ついにウィルスもこんなふうにいじられ始めたか、と思っていましたが、ほどなくして日本の大手紙もこれを真面目に取り上げはじめ、

www.asahi.com

おいおい…、と失笑しながら(ケンタウロスだけでもヤバいのに、しかも「あだ名」って…)、さらに言えば今のBA5ではなく、「BA2.75」系統という部分に「人造人間は19号,20号がヤバいのではなく、17,18号がぴえんで、16号はさらにぱおん」のような数秘の出現にもはや抱腹していたら、鮮やかなる報復にあい、たちまちに一網打尽にされたというわけです。どうぜなら「BA3.14」や「BA7.77」などの新たな数秘を狙いたいところでしたが、病院にも行けないのでそれも叶わぬという状況です。

話を戻すと、タイトルは『全滅まで①』としましたが、というわけで、全滅そのものについては犬神家のように少しずつ蝕まれたわけではなく、一両日中に劇的かつ速やかにコミットされ、これといって特筆すべき点があるわけではないので、その詳細と過程を描くわけではなく、4月1日に前回のブログを書いた時(蔓延防止措置解除直後)から目下の全滅に至るまでのジャーニーを備忘録の意味合いも含めて、ブログとして残していきたいと思うのであります。


あ、というわけでしばらくの間、臨時休業となります。「今後は保健所の指導のもと…」と一度言ってみたかったのですが、当面、保健所まで辿り着けそうにないので、指導してくれる方を探しながら、営業再開時期については慎重に見極めていきたいと思います。よろしくお願いします。

チンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。

発信する側も受信する側も大した変化のないまま、情報のスピードとボリュームだけが青天井で、そもそもの五里霧中の霧っぷりも、そもそもの暗中模索の闇っぷりもますます深まるばかりで、幸福論は混迷を極め、自己正当化はまさに百花繚乱。よくわからないことが多い浮世の中で、刻々と進行する地球の砂漠化とともに、僕も着々とおじさん化が進み、いろんなことがどうでもよくなってきた。いろんなことがどうでもよくなってきたということはつまり、どうでもよくないことが明確になってきたということでもある。そして、どうでもよくないことというのはそれほど多くない。それだけに集中すればいいのだから、ある意味、楽ちんだ。

あらゆる情報はその時々の断片にすぎない。だから、その情報が正しいかどうかというのはそれほど重要ではないと思うのだけど、次から次へと新しいことが更新される現代だからこそ、逆に過去を振り返ることを大切に感じるようになった。桜木花道の「俺は今なんだよ!」と、林先生の「今でしょ!」はまさに「今」至上主義を築き、今も昔もなんとなく頑張り続けるのはなんとなくの未来のためなのだけど、「今」の確度と「未来」の蓋然性を高めるためには過去を精査するのが一番有効だと思う。例えばコロナなんていい例で、初期の頃の戦々恐々としたあの感じは一体何だったんだってやはり思う。当初、感染したことで引っ越しをしたり、それ以上の極端な行動を余儀なくされたり、あるいはそう追い込んだ人たちや懐かしき自粛警察の方々は毎日、何万という感染者が当たり前に出る中で今、どんな心持ちなのだろうか。

今、世界中(の大部分)がウクライナを案じているけども、トンガの噴火はどうなったのか、ミャンマーはその後どうなっているのか、香港は?、アフガニスタンは?、シリアは?、と、おそらく大多数は思い返すこともない。よりセンセーショナルなトピックやアジテーションに覆われ、その節々でヒートアップしたもっともっぽい感情は見事に風化される。誰が何の罪で捕まったのかなんてそもそも朧げだし、「あの人って不倫したんだっけ?されたんだっけ?」みたいな感じで、もはや何にも覚えていない。当時はそれでそれなりに持ちきりだったにも関わらず。

つまり、その時々の「情報」なんて最終的にしょうもないんだから、そんなものに振り回されたり、流されたりするなんてナンセンスだ。情報そのものにさほどの価値はなくて、それよりも重要なのは自分の「解釈」であり、全ては自分の解釈力に基づく。フィジカル的にもメンタル的にも自分の解釈力が弱っていれば、冷静さを見失ってしまうが、逆に言えば、自分の解釈力さえ保っていれば、ある意味、全ては自分の意のままだ。自分の解釈力を過信すると盲目的になり、偏狭になるが、そうならないようにバランスを取りながら、解釈の幅と質を高めることで、今まで以上に思うままに暮らし、思うままに働いていこうと思うのです。そして、J×Jもそういうお店でいようということを8年目の抱負として掲げたいのです。


そうとは言うものの、僕なんて、J×Jなんて、まだまだだ。まだまだしょうもないものとしょうもなく戦っているような気がする。


お店の近くに古びた中華屋さんがある。いわゆるコテコテの昔ながらの町中華で、近所のサラリーマンに人気で連日賑わいを見せているが、先日、初めてここを訪れることができた。炒飯が目当てだったのだけど、壁に貼られたメニュー札を見ていると、それ以上に気になるメニューがあった。

 

 

お分かりだろうか?

 

お気付きだろうか?



ザーサイ定食!!!



ここ最近で、最も度肝抜かれました。色々と驚かされることが多い世の中だけども、職業病なのか、ザーサイ定食にはびっくりしました。言うなれば、「きゅうりの一本漬け定食」だとか「福神漬け定食」と謳っているようなものので、それを唐揚げ-焼肉-生姜焼きという黄金ラインの同列に並ばせ、しかも同価格の950円という強気設定。現代社会の洗練されたマーケティングブランディングをなぎ倒し、レビューや口コミなんてもとより、認められたい、褒められたい、叩かれたくない、悪く言われたくない、など俗世の座標を超越した自己実現と言えるのではないだろうか。ただひたすらに興味が湧く。ただひたすらに好奇心を掻き立てられる。

衝動と欲望を抑えられずに満に満を持して、ザーサイ定食を注文した。ウェイトレスのおばあちゃんの「ザーサイ、一丁!」の声が僕とミヤネ屋しかない店内に響き渡る。

そして、ザ・ザーサイ定食が眼前に現わる。

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味噌汁がメインのような写真になってしまったが、そうではなく、ザーサイ定食のアイデンティティである「ザーサイ性」は写真右上の炒め物に付与されている。見た感じ、チンジャオロースの様相であったが、そのまんまチンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。

チンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。


そして、なんなら、チンジャオロース感が強すぎて肝心のザーサイ性は感じられない。


それだけでも十分、冒険した甲斐はあるのだけど、さらに言えば、いわゆるの「定食」におけるサラダ的部分にはキャベツの千切りが用意されており、

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この「キャベツの千切りサラダ」に対し、

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マヨネーズが一本、無造作に置かれた。そしてちなみにキャップは細く線引きできるタイプではなく、何のための星型なのかよくわからない、ぶちょっと出るタイプだった。

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ザーサイ定食にしても、千切りキャベツに無造作マヨにしても、この雑さがたまらなく、たまらない。「真摯に、丁寧に」が勤勉な日本人の流儀であり、美学だとは思うけど、みんながみんなそうである必要はないし、それで苦しくなるぐらいだったら、無理にしなくていいと思うし、しがみつく必要もない。

 

店も、そこに集まる人も、せっかく歳をとるのだから、もっと楽にいこう、と千切りキャベツにマヨネーズをぶちょっと出しながら、そんなことを思う。




であれば、少しでも歩いて、少しでもお腹を空かせたほうがいい。

情報化社会やIT革命というのはいつのまにか大昔の言葉となり、「情報」も「IT」も多くの人の生活にごく自然と溶け込み、混然一体となっている。今でも各メディアにおいて最先端技術だとか、最新グルメだとか、そういう類のフレーズや表現は使われてるし、好まれてもいるけども、今、この瞬間にも情報は更新し続けているわけだから、もはや言葉として成立し得ないほど加速度的だ。最新グルメ情報として編集され、体系化される頃にはそれはもう最新ではない。そのスピード感やボリュームに嫌気が差して、情報を意図的にシャットアウトするようなスローライフ的発想や動きも当然あり、それもまた今後加速していくのだろうと思う。

けれど、その速度と重量の変化と比較して、肝心な情報の「質」がどうなっているかと言うと、それに見合った変化をしているとはちょっと思えない。勿論、変わってきてるところもあると思うけど、多くの人はなんだかんだでバカバカしい文春砲を好み、くだらないネット記事に「くだらない」と言いながら、釣り気味のタイトルやサムネイルに釣られる。バカバカしさやくだらなさを憂うふりをしながら、甲斐のない優越感に浸り、何も行動しないまま愚痴って、ディスって、ただ飲み、ただ寝る。まさにバカバカしく、まさにくだらないけれど、かく言う自分もまあ大体そんな感じだ。

例えばそんな具合で、結局そういう欲求がマジョリティだからこそ、技術や外的環境の向上と比べて、情報の「質」は底辺のまま、低空飛行している、というふうに思える。では、そもそも「質」とは何かという話になるのだけど、ここにもクリアな回答はない。今回のコロナのようなことがあったり、国政選挙や有事があったりするとテレビはますますの標的となり、一方的に叩かれる。そして、テレビはでっち上げとされ、「情報は自分で取りにいかないといけない」というような意見が流布する。そういう意見を見かける度に「じゃあ真実的なものはどこにあるのよ」と訝しく思う。テレビにはなく、自分とその仲間内にはそれがあるのだろうか、あるいはネットには真実的なものが転がっているのだろうか。いつ何時も正しい情報を正しく伝え、正しく導いてくれる全知全能の神様的な存在がネットの世界にはいるのだろうか。勿論、いない。Siriは近いうちにその座につくことができるだろうか。勿論、できない。隅から隅まで、とは言わないにしても、ネット上に無限かのように広がる情報はほぼ全て、誰かしらの欲求や欲望に紐づき、資金の多寡や活用法によって区画整理された、主観や感想、あるいはフェイクの集積に過ぎない。グーグル内で用意されている情報は、グーグルの経験則に基づいた、あくまでグーグル内での最適解でしかない。「ググれ」というフレーズは祇園精舎の鐘の声くらい等しく虚しく、僕自身もテレビの情報なんて全くアテにしてないけれども、ある意味、テレビにはスポンサーシップとコンプライアンスによる最低限の節度が保たれている一方で、そういう観点においては、ネットの情報の方がよっぽど欲にまみれてるし、品格がない。騙している具合と騙されている具合で言ったら、ネットの方がむしろ深刻のように思える。

コンビニのサラダは体に不健康だろうか。あるいは健康的なのだろうか。「コンビニ」というのはどの会社のものを指しているのか。いつの時代のものを言っているのか(20年前の品質は今の品質と同じなのだろうか)。たまに食べるのはいいのか、食べ続けると発がんするのか。日常的に野菜を摂取している人にとってのコンビニのサラダと、全く野菜を摂らない人にとってのそれは同じ価値であり、同じ有効度なのだろうか。食中毒のリスクは孕むが栄養価が高く、高価で一部にしか流通しない有機野菜と、水溶性ビタミンは多少損なわれるけれど、食中毒のリスクはなく低価で幅広い層にリーチしうる洗浄野菜はどちらが社会全体にとって健康的なのだろう?、どちらが社会全体にとって不健康なのだろう?ていうか、というか、そもそも「健康」とは何だろうか?社会が一律に規定する「健康」と、自分が自分を慮って目指す「健康」、どちらがどれくらい「健康的」なのだろう?非健康的な健康な人もたくさんいるし、健康を意識するばかりに逆に不健康に陥っている人もたくさんいる。

つまり、ここに明確な回答はないし、断定もできない。あくまでその人のコンディションによるし、あくまでその人の解釈による。コンビニのサラダですら曖昧なのだから、その他多くの難題に断定的な断定を下すのは難しい。全ては五里霧中の中の暗中模索中だ。人と人が数えきれないほどの戦いを繰り返し、大量の血を流した末にようやくたどり着いた強引な平和でさえ、かくも脆いことがかくもあっさり証明されるくらい確かな不確かの中で、となると誰かがいいと言っていたものを「いい」と言いたくなる気持ちもわかるし、すがりたくもなるし、共感は救われるかもしれないが、そもそもどこまでいっても霧中の暗中なのだから、無理に光を射そうとするのではなく、その闇と視界不良を受け入れる方が賢明であり、自然なように思える。願いがあるだけで、回答はない。美味しいうどんを食べたいという願いがあるだけで、ここのうどんは美味しいという回答はない。

けれど、美味しいうどんを食べたいのであれば、ぶらぶら歩いて腹を空かせればいいし、少なくともそういう美味しさがあるのは間違いない。そもそも普段うどんを食べない人にうどんの繊細な機微などわからん。勿論、俺もわからん。であれば、少しでも歩いて、少しでもお腹を空かせたらいい。情報が人々の行動をどれだけコントロールしようとも、逆に言えば人々が情報にどれだけ支配されようとも、多分、この純粋な単純には敵わない。


 

 

自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。

自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。

せっかくうどん県の香川に行くわけだし、しかも日帰りで時間も限られているのだから、とにかく美味しいうどんを食べたい、それさえコミットできればあとはなんでもいいと思っていたわけだけど、空港の近くにたまたまあったお店の、たまたまのうどんを美味しく食べ終えた今、元々のプランはほとんど無意味なものとなった。予定は白紙にしてあとは場面で決めよう、と。その一杯が今、その瞬間、最高に美味しかったのであれば、「それ以上のクオリティを求めること」に今日このあとの時間を費やす必要は多分ない。

そもそも、ネット上で情報を収集し、それに基づいて自分の行動を規定し、時間を消費することは適切だろうか。自分は有名店のオーナーでもシェフでもなければ、ましてやうどんに対する造詣はまるでないわけだが、少なくとも、ある程度、飲食を生業としてきた人間ではある。曲がりなりにもそうであるのにも関わらず、香川でうどんを食べるにあたり、同調と群集心理によって形成された点数やレビューを判断材料として、行先やルートを決めるのはなんか合理的でないように思える。点数やレビューがどうあれ、讃岐うどんに詳しい友人や知人におススメのお店を聞いた方がよっぽど理に適っているし、生きた情報と言える。

そんなことを思っていると一軒目のすぐ近くに別のお店を見つけた。もう少しインターバルを置こうかとも思ったけれど、食欲は完全に点火している。店の前まで行って決めようかと近づいてみると、看板に「牡丹うどん」の文字を見つけた。猪肉うどん。入店、即決。正解すぎた。

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さすがにお腹いっぱいになったので、しばらくぶらぶら歩いてみることにした。なんでもない道をなんでもなく歩き、

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農協に入って地元の珍しい食材や野菜を物色したり(リュックぐらい持っていけばよかった)、

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いい感じの境内でいい感じにぼーっとしたりした。

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結局3時間ほど歩き続け、正午近くに市内に向かうバスに乗った。市内でレンタサイクルを借り、適当にぐるぐるまわった。自転車に乗り、うどんを食べ、日本庭園を散策した。

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漫画喫茶で1時間ほど昼寝もした。日帰りなのにも関わらず、昼寝をするなんてとも思ったけれど、この1時間がまた極上だった。友人から「うどんもいいけど、海鮮もいいよ」と聞いていたので、最後は居酒屋さんで穴子の刺身を肴にビールで〆た。

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18時頃、高松市内を出て、19時半のフライトに乗り、20時40分には羽田。これだけ遊んだにも関わらず、寝るまでまだまだ時間がある。まだまだ休日を続けることができる。この事実は僕にとって、ちょっとびっくりなことであった。今後、休日はこんなふうに過ごせばいいし、旅行はこんなふうに行けばいいと思った。今日は渋谷に行って、下北に寄って、吉祥寺で飲んでぐるっとまわって帰ってこよう、的な感覚で、ふらっと飛行機に乗って、普段と違う風景に飛び込むのは最高の気分転換になるだろう。

といった具合で、「考えてみれば…」とか「いやいや、ちょっと待てよ…」という気付きが多い一日となった。それは全て「日帰りでもよくない?」と自身に提案できたところが始まっていて、逆に言えば「旅行行くなら少なくとも1泊2泊」というお決まりのパターンを疑ったことに由来する。よく固定観念や既成概念といったありきたりな言葉で代用されるものだけど、そんな仰々しいものではなく、単純な「何となくの思い込み」でしかない。けれど、だからこそ危うい。おそらく自分が思っている以上にこの「何となく」は気付かぬうちに膨れ上がっていて、知らぬうちに増殖している。点数やレビューで評価されているうどんは確かに美味しいかもしれない、けれど、それは点数が低いお店やレビューが少ないうどんが美味しくない、とイコールにはならない。洗練されたマーケティングを施され、ブランディングを築いたAが良質であることは、B~ZがAより劣っていることを示さないし、証明されえない。Aがどれだけブランディングされていようとも「B<A」にはならず、AはAであって、BはBだ。


美味しい讃岐うどんをたっぷり堪能したあと残ったのは満足感と、「情報」というものへの疑問符だった。すっかりしっかり「情報」の社会なのだけど、そもそもの話、情報とは何なのだろうか。