Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

今、私たちのお店は…2024夏②

2024年夏、今のジャーニージャーニーを棚卸ししてみる。

珍しく(と言うか初めて)、数字で整理していきたい。

そもそも自分は数字に対して執着はない。かと言って、「お金ではなくQOLを」みたいな考え方も全然持ち合わせてない。「経営者たるもの…」的な哲学も信条もない(そもそも自分のことを経営者だとも思っていない)。養わなければいけない家族もいない。かと言って悠々自適に過ごしているかと言うとそんなこともなく、毎日ドチャクソ働いている。疲れる時もあるし、疲れた時は「疲れた」と言うタイプだが、そのドチャクソについても、疲労についても、基本的に何とも思ってない。残念だし、寂しいことでもあるけれど、物欲はないし、遊びたい気持ちも(ほぼ)ない。社会に貢献したいという意欲も特にないし、社会と繋がっていたいとも、距離を置きたいとも思っていない。やりたいことと、やらなきゃいけないことをのびのびとできれば、あとは基本的に何だっていい。

ごくたまに、自分は何故こんなに働いてるのだろうか?と思う時もあるけれど、多分、良くも悪くも単純に、働いてるのが一番楽しくて、面白いからだと思う。楽しくなくて、面白くなければ、こんなに働かない。

とは言え、「前年比」に関してはある程度意識している。「前年の売上・利益に対して、今年はどうなのか」。今のお店が一年前のお店より数字的に下回るのは嫌だなあという気持ちがある。売上や利益は「成長」の一つの指標でしかなく、側面の一つでしかない。重要なのはその時々に合わせた最適化であって、売上や利益の無理な最大化が様々な弊害と閉塞感をもたらす、と思っているし、いつかは曲がり角が来るのだけど、前年比を超えたいと思っているうちは前年比は超えたい。やれてたことがやれなくなるのは悲しいし、できていたことができなくなるのはやはり悔しいものだから。だから、自分たちが見据えるべきは他店でもなく、取り巻く環境でもなく、1か月前の自分たちであり、1年前の自分たちだと僕は思っている。


1.売上推移について

2024年の上半期(1月~6月)は2023年に対して、下記のように推移している(売上ベース)。

◆本店     前年対比118.02%
◆2号店   前年対比109.6%
◆合計  前年対比115.3%

総括として言えるのは、「けっこう頑張れてる」ということ。飲食店の廃業率は10年以内に90%とよく言われる。「いやいやそんなことないでしょ。大手チェーン店の一斉業態変更とかそういうのがこの数字を押し上げてるんでしょう、実際、少なくともウチのまわりのお店、この約10年でそんなに変わってないし」と感じてるけど、にしても、コロナがほぼ終息を迎えた2023年(コロナ前の2019年売上とほぼ一緒)に対し、10年目で115%も伸長できれば十分立派、とも思う(と言っても、この伸長率はJ×Jの元々の数字が低いから、とも言える)。

2.人件費比率について

人件費率は2023年の上半期が23.7%だったのに対し、2024年は21.6%。この数字には自分が現場で働いてる分の人件費は含まれていないので、その分を仮に概算で+10%で加味すると、2023年が33.7%に対し、2024年は31.6%となる。飲食店の一般的な損益計算書と照らしわせると、31.6%でもやや高いといったところだとは思うけど、かと言って、大きく逸脱もしていない。そして、売上を両店で115%伸ばせたのにも関わらず、人件費率を2.1%下げることができたのであれば、それは効率化に成功したと言えると思う。

人件費に関して追記するならば一年前と今年で大きく違うのは社員の有無。去年の6月までは社員がいたが、今年は社員はおらず、時間給のバイト・パートスタッフのみで構成している。運営や営業全体においてはメリット・デメリットが当然あるけれど、人件費率だけを見れば今の時間給主体の方がフィットしていると言える。自分のマネイジメント不足を晒すようで恥ずかしいことではあるけれど、昨年の上半期においては、店内不正の発覚やアルバイトスタッフが飛んだりして、暗澹そして散々たるもので、その影響で人件費が強制的に圧縮された部分もあれば、逆にかさんだ部分もあるが、それ以降、今に至るまでそうした不測の事態はない。

と同時に、2023年の下半期にかけて、けして十分とは言えないけれど時給の見直しも断続的に続けている(105~110%増)。それに連動するようにメニューの価格改定にも取り組んでいる(同様に105~110%増)が、そのあたりが前年対比として数値化、顕在化してくるのはこれからなので、上半期だけでなく通年でどう推移していくか注目しなければならない。

DX化や、スキマバイトアプリの活用など、人件費の最適化にむけたアプローチは確かにある。けれど、合理化における「合理」や、効率化における「効率」を飲食業において、どう落とし込むかはお店それぞれの想いと事情による。おそらく、ほとんどの個人飲食店は合理や効率を理念としては掲げないし(それを第一義とするならそもそも個人店を開かない)、個人飲食店を訪れるゲストもまたそれを求めない。手間暇や丹精や真心を込めることは今までもこれからも、普遍的な価値としてきっと光を放ち続ける。とは言え、不合理はあくまで不合理で、非効率はあくまで非効率だ。


だから、店は今までもこれからも、この矛盾や背反性に向き合い続けないといけないし、その折り合いや汽水域にこそ、センスや努力が滲み、その店の「味」や「個性」になるのではないかと思う。



今、私たちのお店は…2024夏①

『今、私たちの学校は…』という韓国のネットフリックスドラマ(学園ゾンビもの)があって、今回のブログのタイトルはそれを引用しています。個人的な感想としては「特別に面白いということはないけど、なんとなく全部観ちゃった」という感じでした。シーズン2が配信されても観ないと思うけど、ブログのタイトルとしては便利だし、簡潔です。

コロナ禍以降、ブログでお店のことを書くことがめっきりなくなりました。ブログだけでなく、Youtubeも、SNSもほぼ全く動かしていません(インスタは元々なんか億劫で、元々あげてないけれど)。特にこれと言って明確な理由があるわけでもないし、嫌気が差したわけでもない。私生活において何かしらの転機があったわけでもない。「なんとなく、ただただ、書く気がふっと消えた」という感じ。なんなんだろうなと思うけど、なんだかよくわからないままです。

SNSの投稿にしても、ブログにしても、動画にしても、何らかの記録として残しておけば、後々の何かに活きるかもしれないという想いが少なからずあったし、単純な備忘録としても機能するとも思うけど、じゃあ実際、目的的に自分の投稿を振り返るかと言ったらほぼ皆無に近い。むしろ、基本的に恥ずかしい。これがあと10年、20年経てば、その色合いやまた意味性も変わるのかなとも思うけど、それはそれでピンと来ない。

20年前、自分がハタチそこそこだった時のブログを今読み返すか?読み返さない。読み返したいと思うか?思わない。20年後は違うと思うか?多分違わないし、もしそうだとしたら、その時、自分は相当、暇なのだろう。

だから、たった今、久しぶりにお店のことをブログに書こうと思って、こうして一歩を踏み出したわけだけど、一体誰に向けた文章なのか、そもそも何のためなのか、未だに要領を得ていない。ただまあ、大仕事が終わったところだし、台風で予約は全てキャンセルになったし、外はざあざあ雨が降っている。先日、旧友から「お店って今、営業してるんだよね…?」と恐る恐る聞かれた。「あ、そういう感じか…」と思った、苦。

この先、読み返すことはなくとも、私たちのお店の「今」を棚卸しするにはいいタイミングなのかもしれない。




思いどおりにいかない。

思いどおりにいかない。


思いどおりに集客できない、売上が上がらない、利益が残らない。人が集まらない、スタッフに伝わらない、仕組化できない。改善しても改善しても食材原価はあがる、いくら効率化しても追いつかないくらいに人件費率もあがる(人件費があがることは別に悪いことじゃない)。その体質と構造を克服したかと思ったら、今度は冷蔵庫が壊れてその努力の大半が吹っ飛ぶ。冷蔵庫を新調したら、今度は製氷機が動かなくなる。製氷機を修理したら、今度は予約がピタっと止まる。何事もなかったかのように予約の人数が半分になり、何事もなかったかのように団体の貸切がキャンセルになる。丁寧に接していたつもりのスタッフがトぶ、傷つけないように優しくしていたスタッフが店内不正をはたらく。


といった具合で、色々と、まったくもって、思いどおりにいかない。


夫が協力してくれない、妻が理解してくれない、子供が言うことを聞いてくれない、こんなに大切に育てたのになんで…、ダイエットしてるのに痩せない、(この辺りは自分には経験がないのであまりわからないが、よく聞く話として)、こんなに頑張ってるのに評価されない、認められない、誉めてくれない、部下が…、上司が…、最近の若者は…、学校は…、社会が…、時代が…、


といった具合で、やはり思いどおりにいかない。


なんらかのストレスを感じる時、なんらかのフラストレーションが溜まる時、イライラする時、人を裏切ろうと思う時、裏切る時、悪事を働こうと思う時、悪事を働く時、シャットアウトする時、絶望する時等々、

そうした全てのネガティブの根底には「思いどおりにいかない」があるように思える。なんらかの事情と理由で、おそらく「思いどおりにいっていない」。


でも、そもそも、思いどおりにはいかないものだ。そりゃそうだ、自分が自分の事情と哲学を以って、今まさに「ここ」で生きてるように、自分の隣にいる人はその人の事情と哲学を以って、今まさに「そこ」で生きている。「隣」はあくまで「隣」で、「ここ」と「そこ」は限りなく近い。自分の隣にいる人は自分の思いどおりには動かないし、自分は自分の隣にいる人の思いどおりに動かない。多分、基本、みんなそうで、そうではない誰かと誰か、何かと何かがあるのであれば、それは美しい奇蹟がたまたま起きてるだけだ。



そもそも何故、自分は自分の思いどおりになると思っているのか。


あるいは、そもそも何故、あなたはあなたの思いどおりになると思っているのか。



自分よりも頭のいい人はたくさんいる。頭の良さだけではなく、自分よりも思慮深い人もたくさんいる。自分よりもお金と時間を持っている人もたくさんいる、それだけならまだしも、「まだしも」というか頭の良さもお金も全く関係ないくらい、単純に、自分よりも努力してる人はたくさんいる。


「単純に、自分よりも努力してる人はたくさんいる」。


にも関わらず、何故、この期に及んで、自分の思いどおりになると思っているのか。何故、自分の思いどおりにならずにイライラしているのか。他人のせいにしているのか、恥ずかしげもなくガチャという言葉を用いるのか、社会や時代に責任転嫁しているのか。

何かのせいにしたい人、何かに擦り付けたい人は今すぐガザか南スーダン(もしくはイエメンかシリアかパブアニューギニアグリーンランド北朝鮮か南極か)でその想いの丈をブチまけてきてほしい。「それは極論だ」と言う人がいるかもしれない。でも、本当にそうだろうか?今「ここ」で起こっていることと、今「そこ」で起こっていることは、現代において、それほど離れているだろうか。ほんとうに「極論」だろうか、と思う。


自分の思いどおりにいかないように、あなたの思いどおりにもいかない。そして、自分の思いどおりにいかない時にどう立ち回るかにこそ、本来的な資質が現れる。自分の思いどおりにいかない時に「何か」や「誰か」のせいにするなんて、まさに骨頂極まる愚で、愚極まる骨頂だ。「大人であれば、自分の目の前で起こる出来事全て、自分の責任だ」と思っていた方が心はいくらか健やかになる。と思う。


そもそものそもそも、自分の思いどおりにいかないことは本当にネガティブなのか。思いどおりにいかないから面白いのではないだろうか。本来、「面白い」というのは、思いどおりじゃないから「面白い」。「一面が白やむ」と書いて、「面白い」。


これから先、ジャーニー×ジャーニーと自分に「全然思いどおりじゃない」ことが2つ起きる。1つめは明日始まり、2つめはおそらく一年後ぐらいに起きる。2つとも、全然思いどおりじゃない。




思いどおりであれば、一面は白やまない。



そうじゃないから、面白い。



人それぞれだろうけど、できれば、できるだけ、面白いほうがいいなと、自分は思う。





あっぱれ。


去年の年始に抱負として、下記のブログを書いた。

www.journeyjourney-blog.com


この年始のブログにおいて、「難問は日々湧いて出てくるもので、その難易度は(どういうわけか、そして、どうしたって)加速度的に高まっていくのだから、その難問に打ちひしがれることなく、また強引に解決しようとせず、落ち着いてゆっくり紐解いていこう」ということを掲げ、同時に戒めた。が、程なくしてその抱負や自戒は砕け散った。愛するには難しい難問ばかりで、まさに打ちひしがれた一年3か月となった。シビアで過酷な自問自答が続いた。

と同時に、ポジティブなこともたくさんあった。難問の多くが予期できないものであるように(だからこそ難問化する)、その逆のポジティブも多くの場合が予期できない。そのイレギュラーなバウンドをグローブにおさめられるかどうかで物事は大きく変わってくるように思える。「持ってる、持ってない」という表現もあるけど、「見てるか、見てないか」の方が適切な気がする。もっと言えば、「見ようとしているかどうか」。うつむいてなくてよかった、と思う。

というわけで、2023年及び9年目も毎度のことながら過去最高を更新する超ヘビー級な一年だったけども、交差するネガティブとポジティブを切り抜け、今はいいバランスといいリズムをある程度構築できている。この感触も毎度のことなので油断してはいけないが、難問が難問であるほど、チームは強くなるし、ありがたいことにチームメイト(や「関係者」)も増える。仮にその難問自体を解決できなかったとしても、それに対し無力だったとしても、向き合えば向き合った分だけ、そこには反応があり、反射がある。そういうものだと思う。愛するには難しい難問にせよ。

今日、TBSの『サンデーモーニング』を観ていたら、36年、メインキャスターを務めた関口宏の最終日だった(番組はこれからも続く)。36年。何がどうあれ、とてつもない。

最後に何て言うだろうかと気になって、洗濯物を干すのをやめて注視していたけれど、コメント自体は差し障りない内容だった。このまま終わりかと思った矢先、番組が終わる数秒前に画面から見切れている上原浩治関口宏の背中に向けて「あっぱれ!」と言った。それを受けて関口宏は涙を浮かべながら「ありがとう」と言っていた。色々と、まさにあっぱれだった。


J×Jは今日から10年目。10年目のジャーニージャーニーもどうぞよろしくお願いします。


にしても、クソ。

2023年のセ・リーグのレギュラーシーズンが10月4日に終わった。僕が応援している横浜ベイスターズは2位に肉薄したけども、ギリギリのところで3位で終わってしまった。3位となれば、このあとのポストシーズン(CS)に進出できるので、勝負はまだ続くし、楽しみは継続される。だから、十分と言えば十分なのだけど、最終戦でとても悔しい負け方をしてしまっただけに沈んでいる気持ちは否めない(横浜だけでなく、1位阪神、2位広島も最終戦で、遺恨が残る嫌な負け方をしている。ある意味珍しいし、面白い展開とも言える)。

なもんだから、当たり前のようにSNSは荒れた。一部の暴徒は性懲りもなく選手や監督を叩き、叩いている人々をまた別の人々が性懲りもなく叩いた(そして、その様を見て、ほくそ笑む人々がいる)。

「愛憎は紙一重」とよく言うけれど、「そうだろうな」と最近思う。「愛」に種類があるように、「憎しみ」の形態も千差万別なので、「愛憎は紙一重」と一括りにすることはできないと思うけど、愛憎の在り方の中には少なからず「紙一重」となってるものはあるように思える。愛がある(あるいは「あった」)ゆえ憎くもなるし、憎しみ出身の愛があったりするのもドラマや映画に限った話ではなく、実際、実在する。

今年の阪神は圧倒的だった。2位と11.5ゲーム差。まさにぶっちぎりだ。ぶっちぎるスーパースターがいるわけでもなく、全体的な数字もそれほどでもない。そんな中でのぶっちぎりの優勝。岡田新監督をトップとしたマネイジメントの功績は甚だ大きい、と思わざるを得ない(他チームの首脳陣のマネイジメントの拙さが露呈した、とも言える気がする)。

そんなぶっちぎりだった阪神に横浜は8月下旬に2連勝した(2連戦のうちの2連勝)。この時点でほぼほぼの独走状態であったが、この2連勝で横浜ファンは少し沸いて、もしかしたら…みたいな淡い期待をほんのちょっと抱いた。僕自身もその2連勝は嬉しくて、スポーツニュースやSNSをサーフィンしたわけだけども、そんな中、阪神ファンのあるツイートに目が止まった。

「もう今シーズンは終わりました。皆さん、さようなら。また来シーズンにお会いしましょう」

繰り返すように、この時点で阪神は圧倒的で、横浜に2連敗したところでどうってことない状況だった。「え、どうゆうこと?」と思って、この投稿者に興味を持って、過去のツイートを遡ってみると、勝っても負けても関係なく、とにかく消極的かつ悲観的なツイートをひたすら繰り返していた(2008年に衝撃的な逆転劇をくらっているので、その悲劇の影響を受けている可能性も多いにある)。

勝っても落ち込んでるってどういうことよ、と思うが、そのツイートのもう一つのポイントは、かと言って「否定もしない」ということだった。単純に0喜100憂しているだけで、憎しみに駆られた攻撃的なツイートは一切、見受けられなかった。性懲りもない誹謗中傷が性懲りもなく横行し、また、自分のことしか考えられない幼稚な蛙がぴょんぴょんと飛び跳ねるこの現代において、彼(多分)は徹底して、徹底的に、スタンスを変えることなく静かに悲観し続けていた。

傍から見れば(僕自身もそう感じたが)、「これはちょっとしんどいなあ」と感じるだろう。「これでよく心を保てるな…」と。好きがすぎて、本来そこにあるべく嬉喜すら、信じることができず、疑ってしまっている。勿論、それだけのめり込めるもの、夢中になれるものがあるというのは羨ましいとも思えるけども(自分にはないし、おそらく今後もない)、それにしても暗すぎる。

これだけエンターテイメントに溢れ、コンテンツが過剰に供給される現代なのだから、一つの世界線固執せず、また依存せず、もっとバランスよく、関心と意識を散りばめることができればもっと楽だし、もっと楽しめるんじゃないかとも思うが、おそらくそう容易ではない。なんなら、そうした世相であるがゆえ、一つに集中することへの真っすぐさが尊く、尊ばれたりもする。それに、少なくとも彼は誹謗中傷に陥ってはいない。また一時の感情で投げ出したり、切り捨てたりもしていない。悲観を憎しみに転換させることなく、多少屈折しているにせよ(多いにこじらせているにせよ)、淡々と阪神タイガーズと向き合い続け、粛々と阪神タイガースに愛を注ぎ続けている。これってけっこうすごいことなのもしれない、とも思う(大多数の人間はそんなふうに生きていけない)。

誰かを、何かを、憎まずにはいられない人が多くいる。憎むことで自分を保てている人もたくさんいる(韓国ドラマの世界以外にも実際に実在する)。そんな中、彼は何故、暗黒面に落ちなかったのだろう?、と考えてみる。それだけ感情過多であれば、いつ闇落ちしても不思議ではないし、圧倒的に暗いにも関わらず、かと言って、暗黒に圧倒されてもいない。

勿論、僕にはその理由はわからない。何と言っても、ツイッターでたまたまツイートを見かけただから。

理由はわからないけども、彼の心を支えているのは連綿と積み重ねてきた阪神タイガーズとの日々であり、その「積み重ねそのもの」にあるのではないかと僕は推察する。健やかなる時も、病める時も彼の心とフォースは阪神タイガースと共にあり、その積み重ねこそが、光を呼び込み、闇を跳ね除けているのではなかろうか、と。逆に言えば、その集積を見失った時は全てが無に帰すのだろう。まるで、そこにははじめから何もなかったかのように。

にしても、クソ。


にしてもクソ―!にしてもクソ―!


俺は2位が懸かった最終戦、1-0の9回裏2死1,2塁、大田泰示vs山崎伊織、というか大田泰示vs原辰徳の真剣勝負に代打を送ってほしくなかったよ!藤田も確かにここぞだけども、大田に打席に立ってほしかったよ!悔しい!めっちゃ悔しいよ!


暗黒面に今にも落ちそうな未熟で幼稚な自分はさておき、僕は不覚にもあの時、あなたのアカウントをフォローしなかった。悲壮感にまみれきったあなたのツイートをせめてスクショでもしておけばよかったと思うけど、それもしなかった。結果、SNSという途方もない闇の中で、こじれきった光を放つあなたを見失ってしまった。


だから不本意ではあるけれど致し方ないので、ここでお伝えします。


優勝、おめでとうございます。阪神タイガーズ、ほんとに強かったし、なんか素敵だった。


そして、あなたが積み重ねてきた阪神タイガースとの日々と、けして闇落ちしなかったあなたのフォースを私は心からリスペクトします。絶望的に暗いあなたが故、放てる光があり、その光に照らされる誰かがいる。不思議なことに実際、ここに、実在する。




23年10月より価格改定を行います。

【23年10月より一部価格改定を行います】

どうにか工夫できないかと試行錯誤を繰り返してまいりましたが…10月より一部価格改定を行います。

①店頭お弁当 500→600円
(一部弁当は500円のまま据え置き)


②店内本店ランチ 850→900円


③世界一周スタンダードコース 4600→4650円


上記に加え、両店ともに単品価格もメニューによっては改訂しております。

改訂に伴い、クオリティやサービス改善にも一層努めてまいります。また本店10名様、2号店6名様の少人数貸切は継続してまいります。今後とも、ジャーニージャーニーをどうぞよろしくお願いします。
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J×Jでは現在スタッフを大募集しております!

・お店の経営やマネイジメントに携わりたい思ってる正社員の方
・自分の料理を積極的に試したいと考えてる料理人の方
・飲食店で働きながらwebやデザインの知識も活かしたいと思ってる方
・気楽に少しだけ働きたいと思ってる方
・なんとなく飲食店で働いてみたいと思ってる方

是非、お気軽にお問い合わせください!
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こんにちわ、秋葉原旅食ダイニングJourney×Journey「ジャーニージャーニー」です🌏

秋葉原にある旅、旅行、世界一周をテーマにした多国籍料理・無国籍料理の世界一周居酒屋ダイニングです!

この度、メニューをリニューアルし、選べるメニューは120品以上!豪快なお肉、肉料理、肉盛りプレート、ニンニク・ガーリック料理、激辛・旨辛料理、パクチー料理など幅広いニーズとシーンに対応します😋

2号店のBox roundでは引き続き、少人数貸切を承っているので、個室居酒屋感覚でお気軽にお問合せくださいませ🌈本店は10名様以上、2号店は6名様以上で貸切OKです!

なお、本店は店頭に喫煙スペースを設けており、2号店では店内での喫煙可能となっております。

★Journey×Journey本店
台東区台東1-13-9

⁡★Journey×Journey2号店
台東区台東1-33-4

☎️電話(両店共通)08040965577

ご来店、お問い合わせお待ちしております!

『声優と夜遊び ウォーカーズ』に出演しております!

初めてインターネットTV及び声優さんのお仕事に携わらせていただきました!Abemaの『声優と夜遊び ウォーカーズ』です。23時半から大体20分ぐらいの番組で、月曜日から金曜日までの5日間、放送されます。そして、本日15日(金)、最終回となります。

昨夜、〆のパッシーユー風刀削麺に合わせて、J×Jの『世界一周した弱激辛ジャム』を同伴させていただきました。ちょうどジャムをつけた刀削麺をお召し上がりいただいたところで終わりました。最終回の今日、どんなふうに始まるのか。ジャムは辛いのか、辛くないのか。楽しみです!

ジャムの詳しいご紹介は下記リンクまで!Have a good spicy!

journeyxjourney-spicyround.myshopify.com



J×Jの通常営業と激辛営業について

この一か月で、ありがたいことにJ×Jの激辛、弱激辛を立て続けに取り上げていただきました。

6月22日、テレビ東京『ゲキカラドウ2』の最終回、
7月20日日本テレビぐるナイ』、
7月26日、TBS『ラヴィット!』、

ありがとうございます。それぞれの番組でフォーカスされたコンテンツは異なるのですが、一番のメインとなるのはJ×J特製弱激辛ラーメン「朱雀」です。

ディナータイムでも提供しておりますが、J×J本店は貸切や団体様のご利用が多く、ご予約を承れなかったり、ご案内できないことが多々ございます。大変恐縮ではございますが、ご理解の程、何卒よろしくお願いします。また本店から徒歩2分の距離に2号店があり、こちらを開けられればと思うのですが、2023年8月現在、スタッフ不足の問題につき、不安定な営業が続いております。また日曜日は定休日で、土曜日はランチ営業できていないので、最も安定的に朱雀をご提供できるのは平日のランチタイムになっております。この点についても重ねて恐れ入りますが、ご了承いただきますと幸いです。


逆に最近のお問い合わせとして「辛い料理ばかりなのですか?」というのも多くいただいております。J×Jは多国籍料理店の一つの側面として、世界中の辛い料理を打ち出しておりますが、あくまで一側面であり大部分は辛くないので、どうぞご安心くださいませww


本店における貸切や団体様のご利用及びその推奨は継続しつつ、激辛・弱激辛も並行して推していきたいと思ってます。朱雀以外にも、世界中の唐辛子と世界中の辛い料理を一度に同時に楽しめる『世界一周弱激辛コース』もおススメですし、今後新たに育てていきたいのは「タコライス」です。ラーメン、カレー、麻婆豆腐が激辛グルメのシーンのほぼ全てを席巻している中で、「タコライス×激辛」の相性に可能性を感じています。

そして、『ぐるナイ』と『ラヴィット!』で取り上げていただいた「世界一周した弱激辛ジャム」は店内でも、オンラインでも販売しております。

https://journeyxjourney-spicyround.myshopify.com/

 




それでは皆様、Have a good spicy!!

弱とちゃうやんけ!

今朝、『ラヴィット!』に出させていただきました。ありがとうございました。

「弱激辛」という言葉(ていうか「概念」というか)を思い浮かび、「弱激辛」に取り組み始めた時の目標は、『ラヴィット!』で芸人さんに「全然、弱とちゃうやんけ!」的なツッコミをいたただくこと、でした。

さらば森田さんのツッコミはそうはならなかったですが(ある意味、コンセプトの通りなのですがww)、いずれにせよ引き続き、自分たちにとっての「弱激辛」を自問自答してまいりたいと思います。

そして、局を超えて、弱激辛を推していただいた福本さん、ならびに番組関係者の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。緊張してないつもりでしたが、スープを注ぐときに盛大にこぼしてしまい、申し訳ございませんでした…。そもそもお玉を忘れてしまってごめんなさい。

ジャムに興味を示していただいたことにも感謝です。川島さんにご質問いただきましたが、店内でも販売していますし、ネットでも販売しています。インスタのアカウントからいくと、リニューアル前のジャムが表示してしまうのですが(原因不明)、今は100gで1380円となっております。これまたわかりづらくて申し訳ございません…。ご興味のある方は是非「弱激辛ジャム」でご検索いただければ幸いです。番組自体もTVerで一週間くらいは見逃し配信してると思います。

食材やスープ、食器をを詰め込んでパツパツになったウーバーバッグを担いで(お玉は忘れたのだけど)、朝6時に赤坂集合。勿論前日も普通に遅くまで営業なわけで、しんどかった。


けど、久しぶりにバックパックを担いで旅してるみたいで、ちょっとよかった。




J×Jの激辛道とJ×Jの『ゲキカラドウ』への冒険③

激辛調味料を作るにあたって、「どれぐらい辛くすればいいのか」を見極めることが課題となりました。①の記事でも書いたように、コロナ前から「激辛」はJ×Jにとって重要なキーワードと位置付けていましたが、コロナ禍を通して、J×Jは改めて「激辛とは何か」を再考し、再定義し、再構築することにしました。「辛い、辛くない」は結局、個々人の主観であり、個々人の味覚に過ぎません。Aにとっては激辛で、Bにとっては激辛でないものをCが「この商品は激辛です」と激辛商品として売り込む自体、独善的と言えば独善的だし、そもそもちょっと無理があります。

だからまずはせめて、近隣(秋葉原・神田・浅草)の中で激辛を謳う、あるいは激辛と謳われているお店やメニューを実際に食べて、どれぐらい辛いのかを市場調査することにしました。

www.youtube.com

この日、3店舗くらいをまわって、近隣の「激辛メニュー」を試食しましたが、結論としては「なんかちょっとよくわからないな」ということでした。辛いっちゃ辛いけども、激辛かと言われると物足りない気もするし、かと言ってこれ以上辛いと単純に美味しくなくなると思うし…、みたいな感じで、とりとめのない気持ちになりました。

そして、その「とりとめのなさ」はそれ以降もずっと付きまといました。「とりとめのなさ」というのはつまり、「まとまりがない」と言うか、「バラバラとしたさま」と言うか。とにかく、なんだかしっくりこないのです。「激辛とは何か」を探れば探るほど「激辛とは何か」が遠のいてく感覚です。その試行錯誤の様は動画に顕著に出ています。全ての動画を載せたいくらいだけども(自分たちの迷走を全て見届けてほしいけども)、それこそとりとめがなくなってしまうので、一部だけリンクを張っておきます。

www.youtube.com

www.youtube.com

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そうした探り探りの激辛の中、さらにその上の本格的な激辛に踏み込もうとすると今度は「辛すぎる」という壁が立ちはだかります。辛すぎて、辛すぎるだけなのです。僕らはその座標を目指したいわけじゃない。そうした錯綜と葛藤の中、生まれたのが「弱激辛」という概念です。「弱」と「激」という矛盾する背反性を「弱激辛」という言葉で表現しました。

「弱激辛」とは何か?その定義をわかりやすく言えば、「激辛の少し手前」です。でも、このブログではわかりやすく収めたいとも思ってないので、あえてややこしく言えば、僕らが目指しているのは「健康で、文化的な、最低限度の激辛」です。健康的でない激辛、文化的でない激辛、度を超した激辛がなんと多いことか(僕はそれを「激辛のインフレーション」と呼んでます)。逆に、全く激辛でない激辛がどれだけ溢れかえっているか(僕はそれを「置き辛」と呼んでます)。

何故、際限なくインフレーションしてしまうのか。逆に何故、激辛なのに置きにいってしまうのか。「弱激辛」はその極端な2つの世界線に対するアンチテーゼであり、挑戦であり、挑発です。「弱激辛」を以ってして、その暴走と迷走に一石を投じたいのです。

「そもそも激辛には答えがない」というのが僕たちの激辛に対する答えです。例えば子育てに答えがないように、「かわいい」か「カッコいい」に正解がないように(正解があるのであれば、皆そうするだろうし、間違いのない世の中ができるはずなのに、実際は間違いばかりで、それを無理に正そうとするからまた間違える)。あるのは「自分が実現したい自分らしさ」だけだと思います。何事も。

その「答えがないという答え」を「弱激辛」という非論理的な言葉に託しました。そもそもが矛盾しているのだから(人によって激辛はそれぞれ異なるのだから)、矛盾そのものを商品や表現にアイデンティファイしたとしても、それは自然なことだと思います。「本商品の最大の特徴は矛盾です」。それでいいと。それが自分たちが実現したい、このジャムの「らしさ」です。

当然、「わかりにくい」「弱激辛ってどっちなんだよ!」「全然、弱じゃないじゃないか!」というお声も出てくると思います(というか、毎日出てます)。冗談めいたツッコミで済むのが一番平和なのですが、たまに冗談で済んでない反応もあるし、これからそれはもっと加速していくと思ってます。でも、全ての反応がこの商品の正しいレビューです。僕は今のレビュー社会に本当に嫌気がさしてるけども(何故見ず知らずの人の意見や感想に、自分の行動を委ねるのか)、この商品は多いに揉まれてほしいし、多くを揉んでほしいと思ってます。だってそういう商品だから、です。


と、そんな想いで、弱激辛ジャム作りを始めました。


そして、それと同時に弱激辛ラーメン作りも始めました。