2025年7月
6月に続き、7月も両店ともに、またランチ・ディナーともに営業的に忙しい一か月だった。忙しかったけれど、振り返ってみると一年で最も濃い一か月だったかもしれない。
中心にあったのが『土曜はナニする!?』の出演だった。放送自体は8月だったけども、収録は7月、そして、その一か月の中で①自店での撮影、②キッチンスタジオでの撮影、③他店でのグルメロケ、④大阪のスタジオでのロケ、の4つが行われた。けっこうなボリュームだったし、②も③も初めてのことだったので、良くも悪くも消耗し、大変だったけど、

やりがいもあった。『キタコレ』の飯田さんの時も思ったけれど、鈴木さんもまさに時代の中心にいた、と言うか、時代を作っていた方なわけで、収録中、会話をしながら「俺は今、”時代”としゃべっている…」と畏敬の念を抱いた(ちなみに両氏ともに自分とタメである)。
キッチンスタジオは港区のど真ん中にあった。撮影は自然光をシャットアウトするし、カメラを回していても救急車が通ると撮影を止め、撮り直す。であれば港区である必要はないんじゃないかと思っていた(スタジオ、高いだろうし)。

地元や田舎の親族・知人友人にたまに「東京でお店10年やってるなんてすごいねえ」と言われることがあるけれど、普段「東京」というのを知覚も意識もしない。コンクリートに辟易することもなければ、田舎に憧れることもない。そのあたりのことは何も考えることなく、店と家を往復している。
が、撮影が終わり、ベランダであれば一服しても大丈夫ということで、お言葉に甘えてカーテンを開けると、

いわゆるの東京が広がっていて、「おお、東京だ…」と何ならちょっとエモーショナルでさえあったのけど、この感覚は新鮮だったし、今年一年を振り返るにあたり、何故か印象的だった。さらに言うなれば、自分は毎日、徒歩か自転車なので、初めてのロケバスにも高まったし、首都高に乗って都心を駆け回るのも楽しかった。だけど、普段東京を車で移動している人からすれば何ともないわけで、このギャップそのものを面白く感じる。我ながら、素朴だ。
そして、

関西テレビの番組だったので、スタジオ収録が大阪で、思いがけない小旅行になったのもよかった。大阪には2,3回しか行ったことがないし、行きたいなあと思うことも正直なかったけれど、昼前に撮影が終わったので、新幹線の終電までひたすら飲み歩いた結果、今、すごく、「また行きたい」が強い。ただでさえパワフルな街だろうに、万博と阪神の試合とTWICEのライブと夏休みが週末が重なり、何もかもが漲っていた。

ここまでミーハーな写真を並べてしまったけれど、

合間を縫って、父の古希のお祝いをできた。両親と同じ部屋に寝たのはいつぶりだろうか。そして、孫(俺にとっては甥)は人格とキャラを変える、と改めて思った。
2025年8月
「ニッパチ(2月と8月)は売上が落ちる」とよく言われるけども、事業所立地であるジャーニーはお盆期間はそもそも営業しない(暇すぎて)。なので自動的に売上は落ち込むのだけど、それならそれで普段できないことができたりするので、有意義な時間にもなったりする。スタッフと飲みに行ったり、元スタッフと飲みに行ったり、元スタッフが働いてるお店に飲みに行ったり。飲食仲間のお店に行ったり。25年8月はとにかくよく飲んだ。



2025年9月
例年そうだけども価格改定やメニュー変更、コース内容の微調整は10月に合わせる。正確に言うと繁忙期の12月に照準を合わせてるんだけども、10月中旬ぐらいから忘年会の予約は入り始めるし、ピークを迎える前にならしておきたいというのもあるので、そうなると9月中には諸々のマイナーチェンジを終えておきたい。シルバーウィークもあるので(ウチは暇なので)、そういう作業に向いている。今年もまさにそういう一か月間だった。もっとも今年はグランドメニューも大幅に変えたので、お盆あたりから取り掛かっていた。予定通り、10月よりグランドメニュー差し替え、ランチ価格改定、コース内容の微調整を実施。
それともう一つ、前々から仕掛けていたのが「麻雀」。麻雀に関しては前々から、ジャーニージャーニー内及び親交が深いところでサークルにしたいと思っていて、着々と組織化を進めていた。単純に麻雀が好きということもあるけれど、最近では「飲み会」の限界も感じていて、コミュニケーションのツールとしても麻雀が有効なのではないかと。というわけで未経験者にも声を掛けながら、打ち手を増やしてきた。この頃ようやくその努力が結実した。

2025年10月
12月にインドネシアに行ったが、インドネシアのプロジェクト(と言いたい)が始まったのは8月で、12月の渡航の前にその前哨となるイベントがあった。それが10月。現時点でそのプロジェクトがどう推移していくかまだ何とも言えないので、ここでは詳細は割愛するけども、インドネシアは来年の大きなテーマにしてきたい。


2025年11月
インドネシア同様、来年の大きなテーマにしたいと思っているのが「AI」。正確に言うと、「飲食店×AI」であり「ジャーニー×AI」。現段階ではまだ構想段階で(年内までにロードマップぐらいは作りたいと思っていたが、ほぼ全く着手できず)、具体的な取り組みとして形にできるかどうか少し不安ではあるけれど、妄想を膨らませていたのが11月。けれど、妄想というのは楽しいもので、今年一番、胸が高鳴ったかもしれない。
妄想のきっかけは先述のインドネシアでもあり、他のあれこれでもあるんだけど、彼のエチオピア赴任も関係している。

AIもまたここでは詳細を省くけども、単にAIを取り入れるだとか、業務を効率化するということではなく、AIを活用しながら、壮大なコンテンツを作りたいと思っている(店内ではこの構想を「サーガ」と呼んでいる)。サーガは来年どうなっているだろうか。何事もなかったかのようになってなければいいけども…。

2025年12月
何と言ってもインドネシアに行けたことが大きい。今までであれば繁忙期の12月に海外に行くだなんて考えられないことだったけども、それができるようになったのは店全体の成果であり、収穫だ。渡航目的はまた改めるとして、とにもかくにもインドネシア料理を貪ってきたので、料理自体は近日中に記事化するなり、メニュー化するなりして、何らかの形に落としこみたい。

それはさておき、夏場までは極めて順調だった売上が9月頃から陰りが見え始めてきた。10月に爆発したので「気のせいか」を安堵していた矢先、気のせいではなく、11月、12月と顕著に数字に表れた。こんなふうにこんな総括をできてる時点で、そういうことだ(暇だったし、それほど疲れていないということだ)。今はスタッフが安定しているし、皆ベテランなので、そのおかげというのもあるけれど、それにしても12月感のない12月だった。
はっきり言って、嫌な予感がする。ひしひしと、びしばしと感じている。おそらく既存2店舗の売上ベースで見れば、2025年で頭打ち、このあとジャーニーはピークアウトすると思っている。
「日々は平穏にかぎる」。
本当に思っていることだけども、その平穏の中にも変化やアクセントはほしい(退屈だから)。が、「変化」や「アクセント」というのは往々にしてコントロールできないものだし、想定と予定調和に収まるものであれば、変化でもなければ、アクセントでもない。また、売上という基礎があるから、変化やアクセントを楽しめるのであって(24年、25年のように)、そもそもの土台がそもそも危うくなるのであれば、それどころではないし、平穏ですらない。
というわけで、平穏なんて、ない。