2015年の3月28日に最初のレセプション、4日後の4月1日にグランドオープン。それから6年が経ち、J×Jは7年目を迎えます。もう6年も経ったのか、と感じると同時に、6年もやれていることにひたすらに感謝です。いつもありがとうございます。
そうした感謝の念とともに、3月は一年間の中で最も好きな季節で、また新年度も始まるということで毎年、この時期は何かしらのブログを書くことにしています。去年は5周年の孤独に僕は思わずくしゃみと舌打ちをしていたようです。
2020年というコロナイヤーにおいて、最もしんどかったのは予約が次々とキャンセルされていった2月。全体的なムードとしてはまだお気楽な感じだったし、当然、補償や協力金の話もなく、この時に感じた閉塞感と暗澹たる想いはシビアなものだった。けれども早々にこの絶望感を先行したおかげと言うべきか、それ以降は逆に開き直れた部分がある。「この先一体どうなっちゃうんでしょうか」という状況は、19歳の時、初めて一人で海外(タイ)に行って、泊まるはずの宿を全く見つけられなくて路上で泣きべそかいた時や、店をオープンして一週間もしないうちにディナーの客数1名を叩き出した時の感覚に似ていて、勿論、不安は大きいけれど、刺激されるテンションもある。「この先一体どうなっちゃうんでしょうか」。結局、自分の想像やコントロールを飛び越えていく瞬間が一番楽しくて、そういうのは決まった道を決まったように辿っていてもなかなか訪れるものではない。39歳にもなって、そういう子供じみたことを言うのもいかがなものか思うけど、39年生きてきたから言えることでもある(そして、今では国や東京都から補償されているから言えることでもある、苦)。
そうした心持ちでこの一年、道なき道を進もうとあれこれ取り組んできたけれども、現時点で何かを切り拓いた感覚はほぼない。むしろ、今自分がやっていること、やろうとしていることは正しいのだろうかと疑ってしまうこともある。前段でああは言ったものの、そしてコロナというイレギュラーはあるにせよ、6年もやっていてまだこの程度なのかという焦りも強い。今のような働き方で、今のように働けるのもそれほど長くないとも感じていて、多分せいぜいあと2年だろうと見積もっている。2年後には自分の今の生活と考え方に明確な変化と転換を迎えていたい。今回、この不透明なタイミングで、2階を借りるのはそのための第一歩という意味合いもある。
そんなことを考えているところに、新しい出会いや変動が自分自身や周辺に次々と起こっていて、そうした熱を帯びた「シフト」が目まぐるしくも刺激的で、「この先一体どうなっちゃんでしょうか感」は全く衰えることなく、日々加速していくばかり。現時点で手一杯なのだから、あれもこれもはできないけれど、積極的迷走を積極的に受け入れ、ドキドキする曲がり角を曲がり、どのみち旅するならばイレギュラーを歓迎する旅を。
アマゾンの創業者ジェフ・ベソスが先日CEOを退いて、会長に就任した。その際に従業員に送ったメールの結びにこう書かれていたという。
Keep inventing, and don’t despair when at first the idea looks crazy. Remember to wander. Let curiosity be your compass. It remains Day 1.
「発明を続けよう、最初はクレイジーに見えたとしても絶望しないように。彷徨うことを忘れず、あなたの好奇心をあなたの羅針盤にしよう。今日もまだ創業初日です」
個人的に、ポイントは「彷徨うことを忘れずに」の部分だと思っている。「彷徨うことは悪いことじゃない」だとか「彷徨うことを楽しんで」ならば、よくあるフレーズだなと感じるだろうが、「彷徨うことを忘れずに」って言えそうで中々言えない言葉だと思う。彷徨は一時だからこそ美徳であり、常時彷徨っていることは是とされず、やがて落ち着くことが大人の流儀とされる世の中で、王者がまだバックパックを背負ってることに感嘆する。
と言っても、いつも張りつめてたら気が滅入るし、桜が咲けば桜に集うもまた人の性。今年は初めて、桜の木の下で賄いを食べ、その「花賄い」を昼も夜も連日繰り返せたのも、ある種の成長。仕事して花賄い、仕事して花賄い、こんなふうにして時を積み重ねね、好奇心を自分たちの羅針盤にし、彷徨うことを忘れずに、明日も創業初日の心持ちで7年目も頑張ります。今後ともジャーニー×ジャーニーをどうぞよろしくお願いします。