Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

総論としての「ジャーニー×ジャーニーのこれから」

J×Jにとっては、2月中旬の団体・貸切のキャンセルに端を発したこの狂騒曲、5月31日をもって一つの区切りとし、6月1日より新しい日常と新しい営業を始めさせていただきます。

以前の記事でも申し上げているとおり、J×J は慎重姿勢を崩さず、「実態と風向きがどう変わろうとも変化に柔軟に対応できるようにする」というのを基本に、営業を再開致します。政府と東京都が状況に応じて段階的な制限緩和を計画しているように、J×Jにおいても、大局と近隣の状況を見据えながら対応していまいります。したがいまして、ブログのタイトルを「ジャーニー×ジャーニーのこれから」としながらも、一朝一夕や朝令暮改は辞さず、同調圧力や誹謗中傷には、必要に応じて、どこまでもあっさりと屈します。そして同時に、必要に応じて、どこまでも鋭くロックに貫きたいとも思っております。

とは言え、幸か不幸か(幸にも不幸にも)、僕自身、独り身であり、どれだけ目を凝らしても、どれだけ耳を澄ませても、何が何でも守り抜きたいものがあるわけではなく、仮に自分の収入が完全に途絶えたとしても、店が閉店を余儀なくされたとしても、両親と融資元が肩をすくめながら「やれやれ」と深い溜息をつくぐらいで、特に何がどうなるわけではない(両親は融資元よりは悲しむかもしれない)。せいぜい僕の婚期がさらに遠のき、職業選択の自由が狭まり、国の社会保障制度をほんの少し圧迫するだけで、飢餓が生まれるわけではなく、温暖化や環境破壊を加速させるわけでもない。クラスターやオーバーシュートを誘発するわけではなく、それに関して言えばむしろ、ほんのわずか0.0001%くらい、確率を下げるのかもしれない。

にも関わらず、6月1日以降のシーズン2をまたしゃかりき頑張ろうと思える源泉は、生活のためでもなく、自己実現や承認のためでもなく、単純に居心地がいいからなんだろうと思う。居心地って意外と代替が難しく、意外とけっこう尊い。WEBにはWEBの居心地があると思うが、WEBがこのオフラインな居心地に取って代わるのは困難で、テイクアウトもデリバリーもできない。さらに言うなれば、その居心地を共振・共感してくれる方が自分自身の他にも少なからずいる。であるのであれば、「他のどこでもなく、ここで」、ベストを尽くそうじゃないかと思う。ヘミングウェイ風に言えば「この世界は美しいところであり、そのために戦うに値する」だ(『誰がために鐘は鳴る』より引用)。


世の中に、普遍的な「不要」や「不急」はなく、あるのは個々人の「温度」だけかと思う。例えば、「会いたい人に会いたい」とか「一緒にいたい人と一緒にいたい」と想う気持ちに本来、不要も不急もあるだろうか。誰がそれを「不要」とし、誰がそれを「不急」とするのか、その主語は一体誰か、一体何か。「危ない、君と僕が彼氏彼女だったら不要不急扱いだったけれど、この前籍入れたから、今は不要不急じゃないね」といった具合に人間関係はきっと割り切れるものではなく、割り切れない人間関係を紡ぐのが飲食店(の一つの役目)なのではないかと思ったりもする。


僕自身の場合をヘミングウェイ風に言うなれば、「このお店は居心地のいい場所であり、そのために戦うに値する」ということになる。【各論】に続く。

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