Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

【アキバ系路地裏経済論】今後どうなるだろうか③

前回、前々回の記事で書いたのはウチとはほぼ関係のないような、馬鹿でかいスケールでの話だけども、この路地裏の小さな飲食店も大体同じような展開をすでに辿っている、あるいはこれから辿ることになるんじゃないかと思っている。未曽有の危機に直面し、政府が一定の補償を出す、銀行が積極融資を打ち出す、その間に自分たちにできることに努める、けれども自力には限界がある、銀行も渋り始める、政府や公的機関も「あとは個々で工夫を…」となる。こういう軌跡を描くことになるだろう。

小さな個人飲食店に限ってもう少し具体的に言うと、順番は個店差こそあれ、「一体どうなってしまうんだろうか?」という不透明な状況から、雇用調整助成金→持続化給付金→感染拡大防止協力金という一定の補償とともに、6月から7月にかけての小康状態においていったん安堵し、おまけに家賃補助の受付も開始され、とりあえず大丈夫そうかなと算段したところに、今度は記録的に長引く梅雨、そして感染再拡大、7月、8月でマイナスを取り返そうとしていたお店の意気込みを摘むには十分ではないかと思う。仮に今の再拡大が収まったとしても、またすぐに同じようにぶり返すだろうと想像するのはもっともで、家賃補助を受給した時点で見切る店が増えても何らおかしくはない。「雇用調整助成金が打ち切られ、この先新たな補償は期待できない、融資額はまだ口座に残っていて、家賃補助はおりた」、ここが最も傷口が浅いタイミングであり(勿論お店によると思うが)、ある意味、最も適切かつ妥当な潮時とも言えるのかもしれない。

経済的な理由だけでなく、経営者や主体者の気力やシンプルなモチベーションにも大きく左右される。まっすぐで、感情量が多ければ多いほど、この不透明かつ流動的な状況はこたえると思う。それに「三密と飛沫こそ大衆居酒屋の醍醐味」と考える店主だって多いと思うし、そういう方々からすれば新しい生活様式や、ニューノーマルなんてクソくらえであり、存続させる意味そのものが削がれたとしても、もっともな話だ。政治家が第三者機関に「政治家の新しい仕事は未知の感染症を抑止することです、それが今の時代のニューノーマルなんです」と一方的に言われたら、一体誰が政治家を続けるだろうか。誰が政治家を志すだろうか。政治家の仕事は国を治めることであり、居酒屋の仕事はお店でお酒を飲んでもらうことだ。

「コロナは感染症というよりは、むしろコロナという時代である」と言う人がいる。そうなのかもなと思うところもあるけれど、一方で、いやいやコロナはあくまで病気の一つだし、コロナが時代を作るのではなく、時代を作るのはあくまで今を生きる人々であり、とりわけ若い人たちでしょ、と思う。どれだけもっともらしいことを言ったとしても、若い人たちが自分の目標なり夢なり積み上げてきたものを一つの病気に振り回された挙句に下方修正したり、取り下げたり、無気力になってしまうことが社会として最も痛切であり、深刻なのではないだろうかと感じてならない。

というわけで、結局のところ、どうなるだろうかを考えても仕方なく、どうしたいか、どうでありたいかを突きつめ、それに即した努力と工夫を積み上げていくしかない。結局、シンプルだ。