Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

【アキバ系路地裏経済論】丸い刃はなお痛い編

「怖いのはウイルスではなく人間だ」だとか、「これはもはや人災だ」だとか言うけれど、ヒトの一つ一つの言動や表現が怖いというよりも、その手前にある「ムード」(気分・情調・雰囲気)の方がよっぽど厄介に感じる。そのムードを何が作っているかと言えば、それはやはり政治であり、メディアであり、SNSなのだろう。テレビやワイドショーが槍玉に挙げられるが、現状、ネットだって同じようなものだ。

東京都が飲食店に対して22時までの時短営業を要請することそれ自体や、実際に都内の飲食店がその要請に従ったり、無視することはそれほど問題ではなく、むしろこれは飲食店に向けた要請というよりも、ゲストの行動制限を喚起するものであり、実際、効果覿面だ。22時に飲食店がシャッターをおろすかどうかは感染予防の肝ではなく、この時短要請により「そもそも飲みに行くこと自体が気まずい」というムードを間接的に作れる方が有効であり、実際にそうなってる。大学生の時に(もう20年前だ)、男女2:2の4人で飲んでいて、A君はBさんを狙っていたのだけど、A君は飲みの間、Bさんにアプローチはせず、徹頭徹尾、僕を酔わそうとしていた。俺を酔わせてどうするんだろうなと思っていたけども、僕はあっというまにAに酔わされてしまい、またCさんも道連れで酔っ払い、僕とCが沈没したのち、AはBさんと二人きりの時間をゆっくり楽しんだ、ということを後日Aに聞かされ、僕はなるほどねえ…と感じた。

今のこの時短要請もまた、まさにそういう感じだ。そして今後も行政はそのような方策を取り、そのような方策を取られることになるだろう。直接的な働きかけをするとその分、角が立つが、間接的に「ムード」を作るのであれば、それは自然発生的な現象として認知される。丸い刃はなお痛い。

新型コロナウイルス自体もまさに同じようなもので、実態を飛び越えて、ムードによって思考や行動が支配されているような感がある。実際に未知のウイルスなので、イメージが先行してしまうことは仕方ない。けれど、ひとえに新型コロナウイルスと言っても、武漢型、ヨーロッパ型、東京型などの説が唱えられているように、それぞれに特性があり、おまけに変異していくものである以上(明確ではないけど多分そうでしょう)、掴みようがない。対応しようがない。もう早くも半年が経っているのにも関わらず、対抗策は未だにマスクとアルコール消毒のみであり、逆に言えば、マスクとアルコール消毒のみで超過死亡を抑えられているとも言える。


8月16日時点での新型コロナウイルスによる国内の死亡者数1093人。アメリカは16万人、ブラジル10万人、メキシコ、イギリス、インドが5万人前後。この数字をどう捉えるか。と言うか、日本はどこを出口としているのか。感染者ゼロなのか、集団免疫なのか、医療崩壊の回避なのか(崩壊とは何を指すのか、回避とは何を指すのか)、超過死亡なのか。逆に言えば、今の日本にとってどうなることが「最悪」であり、今の日本にとって何が最も忌むべき「恐怖」なのか。把握しているだけですでに解雇や雇い止め4万人、実際はもっとたくさんいるだろうし、これからもっとたくさん出てくるだろう。それにこれは失業者の数ではない。「ちゃんと届け出を出してる、ちゃんとした会社が、ちゃんと解雇した人数」だ。ここに該当されない人なんてごまんといるだろう。

当然、失業や廃業は実体経済に直結するので、この動きを阻止するためにあれこれ手を打っているのだろうけども、それよりも優勢となる概念はやはり「死亡者数」であり、「超過死亡」。しかし一時流布されたように、コロナが感染即重症化、感染即死亡という無差別殺人ウイルスではあればともかく、現状、少なくとも日本においてその様相はない。これからまた後遺症がフォーカスされてきそうな気配はあるが、現時点においては「致死率は持病の有無や合併症とともに高まる。一方、若年層の重症化傾向は見られず、感染力は強いが回復もする」というのが一つ、明確な事実だろう(30歳未満での死者は基礎疾患のあった力士の方1名のみ)。そして単純な統計で見るならば、どういうわけか日本の超過死亡は各国と比べて歴然と少ない。と考えれば、現状における最上位は超過死亡者数を抑えるというよりは「高齢者がコロナによって寿命を縮めれることを回避する」だ。今、前代未聞のこの禍いの中心に位置しているのはこの点に集約されている。


では、今の世の中のムードは「高齢者がコロナによって寿命を縮めれることを回避する」という至上命題に基づいているだろうか。おそらくは否だろう。テレビやネットはともかく、何故か政治すら、このムードを主導しない。なんでもかんでも政治に委ねるのは適切ではないと思うけれど、目標が明確なのであれば、照準を絞り、課題をクリアするための施策を打てばいいのではないかと思う。というか、政治以外、それを決断することも、促すこともできない。が、しかし、誰も明確なステートメントを出さない、出せない。叩かれなくないし、責任を取りたくない。というわけで、一体何がどうなってるのかよくわからないまま、全体のムードはいっこうに上向かないまま淀んでいる。高齢者の餅や小児の誤飲などが該当する「不慮の窒息」による年間の死者8,000人、これに対して、炎上も自粛もなく、排斥もボイコットもなく、メディアは特集も組まず、社会問題にもならないまま、きっちり8,000人が亡くなり、我々は毎年、何も考えずに餅を食べる。そして、餅はいつも美味しい。

シルバー世代は「お金の使い道がない」と言う。「代わりに相続について考える時間が増えたよ」。これでいいのだろうか。生ビール1杯200円の居酒屋に若者が押し寄せたところで経済はまわらない、叩き売りしている宿に宿泊したところでびくともしない。消費税を下げたところで、貧困層はそもそもお金を使わない、というか使うお金がない。消費税を上げたところで、不動産や土地を始めとした、ありとあらゆる「ブランド」の価値が曖昧な中で、増税は有効だろうか。オンラインマーケットと巣籠り需要が飛躍したとて、廃業と解雇を食い止めることができるだろうか。一刻も早く、お金を使える人がお金を使えるムードを作らなければならなくて、今の中途半端は結局、全てを中途半端にして、全てが中途半端にマイナスであり、中途半端にネガティブだ。丸い刃はなお痛い、のだ。

お盆が明けて、少しはムードが変わるだろうか。それともこのまま中途半端なムードだろうか。それはわからないけれど、僕は僕でやれることをしたいということで、新たなに取り組みに挑戦している。

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チャゲアスの『YAH!YAH!YAH!』の一節、「丸い刃はなお痛い」という歌詞をTシャツにしてみた。

 

https://jjakihabara.thebase.in/items/32745608


世の中のムードは作れないが、J×Jのムードは少なくとも僕が作っていかなければならないのだ。丸い刃に弄られるわけにはいかないのだ。