刻々と事態は深刻化。
本来であれば、深刻度が増していくのとともに情報や取るべき行動を明確にすべきはずなのに、あるいは自然と明確化されていくべきなのに、定義も基準も曖昧なまま、核心と要領を得ない断片だけが宙に浮く。「正しい情報をとりましょう」と言うが、その「正しい情報」がどこにあるのかがわからない。
ディナーは壊滅的だけれども、幸いランチタイムは平時と何ら変わりない(今のところ)。お越しいただいたゲストに満足していただくこと、働いてくれているスタッフにお給料を渡すこと、この2点のコミットが僕のやらなきゃいけないことの全てであり、あとやれることと言えば、現状、うがいと手洗いだけだ。
もはや「一週間前はどういう感じだったっけ?」と霞むほど、情勢の展開は速く、多角的なのだけど(一週間前はプリンセス・ダイヤモンド号のことで持ちきりだった)、それでいてじわじわと弄られているようなえぐさがある。スタッフの一人が「コロナ、もう飽きた」と言っていたけれど、僕もさっさと飽きてしまいたい、が、結局のところ日常を日常的に紡いでいかないといけないわけで、であるかぎり、開き直ったところたほうがいい。が、開き直ったところでお給料が湧いてでてこない。という具合に、「が、しかし」が連綿と続いていく。
ちょっと遡って、今までの流れを整理してみたいと思った(自分的にはちゃんと意味があって)。
年が明けて、アメリカがイランの精鋭部隊の司令官を殺害。それを受けてイランはアメリカに報復を仕掛けたが、その緊張状態において、ウクライナ旅客機をミサイルで誤射。乗員乗客176人が全員死亡。「キツいニュースだなあ、大丈夫かなあ」と思いながら、ヨーロッパ旅行に出発したのが1月9日。この時点でコロナのニュースは出ていたけれど、当然気にとめていなかった。
一週間後にヨーロッパから帰国し、直後、社員の急な離脱が決定的となる。大慌てでこの収拾に取り掛かり、なんとか欠員は埋めたものの、日々の営業だけで手一杯となり、採用活動は可能性がありそうな友人や知人に直接あたってみる程度にとどまった。結局、その直接の打診は全員空振りに終わり、できればお金はかけたくないが仕方あるまい、ということで求人記事の作成に着手したのが2月上旬。2月14日に配信する方向で動いていた。でも、その前にダメ元でSNSで求人を発信してみようと試みたのが2月11日。
時同じくして、
ハンガリーにいる知人が「私の知り合いの中国人がハンガリーで差別的な扱いを受けている」という内容のSNS投稿を見て、(その中国の方には悪いが)ちょっと時期がずれてたら俺も旅行しづらかっただろうなと思ったのを覚えている。これが2月初旬で、脅威を少しずつ肌で感じるようになっていた。この1週間前(1月下旬)に大手のGMOや知り合い(というのもおこがましいのだけど)のIT企業が従業員のリモートワークを実施。そのニュースや投稿を見た時は「マジで?」と感じたのも同時に覚えている。マジで?、という軽いノリはこれからほどなくして消滅し、あの段階でその決断をしていることに今改めて感服する。
この時点では、存亡の危機の中心はまだ「人手不足」にあった。