Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jのゲキツラドウへの挑戦

前回まで「J×Jの激辛道とJ×Jの『ゲキカラドウ』への冒険」というタイトルでブログを書いてました。6月22日の『ゲキカラドウ2』の最終回放送に合わせて書いたもので、①と②を書き、放送直後に③と④と続き、完成させる予定でした。放送から2週間以上経ちましたが、まだ③に着手できておりません。何故ならば、「激辛道」の始まりともに、「激辛道」が始まったからです。同じ言葉ですが、後者はゲキツラドウと呼びます。今は少し、こんなくだらないことを言えるくらいには、落ち着きました。

この2週間、久しぶりにほんとにつらかった。ほんとにやばかった。新規のお問い合わせは大分断ってしまったし、臨時休業も臨時とは言えないほど乱れ撃ち、機会損失も、実質的な損失も甚大で、てんてこ舞いのきりきり舞いで、舞いに舞い、翔びに翔んだけども、予約のお客様に関してはご迷惑かけることなく対応することができたのはぎりぎりよかった。

『キングダム』より失礼します。

HUNTER×HUNTER』より失礼します

この混乱の主たる原因は「体調不良」に尽きる。尽きるけども、「体調不良」にも色々ある。ありとあらゆる方位から、ありとあらゆる類いの体調不良が、この2週間に集中的に降り注いでいった。台風に見舞われてる中、ゲリラ豪雨と竜巻が同時に通った感覚だ。最終的には僕も体調、崩した(けど、心身ともに熱が出なかったのはよかった)。

まさに非常事態。最悪は回避したにせよ、この「非常」は当面続いていくように思える。事態の収拾も、鎮静化の道筋も依然見えない。けれど、結局なんとかするし、なんとかなる。どうにかするし、どうにかなる。一線を越えず、腐らなければ、なんだっていつだって、どうにかなる。と、思ってる。

一線を越えて、腐ったとしても、その先は結局、自分自身。さらに見境いを失って、さらに腐っていく人もいる。何かのせいにして生き続けたければ、何かのせいにして生き続ければいい。けれど、強い気持ちを持って、強く行動できれば、一つずつ取り戻すこともできる。そういう人もちゃんといる。

「人間は中身じゃない、行動で決まる」。『バットマン・ビギンズ』でバットマンが言ってた。僕もそう思う。自分は自分を、人間は人間を、行動でしか示せない。中身がどれだけ美しくても、中身がどれだけ尊くても、行動が伴わなくては、それは残念ながらゼロだ。

今回の崖っぷちを、助けてくれたのは友人だった。もうすっかりおじさんになった僕の、もうすっかりおじさんになった友人だ(彼だけではないけど)。おじさんが助けてほしい、と言ったら、おじさんが助けてくれた。


生の感情を、生の言葉で、生の相手に、生で伝えることが困難な現代。

それが困難になってしまったら、その困難が当たり前になってしまったら、一体、人間関係や実社会はどのように成り立てばいいのか、何のために在ればいいのか、と僕は思う。思うけども、現実は「時代」や「世代」という暴力とも言えるパワーワードとともに、胸を張った逆走を胸を張って疾走している。「そういう時代だから…」だとか「世代が違うから…」という文言は、正当化の鎧を纏った大人たちのただの諦めであり、ただの思考停止であり、害とされないための保身だ。もう、心からのクソくらえだ。へらへらしながら表面なぞるくらいなら、苦笑いを浮かべながら当たり障りない言葉で誤魔化すぐらいなら、いっそ潔く、潔い害であるほうがまだマシなんじゃないかと思う。

自分が苦しい時、つらい時、助けてほしい相手に「助けて」というのが何故、こんなにも困難となるのか。「長くて読むのがめんどくさい」とか、「そもそも嫌い」なアンチ『ONE PIECE』の方々もアーロンパーク編ぐらいまでは読んでるはずだ。このシーンから学ばなかったのか。


となれば、

ONE PIECE』より失礼します。

ってなるのが普通だ(考えてみれば、これが名シーンになること自体がおかしいのだけど、ナミは当時泥棒で、こじれまくってて、素直じゃなかったからな)。

今回は助けてもらった身なので、あまり偉そうなことは言えないが、何か困ってることがあれば友人や家族に助けを求めるし、友人や家族が困ってれば自分が助ける。小学校に入る前から、全員そう教わってるはずだ。大変であればなおさらだし、危機に瀕する友人も救えないで、仲間の苦境も知らんぷりで、何が「自分らしく」だ、と思う。頭がくらくらする。

それどころか、言葉にできないまま、行動できないまま、最終的にはその友人たちや家族を困らせ、悲しませるという最悪を平気で辿る。一体、何なんだ。もうほんとに頭がくらくらする。子供扱いされるのが嫌なのか?厨二扱いされるのが屈辱か?ボケか、人は皆、子供で、厨二だ。たまに大人っぽい人もいるけれど、一皮めくれば皆、くだらないことに悩んでる、しょうもないことに悶々としている、幼稚な中学二年生みたいなもんだ。

今回、ジャーニーを助けてくれた俺の友人であるおじさん(高2と中3の子供がいる)は、「この戦争を終わらせに来た!」と言いながら、揚々と出勤し、

俺が「これとこれをお願い!」とLINEで仕事内容を伝えると、

という画像で返信してくる。

ここぞとばかりにシャンクスに乗っかる僕の友人も厨二だ。「俺もシャンクスと同じく目に傷があるんですよー」と恥ずかしげもなく言ってたが、僕はそれは無視した。

そして、クソ忙しいのにも関わらず、こんなブログを書いている僕もまた当然、悩み尽きぬ、幼き厨二だ。一体どのツラ下げて、一体どんな神経と感情で、自分だけが悩んでいると思っているのか。残念だけども、みんな一緒。病みも闇も、みんな普通にある。勿論、程度の差はあるし、現代社会は現代病に寄り添い、理解を深めていかなければならない、もっと優しく(同時にもっと逞しく)ならないといけない。かと言って、お医者さんは病院にしかいない。


「人間は中身じゃない。行動で決まる」


僕もそう思う。こんなブログ書いたところで、何ともならん。何ともならんが、行動前のストレッチにはなる。


というわけで、体調不良も治ったことだし、自分の言葉に責任を持って、哲学を以って、改めてここから「行動」する。俺は行動する。


君はどうする?