2018年。総じて言えば、なかなかにしんどい一年だった。
前年2017年は2号店及び間借り3号店を背伸びしながら駆け足で出店し、新しいスタッフが複数人加わってくれた。ヒト・モノ・コトを上手にくるくるぐるぐるさせながら、J×J全体の遠心力を高めるとともに、自分のすべき仕事をコントロール下において、一つ一つこなしながら、次の展開をじっくり腰を据えて取り組む、その予定だった。
実際にイメージ通りに進んだ部分もそれなりにある。
内装業の立ち上げ、ホームページの作成、J×JのYoutubeチャンネル開局、新メニュー300品チャレンジ、車両の購入、本店店頭での弁当販売、2号店の改装リニューアル、プレスリリースの取り組み(パン飲み立ち上げ)等々、J×Jが望む在り方に近づくために全体的に推進させることはできたという感触は少なからずある。
一方、立ち上げただけで運用に手が回らなかったのも事実。中心(基礎・土台)がしっかりしていれば遠心力を以ってスケールを膨らますことができる、けれど、中心が脆弱であれば一つ一つの取り組みは離れ離れとなり、無軌道に散らかるだけ。そうした意味合いにおいて、2018年に挑戦したあれこれを有機的に結びつけることができなかったのは自分の力量不足として認めざるをえない。
イレギュラーや想定外が多い一年でもあった。多分、オープンして以来、複合的にもっとも荒れた一年だったと思う。そうした狂騒曲の中、「自分のすべき仕事」というのはコントロールを盛大に突き破り、自分自身がお店の支配下に置かれた。くるくるしながら、ぐるぐるしていたのは自分だ。けれど、それぞれの難局に過失もなければ、悪意もない。ただただ不慮で、ただただ不可抗力であった。
渦中真っ只中においてはしんどいけれど、そうした想定外でしか人は成長できないとも思う。今までたくさんの想定外に遭遇し、その度にその想定外をモグラたたきのように抑え込んできたし、なんなら想定外が起こることもまた想定内だ。それでも自分の想定を大きく凌駕する、圧倒的に上回っていく。何と言っても想定の範囲外なのだから、僕にとっても不意の一撃であり、初めての立ち合いであり、情報も経験もなく、対応のしようもない。まっさらな土俵が唐突に用意され、その瞬間に「はっけよい」だ。ちょっと待ってよ、と思うけれど、待ってはくれない。
でもそうした立ち会いによって、肝がすわり、筋肉がつき、皮膚は厚くなる。「今年も色々あったなあ、もうちょっとやそっとじゃ驚かないぜ」と毎年思うけれど、毎年、驚愕のディープインパクトが起こる。でも、どうにかする。勝手にどうにかなる時もある。店も、そこに携わる個人も、そこで腐らないかぎり、強くなっていく。本領や本質は苦しい場面で初めて問われる。下記のブログでも書いたけれど、伸びる伸びない、とか、できるできない、とか、そういうことよりも強かに強くなっていくことの方が重要だと僕は思っている。仕事のできるできないなんて、営業成績のように数字で客観視できるもの以外、主観に過ぎない。物差しで測れるものではない。
よく聞くフレーズではあるけれど、「人は人でしか変われない」。これもまあそのとおりだと思う。
先日、友人と飲んでる時にこんなやりとりがあった。
「ヤマモトさん、半熟の目玉焼きの冷凍があるのって知ってました?」
「へえ、そんなんあるんだ?」
「俺もびっくりしましたわ」
「でも高いんでしょ?」
「まあ、高いは高いですけど、でも大量の半熟目玉焼きを作るのって、それに充てる人件費がかかるってことじゃないですか。原価と人件費足すこと考えれば、いいと思いますけどね。ほうって置いとけばいいだけだし」
確かに。人件費だけでなく、作業スペースの問題であったり、ガス代であったり、諸々のことが絡んでくる。ただ半熟の目玉焼きを焼くだけなのに。全てのアクションに経費は発生する。
「それだけならまだしも、誰かにその目玉焼きを焼いてもらうってことはその"誰か”の社会が職場に汲み込まれるってことですよね?テスト期間中で…とか、恋人がどうのとか、自分の時間を…とか、辞める辞めないとか。その点、冷凍の半熟目玉焼きには試験も誕生日もコンプライアンスも退職届もないですからね」
なるほど…。
なるほど、とは思ったけれど、結局それも物事の側面に過ぎない。その冷凍の目玉焼きがもたらしてくれる恩恵と、その“誰か”がもたらしてくれる“何か”、を同じ計量カップで測ることはできない。
2019年は僕自身がしっかりと地に足をつけ、今ある既存の一つ一つを有機的に結びつけ、改めてヒト・モノ・コトの連動を意識したい。そして、冷凍の半熟目玉焼きに想いを馳せながら、「“誰か”の“何か”とは何か」を自分なりに模索していきたい。
来年は胸を張って1歩下げる。飛躍しないという飛躍もきっとある。
今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。