Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年9月「褒められて伸びるタイプと叱られて伸びるタイプ」-

「褒められて伸びるタイプ」か「叱られて伸びるタイプ」か、逆の立場で言えば、「褒めて伸ばす」か「叱って伸ばす」か、という議論をまあまあ聞くし、まあまあ見かけるけれど、不毛だなあとその度に思う。

大手企業であれ、個人事業主の小さな飲食店であれ、「その場所で何が何でも這いつくばって生きていかなければならない」という状況下に置かれることの少ない現状(転職や独立、フリーターやニートが珍しいことではない現代の風潮と環境)において、「叱られて伸びるタイプ」というのはそもそも指定文化財に近い希少な存在ではないかと思う。よほど切迫した状況にいるか、もしくはトラディショナルな武士道精神がない限り、「叱られて伸びる」という現象は生じにくいと思う。そして現代の日本においては、それほど切迫するシーンはなく、武士道精神が要されることもそうはない。勿論、豊かになりたい、だとか、生活水準を下げたくない、とかそういうのはあるだろうけど、仮に何かに追い込まれたとしても、結局のところ、「まあ、なんとかなるだろう」という楽観に多くの人は至るのではないだろうか(そして、実際に多くのことはまあなんとかなる)。

と言っても、大体はそんな感じだろうという、あくまで個人的な見解だ。依然、自殺者は多いし、心を病む人はあとを絶たない、毎日のように救いようのない事件は起こっている、けれど、それは社会問題であって、この記事の本筋とは離れるので考慮しない。

大体のことが「まあ、なんとかなる」のであれば、大体の人は「褒められたい」し、「承認されたい」。僕もその一人だ。そして、歳を取れば取るほど、その傾向は強まる、か、もしくは一切合切がどうでもよくなる、無感覚になる。あなたのまわりの若いコの中に「叱られて伸びるタイプ」はいるかもしれないが、あなたのまわりのおじさんの中に「叱られて伸びるタイプ」はいるだろうか?


かつて叱られて伸びるタイプだった青年も、いつかは褒められて伸びるタイプのおじさんか、何がどうあれ何とも感じないおじさんになる。そう考えれば、みんながお互いを尊重しあって、称えあって、スパイラルアップしていけばいいじゃないか、という話になるのだけど、まあ、そうもいかない。

そもそも話の前提として、「伸びる/伸びない」という視点がまずナンセンスだなあと思う。経営層や管理職は一般的に「伸ばす」のが仕事であり、それがいわゆる「マネイジメント」なのかもしれないけれど、と言うより、その前段階として「伸びたい」、「伸びたほうがメリットがある」と思ってもらうように働きかけたり、示唆することが根本的に大切なのではないだろうか。そうした意識さえあれば、自分の本来的な性格部分を超えて、たとえ褒められようが、叱られようが、主体的に伸びていくのだと思うし、主体者側が「このコは褒めたら伸びるタイプだから」、「あいつは叱ると落ち込むから」など余計な気を遣わずに済むんじゃないかと思う(そうした気を遣ったり、遣わせてる時点で本質的には乖離がある)。「伸びる」に限らず、「育つ」、「成長する」などそうしたワードというのはあくまで自動詞的でなけれならず、「伸ばす」、「育てる」、「成長させる」など他動詞的なものではないような気がする。あくまで、どこまでも、究極的には自分次第だ。

 

と僕は思っているのだけど、その一方で、もう一つの視座がある。「伸びる」ではなく「強くなる/たくましくなる」という観点で言えば、やはり「叱る」というのは意義のある行為ではないかと思う。褒めておだてて、叱らず怒らず、大事に大事に丁重に、というスタンスで営業成績が伸びたり、パフォーマンスのレベルが上がるというのは往々にしてあると思うが、その路線でいざという時に対応できうるタフネスさが養われるかというと、個人的には疑問だ。たとえばセンスのいい料理人がいたとして、もうちょっとこうしたらいいなあと思いつつも、まあいいや、ここまでできれば十分、大丈夫、として、小言は奥に閉まって、おだて続けたとする。気を良くした彼は確かに伸びると思うけど、お客さんからちょっとした指摘が入ったり、文句を言われたりすると、その時の反動たるや甚大であることは容易に想像できる。感性と価値観が入り乱れる中で、一つの空間で全てのゲストを満足させるというのは至難で、ある意味、その謙虚な諦観はあって然るべきもだと考える。中には気に入らない人もいるだろうし、中には指摘してくる人もいるだろう。特別なことではない。

そうした想定外や不意、言ってしまえば、トラブルやクレームをクールにタフに対応できるかどうかが大切で、そうした人間を求める主体者は多いのではないかと思う。勿論、責任は主体者が取らなければならないのだけど、全ての問題に立ち会えるわけではないので、現場で対応しなければならない人間は必ず出てくる。仕事における本領は調子のいい時ではなく、何か問題が起こった時に問われる。そうした時に備えてタフネスさというのはどうしても必要で、それは褒めて、おだてて、甘やかしてるだけでは養えない。

だから叱ることは大切だ、と安易な逆説を持ち込むつもりはないけれど、厳しい言葉やエッジのきいたコミュニケーションを取る時、そうした気持ちが少なからず脳裏にある。褒められて伸びる人間はいても、褒められて強くなる人間はそうはいないし、おだてられてたくましく人間も同様にまあいないだろう。

 

だがそれもこれも、伝わって、相手側の血肉となってなんぼだし、あくまで、どこまでも、慈悲深く、残酷にも究極的には自分次第だ。

 

オープンして半年、そんなことを考える日々だった。