Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

難問を愛そう。

HondaのCMのキャッチコピー、「難問を愛そう」。CM自体はHondaのカーボンニュートラルへの挑戦を表現したコピーなのだけど、最初にCMを観た時からこの言葉がやたらと脳裏に残り、仕事であれ、個人的なことであれ、難問にぶつかる度に心の中で反芻するようになった。そして、それを唱え続けた一年となった。難問の多い一年だった。

トラブルや壁は付き物だし、もぐらたたきのようにきりがなく、なんなら、業のようにこびりついてるものだと思っている。お店をオープンして8年も経てば、かつての想定外は今の想定内におさまり、想定外は想定内で、想定内が想定外、そんな認識さえ芽生えてくる。だから自然とたくましくなるというか、無感覚になるというか、単純に慣れてくる。店舗運営や経営に限らず、どんな仕事だってそうだと思うし、プライベートや人間関係にだって同じことが言える。積み重ねていくことで、ある意味、たくましくもなるし、積み上げていくことで、ある意味、無感覚にもなる。そして、良くも悪くも慣れてくる。

ひとくちに「難問」と言っても、いろんなタイプがある。カーボンニュートラルの達成のように規格化されたものもあれば、エネルギーや原材料価格の高騰やコロナなど外的要因による問題もあるし、起業しようだとか、新しいお店を出店しようだとか、そうした個人的な目標がそのまま個人的な「難問」として設定されることもある。言うまでもなく、新年のようなタイミングにおいてはとりわけそのパターンは多くなる。

社会問題であれ、新年の抱負であれ、難問として設定している時点で、それはすでに知覚できているもので、すでに気付けているものでもある。であるならば、解決に見合った熱量と努力と工夫を注ぎこめばいいと思うし(それしかない)、自分が進みたいと思っている先にあるすでに見えている難問に対してはけっこう頑張れる。けれど、本当の難問というのは「それがやがて難問になるということに気付けていないこと」だと最近感じる。そういう状況や状態をもたらしている原因はやはり「慣れ」なんだろうし、大体それは足元にある。

難問とは言え、「問」であるかぎり、「解」はあるはずで、もうすでにその解かなければならない難問が目の前にあるならば「愛そう」というか、愛するしかない。キツくて苦しくなったら切り上げることも必要かもしれないが、そうでないならコツコツと紐をほどいていくしかない。けれど、もっと重要なのは問題を難問化させないこと。難問化する前の問題を直視し、向き合い、複雑に絡み合う前に紐をほどかなければならない。きっちり砂漠化してから砂漠化をきっちり解決するのはやはり難しい(それでも解決しないといけないのだろうけど)。

ある意味たくましくなる度に、ある意味無感覚になっていく度に、かつて問題だった問題は解決される。けれど、そこにはきっと新しい問題が芽吹いている。それを見逃さないためには足元をよく見るしかないのだと思う。

 

足元をしっかり固めないことには飛躍はできない、

ならば飛躍することよりも重要なのはむしろ足元で、

となれば、まずはその足元に転がる「難問化する前の問題」を愛そう。


というわけで、何はともあれ、運動不足を解消しよう。