「カトーは30歳の時にどうで在りたいか、とかそういうイメージある?」
2014年8月30日、仙台、国分町。
久しぶりのサシ呑みで、お互いの近況報告が終わり、早々にけっこう重ための質問をされかなり動揺した。
その頃の僕は、それなりに仕事をして、それなりに遊んでて、それなりに友人もいて、それなりに楽しんではいた。しかし確実に「何か」が足りていない状態、満たされていない状態だった。
自分なりに考え、その「何か」を埋めるように行動していた。
恋をしたり(大抵、最初はわりと好かれるが 最後は結局フラれる)。
仕事に打ち込んでみたり(結局周りに熱いヤツ、真面目なヤツと思われ職場で浮く)。
思いっきり遊んでみたり(ポイントで気分はよくなるが根本的にはで?って感じになる)。
趣味を見つけてみたり(お金を使った挙句、夢中になれるものはなかった)。
やはり、「それなり」に楽しむことしか出来ずにいた時に、山本真太郎が再び僕の前に現れけっこう重ためな質問をしてきたのだ。彼の話を聞くと、近い将来独立し自分の店を構え、その店舗を軸に今まで思い描いていた色んな表現をして行くつもりらしい。
純粋に羨ましかったし、妬ましかったし、自分が情けなかった。
色んなモノに目移りし、フラフラ流されるように生活していたヤツと、一つのことに照準を合わせ今まで生活していたヤツの違いをハッキリと見せられてるようだった。
この日はそれ以降いつもの普通の会話しかせず、「一緒にやろう」とは言われなかった。逆に僕なりにお店をもったらこうしたいというビジョンを話したがどっちが「夢」があってワクワクするか、どっちが「金」しかない「 欲」の 話をしたか歴然だった。
この瞬間に自分の足りない「何か」が分かったような気がした。
2015年2月7日
僕は長い人生でもそうは飲めない極上の一杯を飲み干した後に宮城からの「脱藩」の準備を始めた。
まず僕がシンドイ時期にずっと助けてくれた仲の良い友人3人に報告した。
「ふ~ん、いつくらいにシンドイって言って帰ってくるか賭けとくわ。三人で」
3人中3人がケータイ・パソコン・エロ本のいずれかを見ながら僕の人生を賭けた選択に対して彼ららしい応援(?)メッセージをくれた。
次に一番仲が良く、この話も最初の段階から相談していた女の子に報告した。
「そんな楽しそうに自分の話をしてるのに引き留めるようなこと言えない。だから絶対に成功して。ってゆうかしろ」
この時車の中だったので確認出来なかったから正確には言えないが、多分泣いてくれてたと思う(一度告白してフラれているが、もしかしたらこの時もう一回ワンチャンあったんじゃないかと今でもたまに思う)。
最後に母親にも報告した。
僕の予想では母親が一番難儀な報告会になるだろうと思っていたのだが、母が言ったのは一言だった。
「おもいっきりかましてきなさい」
(ちなみにこの口調で分かる通り、僕の母は完全なる元ヤンです)
脱藩までの準備中、僕は改めて地元宮城でとても良い人達に恵まれていたことを再確認した。
2015年3月9日 脱藩当日
集合時間3時間前
加藤「興奮して全然寝れなくて早く着きすぎました!!もう上野です(≧∇≦)」
山本「…いや、そんなに早く来られても迷惑なんだけど」
こうして僕のエキサイティングな青春は始まった。
「ん~30歳の時ですか~、具体的には言えないんですけど”人”と”人”をつなげてそいつらと笑ってビール飲めればいいっすかね」