前回の記事でも書いたとおり(昨日、記事を投稿したところ、思わぬ反響を多々いただきました。フォローいただいた皆様、厚く御礼申し上げます)、J×Jはまもなくほとんどのスタッフが去り(一応余儀なく)、お昼のパートさん以外では僕とアルバイトの女の子だけがこの裏路地に取り残されるという事態を迎えます。2店舗で2人というのは正直痺れます。
というわけで、オープンして間もなく5年を迎えるところですが、ここに来て初めて社員がゼロになりました。今まで採用は縁故で何とかなっていて、それで大分救われてきたのですがそれももうここまでだな、ということで本格的な採用活動に踏み切ります。で、採用活動と言えばまあ順当に考えて「求人広告に出稿する」ということになるのですが、僕は今一つ求人広告に前向きになれないのです。数ある広告、数あるコミュニケーションの中でも「求人」というのは空振りした時のダメージが深刻で、それなりの金額を払って応募が一件もなかった時のことを考えると身の毛がよだちます。想像するだけでどっぷり切ない。だから「前向きになれない」と言うより、「単純にビビってる」というほうが近いかもしれません。
でも「採用活動」のゴールは当然、応募でも面接でもなく、あくまで「採用」であり、なんなら採用ですらなく、その先を紡ぐ「勤続」です。裏を返せば「応募」が来そうな広告を出したところで全く意味ないのです(応募が来ないことには話にもならないのだけど)。そうした状況の中、今回の件に際し、久しぶりに他店の求人広告を見てちょっと驚いたのが、プラットフォームは多様化としたと言えど、コンテンツそのものには特にこれといった変化がないこと。僕らの世代が駅に置かれていたペーパーでバイト先を探していた頃と特に変わりない。時代の潮流を受けて「残業」、「休日」、「福利厚生」のことは強く主張されている傾向はあるけれど、基本的にはスタッフ同士の楽しそうな写真、もしくはかわいい女のコを前面に押し出し、充実、出会い、つながりと言う言葉で翻弄するか、「夢」、「自分らしさ」、「やりたいことをやりたいように」というパワーワードのパワープレイで誘うか(いざなうか)に終始しています。もはや、「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がした」頃からのお決まりのフレーズで、まったくのやれやれだと僕は思うのです。そもそも、この現代において「やりたいことをやりたいようにできていない」こと自体がおかしい。僕らは21世紀を生きる現代人であって、士でも農でも工でも商でもなく、穢多でも、非人でもなく、ましてや紀元前の問答無用の弱肉強食のど真ん中に晒されているわけでもない。やりたいようにやればいい。あなたが失敗したからといって、温暖化が加速するわけでもないし、ウィルスが蔓延するわけでもない(新型コロナウィルスと戦っている全ての人に心からの感謝と、そして心からリスペクトを)。
本題に戻します、この記事は100%求人広告なのです。
ああだこうだしましたが、僕が言いたいのは「休日があなたを充実させる」のではなく、「あなたが休日を充実させる」ということです。どうでしょう、これ、オフホワイトですか?まるっきりのブラックですかね?ブラックでしょうね。「自分次第」という言葉でさえ、黒く染まる世の中、逆に結局「自分次第じゃねーか」、と思います。
シャープでソリッドなマーケティングと洗練された戦略に倣ったって数多ある求人広告に埋もれるだけで、給与も福利厚生も到底敵わないわけです。はっきり言って、はっきりと敵いません。その中でJ×Jの強みはなんだろうかと顧みた時に思うのは、ウチの強みは、
「忙しい店ではない」ということ。
なんなら、「わりと暇」。
これがウチの強みです。
というわけで、結局今回もまた具体的な募集要項には辿り着かない(辿り着けない)わけですが、強いて言うなれば、この記事に少なからず共感してくれる方、あるいは真っ向から反対してくれる方と一緒に働いてみたいです。
そう思っています。