Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年4月⑩「商売不繁盛論」vol10-

然るべき「距離」を保つ、

 

またその距離を「適切に縮める」、逆に「適切に遠のく」、

 

そして、その「距離感の質を高める」こと、

 

それは今の自分が最も大切にしていることであり、その距離を測り、距離感を模索し続けるのが主体者としての自分の仕事だと思っている。


距離は全ての物事にある、と前回の投稿で書いた。逆に言えば、物事を決定づけるのは距離にあり、距離感とその質が自分(主体)と客体の関係性や環境を形成する。

例えば、特定の恋人を作らないまま、自由に気兼ねなくいろんな女のコと飲みに行くA君がいる、とする。複数の女のコたちと一定の距離を保っていたA君だったが、やがて、その中でも最も付き合いが長く、気心の知れたCさんと交際を始めた、とする。

一般論で言えば、この時点でA君を取り巻く環境は多かれ少なかれ、変動することになる。Cさんとの距離は縮まり、同時に、飲み友達だったBさんやDさんとの距離は遠のくことになる。A君が何とも思ってなかったとしても、それまでと同じように女のコと飲みに行くことを恋人であるCさんは快く思わないかもしれないし、彼女がいるA君と二人で飲みに行くことをBさんやDさんは敬遠するようになるかもしれない(あくまで例えばであり、あくまで一般論における仮定だ)。

A君とCさんの距離が縮まれば、縮まるほどA君を中心とする相関図は決定的なものになっていく。婚約、入籍、結婚、妊娠、出産。ステージが変われば当然、物事の縮尺は変わり、バランスも変わる。Cさんを生涯の伴侶とすることがA君の幸福論において最上の選択であると断言できるのであれば、BさんやDさんとの関係性を顧みる必要は特にない。が、そうでないのであればCさんとの距離を決定的にするのはA君にとって賢明とは言えない。A君は特定の人に踏み込まず、踏み込ませず、自分にとっての幸福を慎重に時間をかけて模索すべきだろう。


物事を決定づけるのは距離であり(Cさんとの距離であり)、距離感とその質(Cさんとのステージやバランス)が自分とその他の関係性や環境(BさんやDさんとの関係性や環境)を形成する。


店舗運営もA君のこうした心境や状況に通ずるものがあるのではないかと思っている。

 

馴染みのある者同士でワイワイする店を目指すのであれば、それに適した距離の詰め方があるし、ビジネスライクに進めるのであれば、それに適した距離の置き方がある。その両立を果たすためには、当然、そのための距離と距離感を紡ぐ必要がある。「とにかく作って、とにかく売る」という店はゲストとの距離をどれだけ無機質なものにするかがポイントになるのかもしれない。


商売不繁盛論⑧で僕は下記のように売上構成をシミュレーションした。

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オープン当初、僕は、

カテゴリー①「近隣の住民や会社員」
カテゴリー②「身内(僕の友人や知人)」
カテゴリー③「Webからの流入客」

の3カテゴリーから成る売上の構成比は、1:8:1ぐらいになると予測していた。当面はほとんどが僕の知人で近隣もWebも全体の1割くらいだろうと。これを1年かけて、5:4:1くらいに推移させ、2年が過ぎるころには6:2:2に着地させたいと思っていた(思っている)。

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自店は特定の人との交際を目指していない。目指すのはあくまで6:2:2の付き合い方だ。カテゴリー②「身内」に該当するCさんとはある程度気心の知れた仲だし、一定の理解を示してくれる。反対に、カテゴリー③「Web」に該当するDさんは会ったこともないミステリアスな存在だ。Dさんを振り向かせるためにはそれなりの金額を貢がなくてはならないし、深追いすると、想定以上につぎ込んでしまいそうだ。


まず第一に僕が考えるべきは最も身近にいるBさん(近隣住民や会社員)だった。この店で自分が思い描くイメージを体現し、活路を見出すためにはまずはBさんとの距離を縮め、お互いにとって心地よい距離感の中で、友好的な関係を築かなくてはならない。良き飲み友達にならなければならない。


例え話が飛躍したのでここで話を元の軌道に戻す。


率直に言えば、背広を着たサラリーマンのおじさんたちが入りやすく、そして彼らに居心地の良さを感じてもらえる店にしなければならなかった。自分が一般企業で働く会社員で、かつ、歳も40,50代であったとしたら、僕はJ×Jで飲みたいと思うだろうか?ましてや、通りすがりに目に入る店内が毎夜毎夜若者たちで溢れていたら、おじさんである僕はどう思うだろうか?


初期の段階でどれだけレッテルを払い落とせるか、どれだけ固定観念を振り切れるか、が最大のテーマだった。僕はCさんと付き合ってるわけでもなく、結婚してるわけでもなく、Bさんとも、Cさんとも、Dさんとも、それぞれ適切な距離で接していきたい。それが僕の思うのところの、「多国籍」であり、「無国籍」であり、J×Jの在り方だった。

オープン当初のJ×Jを利用してくれた会社員の方々は「俺らみたいなオヤジたちが来ちゃってごめんねー」と冗談交じりに僕によく言っていた。飲み慣れない店内の雰囲気にそわそわし、聞き慣れないメニューに落ち着かない様子で、ハイボール黒霧島があることに大いに安堵していた。



一年半経った今、定期的に自店を使ってくれる「オヤジたち」(と、あえてここでは言わせていただく)にそうした素振りは見受けられない。ごく自然と、J×Jを使いこなしてくれている。


それは多分、お店がおじさんたちを始めとした近隣の会社員の方々と、


然るべき距離を保ち、

 

またその距離を適切に縮め、

 

そして、その距離感の質を高めてきた、


からだと思っている。これについては多少自負できる。



どうすれば自分たちが自分たちの思い描く「距離」を紡げるか。

 

単純な話、ゲストにどれだけ興味を持てるかであり、もっと単純な話、ゲストのことをどれだけ知れるか、であると思う。現代風に言えば「顧客管理」だが、「管理」ではない。ただ単純に何を求めているかを知り、感じればいい。

 

 

 

そして、それは一年半の歳月を費やし、


 

 

2016年11月現在、「あかね覚書」として結実した。

 

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→vol11に続く