2023年のセ・リーグのレギュラーシーズンが10月4日に終わった。僕が応援している横浜ベイスターズは2位に肉薄したけども、ギリギリのところで3位で終わってしまった。3位となれば、このあとのポストシーズン(CS)に進出できるので、勝負はまだ続くし、楽しみは継続される。だから、十分と言えば十分なのだけど、最終戦でとても悔しい負け方をしてしまっただけに沈んでいる気持ちは否めない(横浜だけでなく、1位阪神、2位広島も最終戦で、遺恨が残る嫌な負け方をしている。ある意味珍しいし、面白い展開とも言える)。
なもんだから、当たり前のようにSNSは荒れた。一部の暴徒は性懲りもなく選手や監督を叩き、叩いている人々をまた別の人々が性懲りもなく叩いた(そして、その様を見て、ほくそ笑む人々がいる)。
「愛憎は紙一重」とよく言うけれど、「そうだろうな」と最近思う。「愛」に種類があるように、「憎しみ」の形態も千差万別なので、「愛憎は紙一重」と一括りにすることはできないと思うけど、愛憎の在り方の中には少なからず「紙一重」となってるものはあるように思える。愛がある(あるいは「あった」)ゆえ憎くもなるし、憎しみ出身の愛があったりするのもドラマや映画に限った話ではなく、実際、実在する。
今年の阪神は圧倒的だった。2位と11.5ゲーム差。まさにぶっちぎりだ。ぶっちぎるスーパースターがいるわけでもなく、全体的な数字もそれほどでもない。そんな中でのぶっちぎりの優勝。岡田新監督をトップとしたマネイジメントの功績は甚だ大きい、と思わざるを得ない(他チームの首脳陣のマネイジメントの拙さが露呈した、とも言える気がする)。
そんなぶっちぎりだった阪神に横浜は8月下旬に2連勝した(2連戦のうちの2連勝)。この時点でほぼほぼの独走状態であったが、この2連勝で横浜ファンは少し沸いて、もしかしたら…みたいな淡い期待をほんのちょっと抱いた。僕自身もその2連勝は嬉しくて、スポーツニュースやSNSをサーフィンしたわけだけども、そんな中、阪神ファンのあるツイートに目が止まった。
「もう今シーズンは終わりました。皆さん、さようなら。また来シーズンにお会いしましょう」
繰り返すように、この時点で阪神は圧倒的で、横浜に2連敗したところでどうってことない状況だった。「え、どうゆうこと?」と思って、この投稿者に興味を持って、過去のツイートを遡ってみると、勝っても負けても関係なく、とにかく消極的かつ悲観的なツイートをひたすら繰り返していた(2008年に衝撃的な逆転劇をくらっているので、その悲劇の影響を受けている可能性も多いにある)。
勝っても落ち込んでるってどういうことよ、と思うが、そのツイートのもう一つのポイントは、かと言って「否定もしない」ということだった。単純に0喜100憂しているだけで、憎しみに駆られた攻撃的なツイートは一切、見受けられなかった。性懲りもない誹謗中傷が性懲りもなく横行し、また、自分のことしか考えられない幼稚な蛙がぴょんぴょんと飛び跳ねるこの現代において、彼(多分)は徹底して、徹底的に、スタンスを変えることなく静かに悲観し続けていた。
傍から見れば(僕自身もそう感じたが)、「これはちょっとしんどいなあ」と感じるだろう。「これでよく心を保てるな…」と。好きがすぎて、本来そこにあるべく嬉喜すら、信じることができず、疑ってしまっている。勿論、それだけのめり込めるもの、夢中になれるものがあるというのは羨ましいとも思えるけども(自分にはないし、おそらく今後もない)、それにしても暗すぎる。
これだけエンターテイメントに溢れ、コンテンツが過剰に供給される現代なのだから、一つの世界線に固執せず、また依存せず、もっとバランスよく、関心と意識を散りばめることができればもっと楽だし、もっと楽しめるんじゃないかとも思うが、おそらくそう容易ではない。なんなら、そうした世相であるがゆえ、一つに集中することへの真っすぐさが尊く、尊ばれたりもする。それに、少なくとも彼は誹謗中傷に陥ってはいない。また一時の感情で投げ出したり、切り捨てたりもしていない。悲観を憎しみに転換させることなく、多少屈折しているにせよ(多いにこじらせているにせよ)、淡々と阪神タイガーズと向き合い続け、粛々と阪神タイガースに愛を注ぎ続けている。これってけっこうすごいことなのもしれない、とも思う(大多数の人間はそんなふうに生きていけない)。
誰かを、何かを、憎まずにはいられない人が多くいる。憎むことで自分を保てている人もたくさんいる(韓国ドラマの世界以外にも実際に実在する)。そんな中、彼は何故、暗黒面に落ちなかったのだろう?、と考えてみる。それだけ感情過多であれば、いつ闇落ちしても不思議ではないし、圧倒的に暗いにも関わらず、かと言って、暗黒に圧倒されてもいない。
勿論、僕にはその理由はわからない。何と言っても、ツイッターでたまたまツイートを見かけただから。
理由はわからないけども、彼の心を支えているのは連綿と積み重ねてきた阪神タイガーズとの日々であり、その「積み重ねそのもの」にあるのではないかと僕は推察する。健やかなる時も、病める時も彼の心とフォースは阪神タイガースと共にあり、その積み重ねこそが、光を呼び込み、闇を跳ね除けているのではなかろうか、と。逆に言えば、その集積を見失った時は全てが無に帰すのだろう。まるで、そこにははじめから何もなかったかのように。
にしても、クソ。
にしてもクソ―!にしてもクソ―!
俺は2位が懸かった最終戦、1-0の9回裏2死1,2塁、大田泰示vs山崎伊織、というか大田泰示vs原辰徳の真剣勝負に代打を送ってほしくなかったよ!藤田も確かにここぞだけども、大田に打席に立ってほしかったよ!悔しい!めっちゃ悔しいよ!
暗黒面に今にも落ちそうな未熟で幼稚な自分はさておき、僕は不覚にもあの時、あなたのアカウントをフォローしなかった。悲壮感にまみれきったあなたのツイートをせめてスクショでもしておけばよかったと思うけど、それもしなかった。結果、SNSという途方もない闇の中で、こじれきった光を放つあなたを見失ってしまった。
だから不本意ではあるけれど致し方ないので、ここでお伝えします。
優勝、おめでとうございます。阪神タイガーズ、ほんとに強かったし、なんか素敵だった。
そして、あなたが積み重ねてきた阪神タイガースとの日々と、けして闇落ちしなかったあなたのフォースを私は心からリスペクトします。絶望的に暗いあなたが故、放てる光があり、その光に照らされる誰かがいる。不思議なことに実際、ここに、実在する。