「な、なるほどですね…」と僕は言う。
哲学書か。
哲学書か…。
本の話題を足掛かりに会話を通常の軌道に戻そうと試みたが、結局、この面舵いっぱいも、より困難な航路へと自分を追い込む形になった。早々に切り上げようとしながらも、とりあえず自分の知っている哲学者の名前を適当に挙げてみた。
「そうすると、カントとかハイデガーとか、そのあたりを読まれたりするのですか?」
イマヌエル・カント、『純粋理性批判』。マルティン・ハイデガー、『存在と時間』。どちらもドイツを代表する偉大な哲学者だが、タイトルがクールで何となく覚えていだけで、中身についてはほとんど何も知らない。
「いや、私はあんまり好きじゃないですね。これは個人的な所感ですが、彼らは哲学の世界にキリスト教の世界観を持ち込んでいる。私にとって、彼らの思想は純粋な意味での“哲学”には該当しません」
…。
な、なるほど。
「な、なるほどですねー」
出口の見えない暗夜行路が続く。
志賀直哉、『暗夜行路』。タイトルがクールで昔何となく読んだことがあるが、中身についてはほとんど何も覚えていない。悩み多き青年の、悩める物語だということしか覚えていない。
「で、では、好きな哲学者とか、好きな著作とかは?」
破れかぶれで、暗夜行路を突き進む。
「キリスト教の教義と価値観が入り混じった哲学や哲学者が多い中で、その点、ニーチェはいい。僕が思うに彼は純粋に“哲学”と向き合った、純粋な“哲学者”です」
ニーチェ。フリードリヒ・ニーチェ。確か、代表作は『ツァラトゥストラはかく語りき』。そして確か、ニーチェには有名な名言があったはずだ。何だったっけ…?思い出せ…、思い出せ…。
その5文字は記憶の遥か後方から、オーバーラップしてきた。大学受験時代に何となく勉強した、何となくの知識がピッチを駆けあがり、前線に到達する。
“神は死んだ”!!
神は死んだ、だ!!!!
「ニーチェと言えば“神は死んだ”ですもんね。彼は旧態依然としたキリスト教的世界を否定し、“神は死んだ”に価値転換と新しい可能性を託した」
クモの巣を張ったままのその知識をまるで最先端の流行語を使いこなすかのように、ピカピカにして橘さんに差しだした。それまで虚ろな目をしていた橘さんは目を大きく見開き、「お、山本さん、イケるクチ!?」と言わんばかりに身を乗り出した。これを機に、橘さんのニヒリズム(ニーチェが提言した「全てのものは無価値である」)に圧倒されていた僕は息を吹き返すことになる。
拡大解釈を承知の上で言うが、このオーバーラップがなければこの冒険はこれより先に進まなかったのではないか、と今でも思う。きっと、この航海はここで暗礁に乗り上げていただろう。
“神は死んだ”に「神様はいるんだ」と気付かされた。