Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年8月「近隣問題」-

当時、電気代の他にもう一つ悩みの種だったのが「近隣問題」。飲食店の場合、その大体が「騒音」に由来するのだと思うのだけど、自店においても多分に漏れず、騒音が問題となっていた。

ただし、その騒音は「声がうるさい」とか「外で騒ぐな」とかそういう類いのものではなかった(それについては常に細心の注意を払っている。うるさくなってしまうこともあるけれど、過去3年の中でクレームが来たのは今のところ一度だけにとどまっている)。

問題となったのは外に設置していたエアコンの室外機の音だった。オープン当初は入口のすぐそばにあり、景観的にあまりよくないし、排出される風が通行人にとっても迷惑だろうということで木枠で囲うようにした。つまり、その室外機は前テナントが使用していたものであり、僕がそこに置いたわけではなく、もともとそこにあったものなのだ。にも関らず、室外機の音に対して近隣住民からクレームが上がったので、対応に窮した。「だって、今まで問題なかったんでしょ」と。

そうとは言ってもここで無碍に突っぱねるのもいかがなものかと思い、まずは室外機を覆っていた木枠の前面を外すことにした。これでもやはり響くと言われたので次に木枠そのものを入口の反対側に移し、完全に元の状態に戻した。

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立て看板の後ろの木枠で室外機を覆っていたが、

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この木枠ごとまるっと移動させ、室外機は元々の状態に戻した。

ところが、これでもやはりNGだった。先方も高圧的な姿勢ではなく、「色々対応していただいてるのに申し訳ないですが…」という温度であり、僕としても極力穏便に解決したい。だが、こうなってくるとあとは室外機を屋上にあげるしか対応策はなく、それなりの費用がかかる(20万前後だ)。

一番の懸念は仮に屋上に上げたとしても、問題が解決しないこと。こうなるとお互い、落としどころのない最悪な展開を迎えることになる。そうなった時に備えて、僕は奔走し、自分(お店の営業)の正当性を固めることにした。こうした騒音問題において当事者同士の間に入るのは行政になるので、まずは区役所へ行き、「これで屋上に上げたとしても解決しない場合はどうなるんだ?」ということをヒアリングした。

こうした問題で難しいのは結局、「騒音」というのは基本的にその人の匙加減による、ということ。うるさいと感じる人もいれば、何も思わない人もいる。性格的な部分に依拠されるケースもあれば、その人のコンディションによる側面もある。神経や思考がナイーブになっていれば音に関しても過敏になりうる。こうした部分に客観性を持たせるために区役所の環境課は騒音計を貸し出している。騒音には騒音値という数値的基準が用いられ、騒音計を使用し、デシベル(音圧レベルの計算単位)を測定する。また規定の騒音値は区域によっても異なる。自店の場合、「第3種区域/商業地域」に該当し、住居地域に比べ規制は幾分緩い。

「騒音に困っている方に貸し出しすることはまあたまにあるのですが、騒音を出されている方にお貸しするのは稀ですねー」と担当者は言った。「いやいや、僕も騒音で困ってるんですよ。当事者同士で無事に解決できなかったら、その時はよろしくお願いします」と言うと、「いやはや、我々はお店を指導する立場なんですよねー、はは」と言っていた。やれやれだ、と思った。

というわけでこうした案件は行政管轄にはなるのだけど、一応、警察にも行った。こういう場合、どうなるのかと警察サイドの見解も聞いておきたかった。とにかく、事態を収拾できなくなる前に諸々のリスクヘッジを講じた。

並行して屋上に上げる場合の見積もりを取りながら、ここまで準備を整えた。そして、最終的にどうするかの話し合いの中で、「屋上に上げる場合、費用は折半で」という先方からの申し入れもあり、ここで折り合いをつけることにした。何とも言えないと言えないが、積極的妥協を図ってくれた先方の対応には多いに安堵したし、以降、室外機が問題となることもなく、多少うるさくしてしまってご迷惑をかけることはあっても、概ね良好な関係を築けていると思う。

騒音や近隣トラブルの類は法律や判例はあるにせよ、そのケースは多岐にわたり、抜本的な解決策はないように思える。ただ大部分は当事者同士の関係値とコミュニケーションである程度は解消されるように思うし、相手方の意向に対してどれだけ真摯になれるか、歩み寄れるかがシンプルに大切になってくる。一方で、お店の営業は守らなければならないので、いざという時のために、自分たちの正当性は感情ではなく客観的かつ論理性を以って、ソリッドに研ぎ澄ませなければならないように思える。