Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

世界一周からちょうど10年。

今から11年前、2011年11月22日、自分の世界一周が始まりました。

最初に着いたニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港で早速ぼったくりに遭った。典型的なカモとして、古典的な手法で、芸術的に巻き上げられたわけだけども、180ドル請求されたところ、僕が半ば泣きべそで懇願したら、その詐欺師はどういうわけか80ドルにまけてくれた。当時のレートで6400円、もし今のレートで、かつディスカウント前の正規価格であれば25,000円だ。ホイッスルと同時に25,000円もいかれたら、立ち直るのに相当、時間がかかっただろうなと今、改めて思う。でも幸い、2011年の11月22日は6,400円で済んだ。

到着直後にしてそんな痛々しい洗練を受け、ほんとにこのあと1年間の世界一周なんてできるのかと甚だ不安だったけれども、その後はこれといった失望も損失もなく(8か月後、トルコのイスタンブールの少しだけセクシーなお店で、少しだけセクシーなことをしたら3万円請求されたことがあったが)、自分史上おそらくもう2度とないであろう、最高の一年と最高の365連休を過ごさせていただいた。

そんな365連休を経たのち、2012年11月、ちょうど今ぐらいの時期に帰国した。つまり、世界一周帰国からちょうど10年経ったことになる。

同じ時期に旅していた旅人と会うことも最近ではめっきりなくなった。家庭や子育て含め年齢のこともあるし、自分の働き方の問題もあるし、コロナは極めつけだったとも思う。だから必然的に日常で旅や世界一周のことを話す機会というのは皆無に等しく(旅食ダイニングにもかかわらず)、思い返すこともほぼなく、当然、「世界一周から10年」などというタイトルで改まってブログで振り返る人もいない。そもそも「ブログ」を書いてる人がそもそも、いない。

「だからこそ」的な天邪鬼な発言をしたいわけではないけれど、単純に改めて改めることも意義があるようにも思える。世界一周から10年。今、振り返ってみるにあたり、それはどんな意味を持つのか。

まず2012年という年は日本人旅行者にとって本当に恵まれた一年だった。先述したとおり、為替は1ドル=80円前後で推移し、今、同じことをすれば予算は2倍ちかくかかっていたことになる。さらに、国内的にも国際的にも「特に何もなかった一年」と言える。国内で言えば、前年の東日本大震災から、自民党への政権交代までの1年であり、国際的には前年のアラブの春が始まってから翌年のIS(イスラム国)台頭までの1年でもある。自分が長期の海外旅行に出るたびに、9.11が起こったり、スマトラ島沖地震が起こったりしていたので、そう考えると本当に穏やかな一年だったように思える。リーマンショックギリシャ危機のような経済的なアクシデントもなく、SARSやMARSのようなウィルスが蔓延することもなく、シリアやイエメンを除けば戦争や紛争のニュースは皆無に等しかった。多くの旅人は緊迫した情勢に左右されることなく、自分の旅だけに100%集中することができた稀有な1年だったんじゃないかと思う。


まわりの40歳に比べて自分は未だに幼稚で、そして青臭いと思うけれども、10年前となればさらにその傾向は強い。過ぎてみればそれは特別に珍しい経験ではことがわかるが(なにせ一周中にはたくさんの一周旅行者に出会うから)、当時の自分にとって世界一周は並々らならぬ思いで臨んだ人生をかけた大一番だった(言ってしまえばただの長期旅行なのだが…)。

旅行中、ずっとブログを書いていたのだけど、写真は載せず、旅行のテーマである料理のことにも触れず、ただの文章をただ書き続けた。当時ですら「映え」の前身の概念にあたるものはあったし、今でいうところのフォロワー数や再生数にあたる指標も勿論あったけど、その華やかなメインストリートの路地裏で甲斐のない文章をひたすら黙々と書き連ねた。

その世界一周ブログの最後の投稿記事をサマリーすると、

・母が作った魚の煮つけを食べるのが楽しみだ。
・ごはんをみんなで食べるというのは幸せなことだ。
・日なたは暖かく、時に暑い。
・日かげは涼しく、時に寒い。

という4点に集約されている。

ameblo.jp


人生を賭した一年間の世界一周は上記4点に集約され、その集約された4点をさらに集約すると「当たり前なことに、当たり前に感謝しなきゃね」的な月並みな表現となり、さらに言えば「さらに言えば、当たり前なことって、そもそも当たり前じゃないよね」という、より無難で、より当たり障りのないレビューに着地してしまう。

しかしながら、どうにもこうにもそれに尽きる。一周して、その2年後に独立し、お店を始めて7年半経とうとしているけども、世界一周での結論がこの7年半においても連動し、連綿と続いている。根本的な部分に抜本的な新しい発見はなく、尊い確認を日々尊ぶ日々だ。

自分は世界一周の経験がダイレクトに自分の生計に結びついてるので、明確なアイデンティティとして、明確な血肉になっているけども、ただ2042年の20年後も「2012年に世界一周をして、その時に食べたあれこれをこれこれして…」という店舗コンセプトをこすり続けられるとは思えないし、こすり続けようとも思わない。

10年前、世界に新しい発見を求めたように、帰国から10年を機に、どこかに何か、新しい発見を求める冒険に出てもいいようにも思える。この文章にも顕れているように、やはり自分は幼稚で青臭い人間だけれども、腹黒くなるのも、無色になるのもできれば避けたいところなので、ならば10年前、荒野を目指したように、青臭いままでもいいかなと思う。