Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

小説Journey×Journeyのオンライン販売はどこに向かうのか。そして、このままお客さんが来ない、来ても満席にできない店内で不貞腐れながら生きていくのか。

2月上旬に東京で初めての感染者が出たところから、3月末の東京都知事会見までが僕の中では第1ラウンドで、その後、緊急事態宣言を経て解除予定日だった5月6日までが第2ラウンド。そして、ここから第3ラウンドがスタート。この第3ラウンドは5月31日までというより、もう少し長いスパンを見据えています。 2本柱で進めていこうと思っているけれど、1つはオンライン販売。そして、その封切作品としたのが小説『Journey×Journey』です。

概要については以前の記事でお伝えしているので割愛するけれど、「何故このような取り組みをするのか」で言えば、根本にあるのは「危機感」。僕は自分と自店が置かれている状況でしか今後を推し量ることができないので、あくまでJ×Jの話になるけれど、事態がもっとも切実化するのはもう少し先の話になると推測している(8月か9月頃)。全体的に緩和ムードへと傾斜し、補償や助成の道筋が見え、今は絶望と焦燥から少し救われた気運があるけれど(自店もしくは同じような小規模事業者の間では)、本当の修羅場はむしろ、今からではないかと。この部分に触れると長くなるし、明るい話でもないので、これまた省くけれど、とにかく僕はそう見立てている。

控えめに言って、今回の禍を通じて、「従来の消費マインドとスタイルが変容し、新しい生活様式が周知され、定着する」、それだけで今の飲食業のモデルや収益構造はいよいよほぼ壊滅するだろう(行列ができる美味しいラーメン屋さん、デリバリーに向いている本格ハンバーガーショップ、またそれに準じる事業体は戦火をくぐるかもしれないが)。

だから、飲食店も提供側として「従来のマインドとスタイルを変容せしめ、新しい事業様式を立ち上げないといけない」と感じている。「これからは時代に合わせて、テイクアウトやデリバリーにより一層力を入れて…」とかそういうおとぎ話ではなく、もっと本質的に、もっと抜本的にひっくり返さないといけない。苦し紛れの中途半端な斜め上ではなく、もっと「ねじれの位置」からの「とびきりのおとぎ話」をしたためなければならない。現実、それは難しくても、それぐらいの意気込みで思考と行動を創作的にすべきだと思う。

今までの客数、客層、来店動機、利用シーン、利用できるスペース、ニーズ、ウォンツ、財布の紐の締め方、緩め方、その全てが変わっていく。杞憂に終わればそれに越したことはないが、僕はそれぐらいの覚悟でいて、だとすれば「選択肢(商品)を増やそう」と思っている。飲食店ではなく、商店になるイメージ、言うなれば「世界に一つだけのコンビニ」化。それが僕の中の「とびきりのおとぎ話」であり、八百屋もよろずやもそのための布石で、小説Journey×Journeyのオンライン販売はそのための第一歩だと考えている。

www.youtube.com


当然、まあ、売れない。そりゃそうだ。公開もされていて、価格も曖昧(500円/1,000円/任意)で、まったくの無名で、文脈も突拍子も全くない、となれば当たり前でしょう。そんな得体の知れないインディーズ商品を買うのであれば、無難なカオマンガイを食べた方がいい、普通にそのとおりだと思う。

でも一方で、「身動きとれないけどオンラインで何かあれば協力したい」とおっしゃってくれていた方々、またそう思ってくれていた方々の何名かは「苦境に立つ飲食店あるいは僕個人に対する支援」という意味も含めて(というかほぼその意図で)、サポートいただいている。もう御礼を言ってばかりで、甚だ恐縮なのだけど、とても有難く受け取らせていただいている。そして、これから、とても有難く積極的に活用していきたいと考えています。


「活用」についても前回内容と重複になるけれど、今回サポートいただいた資金を元手に小説『Journey×Journey』をZINE(フリーペーパー)にします。


現時点でデジタルとして存在しているものを、形化して再びアナログな存在とする。アナログに起こしたものを今度はオンラインショップで販売する。アナログ→デジタル→リアナログ→リデジタル、こういうサイクルに挑戦したいのです。一つのエコシステムのようなもので、J×Jという一つの経済の中で循環させていきたい。この挑戦に、綺麗事を言わないのであれば、一度予算を投じて作ってしまえば「原価」がほぼかからないこと、そして、この生産と販売に関して、ほぼ「コスト」が発生しないこと(そもそも僕がこれを書き上げるのに10年近くの歳月を費やしているという観点を除けば)。


綺麗事を言うのであれば、この取り組みは「プロジェクト」という側面を持つということ。飲食業の場合、「Aさんからカオマンガイをご注文いただく→Aさんにカオマンガイをご提供する→Aさんにお召し上がりいただく」という個人的な消費活動に終始するけれど(そこが飲食業の醍醐味でもある)、このプロジェクトであれば「参加型感」を纏わすことができる。またカオマンガイは即時的、物理的に消化されてしまうけれど(ここも飲食業の醍醐味だ)、ZINEは有形であり、成果として残り続け、プロジェクトそのものは継続されていく。綺麗事だけど、信じるに足る綺麗事だと思っている。


さらに綺麗事を重ねるのであれば、このプロジェクトは他の飲食店のみならず、多くの小規模事業者にも適用される可能性を秘めている、ということ。僕は文章を書くのが好きだから、小説を書く。だから、小説を商品化する。でもそれは、飲食店店主が撮る写真集だっていいし、美容師が描く油絵だっていい、一人親方が焼くホールケーキだっていいはずだ
。「そんな売り物にできるほどじゃ…」と言うかもしれないし、実際僕がそうであるように、売ろうにも売れないかもしれない。かと言って、このままお客さんが来ない、来ても満席にできない店内で、不貞腐れながら生きていくのか、と思う。

 

「いやあ、俺、他にそんな特技ないし…」と言い始める人もいるでしょう。であれば、とりあえず目の前にあるものを、すぐ手に取れるものを商品化すればいいんじゃないかと思う。既存のメニューブックを編集して、メニューの開発秘話やコメントを載せて冊子化するとか、カメラロールの中で眠り続けているラーメンの写真を集めてカレンダーにするとか、何か激しいコンプレックスを持ってる人はそのコンプレックスをぶちまけた詩集を販売する、とか。「もうほんとに何もない人」がいるのであれば、その「もうほんとに何もないこと」を代え難い価値とすべきだと思う。とにかくプロダクトを新たに創出することが大切だと思う。個人事業主フリーランスであれば、特に。閉塞感は閉塞的なプロダクトしか持たないからもたらされるのであり、であれば、それを打破しうる何かを持てば、光明は差すのではないだろうか。


確かに僕は多国籍料理店の店主としては一応プロかもしれないが(一応5年やってるから)、文筆家としても、よろずやの店主としても、地べたを這うことさえできないインディーズだ。けれど、本業の圧迫が不可避であるのであればなおさら、今後重要になってくるのはそのインディーズの部分だと思う。
在り方や価値観がひっくり返るのであれば、同じぐらいひっくり返して、「プロのインディーズ」という矛盾と荒野を目指す。道のりは険しいけれど、どの方角も道のりは険しい。


だから、小説Journey×Journeyをオンライン販売するというよりは、

この小説そのものを販売するというよりは、
(何ならクリエイターへのサポートですらなく)、


「このプロジェクトが秘める可能性」をよろずやジャーニーの棚に陳列しているつもりです。


綺麗事だし理想論だが、信じるに足る綺麗事であり、懸ける価値のある理想論だと思っています。

note.com