Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

C-A-B-Z-Z-D-E①「解決策はバッタの発生の抑制に可能な限り努めることです」編

先日、ツイッターでこういうポストを見かけた。


このツイートはメディアと、メディアに踊らされている(であろう)方へのアイロニーであるわけど、ツイートしている方(永江さん)も、取り上げられてる方(永江さんに取り上げられているおばさん)の両方に通底しているのは同調を喚起していること。「テレビを見ろ」という同調喚起と、それに対し、「テレビなんて信じるな」という同調喚起。


主たる部分が依然謎めいているにも関わらず、被害は不特定多数に及び、かつ甚大で、情報は否が応にも大量に流れ込んでるわけだから、何に、どれに、行動規範のウェイトを寄せるかは結局は個人に委ねられる。実際のところ、どうなのかなんて誰もわからない。

日本政府に失望する声も多いけど、「死者数」だけのコミットで言えば何であれ結果を出してることになっちゃうような気がするし、当初、あれだけ叩かれたダイヤモンド・プリンセス号のことなんて今や誰も取り上げず、この船での対応の失敗が感染拡大に結びついてるなんてほぼ誰も思っていない。「東京事変」事変は満州事変ぐらい遥か彼方の出来事だ。

確かに今さら届けられる2枚のマスクは日本中の郵便受けの中で、日本中の失笑を買うことになると思う。これはタイミングの問題であって、一ヶ月早ければもっと有効だったかもしれないし、今から配送を停め、1日に1万人の感染者が出ているロシアに送れば少しは有意義かもしれず、それはタイミングが遅いからこそできることだったりもする(ちなみにロシアは1日に1万人の感染者が出ているにも関わらず、経済を再開させようとしてるのだから半端ない。日本はここ数日一日に100人前後。思いきりのスケールが桁違いだ)。

そして、その一方、幸福の国ブータンでの感染者数と幸福度がどう推移しているのか、ハイパーインフレでぶっ飛び続けているジンバブエ経済がこの大騒動でその後どうなっているのか、おそらくほとんどの人が知らない。僕も知らない。有事において情報は何よりも重要であるけれど、同時に情報なんてそんなもんだ、とも思う。


情報の有効力や正誤性というのは結局、最終的な結果とタイミングからでしか測れない。感染者数ではなく検査数、検査数ではなく病床数、感染による死者数ではなく自殺者数、自殺者数ではなく失業率、失業率ではなく倒産数、倒産数ではなく日経平均、いや陽性率、いやGDP、いや食料自給率、いやいや実効再生産数でしょ、いやいや…、といった具合でキリがない。

そう言えば、バッタの大群はどこに行ったのだろう?

news.yahoo.co.jp

上記、3月7日の記事。その後どうなったのかを調べたところ、アフリカで第2波が起きていた(第1波がどうなったのかはよくわからない)。

wired.jp

上は5月11日の記事。この新たな問題への対応として、環境学者シリル・ピウ氏(フランス国際農業開発研究センター所属)はこう言う。「解決策はバッタの発生の抑制に可能な限り努めることです」。そりゃそうだろう。フランス国際農業開発センターに所属していない、秋葉原旅食ダイニングJourney×Journeyの山本だってそれぐらいのことは言える。「バッタの被害を抑えるためにはどうすればいいですか?」と聞かれたら、「それはですね、バッタの発生の抑制に可能な限り努めることです」。同様に「テレビを見なさい」、あるいは「テレビを信じるのはやめなさい」、まあ多分、特にメディア論も政治信条も持たない崖っぷちの店主にだって、それぐらいは言えそうだ。


Aの次はB、みんながCをやるからC、CをやったみんながDって言うからD、だったら次はE、情報交換も、足並みを揃えることも、同調も、We are the worldも、Its a small worldも必要だけども、みんなが同じステップを踏んだら、そのA-B-C-D-Eの正当性すら証明できなくなるリスクも感じる。と、俺は思っちゃうけどな。他の国と比べる比較論に持ち込むなら、日本はどういうわけかすでに成功になっちゃう。ブータンからすれば失敗かもしれないけど。


だから、AやBに取り組む前にCを済ませ、多数がCを取り組んでる時にZをぶっこみ、で、ワンテンポ遅れて、同じようにDとEを踏む、こういうアプローチもありなんじゃないかと思う。