Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年4月⑨「商売不繁盛論」vol9-

神保町に僕が学生の頃によく通っていた大衆居酒屋がある。当時僕は21,22歳で、それから12年近くの歳月が流れているが、還暦近い大将はあの頃と変わらず今でも現場に立っている。創業は1979年。35年の歴史がそのまま店内に滲み出る、いかにもで、いわゆるな大衆居酒屋。「この店のここがいい」とか「こういうところがいい」とか、そういうのではなく、ひたすら「なんとなくいい」、そういう店だ。

落ち着いたら行こうと思っていたが、店を始めてから一度も伺えずにいた。先日、ちょうど近場で飲む機会があったので久しぶりに行ってみることにした。

「神保町に俺が学生の頃によく行ってた店があるんだけど、今度の飲み、そこでもいいかな?フツーの居酒屋だけど」

「了解です‼なんていうお店ですか?」

「〇〇〇だよ」

数分後、

 

「わー、食べログの点数、めっちゃ高いじゃないですかー。楽しみですー」。


と、返信が来た。


あの店も点数つけられてるんだな、と思った。繁盛店なのでお客さんはたくさんくるし、それだけ食べログユーザーが多いのは当然のことなのだけど、今まで一度もあの店の評価や点数を意識したことがなかったので、ちょっとハッとしてしまった。子供の頃から通う、家の近所にある中華食堂の点数など改めて気にするだろうか?それをうっかり覗いてしまったような気分になった。


家の近くの中華屋さんにしても、この神保町の店にしても僕の中では「点数」がつく店ではない。というより、「数値化」できる店ではない。そもそも、これだけたくさんの店がある中で画一的な数値化など可能だろうかと甚だ疑問だ。

 

人は人格を持つ人を数値で評価しない。

 

法人格を持つ法人は点数をつけられたりしないし、まして公表されたりしない。

(帝国データバンク東京商工リサーチの信用調査はあるけれど)

 

給与や収入の多寡はその人の「数値的」な評価と言えるだろう。売上や資産はその法人の「数値的」な指標となるだろう。世間にはランキングが溢れ、何から何までランク付けし、ランク付けされ、ヒエラルキーは存在し、マウンティングは暗躍している。成績表は1~5の数字で構成され、テストは0~100の間で配点される。採用も人事査定も数値化することによって便宜的に進められているだろう。



が、「君は1だ」とは誰も言わない。「君の算数の成績は2だ」とは言うし、「君の昨日のプレーは4だ」とは言うが、「君は1だ」とは誰も言わない。誰がどんな物差しを持てば「人格」を測れるのだろうか。複雑なアルゴリズムは「人格」を公平に、公正に数値として算出できるだろうか。


 

「店」にしても同様だと僕は思っている。店には店の「人格」がある。


 

自店が最も価値と満足度を高めることができるのは複数人の団体客によるコース利用だと思っている。だから、営業もオペレーションもそれを基に設計している。1店舗で複数のニーズを同時に充たすのは困難で、1店舗目で感じたジレンマは2店舗目や他の手段で埋めていくのが妥当だと考えている。ただゲストにとってみればそんな設計図なんて関係ない。お一人様で来て、ご飯を撮って、ご飯を食べて帰る。そういうゲストがいれば、それがそのゲストにとってのJ×Jであり、そこで得た感想がそのゲストのJ×Jへの評価だ。そして、その成績表は否応なしにネット上で公のものとなり、その評価を見て来店を希望するゲストがいて、その評価を見て来店を希望しないゲストがいる。少なからず、どちらもいる。



点数の上下に一喜一憂しない。


クチコミの内容に右往左往しない。


オープン当初の時点で考えていたのは、いかにして早くこの状況を作れるか、だった。仮に低い点数がついたり、ネガティブなレビューが刻まれたとしても、どうすれば毅然としていられるか。答えは単純で、僕にとっての神保町の大衆居酒屋のような立ち位置を目指せばいい。ネット上の情報に左右されない、あるいは見向きもしないゲストに定着してもらうこと。



そのために初期の段階で裾野は広げなかった。戦線をできるだけ後退させ、縮小させる。オンライン、オフラインともにプロモーションは極力制限し、できるだけひっそりとこっそりと進める。


今まで記してきたように分母を減らすことによって、粗相やミスマッチを防ぐという消極的な理由もあるけれど、それよりも重要なのは「距離」と「その距離の質」だと思っている。


ゲストとの距離、スタッフとの距離、原価と売価との距離、時間と生産性との距離、理想と現実との距離、など全ての物事には「距離」がある。距離感を見誤ると相応の歪みが生じる。実際にこれまでその歪みによるいくつかの失敗をした。けれど、然るべき距離を保つこと、また適切に縮めること、逆に適切に遠のくこと、そして距離感の質を高めることは常に念頭に置いてきたし、それが商売不繁盛論の本質だと僕は考えている。