内装工事が始まる前に取り組みたかった一つに商圏のマーケティングが挙げられる。「マーケティング」と言ってもそんな仰々しいものではなく、単純にお店のまわりに大体どれくらいの人が住んでいて、どれくらいの人が働いているのか、をざっくり把握しておきたかった。
僕は直近まで近くのお店で働いていたので、客層や客数、お店の使われ方について、ある程度の見当をつけることはできていた。けれど、いくら近いと言っても、大通りを一本挟んでしまえば、それがそのまま踏襲されるとは考えにくい。特にランチに関して言えば、200m離れるだけで、客層もニーズも随分と変わってくるだろう。自分の経験値から生まれるイメージと実際との間の乖離を極力縮めるために客観的な情報を求めた。
こうした「客観的な情報」は区役所が管轄している。自店で言えば、台東区役所だ。
人口に関する情報だけであれば、ホームページで公表されている。
年齢を5歳ごとにセグメントした統計もある。マーケティングとしてはこちらの方がイメージしやすい。
そして、さらに町名別の世帯数まで落とし込んだデータまで拾える(お店はこの表の一番上、「台東一丁目」に位置している)。
けれど、これだけでは居住状況しか知りえず、事業所立地に位置する自店の参考資料としては不十分だ。直接話を聞きに行けば他に何か有意義な情報を引き出せるかもしれない。そこで、加藤に台東区役所に行ってもらった。
「お兄さん、学生さん?」
担当のおじさんは加藤にそう尋ねた。
「いえ、飲食店の者で今度台東一丁目にお店を出すんです。それでどんな人がまわりにいるかを調べたいなと思って」
ここは正直に言う段取りだった。
「へえ、建築関係の営業マンが来ることはあっても飲食店の人が来るのは初めてだよ。頑張ってるんだね」
「はいッ!!」
「教えてあげられる情報とそうでないものがある。渡せる資料とそうでないものがある。それでもよければ、できるかぎりで協力するよ」
「ありがとうございますッ!!」
そんな具合で、ホームページに記載されていない情報を聞くことができた。
店に戻ってきた加藤に早速、内容を共有してもらう。
共有してもらった内容をもとに、翌日改めて情報を精査する。
台東1丁目に位置する自店を中心に半径200m内をランチの商圏だと仮定する。コンパスをまわしてみると一丁目は100%商圏内におさまり、加え、2丁目の一部(30%程度)及び、隣の千代田区までカバーすることがわかる。
区役所によれば、台東1丁目の昼間人口(昼間この場所にいる人たち、つまり1丁目で働いてる人の数)は8,676人。これに対し、夜間人口(夜の時間にこの場所にいる人たち、つまり1丁目に住んでいる人の数)は1,946人。つまり、1丁目がいかに事業所立地かというのはこの数字から伺える。
1丁目は商圏内(200m内)におさまるわけだから、この8,676人全てがランチのターゲットとなる。さらに2丁目及び千代田区のカバー範囲の人口を算出し、これに加えると13,000人近い数字にのぼる。勿論、13,000人全てがランチを外で食べてるわけじゃないし、外回りの人もいる。したがって、13,000人のうちの4分の1がランチを外で食べると想定すると、その数は3,250人となる。すなわち、ランチ営業はこの3,250人をめぐる攻防、というわけだ。
例えば、自店のランチ営業の目標を20人に据えたとする。3,250人から考えれば、その割合は0.6%。その0.6%の人を呼び込めれば、とりあえずの及第点となる。
「い、いけそうじゃないですか…?」
と加藤は言う。
僕もそう思った。わりと前向きになれる数字だ、と。
実際がどうだったかはオープン後の話になるので、それについてはまた機会を改める。
ただいずれにせよ、それだけの人がいるということはそれだけの競合がいるということ。攻防戦はずっと続いていくし、常に段階的なブラッシュアップを繰り返していかないとジリ貧になることは目に見えている。
それに、
「お兄さん、このエリアね、建物の取り壊しの申請が特に多いところだよ。それってつまり、街がどんどん新しくなるってことだし、新しい人がどんどん入ってくるってことだからさ、頑張ってね」
という、区役所の担当者の言葉が印象的だ。
街も人も、移り変わる。自店のような店は特にそうした変化に柔軟に適応していかなければならない、と思う。