「席数は19です。ランチの客数は大体20人ちょいってところですかね」
年が明けてすぐ橘さんから連絡が来た。「お店に来てほしい」と。
「席数が19でも、ぴったり19席埋まることってなかなかないじゃないですか。4人席に3人座ることもあるし、1人で来るお客さんも多い。5年やって一回だけでした。ぴたっと19席埋まったの」
橘さんは相変わらずの調子で淡々と、抑揚なく、話を続けた。
「山本さんが来られる一ヶ月前くらいに、“もう一度19席ぴったり埋まったら、そこを引き際にしよう”と決めたんです。そしたらその一週間後に綺麗に埋まってしまったんです。え?って感じで苦笑いしましたね。やっぱり“やめろ”ってことなんだなって改めて思いました。そんなところに現れたのが山本さんです」
僕は何も言わないまま、相槌を打つ。
「今言ったように、ランチはそんな感じです。でも、夜は厳しいですよ、ここは。最初のうちは夜の営業もしていましたが、途中からやめちゃいました。来るか来ないかわからないお客さんを待つより、読書でもしてたほうがよっぽどいい。電話も煩わしくなってひっこ抜いてます。夜開けるのはランチのお客さんに頼まれた時か、知り合いから個人的に予約を受けたときのみです。予算に応じて肴を用意するだけで、お酒は持ち込みいただいています。そのへんにあるるお酒は全部お客さんのものです」
と言って、テーブルの上に置かれたお酒を指差した。ジャック・ダニエルに黒霧島、レミーマルタンに梅酒、などなど。
それにしてもこの高度資本主義社会のど真ん中において、そんなゆるい営業で5年以上お店を継続させていることに驚いた。お酒は持ち込み?
「正月、実家に帰って両親と話しました。20歳で東京に出てきて以来、30年くらい別々に過ごしてきたのでどうかなとも思っていたのですが、両親も私が実家に戻ることを歓迎してくれています。私としてはこれでもう何の気掛かりもなく、看板をおろせます」
僕はコーヒーを啜った。
「私は不動産屋と契約を解除するだけで、ここから先は私が口を挟むことはできません。でも個人的には山本さんに契約してもらってほしいなと思います。引き金になったのは山本さんだし、できれば信頼できる人に引き継いでほしい。お店は自分の彼女のようなものです。しょうもない人には渡したくない」
「そうおっしゃっていただけると僕も嬉しいです」
「でもね、山本さん、あなたはちょっと丁寧すぎるかな。今もなお、“私から気に入られたい”と思っていますか?」
「全くないと言ったら嘘になりますが、僕、わりと素で接しさせてもらってますよ」
僕は橘さんの前では無心でバッターボックスに立つようにしていたつもりだった。小細工も豪快なスイングも橘さんには通用しそうにないと思っていたからだ。
「そうでしょうか。私は山本さんにもっとさらけ出してほしいと思っているのですが」と言って、微笑んだ。「まあいいや、それはまた別の機会にしましょう」。
「ところで橘さん、お店はいつまで続けるご予定なんですか?確か、4月オープンでしたよね?3月いっぱいまでやれば丸五年。タイミング的にそのあたりになるのでしょうか?」
「うち、4月オープンでしたっけ?」と橘さんは言って、営業許可証を確認した。「ああ、そうですね、4月ですね。でも3月まではやらないと思います。やめると決めたからには早々に切り上げたい。正直、今日にでもやめてもいい」
このあたりがいかにも橘さんっぽい。
「とは言え、色々と手続きもありますし、いきなり辞めたら池尻さんも困っちゃうでしょうから、現実的には2月いっぱい、といったところでしょうか」
あと2ヶ月足らず。
2014年の12月31日に抱負のような位置づけで、下記のようなことをフェイスブックに投稿している。
「来年はさらに疾走していきたい。溢れかえる取るに足らない沙汰を景気よく振り切って、自分がワクワクできることに忠実にワクワクしながら、疾走、そして、疾走」
それはどうも余儀なくされそうだ。こちらが望もうが、望まなかろうが。