Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

チンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。

発信する側も受信する側も大した変化のないまま、情報のスピードとボリュームだけが青天井で、そもそもの五里霧中の霧っぷりも、そもそもの暗中模索の闇っぷりもますます深まるばかりで、幸福論は混迷を極め、自己正当化はまさに百花繚乱。よくわからないことが多い浮世の中で、刻々と進行する地球の砂漠化とともに、僕も着々とおじさん化が進み、いろんなことがどうでもよくなってきた。いろんなことがどうでもよくなってきたということはつまり、どうでもよくないことが明確になってきたということでもある。そして、どうでもよくないことというのはそれほど多くない。それだけに集中すればいいのだから、ある意味、楽ちんだ。

あらゆる情報はその時々の断片にすぎない。だから、その情報が正しいかどうかというのはそれほど重要ではないと思うのだけど、次から次へと新しいことが更新される現代だからこそ、逆に過去を振り返ることを大切に感じるようになった。桜木花道の「俺は今なんだよ!」と、林先生の「今でしょ!」はまさに「今」至上主義を築き、今も昔もなんとなく頑張り続けるのはなんとなくの未来のためなのだけど、「今」の確度と「未来」の蓋然性を高めるためには過去を精査するのが一番有効だと思う。例えばコロナなんていい例で、初期の頃の戦々恐々としたあの感じは一体何だったんだってやはり思う。当初、感染したことで引っ越しをしたり、それ以上の極端な行動を余儀なくされたり、あるいはそう追い込んだ人たちや懐かしき自粛警察の方々は毎日、何万という感染者が当たり前に出る中で今、どんな心持ちなのだろうか。

今、世界中(の大部分)がウクライナを案じているけども、トンガの噴火はどうなったのか、ミャンマーはその後どうなっているのか、香港は?、アフガニスタンは?、シリアは?、と、おそらく大多数は思い返すこともない。よりセンセーショナルなトピックやアジテーションに覆われ、その節々でヒートアップしたもっともっぽい感情は見事に風化される。誰が何の罪で捕まったのかなんてそもそも朧げだし、「あの人って不倫したんだっけ?されたんだっけ?」みたいな感じで、もはや何にも覚えていない。当時はそれでそれなりに持ちきりだったにも関わらず。

つまり、その時々の「情報」なんて最終的にしょうもないんだから、そんなものに振り回されたり、流されたりするなんてナンセンスだ。情報そのものにさほどの価値はなくて、それよりも重要なのは自分の「解釈」であり、全ては自分の解釈力に基づく。フィジカル的にもメンタル的にも自分の解釈力が弱っていれば、冷静さを見失ってしまうが、逆に言えば、自分の解釈力さえ保っていれば、ある意味、全ては自分の意のままだ。自分の解釈力を過信すると盲目的になり、偏狭になるが、そうならないようにバランスを取りながら、解釈の幅と質を高めることで、今まで以上に思うままに暮らし、思うままに働いていこうと思うのです。そして、J×Jもそういうお店でいようということを8年目の抱負として掲げたいのです。


そうとは言うものの、僕なんて、J×Jなんて、まだまだだ。まだまだしょうもないものとしょうもなく戦っているような気がする。


お店の近くに古びた中華屋さんがある。いわゆるコテコテの昔ながらの町中華で、近所のサラリーマンに人気で連日賑わいを見せているが、先日、初めてここを訪れることができた。炒飯が目当てだったのだけど、壁に貼られたメニュー札を見ていると、それ以上に気になるメニューがあった。

 

 

お分かりだろうか?

 

お気付きだろうか?



ザーサイ定食!!!



ここ最近で、最も度肝抜かれました。色々と驚かされることが多い世の中だけども、職業病なのか、ザーサイ定食にはびっくりしました。言うなれば、「きゅうりの一本漬け定食」だとか「福神漬け定食」と謳っているようなものので、それを唐揚げ-焼肉-生姜焼きという黄金ラインの同列に並ばせ、しかも同価格の950円という強気設定。現代社会の洗練されたマーケティングブランディングをなぎ倒し、レビューや口コミなんてもとより、認められたい、褒められたい、叩かれたくない、悪く言われたくない、など俗世の座標を超越した自己実現と言えるのではないだろうか。ただひたすらに興味が湧く。ただひたすらに好奇心を掻き立てられる。

衝動と欲望を抑えられずに満に満を持して、ザーサイ定食を注文した。ウェイトレスのおばあちゃんの「ザーサイ、一丁!」の声が僕とミヤネ屋しかない店内に響き渡る。

そして、ザ・ザーサイ定食が眼前に現わる。

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味噌汁がメインのような写真になってしまったが、そうではなく、ザーサイ定食のアイデンティティである「ザーサイ性」は写真右上の炒め物に付与されている。見た感じ、チンジャオロースの様相であったが、そのまんまチンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。

チンジャオロースにザーサイが入っているだけであった。


そして、なんなら、チンジャオロース感が強すぎて肝心のザーサイ性は感じられない。


それだけでも十分、冒険した甲斐はあるのだけど、さらに言えば、いわゆるの「定食」におけるサラダ的部分にはキャベツの千切りが用意されており、

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この「キャベツの千切りサラダ」に対し、

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マヨネーズが一本、無造作に置かれた。そしてちなみにキャップは細く線引きできるタイプではなく、何のための星型なのかよくわからない、ぶちょっと出るタイプだった。

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ザーサイ定食にしても、千切りキャベツに無造作マヨにしても、この雑さがたまらなく、たまらない。「真摯に、丁寧に」が勤勉な日本人の流儀であり、美学だとは思うけど、みんながみんなそうである必要はないし、それで苦しくなるぐらいだったら、無理にしなくていいと思うし、しがみつく必要もない。

 

店も、そこに集まる人も、せっかく歳をとるのだから、もっと楽にいこう、と千切りキャベツにマヨネーズをぶちょっと出しながら、そんなことを思う。




であれば、少しでも歩いて、少しでもお腹を空かせたほうがいい。

情報化社会やIT革命というのはいつのまにか大昔の言葉となり、「情報」も「IT」も多くの人の生活にごく自然と溶け込み、混然一体となっている。今でも各メディアにおいて最先端技術だとか、最新グルメだとか、そういう類のフレーズや表現は使われてるし、好まれてもいるけども、今、この瞬間にも情報は更新し続けているわけだから、もはや言葉として成立し得ないほど加速度的だ。最新グルメ情報として編集され、体系化される頃にはそれはもう最新ではない。そのスピード感やボリュームに嫌気が差して、情報を意図的にシャットアウトするようなスローライフ的発想や動きも当然あり、それもまた今後加速していくのだろうと思う。

けれど、その速度と重量の変化と比較して、肝心な情報の「質」がどうなっているかと言うと、それに見合った変化をしているとはちょっと思えない。勿論、変わってきてるところもあると思うけど、多くの人はなんだかんだでバカバカしい文春砲を好み、くだらないネット記事に「くだらない」と言いながら、釣り気味のタイトルやサムネイルに釣られる。バカバカしさやくだらなさを憂うふりをしながら、甲斐のない優越感に浸り、何も行動しないまま愚痴って、ディスって、ただ飲み、ただ寝る。まさにバカバカしく、まさにくだらないけれど、かく言う自分もまあ大体そんな感じだ。

例えばそんな具合で、結局そういう欲求がマジョリティだからこそ、技術や外的環境の向上と比べて、情報の「質」は底辺のまま、低空飛行している、というふうに思える。では、そもそも「質」とは何かという話になるのだけど、ここにもクリアな回答はない。今回のコロナのようなことがあったり、国政選挙や有事があったりするとテレビはますますの標的となり、一方的に叩かれる。そして、テレビはでっち上げとされ、「情報は自分で取りにいかないといけない」というような意見が流布する。そういう意見を見かける度に「じゃあ真実的なものはどこにあるのよ」と訝しく思う。テレビにはなく、自分とその仲間内にはそれがあるのだろうか、あるいはネットには真実的なものが転がっているのだろうか。いつ何時も正しい情報を正しく伝え、正しく導いてくれる全知全能の神様的な存在がネットの世界にはいるのだろうか。勿論、いない。Siriは近いうちにその座につくことができるだろうか。勿論、できない。隅から隅まで、とは言わないにしても、ネット上に無限かのように広がる情報はほぼ全て、誰かしらの欲求や欲望に紐づき、資金の多寡や活用法によって区画整理された、主観や感想、あるいはフェイクの集積に過ぎない。グーグル内で用意されている情報は、グーグルの経験則に基づいた、あくまでグーグル内での最適解でしかない。「ググれ」というフレーズは祇園精舎の鐘の声くらい等しく虚しく、僕自身もテレビの情報なんて全くアテにしてないけれども、ある意味、テレビにはスポンサーシップとコンプライアンスによる最低限の節度が保たれている一方で、そういう観点においては、ネットの情報の方がよっぽど欲にまみれてるし、品格がない。騙している具合と騙されている具合で言ったら、ネットの方がむしろ深刻のように思える。

コンビニのサラダは体に不健康だろうか。あるいは健康的なのだろうか。「コンビニ」というのはどの会社のものを指しているのか。いつの時代のものを言っているのか(20年前の品質は今の品質と同じなのだろうか)。たまに食べるのはいいのか、食べ続けると発がんするのか。日常的に野菜を摂取している人にとってのコンビニのサラダと、全く野菜を摂らない人にとってのそれは同じ価値であり、同じ有効度なのだろうか。食中毒のリスクは孕むが栄養価が高く、高価で一部にしか流通しない有機野菜と、水溶性ビタミンは多少損なわれるけれど、食中毒のリスクはなく低価で幅広い層にリーチしうる洗浄野菜はどちらが社会全体にとって健康的なのだろう?、どちらが社会全体にとって不健康なのだろう?ていうか、というか、そもそも「健康」とは何だろうか?社会が一律に規定する「健康」と、自分が自分を慮って目指す「健康」、どちらがどれくらい「健康的」なのだろう?非健康的な健康な人もたくさんいるし、健康を意識するばかりに逆に不健康に陥っている人もたくさんいる。

つまり、ここに明確な回答はないし、断定もできない。あくまでその人のコンディションによるし、あくまでその人の解釈による。コンビニのサラダですら曖昧なのだから、その他多くの難題に断定的な断定を下すのは難しい。全ては五里霧中の中の暗中模索中だ。人と人が数えきれないほどの戦いを繰り返し、大量の血を流した末にようやくたどり着いた強引な平和でさえ、かくも脆いことがかくもあっさり証明されるくらい確かな不確かの中で、となると誰かがいいと言っていたものを「いい」と言いたくなる気持ちもわかるし、すがりたくもなるし、共感は救われるかもしれないが、そもそもどこまでいっても霧中の暗中なのだから、無理に光を射そうとするのではなく、その闇と視界不良を受け入れる方が賢明であり、自然なように思える。願いがあるだけで、回答はない。美味しいうどんを食べたいという願いがあるだけで、ここのうどんは美味しいという回答はない。

けれど、美味しいうどんを食べたいのであれば、ぶらぶら歩いて腹を空かせればいいし、少なくともそういう美味しさがあるのは間違いない。そもそも普段うどんを食べない人にうどんの繊細な機微などわからん。勿論、俺もわからん。であれば、少しでも歩いて、少しでもお腹を空かせたらいい。情報が人々の行動をどれだけコントロールしようとも、逆に言えば人々が情報にどれだけ支配されようとも、多分、この純粋な単純には敵わない。


 

 

自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。

自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。

せっかくうどん県の香川に行くわけだし、しかも日帰りで時間も限られているのだから、とにかく美味しいうどんを食べたい、それさえコミットできればあとはなんでもいいと思っていたわけだけど、空港の近くにたまたまあったお店の、たまたまのうどんを美味しく食べ終えた今、元々のプランはほとんど無意味なものとなった。予定は白紙にしてあとは場面で決めよう、と。その一杯が今、その瞬間、最高に美味しかったのであれば、「それ以上のクオリティを求めること」に今日このあとの時間を費やす必要は多分ない。

そもそも、ネット上で情報を収集し、それに基づいて自分の行動を規定し、時間を消費することは適切だろうか。自分は有名店のオーナーでもシェフでもなければ、ましてやうどんに対する造詣はまるでないわけだが、少なくとも、ある程度、飲食を生業としてきた人間ではある。曲がりなりにもそうであるのにも関わらず、香川でうどんを食べるにあたり、同調と群集心理によって形成された点数やレビューを判断材料として、行先やルートを決めるのはなんか合理的でないように思える。点数やレビューがどうあれ、讃岐うどんに詳しい友人や知人におススメのお店を聞いた方がよっぽど理に適っているし、生きた情報と言える。

そんなことを思っていると一軒目のすぐ近くに別のお店を見つけた。もう少しインターバルを置こうかとも思ったけれど、食欲は完全に点火している。店の前まで行って決めようかと近づいてみると、看板に「牡丹うどん」の文字を見つけた。猪肉うどん。入店、即決。正解すぎた。

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さすがにお腹いっぱいになったので、しばらくぶらぶら歩いてみることにした。なんでもない道をなんでもなく歩き、

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農協に入って地元の珍しい食材や野菜を物色したり(リュックぐらい持っていけばよかった)、

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いい感じの境内でいい感じにぼーっとしたりした。

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結局3時間ほど歩き続け、正午近くに市内に向かうバスに乗った。市内でレンタサイクルを借り、適当にぐるぐるまわった。自転車に乗り、うどんを食べ、日本庭園を散策した。

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漫画喫茶で1時間ほど昼寝もした。日帰りなのにも関わらず、昼寝をするなんてとも思ったけれど、この1時間がまた極上だった。友人から「うどんもいいけど、海鮮もいいよ」と聞いていたので、最後は居酒屋さんで穴子の刺身を肴にビールで〆た。

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18時頃、高松市内を出て、19時半のフライトに乗り、20時40分には羽田。これだけ遊んだにも関わらず、寝るまでまだまだ時間がある。まだまだ休日を続けることができる。この事実は僕にとって、ちょっとびっくりなことであった。今後、休日はこんなふうに過ごせばいいし、旅行はこんなふうに行けばいいと思った。今日は渋谷に行って、下北に寄って、吉祥寺で飲んでぐるっとまわって帰ってこよう、的な感覚で、ふらっと飛行機に乗って、普段と違う風景に飛び込むのは最高の気分転換になるだろう。

といった具合で、「考えてみれば…」とか「いやいや、ちょっと待てよ…」という気付きが多い一日となった。それは全て「日帰りでもよくない?」と自身に提案できたところが始まっていて、逆に言えば「旅行行くなら少なくとも1泊2泊」というお決まりのパターンを疑ったことに由来する。よく固定観念や既成概念といったありきたりな言葉で代用されるものだけど、そんな仰々しいものではなく、単純な「何となくの思い込み」でしかない。けれど、だからこそ危うい。おそらく自分が思っている以上にこの「何となく」は気付かぬうちに膨れ上がっていて、知らぬうちに増殖している。点数やレビューで評価されているうどんは確かに美味しいかもしれない、けれど、それは点数が低いお店やレビューが少ないうどんが美味しくない、とイコールにはならない。洗練されたマーケティングを施され、ブランディングを築いたAが良質であることは、B~ZがAより劣っていることを示さないし、証明されえない。Aがどれだけブランディングされていようとも「B<A」にはならず、AはAであって、BはBだ。


美味しい讃岐うどんをたっぷり堪能したあと残ったのは満足感と、「情報」というものへの疑問符だった。すっかりしっかり「情報」の社会なのだけど、そもそもの話、情報とは何なのだろうか。


 

 

30代の終わりに、初めて空港の外に徒歩で出てみることにした。

1月の3連休を使って、故郷である山口に墓参りに行く予定を立てていた。そして、そのまま休暇を兼ねて、山口から福岡、福岡から沖縄と旅行し、沖縄から東京に戻る計画だったが、まさにピンポイントで沖縄と山口が感染急拡大に見舞われ、むざむざ渦中に飛び込むのもいかがかと旅行そのものを諦めることとした。

と言っても、せっかく休みだしなということで、適当なところにふらっと行ってみようかと考え直した。一人旅で、誰とも会わないのであれば、それこそどこでもよかったのだけれど、あれこれ考えているうちに「日帰りでも楽しめそうなところ」という条件を加えることにした。せっかく旅行に行くのだから泊まりでゆっくりしたい、と思うのが当然だし、僕も常々そう考えている。交通費だって勿体ない。けれど、立ち止まって思うに、「日帰り」と「一泊」では検討しなければならない項目の数が劇的に変わることになる。勿論、一泊する場合、「どこに泊まるか」が旅行全体の重要事項となり、それを中心に時間配分やルートを構築していくことになる。このように、ある意味では一泊することによって「制限」が増えるわけだけど、片や、「一人旅で日帰り」であれば、前もって決めなければならいことは正直、ほとんどない。他の誰かの嗜好に合わせることもなく、調整も妥協も仕事の心配もパッキングの必要もなく、ただ手ぶらで空港に行けばいい。

行先は香川に決めた。香川のうどんを食べてみたいというのと、その日、日帰りの往復チケットが取れるのが香川だった。

朝5時半に起きて、羽田に向かい、7時半の飛行機に乗った。午前8時40分、香川の高松空港に到着。

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旅行者はここで、高松市内に向かうか、琴平か、丸亀かを問われることになるのだけど、僕としては急ぐ理由はないし、どこに向かったっていいわけだから、飛行機の到着時間に合わせて用意されているルートやレールに乗っかる必要もなく、どのバスに乗るべきかの見当をつけることができなかった。考えてみれば、世界一周時含め、全てのフライトにおいて、空港からの移動はあらかじめ用意されている何かしらの交通手段をほぼ無意識に使用し続けてきたわけで、そこから逸脱したことはかつて一度もないことに気づかされる。せっかくだから歩いてみるか、ということで、僕は初めて徒歩で空港の外に出てみることにした。

自分はもう39歳で(このブログを書いている今は40歳になった)、テンションの抑揚はよかれあしかれ大分鈍くなってしまったような気がするけども、それでも初めてのことを試みるのは爽快だった。道程、心躍るような何かがあるわけではない。けれど、単純に、普段であれば家で寝ている時間に自分は香川にいて、空港と市街を車両が往来するだけのために作られた道を歩いているのはとても心地よかった。

しばらく歩くと、うどん屋さんが見えてきた。店舗面積も駐車場もとにかく広い、団体の旅行客及びファミリー利用向けのお店で、通常であればまず入らないようなお店だが、僕はとにかくうどんを食べにきたわけだし、とにかくお腹が空いていたのでまずこのお店に入ることにした。午前9時45分、店内には誰もいない。

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お店の推しは鍋焼きうどんのようだったが、香川に詳しい友人から、複数店舗まわりたいなら「かけ」の「小」を注文すること、というアドバイスをもらっていたので、その助言に極力沿った。「天婦羅は我慢すること」とも言われていたが、それについては堪えきれずに海老天を別途注文したが、正解だった。開店前に入れていただいたおかげで、揚げたての海老天にありつくことができた。

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ただ、揚げたての海老天よりも何より単純にうどんが美味い。店構えからして、はなまるや丸亀とさして変わらないだろうと推し量っていたが、その邪推はあっさり覆された。普通に超うまい。さすが本場、と結論づけてもいいかもしれないが、このお店のこのうどんがこれだけ美味しいのであれば、事前に目星をつけていた評価の高い店は一体どれだけ美味しいのだろうと想像と期待を好きなだけ飛躍させてもいい。けれども、「なんかちょっと違うかも」と思った。多分、このお店のうどんがこれだけ美味しいのは、「空港からここまで歩いてきたから」ということが少なからず由来している。そして、ごく自然に、お腹が減っていたからだ。このお店に関する情報が事前にあったからではなく、むしろ、何も情報がないまま、ただ、たまたま、そこにあったからであり、お腹が減っていれば、輪をかけてそもそも全てが美味い。

だとすれば、自分が今から行こうとしている、もともと目星をつけていたお店は本当に美味しいのだろうか、とごく自然に疑わしい。自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。




 

秋葉原路地裏酔いどれ経済論2021④(10月~12月)

10月からに関しては⑭通常営業の準備⑮通常営業をまわす、という単純な2点に終始した。少し予想外だったのは夏場の感染状況から、どういうわけか劇的に改善し、それに伴い、時短や酒類提供の制限もあっというまに解除されたこと。もう少し段階を踏むだろうと想定していたけれど、個人的には、もはや日常化した非日常が急速に日常化した感覚だった。少なくともランチはずっと営業していたのにも関わらず、これなのだから全面的に休業していたお店にとっては相当振れ幅が大きかったのではないかと思う。

もう少し段階があったらまた違う展開もありえたなとは思うけれど、全面解除となれば面舵いっぱいして全てのリソースを日常(通常営業)に注ぐことになる。実際にそうした動いたのだけど、ジャッジが難しかったのは2号店の営業をどうするか、ということ。いずみとオミがいれば、俺とオミが本店、いずみが2号店としてディナーを両店通常営業することもできたけれど、そうなると今度は自分も現場に集中しなければいけなくなる。それぐらい忙しければ勿論それが一番だけども、客層が近隣事業所の会社員がメインの自店の客足が解除されたからと言って、劇的に回復するだろうかと疑問だった。

いずみが12月末で退職することは決まっていたので、またすぐに休業してしまうかもしれない2号店を無理に開けるよりも本店に集中し、また、自分はある程度自由に動けるような余地を作り、その時間を使ってかねてから考えていた、⑯2号店のプチリニューアルを11月のうちにコミットしたほうがいい。そして、もし12月に感染がぶり返すようであれば本店だけにして2号店は諦め、もしそうでないなら、2号店は少人数貸切のみ対応することに決めた(⑰2号店の少人数貸切の推奨)。結果的には幸いなことに本店も2号店も例年通りとはいかないものの、自分の想定をはるかに上回るご予約をいただくことができた。でもこれはあくまで結果であって、10月後半の全面解除時点ではむしろこうなることを想像することは難しかった。

2号店を希望する予約を多くいただけたことが嬉しい誤算だった。少人数での貸切や「個室」のリクエストは想像以上に多かった。だからこそ嬉しい誤算であると同時につらい読み違えでもあった。閑散期である1月、2月は2号店は諦めてもいいと思っていたが、ここまで埋まるのであれば、いくら閑散期と言えど、その流れを自ら断ち切るのは勿体ない。それにせっかくリニューアルしたと言うのに人手不足を理由にクローズしたままであるのは勿体ない。悩ましいところだけども、少し予定よりも早く、スタッフを募集して、体制を整え、年が明けたあとも最低限、予約の問い合わせがあったときは両店開けられるようにしたほうがいいのではないかと考えた。なので、12月中に⑱採用活動も始めた。


年の瀬に始めても応募は来ないだろうと思っていたが、それなりに反応はあった。が、結局、採用には至らなかった。やはり、新年、はじめの喫緊の課題は採用だと息巻いていたところに劇的な感染再拡大。おまけに懐かしきマンボーまでチラつかされる始末で、2022年もまた振り回される一年となりそうで辟易するが、ろくに営業できなかった2021年でさえ、さまよえる蒼い弾丸のごとくさすらったわけだから、2022年もまっすぐ、さまよいたい。

B'z的に言えばこうなるし、

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ジュラシックパークのマルコム博士的に言えば、こうなる。

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生命は道を見つける。

秋葉原路地裏酔いどれ経済論2021③(7月~9月)

それまでは時短や酒類提供禁止を要請されたとしても、やりたいこと、やらなきゃいけないことがたくさんあって、暇することはなかったのだけど、宣言の相次ぐ延長の中で、いよいよやることなくなったな…と感じたタイミングがあった。デリバリーやECに取り組むことによって商品化したメニューもそれなりにあるし、通常に戻ったとしても推せるのだから、暇なうちに新メニューを既存のメニューに加えることにした。

でもそうこうしてるうちに、既存のメニューも変えたい衝動に駆られた。でも過去に何回かリニューアルの経験もある自分はリニューアルがどれだけ大変かは身に染みている。いざ変えるとなるとたとえ小幅であってもかなりしんどい作業になる。膨大な時間がとられることになる。でも、この先、それができる時間があるだろうか。またとないチャンスなのではないだろうか、と考え、意を決しました。

というわけで、⑪グランドメニューのリニューアル。そして、マイナーチェンジではなく、原型とどめないくらいに大幅に変更することにした。A.基本的に事前予約とコースを主体としていたこと、そして、B.スペースがないこと、C.単品が充実すればするほどスタッフへの引き継ぎが難しくなる、という事情があって、単品に関してはブレーキをかけていたけれど、まずそもそもAの前提が崩れる、Bは2号店裏の改装と本店2階のスペースを得たことで改善できる、Cに関してはコロナ禍において前々からやりたいことはある程度できたので、自分が現場中心になることは問題ない。であれば、とことんやってやろうじゃないかということで、それまで50品程度だったメニューを120品くらいまでに広げました。これが本当に途方もない作業だった。

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でも大変だった甲斐あって、相応の手応えも感じています。宣言解除後、すぐに忘年会シーズンに入ったので結局コース主体だったけれど、ここからは単品・アラカルトも増えてくると思うので、うまくバランスを取りながら満足度を高めていきたい。

そして夏場に取り組んでいたもう一つの大きなことは箱根で何か事業を起こせないかと計画したこと(⑫箱根事業)。内装担当である早川から「箱根にいい物件があるんです」と声をかけられ、7月に一度見に行ったところから、プライベートも含めて立て続けに3回行った。可能性は十分あると感じたけれど、資金やヒトの問題で結局決めきれなかった。けれど、線が全く途絶えたわけではないので、今後も箱根には注目しながらチャンスを伺いたいとは思っている。

もう一つは自分たちなりのSDGsに取り組んだこと。もともとは自分自身が今年、ここぞとばかりに健康診断など病院に行く機会が多かったことと、時短のみならず酒類提供も禁止されたことに端を発している。この機に「せっかくだからお酒を抜いてみよう」ところから自分たちにとってのSDGsの考察を始めた。食や健康はSDGsの概念の中の一部に過ぎないし、自分たちにできることはミクロなことだけども、だからこそイチ飲食店ができるSDGsとは何かを探り、それを「世界一周SDGsコース」として表現した。

www.journeyjourney-blog.com

このコースもまだまださっぱり認知されていないけれど、曖昧な形ではなく一度きちんと体系化できたのは良かったと思ってるし、この取り組みを通して、栄養弁当やインジェラなど新しく定着したものがあることや、何より自分自身の健康への意識に変化があったのが成果。2022年もできるだけ毎日10㎞歩けるように頑張りたい。

 

 

 

 

秋葉原路地裏酔いどれ経済論2021②(4月~6月)

2020年の春、コロナが始まってすぐにEC構築に取り掛かった。ECは元々取り組んでみたいと思っていた分野だったので、コロナによる強制的な暇はある意味では好機だった。とは言え、商品がないと売ろうにも売れないし、商品があっとしても許可や免許の問題が絡んでくる。そこでまずは販売許可を整えた上で、J×Jのパン職人であるゆかさんのパンを商材とすることした。これに加え、いずみが考案した燻製ジャムと掛け合わせることにより、今の東京ロマンティックベーカリーが出来上がった。

tokyoromanticbakery.com

けれど、パンに関して言うと、ゆかさんが基本的にシフト内で焼いていることと、設備的な問題から生産量はどうしても限られてしまっている。スタッフが通常の飲食店勤務をしながら、自分のネットショップを持つというのは有意義な試みであることは間違いないし、今後もこの動きを他のスタッフに横展開していきたいとは思っているけれど、拡販を目指していくのであれば、それとは別の商材が必要だった。あれこれ勘案したけれど、⑦オリジナルの激辛調味料を作るのが最も妥当であると結論を出した。激辛調味料であれば在庫スペースも取らないし、保存性もある程度担保されるし、オリジナリティも出しやすい。そのようにして開発したのが『世界一周した弱激辛ジャム』だった。

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この動画は2020年11月のもので、去年よりもさらに前から取り組んでいたものだけど、まがりなりにも本格的に流通させていくのであれば自家製だと諸々問題が出てくるので、この激辛調味料に関してはOEM(外部委託)して、工場で作ってもらうこととした。その依頼を受けてくれるメーカーを探し、ECサイトを作り始めたのがちょうどこの頃だった。結局、全ての行程を経て、正式にオープンしたのは2021年の9月頃だった。

journeyxjourney-spicyround.myshopify.com

オンラインだけでなく、オフラインでも売れるのは強みで、今のところ、実店舗での販売の方が多い。それはそれで嬉しいことだけども、やはりネットでの販売を構築することが本懐なのでここは今年の課題。

去年はこの弱激辛ジャムとはまた別にもう一つECサイトを立ち上げた。⑧『Spiceholic&Hungry apartment』というサイトで、

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スパイスを商材に、「ECの間借り」をイメージして制作した。コンセプトとしては面白いと思うのだけど、結局、運用が大変で、手つかずのままになってしまっているので、ここもどうしていくか今年考えなければならない。ちなみにこの一連の取り組みは小規模事業者持続化補助金コロナ特別型という制度を活用させていただいた。


4月~6月は⑨採用・教育にも取り組んでいた。合計3人のスタッフがジョインしてくれたけれども結局、一か月ほどしか続かず、コロナ禍における採用と教育の難しさを痛感した。けれど落ち着くかと思えたコロナはそれ以降も暴れまわり、もはや懐かしきマンボーと宣言が継続的に続いたことを考えれば、正直、何とも言えない部分もある。また、こうした状況だったからこそ、その後、⑩オミのジョインという奇蹟的とも言える採用につながっていったわけだから、何がどこで繋がるか、どう紡がれるかはやはりわからない。

 

 

秋葉原路地裏酔いどれ経済論2021①(1月~3月)

一年の多くが緊急事態宣言下にあり、営業時間も酒類の提供も制限され、多くの飲食店にとって、本当にどうにもどうしようもない一年だった、2021年。J×Jも全面的に要請に従い、ディナーはほぼほぼ休業、にも関わらず、僕にとって、J×Jにとって、2021年はかなり忙しい一年だった。休もう休もうと思いながら、結局、ひたすら働き続けたし、ブログの更新も、SNSの投稿もオープン以来、最も少ない一年だった。

さすがに気が早いけれど、きっと2022年もろくに振り返ることなく、あっという間に過ぎていくのだろうから、2021年がどんな一年だったかを記録として残しておこうと思う。


まず、2021年は新年早々、緊急事態宣言が発出されるところから始まった。のっけからこれか…、という暗澹たる気持ちがありがならも、営業自粛と縮小を余儀なくされる飲食店への補償がこのタイミングを機に手厚くなり、また店舗数に応じて対応いただけることとなり、とても安堵した。同時に、感染拡大防止と損益収支の観点からすれば休業するのが一番なのだろうと思う一方で、これに甘んじて、動きを止めてしまっては自分もお店もだらけてしまうような気がして、営業は継続することを決め、その上で自分たちに何ができるか、何をこの先に繋げられるかを模索することにした。

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まず初めに取り組んだのが①デリバリーの拡充。この時点ではまだゴーストレストランの一店舗しか展開していなかったけれど、自店のアカウントで3店舗、追加で出店した。それぞれ「激辛・旨辛」、「羊・ラム肉」、「オリジナルカオマンガイ」をコンセプトとし、ニッチなニーズをピンポイントですくえるように図った。激辛・旨辛に関してはそれなりに動いたけれど、他の2店に関してはさっぱりだった。けれど、カオマンガイに関してはその後、テレビ取材につながったので、何がどこでどうなるかわからない。また、ウーバーなど既存のプラットフォームは使わずに自店でデリバリーを構築できるよう、台東区の新ビジネスチャレンジ支援という助成金を活用させていただいた。


これに付随して、飲食店営業ができないのであれば、ウーバードライバーの待機所を作るのはどうか、という事業案も出た。「②ウーバーヲマーツ」という名前でビラを作ったり、実際にドライバーさんに案内したりもしたが結局、実現化には至らず。けれど、デリバリーの拡充やマーツ事業の構想があったからこそ、③2号店のバックヤード改装に着手することができた。包材などの在庫やデリバリー用の自転車やバッグを保管するためのスペースを作った。

 

こうした動きは飲食のマイナス分を補填するための展開であったが、メインである店内営業をどうするかに関しては、営業時間を拡大して新規顧客にアプローチするしかないと考えた。もともとは団体や貸切の利用を獲得することで、費用対と満足度をできるだけ最適化することが第一義だったけれど、その道が絶たれたのであれば、逆に営業時間を拡大して来店動機と利用シーンを広げるしかない、と(この頃は「昼飲み」が問題にもなっていたし、話題にもなっていた)。営業時間をどれだけ絞っても、どれだけ広げても家賃は変わらないし、20時までしか営業できないのであれば土日も開放しようとしたが、そうなると今度はバックオフィス業務など自分の仕事が進まない。それにスタッフが休憩できる場所もない。であれば…、と考えたのが、④本店の2階の新規契約とオフィス化だった。この内装工事を助成金と絡められないかと思索したけれど、感染防止のためでもなければ、「事業」でもないので断念。イニシャルもランニングもかかるし、リスクを負い続けることにもなるけれど、長い目で見れば投資すべき事案だと判断し、契約。今では2021年に取り組んだ物事の中で最も良かったことの一つだと感じている(しかし、営業時間に関しては結局、従来のままとなっており、今後どうするかも今のところ考えられていない)。

メニューに関して言えば、この頃から「激辛」に精力的に取り組んでいた(⑤激辛メニューの開発)。本来、既存の激辛にはないオリジナルの激辛メニューを打ち出すべく、「世界の料理×激辛」というコンセプトで「世界一周弱激辛コース」を推していきたいと考えていたが、営業時間が限られている中、コースの推奨もやはり厳しいので、単品メニューとして畏れ多くもラーメンもメニュー化することにした。まだまだ認知されていないけれど、透明な激辛「白虎」は今後も粘り強く推していきたいメニューの一つ。

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できれば「激辛」というピンポイントなワードを強くしたかったし、昨今の激辛ブームにのって、ここをフックにあわよくばメディアに露出して、時短の中でも売上を作れるようにしたかったが、その思惑とは別にスポットライトが当たったのは「ガーリック」だった。たまたまネットニュースのインタビューに応じたことをきっかけに、複数のニュース番組に取り上げていただき、その後、激辛はいったん退いて、⑥「ガーリック」と「ガリガリカオマンガイを積極的に打ち出すことにした。

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放送が立て続いたのは3月下旬だったけれど、その後しばらくして9月に今度はバラエティーで取り上げていただいた。

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結果的に2021年は最もテレビに出させていただいた一年となったが、ほとんど全て宣言下での取材だったので客数としての反響はそこまでではない。けれど、通常では到底出せないアクセスがあったので、SEO的にこれは大きな収穫だった(多分)。


 

 

いずみの冒険

2020年1月、お店をオープンして以来初めて、休暇でヨーロッパを旅行した。ドイツ、チェコハンガリーオーストリアを5泊6日で旅をして、とても充実したいい時間だったのだけど、帰国後、超重量級の想定外に立て続けに見舞われ、瞬く間にかなりシビアな状況に追い込まれた(少し前の2019年の12月もトラブル続きだったので、そのヨーロッパ旅行はまさに隙間を奇蹟的に縫った一週間だった、と言える)。

思いがけぬ窮地に立たされ、どうしたものかと思い悩み、とりあえず酒でも飲もう行きつけの居酒屋で不貞腐れていると、その場にたまたま居合わせたお店の常連さんが「飲食店への転職を考えている」ということを聞き、ダメ元で誘ってみることにした。二人ともかなり酔っぱらっていたので、何はともあれ、改めてちゃんと一回面接しよう、という話にその時は落ち着いたが、後日、改めて改めた面接もほとんどただ飲んでるだけのラフな感じとなった。が、このコがウチで働いてくれてたら、お店がパーッと明るく拓けるな…、と強く感じた。

一方、この頃ちょうど(2020年2月中旬)、日本でもコロナが少しずつ騒がれ始めていた。この時点で影響はまだ限定的だったが、J×Jはまさに直撃で、2月の貸切予約がほぼ全てキャンセルとなり、顔面蒼白したのを今でも鮮明に覚えている。けれど、僕にとってより深刻だったのはキャンセルよりも、もしあのコがウチで働きたいと言ってくれた場合、この状況できちんと彼女に給料が払えるかどうか、という不安だった。

いや、でも待て。そもそも、彼女がウチを見送ることだって十分ある。というかむしろ、そっちのほうが可能性高いでしょ?、他にも色々誘われてるみたいだし、選んでくれるかも、なんておこがましいわ…?、だよねだよね…、ですよねですよね…。

でもさ、もし彼女が働いてくれるってなったら、おまえ、どうすんの?


コロナって、空前絶後の前代未聞の未知との遭遇なわけだけど、腹括る覚悟あんの?もしかしたら、J×Jがコツコツ積み上げてきた全部、吹っ飛ばすぐらいの嵐になるかもしれないけど、ほんとに雇っちゃって大丈夫なの?いやでも、そのわけのわからないものにビビッてこの千載一遇のチャンスを自ら棒に振るのか?どうなのよ、どうするよ。



どうする?

 

という、ぐるぐるの中で、


「お疲れ様です!あれから色々考えた結果、略、ジャーニー×ジャーニーで働きたいと思い、略、努めます!」というLINEが届いた。この瞬間、ぐるぐるはビシっとした一本道となった。


どうするも、ああするこうするもないわな。GOする一択。

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という経緯を経て、2020年4月、いずみは入社しました。そして、一週間もしないうちに緊急事態宣言というSTOPがかかったわけですが、半ばヤケクソと泣きべそで、それを無視して突っ切ることにしたのです。

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入社したばかりだし、いきなり休みじゃあれだから、やれる範囲で営業してみようぜ、という意味合いでの見切り発車だったわけども、結果として、その見切り発車から約2年、結局そのまま動きを止めることなく、突っ切り切りました。

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国や東京都からの要請には沿ったけども、結局一度も休業することはなく働き続けてくれました。時短要請の営業補償とは別に雇用調整助成金や休業支援金というシステムものちにできわたわけだから、ランチも含めて全面的に休業するという選択肢もあったわけだけど、そうしなかった理由の主たる部分はいずみが占めたように思えます。チープな言葉になるけれど、いずみと働いていると、もっと働きたいという気持ちになる、もっと頑張りたいという気持ちになる(いずみからすればノーサンキューだったかもしれないが)。何がそうさせるか、と言うと、よりチープな表現になるけれど、ひとえに彼女が頑張り屋さんだから、ということに帰結するんじゃないかと。誰かの器用さや要領の良さに憧れを抱くことはあれど、人が人の胸を打つのは結局のところ、そうしたひたむきさ以外にそう他にない、と僕は思います。多分、時代も、社会も関係なく。

 

とは言え、別の側面からすれば、ある意味自分のわがままに付き合わせてしまったわけだから、それについては申し訳なく思う部分も少なからずあります。感染拡大防止という大義のもとに休業して、部屋でゴロゴロしながらNetflixを貪っていたらどれだけ楽で、どれだけ楽しかっただろうかと思います(今まさに僕はNetflixに夢中なので、まんざら皮肉でもない)。けれど、大変だろうと、リスクがあろうと、赤字が拡大しようと継続を継続したからこそ、見えてくる風景もある。僕にとってそれは「ちょっと、いいお店になったかも」という感触を得たことだった。


勿論、この手の話に終着はなく、どこまで行っても何かが足りなくて、埋めても埋めても埋まらないものだけど、この前、いずみが接客しているのを見て、「ちょっと、いいお店になったかも」と感じました。いずみの接客が良かったからとかそういう表面的な話ではないのだけど、その景色にいずみがいたからこそ感じることのできた実感的な感触だったと思います。日々頑張っていても、こういう感触はあまり得られるものではあない。

だからこそ、改めて御礼とお疲れ様を言いたい。コロナ禍というこの死線を一緒に働けて本当に良かった。しばらくはゆっくりしたいかもしれないけれど、頑張り屋さんだから新しいところでも頑張っちゃうことでしょう。だから、あまり頑張りすぎないようにしてほしいし、無理しないでね、と、多くの人と時代と社会は言うかもしれないが、それは多くの人と時代と社会が言ってくれるので、俺は別のことを言いたい。

 

健康には気をつけつつも(飲みすぎですよ)、そのひたむきさを以って、また誰かの胸を打つような仕事をしてほしい。この路地裏で、俺やオミや、まるやゆかさんや、ダイシ君の胸を打ったように。

 

 

 

 

社員、フリーター、アルバイト、短期、スポット、業務委託、単日間借り、まとまった期間のスペース貸し、全て幅広く募集します。

2021年もまもなく終わります。昨年の今頃は12月だというのにも関わらず、全然12月っぽくない暇な日々を過ごし、じわじわと増える感染者数にびくびくしながら、細々と営業していましたが、今年は一転、日常に戻ったとまではいかないものの、かなり忙しい毎日で、もうくたくたです。そのくたくた感がとても嬉しいです。

宣言の全面解除のあとすぐに12月を迎えられたのは自店にとってはありがたく、ウチは当面シビアだろうなと思っていたけれど、ちゃんと予約で埋まったので、それなりの手応えを感じることができたし、来年もこの調子で自分たちらしく頑張っていきたいと思います。

けれども、ここで大問題。頑張ろうにも人がいない。スタッフのいずみが抜けることは前々から決まっていたので、それは織り込み済み。1月、2月は閑散期なので採用はせず、2号店はクローズしたまま、じっとしておこうと考えていたけれど、想定していた以上に12月の勢いがすごく、できることならこの流れを断ち切ることなく、繋げていきたい。2号店も開けたい。けれど、人がいない。2店舗あるのに社員は1人、パートさん2人じゃ営業しようがない…。というわけで、少し計画を前倒しにして、J×Jはこのタイミングで積極採用に踏み切ることにしました。

社員、フリーター、アルバイト、スポット、短期、業務委託、単日間借り、まとまった期間のスペース貸し、全て幅広く募集します。もし興味を持っていただける方がおりましたら、080‐4096‐5577(担当山本)までお電話いただくか、また下記HPよりお問い合わせいただけますと幸いです。何卒、何卒、よろしくお願いします!

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