1月の3連休を使って、故郷である山口に墓参りに行く予定を立てていた。そして、そのまま休暇を兼ねて、山口から福岡、福岡から沖縄と旅行し、沖縄から東京に戻る計画だったが、まさにピンポイントで沖縄と山口が感染急拡大に見舞われ、むざむざ渦中に飛び込むのもいかがかと旅行そのものを諦めることとした。
と言っても、せっかく休みだしなということで、適当なところにふらっと行ってみようかと考え直した。一人旅で、誰とも会わないのであれば、それこそどこでもよかったのだけれど、あれこれ考えているうちに「日帰りでも楽しめそうなところ」という条件を加えることにした。せっかく旅行に行くのだから泊まりでゆっくりしたい、と思うのが当然だし、僕も常々そう考えている。交通費だって勿体ない。けれど、立ち止まって思うに、「日帰り」と「一泊」では検討しなければならない項目の数が劇的に変わることになる。勿論、一泊する場合、「どこに泊まるか」が旅行全体の重要事項となり、それを中心に時間配分やルートを構築していくことになる。このように、ある意味では一泊することによって「制限」が増えるわけだけど、片や、「一人旅で日帰り」であれば、前もって決めなければならいことは正直、ほとんどない。他の誰かの嗜好に合わせることもなく、調整も妥協も仕事の心配もパッキングの必要もなく、ただ手ぶらで空港に行けばいい。
行先は香川に決めた。香川のうどんを食べてみたいというのと、その日、日帰りの往復チケットが取れるのが香川だった。
朝5時半に起きて、羽田に向かい、7時半の飛行機に乗った。午前8時40分、香川の高松空港に到着。
旅行者はここで、高松市内に向かうか、琴平か、丸亀かを問われることになるのだけど、僕としては急ぐ理由はないし、どこに向かったっていいわけだから、飛行機の到着時間に合わせて用意されているルートやレールに乗っかる必要もなく、どのバスに乗るべきかの見当をつけることができなかった。考えてみれば、世界一周時含め、全てのフライトにおいて、空港からの移動はあらかじめ用意されている何かしらの交通手段をほぼ無意識に使用し続けてきたわけで、そこから逸脱したことはかつて一度もないことに気づかされる。せっかくだから歩いてみるか、ということで、僕は初めて徒歩で空港の外に出てみることにした。
自分はもう39歳で(このブログを書いている今は40歳になった)、テンションの抑揚はよかれあしかれ大分鈍くなってしまったような気がするけども、それでも初めてのことを試みるのは爽快だった。道程、心躍るような何かがあるわけではない。けれど、単純に、普段であれば家で寝ている時間に自分は香川にいて、空港と市街を車両が往来するだけのために作られた道を歩いているのはとても心地よかった。
しばらく歩くと、うどん屋さんが見えてきた。店舗面積も駐車場もとにかく広い、団体の旅行客及びファミリー利用向けのお店で、通常であればまず入らないようなお店だが、僕はとにかくうどんを食べにきたわけだし、とにかくお腹が空いていたのでまずこのお店に入ることにした。午前9時45分、店内には誰もいない。
お店の推しは鍋焼きうどんのようだったが、香川に詳しい友人から、複数店舗まわりたいなら「かけ」の「小」を注文すること、というアドバイスをもらっていたので、その助言に極力沿った。「天婦羅は我慢すること」とも言われていたが、それについては堪えきれずに海老天を別途注文したが、正解だった。開店前に入れていただいたおかげで、揚げたての海老天にありつくことができた。
ただ、揚げたての海老天よりも何より単純にうどんが美味い。店構えからして、はなまるや丸亀とさして変わらないだろうと推し量っていたが、その邪推はあっさり覆された。普通に超うまい。さすが本場、と結論づけてもいいかもしれないが、このお店のこのうどんがこれだけ美味しいのであれば、事前に目星をつけていた評価の高い店は一体どれだけ美味しいのだろうと想像と期待を好きなだけ飛躍させてもいい。けれども、「なんかちょっと違うかも」と思った。多分、このお店のうどんがこれだけ美味しいのは、「空港からここまで歩いてきたから」ということが少なからず由来している。そして、ごく自然に、お腹が減っていたからだ。このお店に関する情報が事前にあったからではなく、むしろ、何も情報がないまま、ただ、たまたま、そこにあったからであり、お腹が減っていれば、輪をかけてそもそも全てが美味い。
だとすれば、自分が今から行こうとしている、もともと目星をつけていたお店は本当に美味しいのだろうか、とごく自然に疑わしい。自分の知らない誰かが「美味しい」と言った、そのうどんは本当に美味しいのだろうか。