僕は普段の日常生活で音楽を聴くことはあまりない。静かな方がいい、というわけでもないし、むしろ音楽を聴くことは好きなのだけど、特に理由もなくあまり聴かない。本を読むのが嫌いなわけではないし、読みたいと思ってるんだけど、何となく手がのびない、その感覚と似ていると思う。
けれど、店内でかけるBGMをどうするか、については前々から見当をつけていた。自分のお店で流す音楽をバランスよく見繕ってくれるのは自分のまわりでは友人O(オー)以外にはいない。
*飲食店で音楽を流す場合、著作権を管理する協会との兼ね合いが発生する。無数にある飲食店との間でこの問題は当面しばらく続いていくのだろうけど、現状、このブログではその問題が抱える不透明性の中でこれを静観する。
契約がまとまってから間もなく、僕は北千住に向かい、友人Oと打ち合わせを兼ねて、酒を飲んだ。
結果、打ち合わせは牛タンを食べ終える頃には済んでいて(開始10分で終了、丸投げというよりは丸受けされた)、あとは三軒ハシゴして終電までひたすら飲んだ。友人Oとの酒は楽しいし、真面目は話も、くだらない話も同配分で、一定のペースで進むから、酒が活きる。しばらくはこうしてゆっくりサシで飲むのもできないと思うと、余計に進んだ。
オープンの直前に出来上がったプレイリストは加藤が御茶ノ水で受け取った。僕は業務に追われどうしても外出できず、友人Oも仕事で店に来ることができなかった。だから、場所と番号だけ伝えて加藤に託した。加藤はここで初めて友人Oと出会うことになる。
「加藤君、宮城から出てきたんだって?」
「はい!!」
「懸けたねえ」
そんな初々しい会話があったらしい。
今どうかと言うと、加藤はしばしば来店する友人Oの猛毒(毒舌)を一身に受けながら、いつか一太刀あびせてやろうと隙を伺っている。「Oさん、今度サシで飲みましょうよ!!」と加藤は再三に渡り、一席申し立てているが、友人Oは再三に渡り、これを拒絶している。
まあ、これはこれで、それはそれで、悪くない関係だと思う。
友人Oが見繕ってくれたプレイリストはスタイリッシュで、セクシーだ。野暮ったいところも、逆にスカしているところもない。
加藤も音楽は好きで、特定のジャンル(レゲエとか)においてはそれなりに詳しいけれど、友人Oがセレクトしたような曲には今まで馴染みがない。
「俺の中でOさんの曲はこれぞ“Tokyo Music”って感じなんですよね」と加藤は言う。「マジでオシャレっす」、と。
「おまえが宮城にいる友達に“星野源が超いいよ”って言ったら、何て言われるかね?」
「どうですかねえ…、魂売ったか、って言われちゃいますかね」
「でも、宮城にいた頃に聴いてた曲流してたら、ホームシックになるだろ?」
「ヤマモトさん、俺、休みの日とか公園散歩しながら、音楽聴くんですね。自分の好きな曲聴いてても別に何も感じないんですけど、逆にOさんのプレイリスト聴くと“あいつら元気かなあ”って思うんですよね、不思議なことに」
面白い逆説だな、と思った。
東京は激しい新陳代謝を繰り返しながら、次から次へと先端を更新し、流行を塗り替える。その加速度的なアップデートに伴い、人が動き、物が動き、お金が動く。そして、寄せては返すニューウェーブがより強い郷愁を運ぶ。東京とは言わば、打ち上げられた巨大なノスタルジーであるようにも思える。
今年も残すところ、あと10日。
正月は実家で味噌汁が飲みたい。
最後に、友人Oと北千住で飲んだ夜、2軒目の居酒屋のトイレに貼ってあったポスターより。