2015年12月31日。無事に大晦日を迎えることができて、とりあえず安心している。
4月のオープンに合わせてブログを書きはじめ、途中何度かリアルタイムの投稿を織り交ぜながら、基本的にはオープンに至るまでの過程を記し続けてきた。2014年10月まで遡り、24話書き進め、現在は2015年の3月上旬、レセプションパーティーまであと2週間というところに位置している。
25話目にあたる今回はその準備期間において遊びにきてくれた友人や先輩を回想しながら、その記憶を素材に今年一年の振り返りとしたいと思う。一年を総括するにあたり、主たるは勿論、オープン後から今に至るまでにご来店いただいた全てのゲストへの感謝に尽きるが、それについては機を改め、来年一年をかけてゆっくりと表していきたい。
2015年3月。膨大なタスクを前に、自分のありったけのエネルギーとスピード感を引き出して、開店準備に臨んだ。けれど、内装工事の着手はオープンの10日前。工事が始まる前の段階においてはやれることは限られていてたので(オペレーションに関することは何もできない)、ほとんどの時間を打ち合わせやプランニング、事務作業に費やしていた。例えば、物を買うにしても工事が終わらないかぎり、邪魔になるだけで買えない。メニューを考えても工事が終わらないかぎり、厨房は使えないので試作することはできない。つまり、「開店準備」と言っても、そういった具合でやれることは限られていた。
つまり、この期間、意外と飲んでいた。
仕事を終えた友人が帰りにふらっと立ち寄ってくれることがしばしばあって、「メシ食った?」という流れから「じゃあ軽く一杯」となり、ほんとに軽く済むこともあれば、翌朝までぶっとおすこともあった。いずれにせよ、結局、この背徳の「軽く一杯」がたまらなく美味しいのだ。
まず、久しぶりにK(弟)と飲んだ。
家族4人で近くのお店で飲んだのち、両親は帰宅。弟は残り、そのままコンビニで買った缶ビールで乾杯しなおした。
「Kってさ、濃厚こってりのラーメンとか食べたりするの?」と聞くと「いや、食べないね」と返答。「だよね。久しぶりにどうですか、濃厚こってり」。
「いいね」
僕ですら、その危険度に普段は敬遠する一杯をKは平らげた。
ソムリエの資格を持つ友人がインドワインをお土産に持ってきてくれた。今、このワインはお店の通常メニューに取り入れている。
バックパッカーの友人たちも店内の展示物を作るのを手伝ってくれた。この後食べた鶏肉と白菜を茹でただけの水炊きが懐かしい。
大先輩も様子を見に来てくれた。颯爽と現れ、颯爽と去っていった。
そして、大学時代の友人がタンゴを踊りにきた。30歳を過ぎて、紹興酒を4人で4本空けたのち、朝7時までくるくると踊り続けられるのだから大したものだと思う。
踊り、
踊り、
踊った。
「来年はさらに疾走していきたい。溢れかえる取るに足らない沙汰を景気よく振り切って、自分がワクワクできることに忠実にワクワクしながら、疾走、そして、疾走」
と、去年の大晦日に記している。
突っ走った一年でありながら、同時によく踊った一年でもある。思惑どおりにステップを踏めた部分もあるし、予期せぬ事態に翻弄され踊らされた部分もある。今、身体は少々軋むけれど、特にオーバーワークだとは感じていない。程よい筋肉痛、そんな按配だ。
昨夜、加藤に「山本さん、今年一年を漢字一文字で現すとしたら?」と聞かれ、
「解」と答えた。
イメージとしては「解き放つ、解放する」の「解」。ずっと過酷だったわけでもないし、長く辛酸を舐め続けてきたわけでもない。けれど局所的に言えば、そういう時期もあったし、それなりに我慢もしたし、それなりに耐えてもきた。今は思春期の頃から約15年の間、内にとどめてきたものを少しずつ解放している感覚だ。
「俺も“解”かもしれないですね。でも俺の場合、“分解”とか“解体”とかそっちのほうですけど」
言い得て妙で、今、彼は過去の自分をスクラップしている。彼の歳でその作業を行うのは難儀だし、勇気と覚悟のいることだ。でも必要なことのように思える。勿論、今までを否定するためでもなく、更地にするためでもない。あくまで持ち味をより研ぐために、あくまで「&ビルド」のために。
でも、それぞれの「解」はまだ足りていないように思える。まだまだ全然「解放」できてないし、まだまだ全然「解体」できてもいない。
2015年はもう暮れるけど、お店の一年まではまだ3ヶ月がある。
大切なのはステップを踏み続けること。どれだけ不格好でも、どれだけしんどくても、そして仮に誰も見ていなかったとしても、その不器用なステップを止めてはいけない。「踊れる」ことにさほどの意味はなく、「踊る」ことに意義がある。この先の「解」はそのステップの先にある。
というわけで、皆様、よいお年を。来年もよろしくお願い致します。
Dance,
&Dance.