Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

難問を愛そう。

HondaのCMのキャッチコピー、「難問を愛そう」。CM自体はHondaのカーボンニュートラルへの挑戦を表現したコピーなのだけど、最初にCMを観た時からこの言葉がやたらと脳裏に残り、仕事であれ、個人的なことであれ、難問にぶつかる度に心の中で反芻するようになった。そして、それを唱え続けた一年となった。難問の多い一年だった。

トラブルや壁は付き物だし、もぐらたたきのようにきりがなく、なんなら、業のようにこびりついてるものだと思っている。お店をオープンして8年も経てば、かつての想定外は今の想定内におさまり、想定外は想定内で、想定内が想定外、そんな認識さえ芽生えてくる。だから自然とたくましくなるというか、無感覚になるというか、単純に慣れてくる。店舗運営や経営に限らず、どんな仕事だってそうだと思うし、プライベートや人間関係にだって同じことが言える。積み重ねていくことで、ある意味、たくましくもなるし、積み上げていくことで、ある意味、無感覚にもなる。そして、良くも悪くも慣れてくる。

ひとくちに「難問」と言っても、いろんなタイプがある。カーボンニュートラルの達成のように規格化されたものもあれば、エネルギーや原材料価格の高騰やコロナなど外的要因による問題もあるし、起業しようだとか、新しいお店を出店しようだとか、そうした個人的な目標がそのまま個人的な「難問」として設定されることもある。言うまでもなく、新年のようなタイミングにおいてはとりわけそのパターンは多くなる。

社会問題であれ、新年の抱負であれ、難問として設定している時点で、それはすでに知覚できているもので、すでに気付けているものでもある。であるならば、解決に見合った熱量と努力と工夫を注ぎこめばいいと思うし(それしかない)、自分が進みたいと思っている先にあるすでに見えている難問に対してはけっこう頑張れる。けれど、本当の難問というのは「それがやがて難問になるということに気付けていないこと」だと最近感じる。そういう状況や状態をもたらしている原因はやはり「慣れ」なんだろうし、大体それは足元にある。

難問とは言え、「問」であるかぎり、「解」はあるはずで、もうすでにその解かなければならない難問が目の前にあるならば「愛そう」というか、愛するしかない。キツくて苦しくなったら切り上げることも必要かもしれないが、そうでないならコツコツと紐をほどいていくしかない。けれど、もっと重要なのは問題を難問化させないこと。難問化する前の問題を直視し、向き合い、複雑に絡み合う前に紐をほどかなければならない。きっちり砂漠化してから砂漠化をきっちり解決するのはやはり難しい(それでも解決しないといけないのだろうけど)。

ある意味たくましくなる度に、ある意味無感覚になっていく度に、かつて問題だった問題は解決される。けれど、そこにはきっと新しい問題が芽吹いている。それを見逃さないためには足元をよく見るしかないのだと思う。

 

足元をしっかり固めないことには飛躍はできない、

ならば飛躍することよりも重要なのはむしろ足元で、

となれば、まずはその足元に転がる「難問化する前の問題」を愛そう。


というわけで、何はともあれ、運動不足を解消しよう。

 

 

世界一周からちょうど10年。

今から11年前、2011年11月22日、自分の世界一周が始まりました。

最初に着いたニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港で早速ぼったくりに遭った。典型的なカモとして、古典的な手法で、芸術的に巻き上げられたわけだけども、180ドル請求されたところ、僕が半ば泣きべそで懇願したら、その詐欺師はどういうわけか80ドルにまけてくれた。当時のレートで6400円、もし今のレートで、かつディスカウント前の正規価格であれば25,000円だ。ホイッスルと同時に25,000円もいかれたら、立ち直るのに相当、時間がかかっただろうなと今、改めて思う。でも幸い、2011年の11月22日は6,400円で済んだ。

到着直後にしてそんな痛々しい洗練を受け、ほんとにこのあと1年間の世界一周なんてできるのかと甚だ不安だったけれども、その後はこれといった失望も損失もなく(8か月後、トルコのイスタンブールの少しだけセクシーなお店で、少しだけセクシーなことをしたら3万円請求されたことがあったが)、自分史上おそらくもう2度とないであろう、最高の一年と最高の365連休を過ごさせていただいた。

そんな365連休を経たのち、2012年11月、ちょうど今ぐらいの時期に帰国した。つまり、世界一周帰国からちょうど10年経ったことになる。

同じ時期に旅していた旅人と会うことも最近ではめっきりなくなった。家庭や子育て含め年齢のこともあるし、自分の働き方の問題もあるし、コロナは極めつけだったとも思う。だから必然的に日常で旅や世界一周のことを話す機会というのは皆無に等しく(旅食ダイニングにもかかわらず)、思い返すこともほぼなく、当然、「世界一周から10年」などというタイトルで改まってブログで振り返る人もいない。そもそも「ブログ」を書いてる人がそもそも、いない。

「だからこそ」的な天邪鬼な発言をしたいわけではないけれど、単純に改めて改めることも意義があるようにも思える。世界一周から10年。今、振り返ってみるにあたり、それはどんな意味を持つのか。

まず2012年という年は日本人旅行者にとって本当に恵まれた一年だった。先述したとおり、為替は1ドル=80円前後で推移し、今、同じことをすれば予算は2倍ちかくかかっていたことになる。さらに、国内的にも国際的にも「特に何もなかった一年」と言える。国内で言えば、前年の東日本大震災から、自民党への政権交代までの1年であり、国際的には前年のアラブの春が始まってから翌年のIS(イスラム国)台頭までの1年でもある。自分が長期の海外旅行に出るたびに、9.11が起こったり、スマトラ島沖地震が起こったりしていたので、そう考えると本当に穏やかな一年だったように思える。リーマンショックギリシャ危機のような経済的なアクシデントもなく、SARSやMARSのようなウィルスが蔓延することもなく、シリアやイエメンを除けば戦争や紛争のニュースは皆無に等しかった。多くの旅人は緊迫した情勢に左右されることなく、自分の旅だけに100%集中することができた稀有な1年だったんじゃないかと思う。


まわりの40歳に比べて自分は未だに幼稚で、そして青臭いと思うけれども、10年前となればさらにその傾向は強い。過ぎてみればそれは特別に珍しい経験ではことがわかるが(なにせ一周中にはたくさんの一周旅行者に出会うから)、当時の自分にとって世界一周は並々らならぬ思いで臨んだ人生をかけた大一番だった(言ってしまえばただの長期旅行なのだが…)。

旅行中、ずっとブログを書いていたのだけど、写真は載せず、旅行のテーマである料理のことにも触れず、ただの文章をただ書き続けた。当時ですら「映え」の前身の概念にあたるものはあったし、今でいうところのフォロワー数や再生数にあたる指標も勿論あったけど、その華やかなメインストリートの路地裏で甲斐のない文章をひたすら黙々と書き連ねた。

その世界一周ブログの最後の投稿記事をサマリーすると、

・母が作った魚の煮つけを食べるのが楽しみだ。
・ごはんをみんなで食べるというのは幸せなことだ。
・日なたは暖かく、時に暑い。
・日かげは涼しく、時に寒い。

という4点に集約されている。

ameblo.jp


人生を賭した一年間の世界一周は上記4点に集約され、その集約された4点をさらに集約すると「当たり前なことに、当たり前に感謝しなきゃね」的な月並みな表現となり、さらに言えば「さらに言えば、当たり前なことって、そもそも当たり前じゃないよね」という、より無難で、より当たり障りのないレビューに着地してしまう。

しかしながら、どうにもこうにもそれに尽きる。一周して、その2年後に独立し、お店を始めて7年半経とうとしているけども、世界一周での結論がこの7年半においても連動し、連綿と続いている。根本的な部分に抜本的な新しい発見はなく、尊い確認を日々尊ぶ日々だ。

自分は世界一周の経験がダイレクトに自分の生計に結びついてるので、明確なアイデンティティとして、明確な血肉になっているけども、ただ2042年の20年後も「2012年に世界一周をして、その時に食べたあれこれをこれこれして…」という店舗コンセプトをこすり続けられるとは思えないし、こすり続けようとも思わない。

10年前、世界に新しい発見を求めたように、帰国から10年を機に、どこかに何か、新しい発見を求める冒険に出てもいいようにも思える。この文章にも顕れているように、やはり自分は幼稚で青臭い人間だけれども、腹黒くなるのも、無色になるのもできれば避けたいところなので、ならば10年前、荒野を目指したように、青臭いままでもいいかなと思う。



 

冷奴はビールにあうのだろうか?

長らく眠っていた2号店をようやく起こすことができました。正確に言えば貸切の時は開けていましたが、通常営業を再開したのは2年ぶりくらいです。長かった…。とは言え、目下深刻な人手不足に見舞われており、開けられるのは木曜日と金曜日の週2日のみです。さらに言えば、その週2日営業もどこまで続けられるかわかりませんし、そもそもこれから忘年会の季節、実際どれだけ普通に営業できるのか不透明なところです。

でも、なんとかこじ開けることができてよかったと思ってます。そして、ただオープンするだけでなく、同時にフルリニューアルを図れたのがよかった。今までは本店の内容をコンパクトにした感じだったけれども、その機能は残しつつ(2号店は本店と同じメニューですか?、と聞かれることもやはり多い)、「居酒屋」として側面も付与したことが今回のリニューアルの最も大きなポイントだと思ってます。

もう一つのポイントは自分が2号店に立つこと。独立して2年半後に2号店を出すことができたのはよかったけれど、自分自身は本店にかかりきで、コロナも相まって、2号店に手が回らなったのが実際のところ。一方、コロナがあったからこそ、2号店に着手する時間が生まれ、改めてしっかり整えることができました。それにこの2年半の間に自分が取り組みたいと思っていた飲食外のこと(EC、オリジナル調味料の開発、小説執筆、レシピ本の制作)は大体できたし、宴会・団体・貸切需要に特化し続けたことによる弊害(と改めての恩恵)も十分味わったので、一周回って普通の居酒屋を普通にやりたいという現場欲が沸々と高まっておりました。だから、今、自分が2号店に立ち、イチから再構築するということは挑戦的だし、楽しみなことであります。

普通の居酒屋を普通にやりたいと言っても、ほんとに普通じゃ面白くないし、お客さんも来てくれないと思うので、日々、「こういうことやりたいなあ、でも本店じゃできないなあ」と感じていたことや、「自分がお客さんだったらこうするなあ」と思っていたことを週2営業という限定的かつ現実的な範囲で可能なかぎり凝縮したつもりです。

個人的に冷奴はビールにあうとは思っていません。枝豆も同様です。ビールを飲む1杯目、2杯目のタイミングで「とりあえず」的な感じで、そこに枝豆があるからそうなってるだけで、「ビールにあう」とは思えないのです(栄養学の観点は除く)。正確に言えば枝豆に振られている塩であるとか、冷奴にかかっている醤油や薬味がビールとの相性として機能しているだけでないか、訝しく思ったりもします。だって醤油と薬味のないただの冷えたお豆腐はビールとあわなくないですか?と、そんなような疑念を僕は抱いているのです。

このブログを書くにあたり、そう思っているのは僕だけじゃないはずだ、と検索してみたら、Yahoo!の知恵袋でまさに同じような疑問を投じている人を見かけ、おお!、と思って覗いてみたら、びっくりするぐらい袋叩きにされてました、苦。「おまえの主観だろ」だとか「美味しい枝豆を食べたことがない残念な人」だとか、それはもうひどい言われようで、まさに惨劇でした。

幸い、このブログはほぼ誰も読んでいないので荒れることは100%ないし、「店」はそもそも店主の「主観」を「提案」して、「吟味」してもらう場所だと思うので、自由にいかせてもらいますが、今回、2号店では「個人的な主観に基づくちょっとした個人的疑念」をすごく細々と、とてもささやかに、ブチまけています。マーケット・インは勿論重要ですし、それによってJ×Jの経営は成り立っていますが、同時に個人事業主の個人事業におけるマーケット・インほど虚しいものはない、とも考えています。どんなに小さくてもいいから自分ならではのマーケットを創出して、自分だからこそ形成できる文化を醸成するのが個人事業の醍醐味であり、魅力でしょう、と僕は思うのです。

プロダクト・アウトが失敗するのは単純にプロダクトが悪いだけで、プロダクト・アウトという概念そのものが悪いわけではないんじゃないだろうか。逆に言えば、マーケット・インは良心と良識のあるマーケットがあるからこそ成り立つ概念ではなかろうか。

というわけで、J×J2号店の冷奴は「非冷奴」で、J×J2号店の「純豆腐」は「不純豆腐」です。うがった見方をしてるわけでもなく、斜に構えてるわけでもありません。シンプルにそっちのほうが喜んでもらえるんじゃないかと思ってます。勿論、ひねくれたいわけでもありませんが、ちょっとひねりたい、という感情はあります。

そして、「居酒屋」の定義も、皮肉めいた言葉遊びや個人的疑念も、マーケットも、プロダクトも超えて、

その先というか後というか、

その奥というか手前というか、

そうした座標を超えて、そもそもの本分としてあるのは「楽しい時間を過ごしてもらいたい」という一点で、帰り道に「今日、楽しかったね」と言ってもらうことが単純に全てです。


ご来店、お待ちしております!


 

 

秋葉原路地裏酔いどれ経済論vol2「ブレずにグレるくらいであればブレよう」

今までの店舗経営の振り返りですが、2015年の12月までは書いていたので(3年前に)、2016年からざっくりリスタートしていきたいと思っています。ですが、その前にそれまでのことを振り返りの振り返りとして、超ハイライトで整理します(久しぶりの自分のために)。

2015年の4月にオープンし、12月までの8ケ月の中で、一番重要視していたのは「いかに売上を最適化するか」でした。その最適化とは自店にとっては「商売不繁盛」という言葉と直結していました。

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「商売不繁盛」の言葉が意味する範囲は広いのですが、要は「頑張りすぎない」ということです。さらに言えば、「どれだけ売上を捨てれるか」。本来であれば独立開業は一世一代の大仕事なわけで、なりふりかまわず全身全霊を注ぐべきところで、それはそれで間違いないのですが、自分の場合、その全身全霊を一極集中せずに細分化するようこ心掛けました。一つのことに全力を注ぐということはある意味、他の可能性を自ら捨てるということであり、一つのことに一生懸命頑張るということは他のことを頑張らない、頑張れない、ということでもあると自分は思います。

「わかりやすいメッセージ」とか「ターゲットを絞ったコンセプト作り」だとか、「その店/会社のコアコンピタンスは何か」とか、何を始めるにしてもやたらとそういった明確性が問われ、求められます。実際に明確であることに越したことはないでしょう。自店の場合は「世界一周×多国籍料理」というある種の明確性がそもそも自然とあったので、アイデンティティについて深堀りすることはありませんでした。でも、そうした明確性というのは自分だけでなく、お店を開きたい人には大体あるんじゃないか、と思います。なんとなくの感じで、なんとなくお店やりたい、という人も中にはいるでしょうけれど、今となってはそういうタイプはむしろマイノリティで、大多数はすでに明確な意図だったり、何かしらの強い目的性がすでにあるように感じます。

だから、むしろ大切なのはその核たる部分を補足するサブ的なものにあるんじゃないかと。メインタイトルの次に来るサブタイトル的な部分であったり、メインターゲットの次の層であったり、わかりやすいコンセプトの裏に潜む小難しい理念であったり、複雑でセンシティブな想いであったり。そうしたサブや裏面がメインと掛け合わされることにより、初めて個性を個性として発揮できるような気がします。わかりやすいメッセージだけでこの乱世を潜り抜けることができるとは到底思えません。それに、尖れば尖るほど確かに希少価値は保たれ続けられると思いますが、よほどの職人気質でないかぎり、同じことを同じようにやり続けるというのは相当難儀なことです、多分。

だから軸たる部分は大切にするにしても、その軸の支え方というのはその時々において流動的で柔軟であったほうがいいと思うのです。全てを明確かつ固定的にしてしまうと行き詰ったときに修正がきかなくなってしまうので、どこかでアソビの部分を作るのも必要です。よくブレるのは良くない、と言うけれど、これだけ消費と新陳代謝がスピーディーな世の中において「ブレずに貫く」というのは、商売的にはもはや致命的ではないかと。ブレずにグレるくらいであれば、ブレてもいいんじゃないでしょうか。

そう考えれば、わかりやすいメッセージというのはほんとにそんなに大切なのかなと感じます。むしろ、そう易々と言語化できない、伝えきれない、ごちゃごちゃした感情の方が魅力的だったり、応援したくなるような気がするのだけど、それは僕が偏屈だからですかね。

と言いつつも、幸いなことに僕は今までさほどブレずに一点突破で店舗運営を推し進めることができたと思ってます。メインの軸が「世界一周の経験に基づく多国籍料理」なのであるならば、サブは「貸切利用」です。2015年と2016年はまさにこの「貸切」との闘いでした。

 

 

改めて秋葉原路地裏酔いどれ経済論vol1「MDが蘇る時代は来るだろうか?」

このブログの名前は『Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌』としています。開設当初からもう8年くらい経っているので、こんな青臭い名前さっさと変えてしまえ、とも思うけども、自分自身も、店そのものも歳を重ねていくばかりな一方で、このブログの名前だとか、あるいはJourney×Journeyという店名だとか、そういったものは数少ない「変えようとしないかぎり変わるものではないもの」なので、そう考えれば据え置いててもいいかもしれない、とも思います。多少、恥じらいはあるにせよ。

ブログ名にもあるように当初、このブログは「独立」だとか「開業」というワードに主たるテーマを置いてました。基本的にその手のコンテンツは成功者の成功談か、もしくは失敗者の失敗談のどちらかしかありません(もしくは何らかに誘導されるような広告的記事)。独立する前の自分としては、そうした両極端なエピソードではなく、もっとリアリスティックな情報や実践知がほしかったという経験を踏まえ、このブログを立ち上げました。成功するのか、失敗するのか、その狭間を漂うのか、それはわからないけども、とにもかくにもこれから独立・開業を目指す人に生々しい参考になるような、生々しいブログになることを目指してました。

個人店の開業前というのはとにかく忙しいし、身も心も余裕がないのが普通だと思います。ましてや発信なんて、というところですが、ごく一部のモノ好きはそれでもなお「お店ができるまで」的な物語を時系列に沿って発信します。その発信手段はストーリーやTwitterなどでポップにテンポよく、が主流だと思うけれど、僕はそのポップにテンポよく、がどうにも苦手で、このようにして時代錯誤で、かつ重労働で、おまけに甲斐のない、ブログ(文章)という形に落とし込んできました。

 

でも、いざお店が始まると「ポップにテンポよく」でさえ継続するのは難しく、経営の内面的部分や、思考や論理、あるいは単純な心情や想いをアウトプットできないまま、その日のメニューやキャンペーン的なもの、もしくは店内の楽し気な様子を告知するので手一杯となります。そうこうしているうちに、次第に上記のような内面的発信のプライオリティは下がる一方で、最終的にはどうでもよくなり、内に秘めたまま眠らす、というのが大方のパターンのように思えます。おそらくこのようにして、僕が独立前に知りたかったリアリスティックで生々しい情報(そして物語)というのは撤退し、跡地に残るのは、くだらない失敗談か、それよりもくだらない成功談か、あるいはしょうもないアフィリエイトになってしまうのです。

さも「だが、俺は違うぜ」と言いたげな論調ではありますが、僕も見事に上記のとおりのステップを踏みました。見事に挫折し、見事に降参しました。リアリティや生々しさを大切にするならばオンタイムで発信してなんぼで、当初は眠い目をこすりながらなんとか頑張っていました。お店をオープンしたのは2015年の4月ですが、その4月の出来事はできるだけ4月に書いてました。が、5月の出来事は7月に書き(この時点で全くオンタイムではありません)、7月の出来事は11月に書き、と次第に時間的乖離が進み、最終的には「オープンした2015年12月のことを2019年5月に記述」し、更新を終えています。

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逆に言えば、2019年5月まではどうにか過去のフィードバックを書いていたことになりますが、3年半前に降板し、以降、何事もなかったかのようにやり過ごしてきました。ついこないだまで、「まあいいや、そもそも誰も読んでないし」と思っていましたが、いろんな紆余と曲折を経て、再び誰もいないスタジアムのマウンドに立つことにしました。もはや全人類が見捨てたと思われたカセットテープが、今時を超えて地味なスポットライトを地味に照らされているように、何がどうなるかはわかりません、今後、巡りめぐってMDが謎の復権を果たすかもしれません。文章や、ましてや長文が嫌われれば嫌われるほど、逆説的に、あるいはシニカルに、その元来の本質が特殊な熱を帯びるかもしれません。成田悠輔さんが「言っちゃいけないことは大体正しい」と言っていましたが、転じて言うなれば「みんながいいというものは大体たいしたことない」とも言えるような気がします。

といった具合の、退廃的戦略があるわけでもないのですが、先述したようにいろんな紆余と曲折を経て(極めて個人的な)、3年半の沈黙を破り(極めて孤独に)、2015年12月以降の歴史(そして物語)を再び、書き進めていこうと思っています。と言っても、月単位はさすがに無理なので、大雑把な感じで、年単位の尺で、書いていきます。


コロナと、他の様々な経験と、加速度的な加齢を通じ、自分的にはいい意味でいろんなことがすっかりどうでもよくなってきたので、いいブログが書けるのではないかと、そんな気がしています。



何故、BIGBOSSは開幕投手をドラフト8位指名のルーキーに任せたのか。

昨日、推している横浜ベイスターズクライマックスシリーズで敗退し、全日程を終えました。終盤、ドラマティックな展開だっただけに喪失感強めだけども、喪失感が強い分、来年までいっそう楽しみに待ちたいと思います。

というわけで僕は横浜ベイスターズファンなわけだけど、今年、前半のプロ野球の話題をさらったのは何といっても日本ハムファイターズのBIGBOSSでした(後半は激闘だったパリーグ上位3位と56本のホームランを打った村上選手でしょう)。話題にはなるものの、開幕前の評価は低く、解説者からはけっこう馬鹿にされていました(ゆえに解説者の方が少し炎上していた)。途中巻き返したものの結果は惨々たるもので、ぶっちぎっりの最下位。が、来期も続投が決まったので、推しでもないし、リーグも違うけども、ファイターズの野球は今からけっこう楽しみです。

今年の指揮や采配も随分とトリッキーで、野球にそれなりに精通してる人にとっては常識外れのびっくりなシーンが多かったと思いますが、BIGBOSS劇場の神髄は「開幕戦」に集約されていると思っています。開幕戦というのはその名のとおり、シーズン143試合中の1試合目です。そして、開幕戦を先発で投げるというのはピッチャーにとって名誉あることで、毎年、そのチームを代表するエースピッチャーが任されます。

が、BIGBOSSが起用した開幕投手は今年プロ一年目のルーキー、北山投手。注目のルーキーということもなく、ドラフト8位指名(12球団全体で77番中76番目での指名)。ドラフト8位の選手が1軍登録するされること自体が珍しいのに、開幕投手を担うなんて…、とびっくりでした。ただ、BIGBOSSは元々「アウェイの開幕三連戦(福岡)は遊び、本番はそのあとの本拠地(札幌)の開幕戦」と言っていました。にしても…、と思う気持ちもありますが、開幕戦と言っても結局は143試合のうちのただの1試合に過ぎません。1試合目も120試合目も同じ1勝であり、同じ1敗です。「勢い」とか「流れ」とか、そういうのもあるんでしょうけど、よくよく考えれば「開幕戦」にこだわる必要もまあないか、とも感じます。考えてみれば、必要以上にちょっとアツくなりすぎてるのかも、と。

野球というのはチームスポーツでありながら、個人の数字を明確に問われる数字でもあります。打者で言えば、ホームランの数だとか、打率だとか、盗塁数だとか、です。一方、投手は奪三振数とか、フォアボールの数とか、色々あるのですが一番の指標となるのは「防御率」と「勝敗数」です。防御率の説明をすると長くなるので割愛しますが、要は「どれだけ点をとられていないか」の数字です。数字が低ければ低いほどいい、とされるものです。一方、勝敗数はどうかと言うと、これもややこしいのでざっくりいきますが、その投手が投げた結果、勝ったら勝ち星がつき、負けたら負け星がつきます。つまり10勝10敗の選手がいたとしたら、10試合はその投手のおかげで勝ったけど、もう10試合はその投手のせいで(と言うといいすぎだけど)負けた、ということになります。今年のセ・リーグで言えば最多勝阪神の青柳選手で13勝4敗、パ・リーグオリックスの山本投手で15勝5敗、エンゼルスの大谷投手は15勝9敗、です。

ただ、この勝敗数というのはどうも漠然とした数字です。仮にその投手が好投して1点で抑えたとしても、相手が2点取れば負け投手です。逆に5点取られたとしても、味方が6点取れば勝ち投手となります。「防御率はともかく、勝敗数なんて関係なくない?」と思いますが、投手のステータスを図る上で勝敗数は今でも重要視されています(専門家同士の世界でどうなってるかはともかく、少なくとも一般的には)。

開幕戦にそのチームの一番いいピッチャーを持ってくる。次の試合は2番目にいいピッチャー、といった感じでローテーションを巡っていきます。先発投手は週に1回しか投げないので、金曜日が開幕戦だったとしたら、一週間後の金曜日にまたその投手が投げます。エースが向こうのエースと投げ合って、次の一週間後にはまたそのエースが違うチームのエースと投げ合うことになります。勿論、両チームのエース対決は白熱するのだけど、勝ち負けの総数を考えるのであればエースにエースをぶつけるってどうなんだろう?と思わなくもないです。確かにあちらのエースが投げるのであれば、こちらは打てないかもしれないけども、であれば相手チームが5番手、6番手の投手(裏ローテと呼ばれる)が先発の時にこちらのエースをぶつければいいじゃないか、と。少なくとも投手は自分の成績が勝敗数で見られるので、毎回毎回エースと投げ合うよりはエースじゃない投手との投げ合いの方が嬉しいんじゃないかと思っちゃったりします。エースは相手のエースに投げ勝ってこそ真のエース、というのもわかりますし、そのようにして大投手になっていくのでしょうけど、根性論の要素が多い気がするし、みんながみんな大投手になれるわけではないのでは、とも思います。そもそも打撃が強いチームの投手の勝敗数と、そもそも打撃が弱いチームの投手の勝敗数がフラットに並べられることそのものがおかしいんじゃないかと。

今年こそ2位でしたが、基本的には強いチームではない横浜ベイスターズを応援してるので、これは僕がいつも思ってたです。こっちの貴重なエースを向こうのエースにぶつけるな、と。だってこっちのエースが向こうのエースに負けちゃったら、他の誰も勝てなくなっちゃうんだから。


ゆえにプロ経験のないルーキーを開幕投手に選ぶのもありなのかもしれない、とちょっと思いました。結果、北山投手は強力ソフトバンク打線を3回までゼロに封じ、そうこうしてるうちに日ハムが1点をとり、その後は元々のエースや主力級を少しずつ投げさせ、スコアボードにゼロが続きます。あれ、これもしかして番狂わせあるか?、と思った矢先の8回、ソフトバンクの新外国人に満塁ホームランを打たれて玉砕。さらに言えば、開幕戦黒星からその後本拠地に戻っても連敗が続き、結局5連敗。ハタから見れば作戦は失敗のようにも思える。けども、実際のところどうなのか。

スポーツの世界は他の世界よりもよりシビアに「勝つか負けるか」、「数字を残せるか残せないか」が問われます。過程ではなく結果、これもわかる。それはそうなんだけど、今年例年よりもちゃんと見ていたせいか、もっと根っこというか、奥にあるものに、あれこれ考えを張り巡らせるのも試合の勝ち負けと同様に面白かったです。

その作戦に「意図」はあるのか。意図があるのだとしたら、どんな意図なのか。その意図は次のどんな意図につながるのか。昨日の敗北はそれほど落ち込むことなのか、今日の勝利はそれほど重要なのか。結局、143試合の1つに過ぎず、考えるべきは143試合全体であり、もっと言えばその翌年の143試合でもある。


というのをプロ野球の143試合ではなく、お店の日々に営業に置き換えてみる。


今日一日にどんな意図を持つか、どんな意図を持てたか。


意図だとか、意味だとか、いちいち考えてたら疲れるし、まいっちゃうけども、にしても日々を何となく消化し、何となく浪費するよりはいいように思える。






「罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」

思いがけない時間ができたので、思いがけない場所に行ってみることにした。セブンイレブン寒川小谷一丁目店。茅ヶ崎と厚木の間の寒川という町にあり、自分が15年前に初めて直営店の店長として(セブンイレブンの社員として)、新卒2年目で配属された店だ。このお店で働いた7か月は自分の人生の中で最も壮絶な日々で、それ以降も、J×Jを開けてからも大変なことはあったけれど、この7か月間に比べればどうってことのないと思える。

残業は200時間くらいしていた。残業8時間を25日間すれば大体それぐらいの数字になるわけども、そんなものだろうと思っていたし、単純に自分の能力が低いからそうなっていると思っていた。ひどい時は朝方帰ってきて、風呂の中でビールを飲み、めざましテレビを観て、そのまま出勤、なんていうこともあった。

お店は陸の孤島で(のように感じていた)、仕事が終わっても遊びに行けるような場所も手段もなく、店から歩いてすぐにある今にも崩れそうなアパートの、今にも窒息しそうな狭い部屋に住んでいた。隣の部屋にはブラジル人が数人かでシェアしていて、ドアを開けてシュラスコを作っていた。今であればそのシュラスコに混ぜてもらいたいと思うかもしれないけど、当時はそのバイタリティも気力もなかった。

過酷な販売目標を負わされたクリスマスケーキをがむしゃらに売り、死ぬ物狂いで予約を獲得したケーキを、サンタクロースの恰好で配達していると地元のヤンキーたちに煽られ、絡まれた。俺は一体何をやっているのだろうかと虚しさに浸ることもできないまま、年末商戦を迎え、その殺人的な忙しさのまま、年越しを迎えた。元日には寒川神社への初詣に来た参拝客と車で店はごった返した。ごった返すのは喜ばしいことだけども、問題はトイレで、焦りと苛立ちを纏うその長蛇の列はまさに邪悪な蛇かのように店を這い、店の外へと容赦なく伸び続けた。その矢先に、顔を真っ青にしたアルバイトが戦慄の一言を放つ。

「店長、小に大があります…」

我慢の限界を超えたお客様が男子用の小に大を放たれた。その堂々たる鎮座と、その後ろに並ぶ苛立つ長蛇の列を見た時の絶望感たるや。強固な意志と未だかつてない覚悟を持って、その緊迫した情勢に臨み、手際よくその爆破物を処理したのだけど、記憶は朧気だ。極限状態の中で、自分のスタンドか何かが出現してくれたのだと考察している。


深夜1時まで働いて、2時に寝て、3時に深夜シフトのアルバイトにクレームで呼び出されてスーツに着替えて店に行ってみると、明らかに社会に反する勢力の方々がいた。販売期限が切れた幕の内弁当が売り場に並んでいた(そのバーコードを打つとレジが自動的に弾くような仕様になっている)、というのがクレームの原因だった。

「よく聞け、兄ちゃん。罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」と言われた。「はやく選ばねえと若い衆呼んで、暴れさすぞ」と彼は付け加えた。「若い衆」というのを実社会で聞いたのは後にも先にもこれが初めてだった。そんなの圧倒的に土下座に決まってるじゃないか、と、圧倒的土下座をそそくさと準備しようとすると、彼に電話がかかってきて、そのままお帰りになられる運びとなった。「悪かったな、ちょっと機嫌が悪かったんだ」と帰り際に彼は言った。ちょっと機嫌が悪くてこれか…、さすが、スケールが違うぜ…、と驚愕した。いずれにしても、このようにして難を逃れたわけども、選択肢の一つとして挙がった「ポール看板に吊るされる」というのも、人生経験としては悪くなかったかもしれないな、と15年ぶりにそのポール看板を眺めながら思った。多少辛いことがあっても「小に大」ほどのインパクトがなければ大抵は忘れてしまうものだし、土下座したところで微妙な非公開ネタとしてお蔵入りするだろうけども、ポール看板に吊るされたとしたら、自分だけのとっておきとして生涯にわたり語り継ぐことができたのではなかろうか。駆け付けてくれたおまわりさんや救急隊員が僕に聞く。「なんでこうなったんですか!?」。「すいません…、販売期限切れの幕の内弁当があったんです…」と儚げに僕は言うのだろう。


何が一番強烈だったかというと、そういうことではなくて、当時の上司なのだけど、もう大分長くなってしまったので、そこはショートカットします。上司はHunter×Hunterのフランクリンに似ていて、


まさに両手で機関銃をぶっ放すかのように、毎日のように自分をあらゆる言葉と角度で罵倒していたのだけど、

会社全体が上と右へ倣えの風土の中で、フランクリンはまさに幻影旅団のように自由に暴れ、その暴れっぷりには彼なりの哲学と信条があった。その哲学と信条は少なからず、心を打つものがあり、ある種の憧れとして今の自分の中にも生き、J×Jの運営にも投影されているように思える(こんなこと言ってるのを見られたら、また両手で機関銃をぶっ放されそうだが)。

ネガティブなようなことを散々書いたけれども、何故その過酷の中で頑張れたかと言うと、優秀で素敵なパートさんに恵まれたからというのは大きい。今回、お店に行ってみて、もし当時のパートさんがいたら…なんて思ったけども、当然、不在だった。あれから15年経つ。

あれから15年経つのにも関わらず、数多くのセブンイレブンの中の一つに過ぎないにも関わらず、店舗の前に立つととても厳かな気持ちになった。ついでに寒川神社にも寄ろうとスケジュールを組んでいたけれど、十分に厳粛と静謐を感じることができたので、旅程から外すことにした。ビニール傘を買って、あのシュラスコアパートはどうなったかと歩いてみたが、その場所には大手ドラッグストアが建っていた。近くに小さなサンドイッチ屋さんがあって、そこのひじきとくわいのサンドイッチが最高だったのだけど、ここもまた同ドラッグストアの駐車場として飲み込まれていた。

これも「時代」ということになると思うのだけど、僕は「時代」という言葉があまり好きではない。時代という言葉で処理されるほど、物事は一元的ではない。自分が本質と信じるものはたかだか数年の時代区分によって翻弄されるものではないし、変容するものでもない。純度100%、生粋のブラックな7か月だったわけども、ブラック的なものが一元的にブラックであるとは思えないし、ホワイト的なものが一元的にホワイトであるとも思えない。あくまで人それぞれだろうし、個人の話で言えば、過去のどんな白よりもこの黒の方が今の自分に脈打ち、実際的に役に立っている。

あの日々が悪夢だったのか、いい思い出なのかは自分次第。自分にとっては、悪夢やいい思い出という枠を飛び越えた、かけがえのない礎だ。黒と少しの白がマーブルに塗られた礎だ。そして、僕はそのマーブルな礎の上に今も胸を張って、立っている。

 

J×J Books①レシピ本×旅エッセイ『世界一周ナニソレシピ』

J×Jをオープンする前から、ECサイトを作ってみたい、物販もやってみたい等、飲食営業だけでなく、それに付随する事業(と言えるほど大それたものではないけれど)にも取り組んでみたいと思っていました。それと同様に「本を出版したい」という気持ちも強く、いつかチャンスがあれば…、なんて考えてたりもしてましたが、そんな簡単に「機」が転がってくるはずもなく、一方、緊急事態宣言やマンボーによって(もはや懐かしき言葉になりつつある)時間だけはたっぷりあり、であれば自分で作ってしまえということで、レシピ本を作ってみました。同人誌と言えば同人誌ですが、同人活動から生まれてるわけでもないので、「ZINE」と言ったほうが近いかもしれません。要はフリーではないフリーペーパーのようなものです。

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メインテーマは「レシピ本×旅エッセイ」です。レシピ本を作ろうというところから始まりましたが、いくら多国籍と言ってもいわゆるのレシピ本を作っても退屈だし(他に色々名著もあるし)、ということで旅エッセイの要素を加えることにしましたが、それにしてもなんだか凡庸です。「レシピ本×旅エッセイ」をベースとした上で、また違う切り口というかフックがほしいと思い、考案したのが「ナニソレ」の概念でした。

全ての料理に名前があるかと言うと、そんなことありません。むしろ、名前を授けられている料理はごく一部の恵まれた特権階級で、名前すら与えれていない料理も数多く存在します。でも、そうした無名性にこそ、新しい発見や可能性があったりするのだと僕は思っています。例えば、「白いご飯の上にオリーブをのせて、オリーブオイルをかけて、塩胡椒を振ったもの」、これだけで十分美味しいのですが、名前はないですし、日本人の感覚からしたら「何それ?」感が強いです。

一例とした挙げた「オリーブ」ですが、例えば、本格的なパスタを作ろうと思って買ったはいいものの、その後、使い道を見失って成仏させられないまま、冷蔵庫の中でお地蔵さんのように鎮座させている、そんなようなことありませんか?そうした食材のことを化石化食材と呼んでいるのですが、本書ではその化石化食材たちをサルベージし、海外料理(や海外ならではのアイディアや工夫)との掛け合わせにより、新しい価値としてトランスフォームさせることに挑戦しています(そして提案しています)。上記「オリーブごはん」はその典型例ですし、パクチーとかピクルスとか豆とか、買ったはいいけど使い道ない、あるいはスーパーでたまに見かけて買ってみようと思うけど結局買わないとか、けっこう多いと思うのです。そうした不憫な食材たちに不必要なまでに強烈なスポットライトを当てているのがこの『世界一周ナニソレシピ』です。


まさに大多数の方にとっては「何それ?」かつ不必要なレシピのロイヤルストレートフラッシュだと思いますが、ごくごく一部の方にとっては必要な「ナニソレ」なのではないかと自負しております。ごくごく一部の方の中のごくごく一部の方にこのナニソレシピをサルベージしていただくことを願います。正気の沙汰ではないことを重々承知しながらも、1000部、刷りました。狂気です。大変です。どうぞよろしくお願いします。店頭、もしくはJ×Jのオンラインサイトからご購入いただけます。

旅エッセイ×レシピ本『世界一周ナニソレシピ』journeyjourney-ec.myshopify.com





J×J online apartmentについてのお知らせ②

J×JのECストア「J×J online apratment」。コロナ療養中に自分で作りました。商品はもともとあるものですし、ブログなどコンテンツを作りこんでるわけでもないでもなく、拡張アプリを使ってどうのこうのというのもないので、シンプルな作りですが、所要日数は3日かからないくらいです。でも、まあ丸3日空けるというのも普通ではなかなか難儀なので、ずっとつっかえていたものを療養中に対応できてよかったです。

店のECならBASEでもいいかと悩みましたが、結局、今までどおりShopifyを使うことにしました。その理由について話し始めると長くなるので割愛しますが、簡単に言えば「BASEより色々充実してる」ということです。個人がブログを持ち、メディアを持つようになり、ネットショップを持つようになり、さらにそれがメタバースへと展開されるような世の中です。僕的には個人がShopifyでネットショップを普通に持つような世の中になるのではないかと思ってますが、メタバースやNFTのことを言い始めたら、それすらももはや旧時代の考えなのかもしれません。

このアパートメントの品揃えは現在のところ、

①東京ロマンティックベーカリーのパンと燻製ジャム
②世界一周した弱激辛ジャム
③J×J Books
④J×J Fashions

の4カテゴリーで構成されています。①についてはコロナの始まりとともにすぐに取り組んだ事の一つで、SNSやブログでも積極的にアナウンスしてきました。定期的にご購入いただけるファンのお客様もついてくださり、嬉しい限りなのですが、ネックとなるのはその超属人性で、パン職人であるゆかさんがお休みとなると営業も休止せざるをえません(実際、この4か月、ゆかさんのご家庭の事情でお休みしておりました)。なので、今後は季節に応じたアイテムを特化させつつ、ラインナップそのものは絞りながら、アパートメントの中で「東京ロマンティックベーカリー」というブランドで販売していきたいと考えてます。また燻製ジャムに関しては上記のような課題を克服してる商品なので、燻製ジャムは燻製ジャムで強化していきたいポイントです。

東京ロマンティックベーカリーjourneyjourney-ec.myshopify.com

 

②の弱激辛も初期から構想し、アクションも早かったのですが、実際にOEMをかけて商品化するまでには結局、かなり時間がかかりました。販売してから半年経ったあたりで激辛インフルエンサーの方に弱激辛ジャムを取り上げたいただり、そこからの派生でグルメ系Youtuberにも紹介していただいたりしたのですが、

www.youtube.com

この波と流れに乗り切れなかったのは僕の失敗です。通常営業が忙しくなってきたタイミングと被り、手がまわらなかったのが実際のところです。もう少し頑張って、踏ん張るべきだったと反省しています。

インフルエンサーの方々と絡んだのも今回がはじめてでしたが、楽しかったです。

インスタやYoutubeでは世界中の唐辛子を使った世界中の激辛料理を一度に同時にお楽しみいただける「世界一周弱激辛コース」を中心に取り上げていただきましたが、ECにおける商品は「世界一周した弱激辛ジャム」になります。

実店舗におけるメニューも含めて、J×J史上、最も尖った最も刺激的なアイテムとなっております。となると当然、万人受けはしないわけですが、一部の方には強烈に刺さっていただいておりますww何と言ってもJ×Jのジャックナイフ的な存在なわけなので、お客さんにとっては近寄りがたいよなあと思っていたのですが、意外と店内営業において反応がよく、意外とお買い上げいだいております。けれども、本懐としてはせっかくEC用に立ち上げた商品なので、店内に留めず、やはり広い世界に羽ばたいてほしいのです。改めて、この弱激辛ジャムも仕切り直して、現状をなんとかブレイクスルーしていきたいと思います。

 

 

J×J online apartmentについてのお知らせ①

8月8日に通常営業を再開しましたが、スタッフの嗅覚が戻らなかったり、体力低下が顕著だったりで、夏季休暇は夏季休暇で予定通り8月11日~14日まで、しっかりいただきました。そして、8月15日から通常営業を本格的にリスタート。

ではありますが、さてどうしたものか。

見事に暇です。まあ本格的に再開したのは今日ですし、やってみないことにはわかりませんが、予約が入りません。予約が入らなければたとえ平常時での金曜日でも来客数ゼロを叩き出すお店なので、予約が入らない=売上ゼロにほぼ等しいわけです。つまり、当然、どくどくと赤が流れていきます。

強みが時に致命的な弱みとなることを重々承知した上で築き上げてきたスタンスですし、禍が始まって2年以上、シフトチェンジに踏み切るだけの十分な時間があったわけですが、結局、本店は従来のスタンス(事前予約及び貸切重視)を継続してきました。勿論、天秤にかけたとしても、その方が売上と利益と最適化(最大化ではなく)と、労働環境の適正化を実現できると考えたからです。

ただし、これは本店に限った話です。本店が頑固親父のように自分の型を貫き通すのに対し、2号店はむしろ逆で、状況に合わせてカメレオンのようにアジャストできる柔軟な存在で在りたいのです。去年一年は、2号店はほぼ無視(手が回らなかった)の状態でしたが、今年に入ってマンボウの影に隠れて、2号店をカメレオンにすべく、あくせくせこせこ進めてきました。本来であれば今こそ、そのあくせくせこせこを放流すべきなのですが、いかんせん、スタッフが足りないのと、いてくれる主力スタッフも嗅覚味覚が失われているし、そもそもお客さんもいないとなると、実店舗営業においては手の打ちようも、足の出しようもないという状況です。なので、ここ数か月で仕込んでいた2号店のカメレオン作戦も封じられてしまい、残念ではあるのですが、まあそのうち、役に立つこともあるでしょうということで、いったんポケットにしまうことにします。

となると、どうするか。療養中、僕が籠って取り組んだのは「J×JのECサイトを作ること」でした。それこそ禍が始まって以来、ECサイト自体は3つ作りました。自家製パンがメインの「東京ロマンティックベーカリー」と、スパイスをテーマにした「スパイスホリック&ハングリーアパートメント」、そしてオリジナルの調味料である「世界一周した弱激辛ジャム」、この3つです。ただ、どれも独立したサイトで、「J×Jの~」という感はあまり前面に出してきませんでした。そういう意味では「J×JのECサイト」というのは今までなかったのです。

意図的にそうしてきたわけですが、それを方針転換し、この3つのECストアを一本化し、J×JのECサイトの中に「東京ロマンティックベーカリー」というパン屋さんがあり、その隣に激辛ジャムを販売しているお店があるという運営にシフトします。本来であればJ×Jとは切り離した形でECを運用したかったわけですが、現状でそれは難しいと判断し、諦めました。一方、J×Jが運営するECサイトなわけだから、「J×JのECサイト」というのはある意味、自然なところに落ち着いた、とも言えます。

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店名は「J×J Online apartment」です。複数のお店が複数のメニューやアイテムを展開する形になるので、スーパーマーケットのようなイメージになるのですが、今後はJ×Jのスタッフや提携先のお店を出店できるような形にしていきたいので、「それぞれの部屋にそれぞれの人が住んでいるアパートメント」の方がより近いかなと。

というわけで、トップページには香港にある実際のモンスターアパート(マンション?)を採用しました。ここまでごちゃごちゃさせるわけにはいかないですが、これぐらい雑多な感じに仕上げていきたいと思ってます(今はまだスカスカですが)。