Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

改めて秋葉原路地裏酔いどれ経済論vol1「MDが蘇る時代は来るだろうか?」

このブログの名前は『Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌』としています。開設当初からもう8年くらい経っているので、こんな青臭い名前さっさと変えてしまえ、とも思うけども、自分自身も、店そのものも歳を重ねていくばかりな一方で、このブログの名前だとか、あるいはJourney×Journeyという店名だとか、そういったものは数少ない「変えようとしないかぎり変わるものではないもの」なので、そう考えれば据え置いててもいいかもしれない、とも思います。多少、恥じらいはあるにせよ。

ブログ名にもあるように当初、このブログは「独立」だとか「開業」というワードに主たるテーマを置いてました。基本的にその手のコンテンツは成功者の成功談か、もしくは失敗者の失敗談のどちらかしかありません(もしくは何らかに誘導されるような広告的記事)。独立する前の自分としては、そうした両極端なエピソードではなく、もっとリアリスティックな情報や実践知がほしかったという経験を踏まえ、このブログを立ち上げました。成功するのか、失敗するのか、その狭間を漂うのか、それはわからないけども、とにもかくにもこれから独立・開業を目指す人に生々しい参考になるような、生々しいブログになることを目指してました。

個人店の開業前というのはとにかく忙しいし、身も心も余裕がないのが普通だと思います。ましてや発信なんて、というところですが、ごく一部のモノ好きはそれでもなお「お店ができるまで」的な物語を時系列に沿って発信します。その発信手段はストーリーやTwitterなどでポップにテンポよく、が主流だと思うけれど、僕はそのポップにテンポよく、がどうにも苦手で、このようにして時代錯誤で、かつ重労働で、おまけに甲斐のない、ブログ(文章)という形に落とし込んできました。

 

でも、いざお店が始まると「ポップにテンポよく」でさえ継続するのは難しく、経営の内面的部分や、思考や論理、あるいは単純な心情や想いをアウトプットできないまま、その日のメニューやキャンペーン的なもの、もしくは店内の楽し気な様子を告知するので手一杯となります。そうこうしているうちに、次第に上記のような内面的発信のプライオリティは下がる一方で、最終的にはどうでもよくなり、内に秘めたまま眠らす、というのが大方のパターンのように思えます。おそらくこのようにして、僕が独立前に知りたかったリアリスティックで生々しい情報(そして物語)というのは撤退し、跡地に残るのは、くだらない失敗談か、それよりもくだらない成功談か、あるいはしょうもないアフィリエイトになってしまうのです。

さも「だが、俺は違うぜ」と言いたげな論調ではありますが、僕も見事に上記のとおりのステップを踏みました。見事に挫折し、見事に降参しました。リアリティや生々しさを大切にするならばオンタイムで発信してなんぼで、当初は眠い目をこすりながらなんとか頑張っていました。お店をオープンしたのは2015年の4月ですが、その4月の出来事はできるだけ4月に書いてました。が、5月の出来事は7月に書き(この時点で全くオンタイムではありません)、7月の出来事は11月に書き、と次第に時間的乖離が進み、最終的には「オープンした2015年12月のことを2019年5月に記述」し、更新を終えています。

www.journeyjourney-blog.com


逆に言えば、2019年5月まではどうにか過去のフィードバックを書いていたことになりますが、3年半前に降板し、以降、何事もなかったかのようにやり過ごしてきました。ついこないだまで、「まあいいや、そもそも誰も読んでないし」と思っていましたが、いろんな紆余と曲折を経て、再び誰もいないスタジアムのマウンドに立つことにしました。もはや全人類が見捨てたと思われたカセットテープが、今時を超えて地味なスポットライトを地味に照らされているように、何がどうなるかはわかりません、今後、巡りめぐってMDが謎の復権を果たすかもしれません。文章や、ましてや長文が嫌われれば嫌われるほど、逆説的に、あるいはシニカルに、その元来の本質が特殊な熱を帯びるかもしれません。成田悠輔さんが「言っちゃいけないことは大体正しい」と言っていましたが、転じて言うなれば「みんながいいというものは大体たいしたことない」とも言えるような気がします。

といった具合の、退廃的戦略があるわけでもないのですが、先述したようにいろんな紆余と曲折を経て(極めて個人的な)、3年半の沈黙を破り(極めて孤独に)、2015年12月以降の歴史(そして物語)を再び、書き進めていこうと思っています。と言っても、月単位はさすがに無理なので、大雑把な感じで、年単位の尺で、書いていきます。


コロナと、他の様々な経験と、加速度的な加齢を通じ、自分的にはいい意味でいろんなことがすっかりどうでもよくなってきたので、いいブログが書けるのではないかと、そんな気がしています。