Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

「罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」

思いがけない時間ができたので、思いがけない場所に行ってみることにした。セブンイレブン寒川小谷一丁目店。茅ヶ崎と厚木の間の寒川という町にあり、自分が15年前に初めて直営店の店長として(セブンイレブンの社員として)、新卒2年目で配属された店だ。このお店で働いた7か月は自分の人生の中で最も壮絶な日々で、それ以降も、J×Jを開けてからも大変なことはあったけれど、この7か月間に比べればどうってことのないと思える。

残業は200時間くらいしていた。残業8時間を25日間すれば大体それぐらいの数字になるわけども、そんなものだろうと思っていたし、単純に自分の能力が低いからそうなっていると思っていた。ひどい時は朝方帰ってきて、風呂の中でビールを飲み、めざましテレビを観て、そのまま出勤、なんていうこともあった。

お店は陸の孤島で(のように感じていた)、仕事が終わっても遊びに行けるような場所も手段もなく、店から歩いてすぐにある今にも崩れそうなアパートの、今にも窒息しそうな狭い部屋に住んでいた。隣の部屋にはブラジル人が数人かでシェアしていて、ドアを開けてシュラスコを作っていた。今であればそのシュラスコに混ぜてもらいたいと思うかもしれないけど、当時はそのバイタリティも気力もなかった。

過酷な販売目標を負わされたクリスマスケーキをがむしゃらに売り、死ぬ物狂いで予約を獲得したケーキを、サンタクロースの恰好で配達していると地元のヤンキーたちに煽られ、絡まれた。俺は一体何をやっているのだろうかと虚しさに浸ることもできないまま、年末商戦を迎え、その殺人的な忙しさのまま、年越しを迎えた。元日には寒川神社への初詣に来た参拝客と車で店はごった返した。ごった返すのは喜ばしいことだけども、問題はトイレで、焦りと苛立ちを纏うその長蛇の列はまさに邪悪な蛇かのように店を這い、店の外へと容赦なく伸び続けた。その矢先に、顔を真っ青にしたアルバイトが戦慄の一言を放つ。

「店長、小に大があります…」

我慢の限界を超えたお客様が男子用の小に大を放たれた。その堂々たる鎮座と、その後ろに並ぶ苛立つ長蛇の列を見た時の絶望感たるや。強固な意志と未だかつてない覚悟を持って、その緊迫した情勢に臨み、手際よくその爆破物を処理したのだけど、記憶は朧気だ。極限状態の中で、自分のスタンドか何かが出現してくれたのだと考察している。


深夜1時まで働いて、2時に寝て、3時に深夜シフトのアルバイトにクレームで呼び出されてスーツに着替えて店に行ってみると、明らかに社会に反する勢力の方々がいた。販売期限が切れた幕の内弁当が売り場に並んでいた(そのバーコードを打つとレジが自動的に弾くような仕様になっている)、というのがクレームの原因だった。

「よく聞け、兄ちゃん。罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」と言われた。「はやく選ばねえと若い衆呼んで、暴れさすぞ」と彼は付け加えた。「若い衆」というのを実社会で聞いたのは後にも先にもこれが初めてだった。そんなの圧倒的に土下座に決まってるじゃないか、と、圧倒的土下座をそそくさと準備しようとすると、彼に電話がかかってきて、そのままお帰りになられる運びとなった。「悪かったな、ちょっと機嫌が悪かったんだ」と帰り際に彼は言った。ちょっと機嫌が悪くてこれか…、さすが、スケールが違うぜ…、と驚愕した。いずれにしても、このようにして難を逃れたわけども、選択肢の一つとして挙がった「ポール看板に吊るされる」というのも、人生経験としては悪くなかったかもしれないな、と15年ぶりにそのポール看板を眺めながら思った。多少辛いことがあっても「小に大」ほどのインパクトがなければ大抵は忘れてしまうものだし、土下座したところで微妙な非公開ネタとしてお蔵入りするだろうけども、ポール看板に吊るされたとしたら、自分だけのとっておきとして生涯にわたり語り継ぐことができたのではなかろうか。駆け付けてくれたおまわりさんや救急隊員が僕に聞く。「なんでこうなったんですか!?」。「すいません…、販売期限切れの幕の内弁当があったんです…」と儚げに僕は言うのだろう。


何が一番強烈だったかというと、そういうことではなくて、当時の上司なのだけど、もう大分長くなってしまったので、そこはショートカットします。上司はHunter×Hunterのフランクリンに似ていて、


まさに両手で機関銃をぶっ放すかのように、毎日のように自分をあらゆる言葉と角度で罵倒していたのだけど、

会社全体が上と右へ倣えの風土の中で、フランクリンはまさに幻影旅団のように自由に暴れ、その暴れっぷりには彼なりの哲学と信条があった。その哲学と信条は少なからず、心を打つものがあり、ある種の憧れとして今の自分の中にも生き、J×Jの運営にも投影されているように思える(こんなこと言ってるのを見られたら、また両手で機関銃をぶっ放されそうだが)。

ネガティブなようなことを散々書いたけれども、何故その過酷の中で頑張れたかと言うと、優秀で素敵なパートさんに恵まれたからというのは大きい。今回、お店に行ってみて、もし当時のパートさんがいたら…なんて思ったけども、当然、不在だった。あれから15年経つ。

あれから15年経つのにも関わらず、数多くのセブンイレブンの中の一つに過ぎないにも関わらず、店舗の前に立つととても厳かな気持ちになった。ついでに寒川神社にも寄ろうとスケジュールを組んでいたけれど、十分に厳粛と静謐を感じることができたので、旅程から外すことにした。ビニール傘を買って、あのシュラスコアパートはどうなったかと歩いてみたが、その場所には大手ドラッグストアが建っていた。近くに小さなサンドイッチ屋さんがあって、そこのひじきとくわいのサンドイッチが最高だったのだけど、ここもまた同ドラッグストアの駐車場として飲み込まれていた。

これも「時代」ということになると思うのだけど、僕は「時代」という言葉があまり好きではない。時代という言葉で処理されるほど、物事は一元的ではない。自分が本質と信じるものはたかだか数年の時代区分によって翻弄されるものではないし、変容するものでもない。純度100%、生粋のブラックな7か月だったわけども、ブラック的なものが一元的にブラックであるとは思えないし、ホワイト的なものが一元的にホワイトであるとも思えない。あくまで人それぞれだろうし、個人の話で言えば、過去のどんな白よりもこの黒の方が今の自分に脈打ち、実際的に役に立っている。

あの日々が悪夢だったのか、いい思い出なのかは自分次第。自分にとっては、悪夢やいい思い出という枠を飛び越えた、かけがえのない礎だ。黒と少しの白がマーブルに塗られた礎だ。そして、僕はそのマーブルな礎の上に今も胸を張って、立っている。