Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年4月㉒「シーズンドライス」後編-  

初期の段階におけるランチメニューは2種類。一つは「カオマンガイ」で固定、もう一つは「シーズンドライス」とし、こちらを日替わりとする。シーズンドライスというのは平たく言えば「炊き込みご飯」、例えばその日のメニューがバターチキンカレーであればそのテイストでご飯を炊き上げ、上にバターチキンカレーを乗せ、ガパオであればガパオを作る調味料でご飯を炊き、上にガパオ炒めを乗せる、そういう案配だ。

バターチキンカレーはバターチキンカレーとして提供し、ガパオライスはガパオライスとして提供すればいいものの、何故わざわざ手間のかかるようなことをしたか。

一つ目としては前回の記事にも書いたように「ラインナップを増やすため」。当時のスキームではトムヤムクンというスープを出すことはできない、でもトムヤムクンテイストのご飯を作ることはできるし、その上にトムヤムクンテイストで味付けした炒め物を乗せることはできる。それをありとするならば、バリエーションは飛躍する。「シーズンドライスのトムヤムクン味です」、「シーズンドライスの~味です」、というオリジナルのパッケージにくるんでしまえば、ある程度、地平線を広げることができる。

もう一つは、「正統派と差別化するため」。例えばスペイン料理屋からすれば僕がランチで出すパエリアははっきり言って、きっちりまがい物になる。かと言って、パエリアではなく「パエリア風」と婉曲的に表現するのにも前向きな気持ちになれない。極論、ほとんど全てが「~風」なのだ。そのほとんど全ての曖昧に対して、ほとんど全てに律儀になるのも億劫だ。であれば初めから、前提と念頭を置き換えたほうがいい。シーズンドライスというのは積極的なペネトレイトでありながら、同時に開き直ったリスクヘッジでもある。

上記2点を踏まえた上で、3つ目に挙げるのが「親近感を図るため」。トムヤムクンを食べたことがない人がランチでトムヤムクンを選ぶことはなくても、トムヤムクン味の「ふりかけ」なら試してくれるかもしれない、そういうニュアンスを突きたかった。「炊き込みご飯」というワードを用いることによって、取っつきやすくする。一度頼んでくれればあとは要領を得てくれるはずで、自分の生活圏内にない料理や新しい味に対して警戒心を解いてもらう。そういう文脈において、僕はシーズンドライスというスタイルを用いることによって、多国籍料理というハードルを下げることを試みた。


トムヤムクンのシーズンドライス

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ガパオライス

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タンドリーチキン

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そして、パエリア。

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なお、シーズンドライスという名称に関しては2か月もしないうちに変更した。僕の友人が運営するメディア『世界新聞』の記事(2015年5月21日)ではすでに「シーズニングライス」とある。

sekaishinbun.net


この記事においてもあるように当時、価格は900円だった。今はシーズニングライスという名称そのものを取りやめ、「世界の日替わりランチ」としているが、価格はカオマンガイと同じく800円で統一している。当時のこの100円の差異は原価の問題もあるし、提供量が限られていたというのもあるけれど、それよりも「まずはカオマンガイを試してみてほしい」という気持ちに由来する。お店のレギュラーメニューが認知、定着されることを優先した。

だから仕込みの量もカオマンガイの方が多かったし、実際に出数もシーズニングを大きく上回っていた。この動きそのものに関しては僕の思惑通りだったと言える。

ところが、この思惑通りの販売比率が初期のランチ営業における失策に繋がった。僕はカオマンガイに対して慎重になりすぎたのだ。そして、必要以上に慎重になりすぎたゆえ、本来できるはずの、できたはずのパフォーマンスよりも劣っていた。当初、はっきり言って、きっちりレベルが低かった。

J×Jの冒険-2015年4月㉑「シーズンドライス」前編-  

このようにして、ランチに実際に使用する器は決まった。次はこの器に何をのせるか、だ。勿論、開店準備の中でランチメニューに何を出すかは前もって考えていたけれど、器が決まらない限り、細部を詰め切れない。ここからは自分のイメージを具体的に実現していく作業になる。

2017年6月現在、ランチは3種類、日によっては4種類提供しているが、オープン当初は2種類しか用意していなかった。最初から3種類はオペレーションがついていけないと思っていたし、まずは2種類に集中し、定着させた方が後々に活きてくるだろうと考えていた。

2種類しか用意しない以上、一つは日替わりにすることも決めていた。逆にもう片方は固定し、レギュラーメニューにする。そのレギュラーをカオマンガイにすることもオープン前から決めていたことだ。オープン当初のランチ営業において僕が「失敗」したと思っているのはまさにこのカオマンガイなのだけど、まずはもう一つの「日替わりランチ」について触れたい。

「多国籍」としながらも結局アジア料理の寄せ集めになりがちな一般的な傾向と差別化し、南米やアフリカの料理も取り入れて展開していきたいと思っていたけれど、いきなりそこまで尖ることはできない。ましてやランチタイムではなおさら難しい。「世界の料理」と言ってもできるだけポピュラーで、既に広く認知されているものを中心に組み立てていく必要があった。例えば、グリーンカレートムヤムクン、バターチキンカレー、パエリアなどスーパーでもレトルトで売られてるようなラインナップ。でも、そうすると意外とバリエーションが広がらず、ワンパターンに陥るのは明らかだった。そこで、バリエーションを出すために中華の領域に手を出そうかと考えたけれど、中華料理店は商圏内にひしめきあっている。付け焼刃の中途半端な中華で太刀打ちできるとは思えない。

ただでさえ限定されていると言うのに、購入したプレート皿で提供するとなるとさらにその範囲は狭まる。上記のトムヤムクンはスープであり、底のないプレート皿では提供しえない。スープをもとより、汁っ気の強いものは全般的にNGとなる。また例えば専門性を要するメニューを迂闊に手を出すのもリスキーだ。インド料理屋のバターチキンンに渡り合うことはできないし、ランチタイムで正しいパエリアを正しく出すのは専門店でないかぎり、ほぼ不可能に近い。パエリアっぽいものを作って強引に「パエリアです」と提供したとしても、かえって心象を悪くするだけだろう。

 

そもそも僕は全てにおいて中途半端なのだ。


だから発想をひっくり返すことにした。専門店の専門的なメニューとは一線を画し(と言うよりも戦線離脱し)、自店だけのオリジナルのスタイルの中で「世界のランチ」を表現しよう。中途半端なのであれば、その半端感を逆手にとり、見せ方を工夫して、独自のパッケージにくるんで提供すればいいのではないかと思い至った。その「独自のパッケージ」というのが表題の「シーズンドライス」。ちなみに、このシーズンドライスというのは僕の造語で検索しても、2年前のオープン当初にランチのゲストが書いてくれたレビューが上がってくるだけで、今この世界にこの言葉は存在しない(現在は「世界の日替わりランチ」としか表記していない)。

「炊き込みご飯」を英訳すると「Rice cooked」と出てくる。でも、ライスクックドって言うのもなあ…。かと言って「炊き込みご飯」という直接的すぎて気が引ける。何かいい表現はないかと色々調べていたところに出てきたのが「Seasoned」という言葉。「香りづけされた、調味された」という意味があり、Rice Seasonedと表記されることがある。これは悪くないと思い、前後を逆さにして「シーズンドライス」とした。

でも結局、1か月後にはシーズニングライスに再変換した。英語としては正しくないのだけど言いやすさを優先させた。シーズンドライスがこの世に存在していた短い期間に、ゲストがお会計の際に「えーっと、なんだっけ、シーズンドライスです」と伝えてくれたあの光景を今でもたまに思い出す。蝉の一生のように儚く、あっという間に天に召された(葬った)けれど、シーズンドライスは確かにこの世に生を受けたのだ。

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という流れで、当時、僕は毎日、カオマンガイ用に米を炊き続け、シーズンドライス用に米を炊き込み続けた。グリーンカレーも、パエリアも、バターチキンも片っ端から炊き込みご飯にした。一年くらいして、追いつかなりもうやめてしまったけれど、今でも悪くないアイディアだったと思うし、いつかまたやりたいなと思っている。我らの、我らがシーズンドライス。相変わらず言いにくいので、もっとキャッチーな名前にすると思うけど。



なんと後編に続く。



 

 

 

J×Jの冒険-2015年4月⑳「踊れ、おさら大捜査線」-  

今まで延々と書き連ねてきた内容はほぼ全て「ディナー営業」に焦点を合わせている。ダイニングバーの形態をとる以上、売上構成の多数を占めるのはディナータイムでの売上になるし、当然かけるべき比重は昼よりも夜に傾けられる。そして、どうすれば思い描いたように売上を作れるか、が今までの長い話であり、同時に、そう簡単には思い描いたように売上は作れない、というのが前回の話になる。

「ランチタイムで認知を広め、ディナータイムの来店に繋げる」というのは一般的な飲食店の一般的な正攻法であり、僕(J×J)も正攻法という帆を張り、一般論という風に乗って、船を進めることにした。だけど、ランチでの集客をいきなりディナータイムに繋げようとは考えない。畑を耕すようにまずは土地をならすことが大切で、その素地を作る。ディナーのために、ディナーのことは当面放置し(逆説的になるけれど)、初期においてはランチに集中する。ランチを軌道にのせることが目下の課題であり、これを3ヶ月以内に仕上げることを目標とした(オープンからカウントして6月までにランチ営業を安定させる。そうすればディナータイムへの誘導にも自ずと繋がるだろう、と)。

ところが、この目測は甘かった。今思えば、という回想録であり、結果論になるけれど、ランチにおける初動は僕が犯した失敗のうちのまず最初の一つだろう。結論を言えば、この誤算によって「3ヶ月以内に安定」という目標の達成は大幅に遅れ、一年先まで遠のくことになった。この失敗について、これから順を追って、掘り下げていきたい。

僕がランチにおいて強くこだわっていたのは「お皿」だった。2人という最小人数で12時~12時半という短い時間に集中して来店されるゲストをスピーディーに対応するためには、「ワンプレートで完結するお皿」が不可欠だと考えていた。大きさの違うお皿を使用したり、複数のお皿に分けて提供すると作業効率がぐっと下がる(と言うより、作業量がぐっと上がる)ということは今までの経験の中で身をもって思い知らされている。勿論、ちゃんとしたトレイに主菜、副菜、ご飯、スープと分けられて供された方がゲストの満足度が上がるのは明らかだ。けれど、そうすることによって提供時間が長くなることもまた明白。これを解決するにはシンプルに言って「人手」なのだが、そうすると当然人件費はかさみ、価格を上げなければ釣り合わない状況になる。お店の方針として「効率よりも内容を高めたい」と考えるのであればそうした営業に徹するべきだが、自店の場合、①全く目立たない裏路地という立地、②ただでさえ敬遠される店構え、③そもそも馴染みのない多国籍料理、という3つの問題を解消し、敷居を下げ、まずはとにかくの認知を目指さなければならない。であれば、デザイン性は最初から見切りをつけ、機能性を追求するのが賢明だと判断していた。そして、そのための第一項は「お皿」だった。極めて、物理的に。

食洗器があればまた話は違うのだけど、それがない場合、どういう皿を使用するかは思いのほか、重要だと僕は考えている。ランチタイムにおける僕らの仕事の主たるは当然、「ランチメニューを適正な内容と価格で、適正なスピードで提供し、適正な環境で召し上がっていただく」ということに尽きる、が、実際はそれを準備するための時間があり、それを片付けるための時間がある。ゲストの「適正な満足度」を第一としながらも、同時に考えなければならないのは自分たちの「作業量」をいかにして適正にするかだ。「仕込み」の時間をどう考えるかはそれはひとえに作り手の熱量と哲学に委ねられるが、そうではないところは極力削ぎ落した方がいいと考える。どれだけ準備に時間をかけているか、あるいはどれだけ片付けが大変か、という部分はよほどのロイヤリティがない限り、ゲストには意識されない(もっとも、掃除がどこまで行き届いてるかは見られるところではあると思うけど、洗い物の所要時間なんてゲストの知るところではない)。ゲストの目に触れられる部分であるからこそ重要であるのと同様、そうでない部分はそうでない部分でまた切実であり、真剣でなければならない。僕は切実に、そして真剣に、洗い物の時間を短くしたい。

同じものを同じように出しているにも関わらず、お皿によって片付けに15分かかる、逆に15分短縮できる、という違いは長期的に見ればシリアスだ。15時にまかないを食べ始めるのと、14時半にはリラックスできているのとでは全然違う。ランチから営業する飲食業の一日は長い。少しでも体を休める時間を確保しなければならないし、勿論、(時給換算のアルバイトを雇う場合)その誤差30分が生む人件費の蓄積は甚大だ。

というわけで、オープン前、悲壮の決意と並々ならぬ執着を以って、ランチプレートの大捜索に乗り出したが、理想とするプレートに巡り会うことはなかなか叶わなかった。あっても値段が高い、微妙に大きい/小さい、重すぎる、ちゃちい、スタッキングできずかさばるなど、ドンピシャを見出せず、閉口していた。

そんな最中、別件で立ち寄った雑貨店で見つけたのがこれ。

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ドンピシャとまでは言わなくとも、85%ほどの一致度。価格も当初の想定の約半額程度に抑えられる。開業資金を切り詰めてやりくりしている時分にこの差額は大きい。




2017年6月現在、今でもこのプレートを使用している。総合的に見てこれを選んで正解だったと思うし、イメージしたとおり、提供も片付けも短縮できている実感がある(それでもゲストの入り方によってはお待たせしてしまっているんだけど)。一方、このプレートが抱えている問題点も把握している。けれど、メリットとデメリットを天秤にかけた時、今なおメリットに軍配が上がる。



冒頭にあげた「ランチの失敗」というのはこのプレートによるものではない。


だが、因果関係はある。



J×Jの冒険-2015年4月⑲「貸切」vol2-

1名×16組でもなく、2名×8組でもなく、

「16名×1組を追う」。

と言っても、当然、そのハードルは高い。よほど雰囲気がいいか、あるいは既に名が知れてる店でもない限り、いきなり「貸切をお願いしたいんですけど…」なんていう問い合わせはまず来ない。何も準備せずホームランは打てない。実際に知人以外で初めて貸切のお問合せをいただいたのは、オープンして3ヶ月経った7月のことだった。

カップル客をつかまえたいのであれば、カップル客に喜んでもらえるような仕掛けが必要であるのと同様に、団体利用を獲得したいのであれば、団体客に喜んでもらうためにはどうしたらいいかを考えなければならない。正確に言うなれば、「幹事」が何を求めているかを把握しなければ団体利用にはつながらない。けれど、それより重要なのは「幹事が何を避けているか、何を嫌がるか」だと僕は思っている。そのリスクやマイナス要素を解消すれば需要は自ずと湧き出てくるはずだと見当をつけていた。

幹事が何を求め、何を嫌がるか。自分自身、今までいろんなシーンで幹事をやってきたから、大体はわかっているつもりだ。しかし、その主観が必ずしも自店のターゲット層の心理と一致するとは限らない。商売不繁盛論とも重なるけれど、最初にコケるとそのあとの再訪はほぼ絶望的だろう、貸切の場合、特に。

 

だから当面は前のめりにならず、情報収集と課題の洗い出しに努めた。4月のうちに友人や知人が大人数で予約を入れてくれたので、一般客の前にデモンストレーションできたし(と言ってしまうとちょっと失礼だけど)、とりわけ大きかったのは当時東京駅近くに勤めていた父が父と同世代の方々をたくさん連れてきてくれたことだ。自分と父の世代では求めているものも感じ方も違う。自分が見落としてた自店の弱みがあり、逆に意識してなかった強みがある。そうした気付きの中で、試行錯誤しながら出来る限りでそのズレを修正し、自分の主観を「ならす」ように心がけた。

具体的な修正箇所や改善点(主にメニュー構成や価格設定)などはまた別の記事で書いていくが、このようにして実際に営業しながらフィードバックを積み上げていったのが最初の一ヶ月。けれど、身内利用を通していくら改善しようとも、どれだけ顧客心理を探ろうとも、肝心の一般客が来なければ始まらない。幹事がどうのこうのと言ってる場合ではないのだ。商売不繁盛論も本当に不繁盛のままでは当然、行き詰まる。実際に最初の一ヶ月でディナータイムに来店した一般客はほぼ皆無だった。そもそも、店の存在を知られていない。その状況が続くかぎり、当たり前に誰も来ない。

今まで延々とオープン当初の初動を書いてきたけれど、それは全てディナータイムのことだ。今日はノーゲス、明日は身内が来てくれる、けど明後日もノーゲス、最初のうちはそれでもいいと思っていた。夜は。


序盤、一回の表から三回の裏までは点を取れなくてもいい。

でも、点を取られてはいけない。

ディナーは攻撃で、ランチは守備だと思っている。序盤で守備が崩れるとゲームが成り立たなくなる。



生命線はランチだった。




J×Jの冒険-2015年4月⑱「貸切」vol1-

物件を選ぶ際、最初に考えるのが「立地」で、次に考えるのが「坪数・席数」だと思う。けれども、この坪数・席数は単純に「数」としてその良し悪しを割り切れるものではない。仮に12坪・20席という物件があったとして、重要なのは「12坪」ではなく「どういう12坪か」であり、ポイントとなるのは「20席」ではなく「どういう20席か」だ。

一人客が多い店であればカウンターメインの20席になるはずだし、カップルを訴求したいのであればカップルが好むような12坪にしなければならない。それぞれのお店にそれぞれのコンセプトと営業スタンスがあるはずで、そのイメージが間取りという物理的な事情に阻害されると店にとっても、ゲストにとってもミスマッチが生じる。

このミスマッチを極力少なくし、イメージ通りの営業を展開できるかどうかが店舗運営におけるそもそもの立脚点となる。そして、その立脚点が僕にとっては「正方形」というレイアウトだった。正確に言えば、僕は席の可動性や可変性に重きを置いていて、その性質を最大化できるのが正方形だった、ということになる。

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そして、

店舗コンセプトと僕が望む営業スタンスを前提に、
この立地にある、このスペースの中の、
この席たちをどう埋めるかを考えた時、

「団体利用」をどれだけ増やせるか、ひいては、
「貸切利用」にどうつなげるか、しかないと思った。

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1名×16組でもなく、2名×8組でもなく、

「16名×1組を追う」。

最初からこの針路を持てていたのは大きかった。考えるべきことも、行動すべきことも明確だった。

1名×4組、2名×2組、4名×2組の計16名を目指すとなると(同じ16名でも)、どの属性にも満足してもらえるような店を作らなければならないことになるが、一人客とカップル客が求めているものが同じではないように、それぞれの属性に合わせたそれぞれのアプローチが必要になる。そして、僕にその能力はない。例えば、僕が作るカオマンガイが超一級で一人客もカップルも4人組もこぞってカオマンガイを食べる、というのであれば話は違うけれど、僕はそういうタイプではないし(その腕もないし)、そういう営業をしたいわけでもない。

ただ「16名×1組」だけにフォーカスするのであれば、筋道を描くことができる。描いたシナリオをもとに限られたリソースをその一点に注ぐことができる。団体客が何を望んでいるかを知り、それに応えるように鋭意努力する、それだけだ。

当然、このシナリオはそれなりの弊害をそれなりに生む。一つのニーズに偏重するというのは他の一つのニーズに対して軽薄になるということでもある。それは百も承知で繰り返すが、複数のニーズを同時に満たせる能力は今の僕にはないし、スペースもないし、資本もない。

けれど、「同時に」ではなく「順次」は可能だと思っている。一つのニーズを埋めることは、次の別のニーズを埋める準備が整うということでもあり、自分はそれを目指すべきで、それはきっと自分にもできる。と、思っている。



2017年4月1日、3年目の「そもそも論」。

2017年4月1日。今日からJourney×Journeyは3年目。まずは無事に3年目を迎えることができたことに感謝。日頃ご愛顧の皆様に心より御礼申し上げます。と、よく言うけれど、誠にそう思います。J×Jのドアを開いてくれる人がいる、J×Jの椅子に座ってくれる人がいる、そもそもJ×Jを選んでくれてる人がいる、そういう「そもそも」に、そもそも感謝したい。

同様に、スタッフにも改めて感謝したい。無数にある選択肢の中で、J×Jで働いてくれている。そもそも、J×Jで働いてくれている。もぞもぞと、ありがとう。

たまに頭の中がやけに静かになることがある。そういう時は決まって、お店が混んでる時だ。本当であれば、できるだけ速く正確に、頼まれているものを出さないといけないし、全神経がそれに向かって集中している。当たり前の話、僕も茜も真剣だ。けれど、そういう時にたまに、ふと我に返る。熱せられた神経が水風呂に沈んでいくかのように静まり、僕は目の前の調理から目を離し、客席をちらっと眺める。時間にすればおそらく1秒か、2秒だ。客席ではお客さんが食べたり、飲んだり、しゃべったり、待ってたりしている。

そして、そういう時に改めて思う。「ありがたいなあ」と。今、ここにいる人たちのほとんどは見ず知らずの名前もわからない方々だ。勿論、店を通して仲良くなったり、親しくさせていただいてる方も一部いる。けれども、大多数は友達でも何でもなく、言うなれば「他人」であり、言うまでもなく「お客さん」だ。J×Jはそうした方々の中で選択肢の一つになっている。僕の知らないところで「今日、昼飯、J×Jにしようか」、「今度の送別会の場所、あそこにしといてくれ」みたいな思惑が働いて、そういうわけで今、ここにいる。そういうわけで今、客席で食べたり、飲んだり、しゃべったり、待ってたり、してくれている。店はそうした日常が日常的に積み上げられてこそ成立するのであって、ある意味では当たり前のことなのだけど、その「当たり前」がふと、ぐっと尊い

決まって忙しい時に起こる、その立ち止まる一瞬をこれからも大切にしていきたい。早く料理作れよ、という話なのだけど、多分それは必要な静寂で、多分それは在るべき1秒なのだと思う、僕にとって。

 

世の中には本当に多くの仕事があって、そのどれもが誰かに求められているから存在していて、どんな仕事にも敬意は払われるのだけど、その中でも大仕事と言えるのは「それまでになかった文化を作る」ことだと思う。新しい文化が新しい行動を生み、新しい習慣が形成される。新しい習慣に合わせた新しいサービスが生まれ、新しい雇用が生まれる。ダイナミックに歴史的に見れば、鎌倉幕府大政奉還及び明治維新、一昔前の日本の企業で言えば、ソニーセブンイレブンetc、昨今の世界的企業で言えば、グーグル、アップル、フェイスブックetc。飲食に関することで言えば、例えば回転寿司の登場は革命的で、ハウス食品がミネラルウォーターを売り出したのは当時センセーショナルで、伊藤園によるお茶のペットボトル販売も然り、直近かつ身近なところで言えばラーメン(「つけ麺」とか「二郎」とか)や「立ち食い」の業態(「俺の~」、「いきなりステーキ」、バル)だとか。

などなど、

規模感や影響力はてんでバラバラだけども、「それまでになかった文化を作る」という観点で言えば、どれも当てはまる。


2年前のオープン当初、J×Jに入るおじさんはほとんどいなかった。ランチは女性がほとんどで、たまに女性に連れてこられるおじさんは肩身が狭そうだった。メニューにしても、内装にしても、馴染みのないものには反射的に警戒心を抱く。僕も同じ立場で、この裏路地を道行くサラリーマンだったとしたら、多分、何となく斜に構えて、何となく素通りしてたのではないかと思う。


でも2年経って、その色合いは変わってきた。当初、1:9だった男女比は去年、4:6になり、今年に入って6:4で推移している。女性が減ったわけではなく、絶対数の多い男性の利用が増えてきたことを示している。最近では年配の男性が部下や同僚の若い女性を連れてきて「おススメはガパオだよ」、「この店には生のシードルがあってね」などと紹介してくれている。


エスニック料理や各国料理への敷居が下がってきた世相的な傾向も勿論ある。そうした背景はあるにせよ、今までおじさんたちのパターンになかった「多国籍料理」というのが新しい選択肢の一つとなり、「フォーマルな会はJ×Jで」という新しい習慣を組み込んでいただけてることに感謝とともに、率直に興奮する。ごく限られた範囲の話だけれど、まだまだこれからだけど、「それまでになかった文化」をほんの少しは作れたのではないかという手応えと感触、そしてちょっとだけの自負がある。


気心の知れた仲とわいわいするのは楽しい。「間違いなく確かなこと」だ。けれど、その既成を大切にしながらも、「おぼろげで不確かなこと」に挑んでこそ冒険だと思っている。3年目も引き続き、何となく斜に構えて、何となく素通りしている方々のドアを何となくノックして、彼らにとっての「新しい文化」になれるよう、ハングリーに挑戦してきたい。

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そして、たまにふと顔を上げて、1秒ないし2秒、客席を眺めて、相変わらずの「そもそも」に相変わらず、そもそも感謝したい。


*写真はニッポンを支えるニッポンのサラリーマン、そしてニッポンのサラリーマンに支えられるJourney×Journeyと仕事上がりのスタッフあかね(勤務外であれば風営法に抵触しないはず)





J×Jの冒険-2015年4月⑰「正方形二元論」vol2-

「大人数や団体時に利用したい店」という認識が深まれば、「事前予約」に必然的に繋がる。事前予約が浸透すれば、提供側である店もある程度の売上予測を立てながら、自分たちが持ちうるパフォーマンスをより適切に表現することができる。それだけ慎重を期してもご満足いただけなければ、それは店の力不足として甘んじて受け入れるしかない。が、もし、店の提供内容とゲストの求める水準が合致すれば、ゲストにとって「満足」は「安心感」となり、リピートにつながる。改まって言うようなことではないけれど、店としてはそうしたサイクルを目指していきたい。

仮に、自分が描いたデザインがその通りになった場合、一つのリスクが予見される。


「限られた席をどう振り分けるか」。これが難しい。今までこれに頭を悩ます主体者をいろんな店で目の当たりにしてきた。


同じ坪数、同じ席数でもどういう間取りになっているかで席の振り分け方の案配はまるで変ってくる。

例えば、「12坪・20席」という店があったとする。(都内で、個人事業主が、一店舗目として営業、と考えた場合、広すぎず、狭すぎずの標準的なサイズ感だろう)


店舗①は長方形の間取り。テーブル席もあるが、カウンターのウェイトも高い。

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次に店舗②は正方形のレイアウト。カウンタースペースは縮小し、テーブル席がメインとなる。

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ゲストとの近い距離感やコミュニケーション、もしくはプロフェッショナルな技巧やライブ感を価値やアイデンティティに据えるのであれば当然、店舗①の間取りが適している。けれど、そうでないのであれば、店舗②の方が勝手がいい。ましてや、大人数や団体を取り込んでいくのであればなおさらだ。

店舗①の場合、団体が入るとテーブル席をこう振り分けることになる。

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12名様のゲストを1組。もしくは8名×1、4名×1。勿論、6名×2というのも可能だ。ただし、8名の予約が入ったあと、別の5名以上のゲストをお通しすることはできない(カウンター5名で問題なければご案内できるが)。せっかくお問合せをいただいてるのにも関わらず、ましてや席自体はあるのに、レイアウトの問題で案内できないというのは何とも口惜しい。

一方、店舗②の場合はその問題を解消する。8名を2組、通すこともできるし、

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ご案内できる組数を増やすこともできる。

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極端に言えば、こう振り分けることもできる。

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主体者がどういうスタンスで、どういう営業を実現したいかによって、解釈の仕方は変わってくる。けれど、僕個人としては「空席があるのにも関わらず、案内できない」というのは残念なことだし、物理的にどうしようもないことにせよ、申し訳ないと思う気持ちが先行する。だから僕は、物件選びの際、とかく坪数や席数に目が行きがちだが、それよりも「席の可動性・可変性」の方が重要なのではないかと思っている。限られたスペース、限られた席数の中でその「一席」が帯びる意味は重い。可動的であり、可変的であれば、席の振り分けに苦心することもなく、その駆け引きにストレスを感じることもない。これだけで負担は大分、減る。

このように正方形のレイアウトが孕む「席の可動性・可変性」、「団体や大人数での利用」、「事前予約」という3つの要素は相関的、補完的に結びつき、小さな個人店にありがちな問題を解消する。そして、この補完計画は一つのベクトルを導く。

 

どうすればこの寂しげな裏路地で生き残っていけるか。どうすれば「売上・利益-スタッフ-健康」の3点から成る三角形を広げていけるか。多分、これが最も有効なベクトルであり、今の自分にできうる唯一の活路と言って過言でない。

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J×Jの冒険-2015年4月⑯「正方形二元論」vol1-

自店の強みとは何か。

ずばり、お店の「間取り」だと思っている。

と、前回の記事で書いた。

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物件が決まった後、あれこれ検証して「この店の強みは間取りだなあ」と思ったわけではなく、物件探しの段階から「間取りが強みになる店」以外とは契約しないと決めていた。本格的に物件を探し始めてからまさか一軒目で自分が理想とするレイアウトをしたテナントと巡りあえるとは思っていなかったし、これについてはただただ幸運だったということに他ならない。

お店は正方形のレイアウトとなっている。この「正方形」こそが僕が思う、僕にとっての自店の「強み」だ。

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以前にも書いたけれど、強みは同時に弱みにもなる。正方形もその二元論の中で、表と裏を勿論抱えている。しかし、一定の条件を前提とした場合、その強みは弱みを大きく凌駕する。

「できるだけ事前予約をいただけるようなお店にする」というのが上に書いた「一定の条件を前提とした場合」の一つ。おこがましい言い方になるし、この時点で「ふらっと気軽に入れる」という訴求から遠ざかることになるけれど、総体的に見れば、「一応、予約を入れておこう」という習慣とスキームをどれだけ早急に作れるかが、ゲストの満足度と店側のパフォーマンスの最適化につながるとオープン当初、確信していた。

この立地で店舗運営する以上、コストは最小限にとどめなければならない。予約により事前の来客数が予測できれば食材を無駄にすることもないし、人件費も変動することなく一定に抑えられる。一日の来客数が事前に予測できないまま不規則に増減するのは自店のように人手も、資本もないハリボテにとって危うく、身体的にも精神的にもかかる負担は大きい。第一、自分たちのキャパを超えた来客があった場合、ゲストに迷惑をかけることになる。仮に想定外の売上が立ったとしても、ゲストに対して満足のいくサービスを提供できなければ、その売上も虚しい。そもそもオープン当初の自分たちのキャパなんてたかが知れている。だから、僕は来るとわかっているゲスト(予約客)に対して、ピンポイントで集中する、というスタンスを取りたかった。

どうすれば「事前に予約してもらえるか」は本筋から離れるので、また別の機会に記すとして、話を「正方形」に戻す。一般的に考えて、一人で飲みに行く場合、あらかじめ予約をとったりはしないだろう。二人の場合も少ないと思う。混雑しているのをもともと知っている繁盛店に行く場合か、全く知らない店に行くか、あるいはその店に対して強い目的意識があるか、のいずれかに限られる。これが3人、4人となるとちょっと具合が変わってくる。「一応、電話を入れておこう」という意識が生まれ、人数が多ければ多いほど、当然その意識傾向は強まる。

したがって「事前予約」の構築を目指すということは、「席が取れないほどの繁盛店になる」か、「大人数や団体時に利用したいと思ってくれる店」のどちらかを目標とすることと重なる。お店の主体者が繁盛店を目指すのは当たり前のことかもしれないけど、僕は迷いなく後者を選んだ。繁盛店はしたいと思ってなるものではないし、その方法論もわからない。あるとすれば、それは日々の中で見つけていくものだと思う。でも後者に関しては、ある程度ロジカルに組み立てていくことができるのではないかと考えた。


そのためには正方形のレイアウトはマストだった。「大人数や団体時に利用したいと思ってくれる店」に照準を合わせた時、「正方形」の間取りは強みとなり、また必要十分条件になる。

J×Jの冒険-2015年4月⑮「表裏と強弱」vol2-

「物事に表裏があり、側面があるように、強みと弱みというのも常に抱き合わせであり、一体であると思う。強みを前面に押し出すことによって、同時発生する弱味のリスクを埋められない限り、強みはすなわち弱みになる」

前回の記事において、そう書いた。

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近隣にはない多国籍料理店であること、
主体者が世界一周の経験者であること、
その世界一周の中で食べた料理を再現・アレンジしていること、
「旅/旅行、世界/海外」をコンセプトとしていること、

こうした要件は自店を差別化せしめ、自店の座標を明確にしうるポイントではあると思う。近年の飲食業界全体の風潮がそうであるように、何か強烈なキラーコンテンツを引っ提げて臨むか、一点に特化した専門店として押し出すかが個人店が飽和から抜けるための有効な一手であることは最近の傾向からすれば間違いないだろう。

ただ、それを積極的に打ち出せば打ち出すほど、店はリスクを負うことになる。僕が多国籍料理店をやるということは多国籍料理に興味のない人からの選択を失うことになり、僕が旅や旅人だけをフォーカスするということは、その照準に重ならないゲストの来店を遠ざけることになる。

「とがる」というのはその分、形状が固定化されるということでもある。尖れば尖るほど、研ぎ澄まされていく斬れ味とともに柔軟性をスポイルすることにもなる。この点をどう考えるかは主体者の意向と判断に委ねられると思う。自分が望む在り方とアプローチで、自分が望むバランスをとるのが主体者の仕事だろう。シーソーの右と左に何をどこにどう置くか、絶妙なものを目指していくためには絶妙な配置が求められる。

最も懸念すべきリスクは軌道修正の余地を失うこと。尖らせていくことで、融通と応用がきかなることが怖い。僕はそういうことをそういうふうに考えるタイプだ。

だから、冒頭に上記した要件は必要以上に押し出さないことにした。それらは自店のアイデンティティではあるが、自店の「強み」は別のところにあると思っていた。正確に言えば、「より汎用性のある強み」が自店にはあると確信していた。

 

ずばり、お店の「間取り」。


これが一番の強みだと思っている。それ以外はゴルフで言えばアイアンや、パターのようなもので適宜、適所で活用すればよく、一打目でまず手に取るべきドライバーは僕の今までの経験やパーソナリティではなく、「お店の作りそのもの」だと思っていた。ドライバーで遠くへ飛ばし、アイアンで適切に距離をつめ、パターでホールに沈める。僕がJ×Jの間取り、レイアウトを上手に訴求することができれば、多国籍、世界一周、旅、世界といったワードもより強くゲストに届き、より確かにお店をアイデンティファイするはずだと想定していた。さすれば、最小のストロークでホールをまわり、次のラウンドに移ることができる。


では、どうすればその「強み」を最大化できるか。


 

 

J×Jの冒険-2015年4月⑭「表裏と強弱」vol1-

話が行ったり来たりしてしまって、ブログがややこしいことになってしまったのだけど、ここでいったん元の軌道に戻そうかと思います。

去年の9月から12月まで、「商売不繁盛論」と題して、オープン当初、自分がお店の運営をどのように考えていたのかを書き続けた。書き上げるのに約3ヶ月かかったけれど、「商売不繁盛論」は自分の基本姿勢なので、できるだけ丁寧に、そして慎重に、形にしておきたかった。

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この商売不繁盛論は独立に際して思い立ったものではなく、飲食経験の中でじっくりと培われてきた。本格的に飲食業に従事したのは26歳からだけど(と言っても大手チェーンの居酒屋だけど)、アルバイトを含めれば18歳から携わってきたし、その中で実に様々なお店で働くことができた。僕が数店舗での経験しかなかったとしたら、それなりのスペシャリティを磨くことはできたかもしれないけど、おそらく商売不繁盛論には至らなかったと思う。

2000年 千葉のビジネスホテル内にあった中華ダイニング
2003年 神保町の居酒屋、神宮のビアガーデン
2004年 東京駅構内の居酒屋
2009年 地元の大手居酒屋チェーン、千葉のエスニックレストラン
2010年 地元の大手居酒屋チェーン、地元のフレンチレストラン
2011年 地元の大手居酒屋チェーン、地元のお好み焼き屋さん
2012年 世界中で出会った世界中の飲食店(客として)
2014年 秋葉原のトラベラーズダイニング

それぞれのお店に学ぶところがあり、自分には不向きであると思うところがあり、と言うか、そもそも無理だろ、ということが多々あり(資金及び技術面で)、そんな自分が生き抜くためにはどうすればいいかを長い間、黙々と考え続けた。それぞれのそれぞれを抽出してパッチワークのように繋ぎ合わせてできたのが「商売不繁盛論」で、ここから先はその「商売不繁盛論」という理論や哲学の「実践」となる。


要は「売上・健康・従業員」の最適化のために最初から焦らずゆっくりいこう、という話なのだけど、そのゆっくりの中で何をするかが大事なわけで、一つはお店の弱点を潰していくこと、もう一つはお店の強みを活かせるような仕組みを作ること。身動きがとれるうちにこの2点に対して集中して取り組む。それもまた商売不繁盛論の本懐の一つだった。

 

オープンしてから3年の間で3~5割のお店が潰れるとかよく聞くけど(この数字の信憑性も疑わしい)、生き抜くお店は何らかの強みやキラーコンテンツを持っている。


まずは自分の弱点を理解し、逆に強みを見出す。そして、それを知ってもらう。そこさえクリアすれば、「骨格」は形成され、店としてある程度たくましくなる。逆に3年以内に骨格を形成できなければ潰れる。そう思っていた。


では「強み」とは何か。


例えば、多国籍料理店であること。


確かに差別化のポイントとして見れば、強みとも言える。けれど、同時に弱味でもある。多国籍料理であるからこそ選ばれる時もあるかもしれないけど、多国籍料理店であるがゆえに選ばれないこともある。おそらく自店の立地を考えれば、後者の方が多い。


物事に表裏があり、側面があるように、強みと弱みというのも常に抱き合わせであり、一体であると思う。強みを前面に押し出すことによって、同時発生する弱味のリスクを埋められない限り、強みはすなわち弱みになる。


そう考えれば「多国籍料理」だけでは100%の強みには成り得ない。ここに美味しさや接客が加わったとしても同様だと思う。そういうことじゃなくて、僕はもっと別の場所に自店の強みを据えていた。