Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

J×Jの冒険-2015年4月⑯「正方形二元論」vol1-

自店の強みとは何か。

ずばり、お店の「間取り」だと思っている。

と、前回の記事で書いた。

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物件が決まった後、あれこれ検証して「この店の強みは間取りだなあ」と思ったわけではなく、物件探しの段階から「間取りが強みになる店」以外とは契約しないと決めていた。本格的に物件を探し始めてからまさか一軒目で自分が理想とするレイアウトをしたテナントと巡りあえるとは思っていなかったし、これについてはただただ幸運だったということに他ならない。

お店は正方形のレイアウトとなっている。この「正方形」こそが僕が思う、僕にとっての自店の「強み」だ。

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以前にも書いたけれど、強みは同時に弱みにもなる。正方形もその二元論の中で、表と裏を勿論抱えている。しかし、一定の条件を前提とした場合、その強みは弱みを大きく凌駕する。

「できるだけ事前予約をいただけるようなお店にする」というのが上に書いた「一定の条件を前提とした場合」の一つ。おこがましい言い方になるし、この時点で「ふらっと気軽に入れる」という訴求から遠ざかることになるけれど、総体的に見れば、「一応、予約を入れておこう」という習慣とスキームをどれだけ早急に作れるかが、ゲストの満足度と店側のパフォーマンスの最適化につながるとオープン当初、確信していた。

この立地で店舗運営する以上、コストは最小限にとどめなければならない。予約により事前の来客数が予測できれば食材を無駄にすることもないし、人件費も変動することなく一定に抑えられる。一日の来客数が事前に予測できないまま不規則に増減するのは自店のように人手も、資本もないハリボテにとって危うく、身体的にも精神的にもかかる負担は大きい。第一、自分たちのキャパを超えた来客があった場合、ゲストに迷惑をかけることになる。仮に想定外の売上が立ったとしても、ゲストに対して満足のいくサービスを提供できなければ、その売上も虚しい。そもそもオープン当初の自分たちのキャパなんてたかが知れている。だから、僕は来るとわかっているゲスト(予約客)に対して、ピンポイントで集中する、というスタンスを取りたかった。

どうすれば「事前に予約してもらえるか」は本筋から離れるので、また別の機会に記すとして、話を「正方形」に戻す。一般的に考えて、一人で飲みに行く場合、あらかじめ予約をとったりはしないだろう。二人の場合も少ないと思う。混雑しているのをもともと知っている繁盛店に行く場合か、全く知らない店に行くか、あるいはその店に対して強い目的意識があるか、のいずれかに限られる。これが3人、4人となるとちょっと具合が変わってくる。「一応、電話を入れておこう」という意識が生まれ、人数が多ければ多いほど、当然その意識傾向は強まる。

したがって「事前予約」の構築を目指すということは、「席が取れないほどの繁盛店になる」か、「大人数や団体時に利用したいと思ってくれる店」のどちらかを目標とすることと重なる。お店の主体者が繁盛店を目指すのは当たり前のことかもしれないけど、僕は迷いなく後者を選んだ。繁盛店はしたいと思ってなるものではないし、その方法論もわからない。あるとすれば、それは日々の中で見つけていくものだと思う。でも後者に関しては、ある程度ロジカルに組み立てていくことができるのではないかと考えた。


そのためには正方形のレイアウトはマストだった。「大人数や団体時に利用したいと思ってくれる店」に照準を合わせた時、「正方形」の間取りは強みとなり、また必要十分条件になる。

J×Jの冒険-2015年4月⑮「表裏と強弱」vol2-

「物事に表裏があり、側面があるように、強みと弱みというのも常に抱き合わせであり、一体であると思う。強みを前面に押し出すことによって、同時発生する弱味のリスクを埋められない限り、強みはすなわち弱みになる」

前回の記事において、そう書いた。

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近隣にはない多国籍料理店であること、
主体者が世界一周の経験者であること、
その世界一周の中で食べた料理を再現・アレンジしていること、
「旅/旅行、世界/海外」をコンセプトとしていること、

こうした要件は自店を差別化せしめ、自店の座標を明確にしうるポイントではあると思う。近年の飲食業界全体の風潮がそうであるように、何か強烈なキラーコンテンツを引っ提げて臨むか、一点に特化した専門店として押し出すかが個人店が飽和から抜けるための有効な一手であることは最近の傾向からすれば間違いないだろう。

ただ、それを積極的に打ち出せば打ち出すほど、店はリスクを負うことになる。僕が多国籍料理店をやるということは多国籍料理に興味のない人からの選択を失うことになり、僕が旅や旅人だけをフォーカスするということは、その照準に重ならないゲストの来店を遠ざけることになる。

「とがる」というのはその分、形状が固定化されるということでもある。尖れば尖るほど、研ぎ澄まされていく斬れ味とともに柔軟性をスポイルすることにもなる。この点をどう考えるかは主体者の意向と判断に委ねられると思う。自分が望む在り方とアプローチで、自分が望むバランスをとるのが主体者の仕事だろう。シーソーの右と左に何をどこにどう置くか、絶妙なものを目指していくためには絶妙な配置が求められる。

最も懸念すべきリスクは軌道修正の余地を失うこと。尖らせていくことで、融通と応用がきかなることが怖い。僕はそういうことをそういうふうに考えるタイプだ。

だから、冒頭に上記した要件は必要以上に押し出さないことにした。それらは自店のアイデンティティではあるが、自店の「強み」は別のところにあると思っていた。正確に言えば、「より汎用性のある強み」が自店にはあると確信していた。

 

ずばり、お店の「間取り」。


これが一番の強みだと思っている。それ以外はゴルフで言えばアイアンや、パターのようなもので適宜、適所で活用すればよく、一打目でまず手に取るべきドライバーは僕の今までの経験やパーソナリティではなく、「お店の作りそのもの」だと思っていた。ドライバーで遠くへ飛ばし、アイアンで適切に距離をつめ、パターでホールに沈める。僕がJ×Jの間取り、レイアウトを上手に訴求することができれば、多国籍、世界一周、旅、世界といったワードもより強くゲストに届き、より確かにお店をアイデンティファイするはずだと想定していた。さすれば、最小のストロークでホールをまわり、次のラウンドに移ることができる。


では、どうすればその「強み」を最大化できるか。


 

 

J×Jの冒険-2015年4月⑭「表裏と強弱」vol1-

話が行ったり来たりしてしまって、ブログがややこしいことになってしまったのだけど、ここでいったん元の軌道に戻そうかと思います。

去年の9月から12月まで、「商売不繁盛論」と題して、オープン当初、自分がお店の運営をどのように考えていたのかを書き続けた。書き上げるのに約3ヶ月かかったけれど、「商売不繁盛論」は自分の基本姿勢なので、できるだけ丁寧に、そして慎重に、形にしておきたかった。

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この商売不繁盛論は独立に際して思い立ったものではなく、飲食経験の中でじっくりと培われてきた。本格的に飲食業に従事したのは26歳からだけど(と言っても大手チェーンの居酒屋だけど)、アルバイトを含めれば18歳から携わってきたし、その中で実に様々なお店で働くことができた。僕が数店舗での経験しかなかったとしたら、それなりのスペシャリティを磨くことはできたかもしれないけど、おそらく商売不繁盛論には至らなかったと思う。

2000年 千葉のビジネスホテル内にあった中華ダイニング
2003年 神保町の居酒屋、神宮のビアガーデン
2004年 東京駅構内の居酒屋
2009年 地元の大手居酒屋チェーン、千葉のエスニックレストラン
2010年 地元の大手居酒屋チェーン、地元のフレンチレストラン
2011年 地元の大手居酒屋チェーン、地元のお好み焼き屋さん
2012年 世界中で出会った世界中の飲食店(客として)
2014年 秋葉原のトラベラーズダイニング

それぞれのお店に学ぶところがあり、自分には不向きであると思うところがあり、と言うか、そもそも無理だろ、ということが多々あり(資金及び技術面で)、そんな自分が生き抜くためにはどうすればいいかを長い間、黙々と考え続けた。それぞれのそれぞれを抽出してパッチワークのように繋ぎ合わせてできたのが「商売不繁盛論」で、ここから先はその「商売不繁盛論」という理論や哲学の「実践」となる。


要は「売上・健康・従業員」の最適化のために最初から焦らずゆっくりいこう、という話なのだけど、そのゆっくりの中で何をするかが大事なわけで、一つはお店の弱点を潰していくこと、もう一つはお店の強みを活かせるような仕組みを作ること。身動きがとれるうちにこの2点に対して集中して取り組む。それもまた商売不繁盛論の本懐の一つだった。

 

オープンしてから3年の間で3~5割のお店が潰れるとかよく聞くけど(この数字の信憑性も疑わしい)、生き抜くお店は何らかの強みやキラーコンテンツを持っている。


まずは自分の弱点を理解し、逆に強みを見出す。そして、それを知ってもらう。そこさえクリアすれば、「骨格」は形成され、店としてある程度たくましくなる。逆に3年以内に骨格を形成できなければ潰れる。そう思っていた。


では「強み」とは何か。


例えば、多国籍料理店であること。


確かに差別化のポイントとして見れば、強みとも言える。けれど、同時に弱味でもある。多国籍料理であるからこそ選ばれる時もあるかもしれないけど、多国籍料理店であるがゆえに選ばれないこともある。おそらく自店の立地を考えれば、後者の方が多い。


物事に表裏があり、側面があるように、強みと弱みというのも常に抱き合わせであり、一体であると思う。強みを前面に押し出すことによって、同時発生する弱味のリスクを埋められない限り、強みはすなわち弱みになる。


そう考えれば「多国籍料理」だけでは100%の強みには成り得ない。ここに美味しさや接客が加わったとしても同様だと思う。そういうことじゃなくて、僕はもっと別の場所に自店の強みを据えていた。



【2017年嵐を起こすのかメニュー】提供開始のお知らせ

1月3日のフジテレビ『嵐ツボ』の放送から早一ヶ月。

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この放送を見て来店されたゲストのほとんどは「番組で紹介していたメニューが食べたい」とおっしゃられます。まあ、当然の話です。でも、あれは「2017年絶対に流行る 日本ほぼ未上陸グルメ」として世界一周中に食べた1165皿の中からランキングしたものであって、お店のメニューから選んだものではないのです。

ゲストに尋ねられる度に気まずい回答をする自分。最近では気まずさを通り越して、罪悪感すら覚えるようになりました。

この罪の意識から逃れるための手立てはただ一つ。自ら作るしかないのです。

というわけで、ご紹介した5つのうちの4品、自店で開発しました。自分が現地で食べたものを完全に再現してるものではないけれど、味自体はかなりニアなところまで寄せることができたのではないかと。また「作れる」ことと「オペレーションに乗せて提供する」ことは同じではなく、この点をどう克服するかも課題だったのだけど、色々と工夫して(若干強引に)、通常メニューとして提供する段取りもつけることができました。

それでは「2017年嵐を起こすメニュー」、順にご紹介していきたいと思います。まずは第5位のタイの「ムーガタ」。 

f:id:journeyjourney:20170203154719j:plain出鼻を挫くようですが、こちらは調理器具と設備の問題で断念。でも近いうちにタイから直接取り寄せようかと考えてます。コースメニューの中に「ムーガタコース」を組み込むのも面白そうだな、と。


第4位のボリビアのパパ・レジェーナ。

f:id:journeyjourney:20170203155106j:plain番組内では「南米発のコロッケ革命」と説明しましたが、これはほんとになかなかの革命だと思ってます。このコロッケ革命をJ×Jで表現すると、こんな感じ。

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写真では何が何だかよくわからないけども、この衣のないコロッケと野菜サラダの取り合わせがけっこういけます。ここからさらにぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、召し上がっていただきます。

 

続いて、第3位の「ポジョ・コン・モーレ」はメキシコのスパイシーチョコレートチキン。アメリカとの国境の街ティファナの食堂で食べたモーレはこれ。

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モーレは現地の味に近づければ近づけるほどキツくなるので、お店で提供するモーレはベースを残したままちょっと柔らかめに仕上げています。

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第2位、トルコのミディエ・ドルマムール貝の中にピラフを詰め込むという斬新さ。提供する側としてはその斬新さよりも、仕込みの大変さに意識が行きます。下記、写真の後方を見ればわかるように山のようなムール貝に、山のようなピラフを詰め込んでいく必要があるのです。

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僕がミディエ・ドルマ屋さんであればいいのですが、多国籍料理店ゆえ、ミディエ・ドルマだけに時間をとられるわけにも行きません。そこで考えたのが、

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こういったパエリアのようなスタイル。本場のミディエ・ドルマと同じような味付けで米とムール貝を一緒に炊き込んでいます。おススメはスプーンではなく、貝殻でピラフをすくって食べるスタイル。お好みでレモンを絞って、ムール貝と一緒に食べればぐっとエキゾチックに。

最後に、第1位。オランダで食べた塩漬けニシン「ハーリング」。実際にオランダで食べたのがこれで、

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提供するのはこちら。

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見た目は限りなく実物とイコールです。勿論、お店でお出しするハーリングも美味しいですし、美味しいからこそ提供させていただくのですが、正直に言うと、僕がアムステルダムで食べたハーリングはこの美味しさをはるかに凌ぎます。

築地に朝届いた魚をその日に捌いてその日に提供するお店の魚が美味しいように、このハーリングにも同様のことが言えます。美味しいハーリングスタンドは生のニシンを塩漬けにして一日寝かして、翌日に提供します。このタイミングこそが旨味を最大限に引き出すポイント。そして、ニシンの旬は初夏で、この時期もっとも脂がのります。僕がアムステルダムで食べたのも解禁したての5月。なので、僕が食べたハーリングハーリングの中でも抜群のものを食べたのだと思います。

そうとは言っても、このハーリングの魅力を最大限に引きだすために色々と試行錯誤しました。付け合わせの玉ねぎの切り方、相性のいいピクルス、レモンを絞った方がいいのかどうか、オリーブオイルはどうだろうか、など、このシンプルな料理にも工夫の余地はあります。J×Jを通して、ハーリングの美味しさを伝えていきたいのです。

 

以上4品がこれからJ×Jで提供する「2017年嵐を起こすメニュー」です。「嵐を起こす」と嵐の皆さま及び不特定多数の視聴者の前で言い放ちましたが、放送から一ヶ月経った今(2017年の12分の1が過ぎた中)、このメニューたちが嵐を起こす気配はありません(弱気)。

なので、これより「嵐を起こすメニュー」改め「2017年嵐を起こすのかメニュー」として(弱腰)、J×Jにて提供してまいります。皆様のご来店、心よりお待ち申し上げます。

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【その他のお知らせ】

2017年度の採用活動を始めています。

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あかねの「将来の不安」への冒険-香港ラウンド後編-

香港の中心部で本格中華を堪能したのち、九龍に移動。日本で言うところの六本木というか、豊洲というか、それをどちらも兼ね備えたかのような九龍。惜しみないセレブリティが惜しみなく溢れていた。

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僕たちをアテンドしてくれた友人はこのエリアに住んでいる。そのため、普通は立ち入れないマンションの敷地にも入ることができた。香港の夜景を余すところなく独占できたのも彼のおかげだ。

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そして、初日のハイライト。この九龍の一角にある「リッツカールトン」へと向かう。僕は一度だけ六本木にあるリッツカールトンのバーに連れて行ってもらったことがあるのだけど、それはまあラグジュアリーでして、超一流たちが醸し出す超一流の静寂の中で、アラブの王族のような方々が葉巻をくゆらせてるわけです。香港もそんな感じかと思いきや、

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 と、意外とカジュアル。このオゾンというバーは最上階の118階にあるのだけど、下の階にもバーがあるようで、そっちのほうはもうちょっと落ち着いたラウンジだそう。


しかし、まあ、ゴージャス。

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そして、まあ、浮く。

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けれど、あかねにしても、僕にしても、こういうラグジュアリーな世界とは無縁で過ごしてきたので、いい機会だった。カクテル一杯に3,500円だなんて、派手に羽目を外さない限り、手が届かない。


そして、翌朝。占い大国「香港」の総本山、黄大仙(ウォンタイシン)へ。

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これまた、あかねにしても、僕にしても、占いだとかの世界とは無縁なのだけど、これはこれでいい機会だと思い立った。あかねも24歳というムーディーな年齢。将来に対して不安の一つや二つあるのは当たり前。

自分は何をしたいのか、

自分らしさとは何か、

自分はどういう人間になりたいのか、

わりと真面目に生きてれば、誰もが通る青春の門。そして、多くの人がくぐれないまま右往左往する青春の門。僕自身もそんな人間の一人で、あーでもない、こーでもないとうろうろしながら、そういう漂流もまた一興、と自分の都合のいいように解釈してるわけだけど、それをあかねに伝えるのはなかなかに難しい。あかねは確固たる「ピンとくるもの」を強く求めている。僕の説法はあかねにあまり響かないし、仕事は仕事であって、確固たる「ピンとくるもの」には該当しないようなので、ここはひとつ、プロの見立てと意見を聞いてみようじゃないか、ということで占い師を訪ねてみた次第だ。

 

香港人と「占い」の結びつきは強く、その中でも道教寺院である「黄大仙」は人々に厚く信仰され、毎年300万人が参拝に訪れると言われている。

週末ということもあってか、この日も境内はごった返していた。

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香港スタイルの参拝に戸惑いながらも、見よう見まねで手順を進めていく。

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どこか心細げだが、できるだけ忠実に。

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この竹筒を振って、出てきた棒に記載された数字をメモする。

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その数字を持って、占いコーナーへ。何軒も並んでいるので迷うところだが、どの占い師を選ぶかはインスピレーションだろう。色々覗いてみた結果、

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日本語がわかり、かつ、ミーハー感のない(日本の芸能人との写真などが軒先に飾られていない)地味めの占い師を選んだ(営業妨害になりかねないので、どの占い師に占ってもらったかは特定しないようにする)。

その占い師に先程の数字を渡す。占ってもらう内容はずばり、「恋愛」と「仕事」だ。

番号と生年月日に沿って、占い師は日本で言うところの「おみくじ」のようなものを取り出した。このおみくじにあかねの向こう一年が書かれているというわけだ。


ちなみに、このおみくじが指し示すのは向こう一年であり、それより先のことはわからない。「ソレヨリサキノコトハワカラナイネ」と占い師は言う。「モットサキノコトハ手相ヲミナイトワカラナイネ」。勿論、手相を見てもらうためには別途料金がかかるし、その額はわりと跳ね上がる。なるほど、ミライにはお金がかかる。


とりあえずは向こう一年で十分だろうということで、まずは「恋愛」。

 

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当然、何が書いてあるか、何を意味しているのかはわからないので、それを占い師に読み解いてもらう。「これはこれを意味してて、あれはあれを指していて、つまりはこういうことで、スナワチ…」。



「ヨクナル」と占い師は言った。


言語の壁と、理解への努力の問題だとは思うけれど、説明と経緯はよくわからなかったが、最終的には「良くなる」と。


続いて、「仕事」。

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昔、何とかっていう王様がいて、争いが絶えなかったのだけど、どうのこうので、あああだこうだで、最終的には丸くおさまって、つまり、まあ色々あるけれども…


「ヨクナル」と。


なんならこの占い師さん、おみくじに平仮名で「これから前よりよくなる」って書いてくれてますからね。


帰路、「何だか物足りないですね」と茜がぼやくのに対して、「もっと詳しく知りたいのならお金を積みなさいってことだ」と世知辛いコメントをすると、「世知辛いですね」と彼女は答えた。


「あかね、恋愛は?」

「良くなる」

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「じゃあ、仕事は?」


「良くなる」

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「なら、いいじゃないか」



「そうですね…」



この日も精力的に香港を観光した。飲茶を食べ、エッグタルトを食べ、タイマッサージを受け、アルゼンチンステーキを食べ、ネパール人がメキシコ料理を出すパブでベルギービールヒューガルデンを飲んだ。飲茶以外は全て外来種だ。けれども、この出鱈目な無国籍感こそが香港の本質であると思うし、それを味わうのが香港の醍醐味なのだと感じた。


飲んだ帰りに交差点でインド人同士が何やら楽し気に話していた。その様子を見て、あかねは確固たる「ピンとくるもの」の一端を垣間見たようだ。作家村上春樹神宮球場で野球観戦をしている時、ヤクルトスワローズのデイブ・ヒルトン選手が二塁打を打つのを見て、「よし、小説を書こう」と思い立ったと言う。何がどこでどうなるか、というのはわからないものだ。



彼女がインド人から得た着想が今後どのように冒険していくかは定かではないし、それはまた別の物語だけども、挫けないかぎり、きっといい方向に向かうだろう。



「これから前より良くなる」だろう。

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あかねの「将来の不安」への冒険-香港ラウンド前編-

あかねは去年の春からJ×Jで働いている。ジョインから数ヶ月経つが、このブログではほとんど触れたことがない。あかねがどんな女の子で、どんな経緯でJ×Jで働くことになったのか、そして、どのような日々をJ×Jで過ごしているのか、それはまた改めて別の機会に詳しく書くことにするが、端的に言うなれば、とにかくファンスティックな女の子で、ファンタスティックな経緯を経て、ファンタスティックな日々を過ごしている。主体者の立場からすれば、それで苦労するところもあるけれど、それよりも楽しませてもらっている部分の方が多い。歩くファイナルファンタジー、僕はあかねのことをそう思っている。



今回はそんな彼女の冒険の一部をトリミングし、先んじて綴ることにする。が、前もって言うと、この物語に特にオチはない。ぬるい温度感の中、ぬるいリズムで進む。最後まで読み終えたとしても、ぬるい読後感しかないのだけど、その「ぬるさ」こそ、この話のポイントだし、あかねらしさでもある。


「海外/世界」、「旅/旅行」をテーマにしている以上、年に一回くらいは海外に行きたいと思っている。プライベートとは別に、店として、社員旅行のような感覚で行きたい(この先人数が増えたらわからないけれど、今のうちは航空券代くらいは工面して)。年末戦線が過ぎると、多くの飲食店はしばらく閑散期に入る。事業所立地の店舗はとりわけ暇で、ましてや路地裏の店は悲惨だ。というわけで、去年は2月にタイに行ったけれど、今年は1月の三連休を社員旅行にあてることにした。


行き先についてはいくつかの候補が上がる中、香港に決めた。予算は限られているので自然と近場になるし、香港には大学時代の友人がいる。時間もタイトなわけだし、自分たちで探索するよりも彼にコーディネートしてもらったほうがより有意義だ(バックパッカー魂は引き出しの奥に眠っている)。そして、何より、僕も茜も行ったことがない国、というのが香港を渡航先に選んだ一番の決め手だった。


6日の金曜日の営業を終えたのち、そのまま店に泊まり、7日の早朝のフライトで香港へ。到着後、市街地まで電車で移動し、友人と合流。予約しておいたホテルに荷物をおろし、香港観光へ。


まずは香港の名物とも言える雲呑麺。雲呑の中に海老がぎっしり詰まっている。

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雲呑麺を食べたのち「ビールを飲もう」ということになって、バーへ。15時に雲呑麺、そして16時にバーでビール。このあたりの無軌道感がいかにも旅行らしくていい。

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ビールが五臓六腑につたっていくのと同時に、全身から力が抜けていくのをありありと感じた。11月中旬から1月7日まで全力疾走で、ずっと気を張っていたけれど、この瞬間、散りばめられた電源を片っ端からオフにし、ガスの元栓を閉め、勢いよくシャッターを閉めた。


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友人にはあちこち案内してもらったし、香港の魅力をたっぷり堪能させていただいた身でこう言うのも恐縮だが、この瞬間が今回の旅行の中で最も印象深い。全身を湯船につけた時に感じるような心からの安堵。


その後、改めて香港の市街地に繰り出す。まずは上からの百万ドルの夜景「ヴィクトリアピーク」。

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ぶらぶらしたあとは、

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香港の本格中華の数々。

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青椒肉絲。

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坦々麺。

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この旅のMVF(Most Valuable Foods)はエビチリ。空前絶後。

 

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ご満腹の、ご満悦。

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と、ここまでは全くの食道楽。ひたすらの食い倒れ。


が、全ての物事に表と裏があるように、この笑顔の裏にも秘めれるものがある。先日、あかねも24歳というわりとムーディーな年齢となり、間もなく社会人3年目を迎える。世の理も朧げに見えてきて、今まで気にしてこなかったことも次第にリアリスティックな輪郭を帯び始めた。こうした時、


自分は何をしたいのか、


自分らしさとは何か、


自分はどういう人になりたいのか、


という門が立ちはだかる。




その青春の門をノックするために、彼女は海を越えた。




黄大仙(ウォンタイシン)。占い大国香港の総本山。


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明日、我々はここに向かう。




「商売不繁盛論」と「冒険」④-小説『Journey×Journey』後編-

小説『Journey×Journey』の主人公は「僕」ではない。自分の世界一周に基づく紀行文を書いたところでたかが知れてるし、凡庸で、興がない。それを実現できるかはさておき、書くのであれば「凡庸ではなく、興のあるもの」を目指したい。



この物語では5人の旅人を主人公にしている。タイのバンコクボリビアのアマゾン、オーストラリアの「12人の使徒」、エチオピアのアワサ湖、インドのプリ-を舞台に、それぞれの旅人のそれぞれの旅を描く群像劇の形式を採用した。旅は人間を生々しく深く抉る。旅人が孕むそうした生々しさを小説という表現を通してフォーカスしていきたいと考えている。だから、テーマは「旅そのもの」よりも「旅人」になるのかもしれない。「旅は素晴らしい」、「旅に出よう」という文脈は世の中に十分に溢れている(逆も然りだけども)。僕も旅に魅了された一人として、心からそう思っているが、そうした想いを小説にのせる意義はさしてない。


「旅人」と言っても、その意味は広い。バックパックを背負ってる者だけを旅人と指すわけではない。バックパッカーにピントを合わせると、バックパッカーに向けた文章になってしまうので、『Journey×Journey』においては「旅人」を広義に捉え、物語に側面と重層感を持たせるように努めている。


第一章の主人公は大学生の「五十嵐信夫」。彼自身、海外には全く興味がないが、恋人の希望でタイに短期旅行に行く予定を立てていた。ところが出発直前になって、恋人に振られる。信夫は半ば自暴自棄にタイに渡航。食堂で知り合ったバックパッカーに誘われ、要領を得ないままバンコクのゴーゴーバーへ。隣に着いた女の子は信夫の人生において、未だかつてない美女で、錯綜するネオンと芯まで響く重低音の中で、未だかつてないキスを経験する。ところが、彼女はニューハーフだった(話の筋としては取り立てて物珍しさはない)。


下記、小説『Journey×Journey』より引用。

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実は男だと知って、彼だか彼女だかを突き放すことが成年男子として健全な反応なのだろうか?騙されたと憤慨し、店を飛び出るのは許される行為なのか?もしくは、「何事も経験」というありがちなロジックを持ち出して、強引に対処すればいいのだろうか。さりとて、若気の至りとかこつけて、先方に対する敬意もないがしろに面白がるのはいかがなものだろうか。女であろうが、男であろうが、この人が現実に僕にもたらした恍惚は撤回のしようのない、また記憶からデリートすることもできない、揺るぎない確かな感触だった。あとで男と知ったからって、その恍惚を無碍に反故にするのっていうのはさ、何だかとても偏狭な話のように思えたし、何より彼女(でいいや)に対してフェアじゃないことのような気がしたんだ。

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第2章では信夫を振った恋人がボリビアのアマゾンに行くストーリーに転回する。


5人の旅人のそれぞれの旅は独立したものでありながら、それぞれに結びついている。実際、僕自身の世界一周がそうであったように、自分の旅は常に他の誰かの旅と交差している。そのすれ違いざまのスクランブルだったり、交差後のパラレルが旅を俯瞰した際に湧きだす面白味だと僕は感じている。そうした人間模様と人生賛歌の切れっぱしを描きたい。小説『Journey×Joureny』の「×」にはそのような意味を込めている。


もし、これが形になれば、他に類を見ない旅小説になるのではないかと思っている。旅をオムニバス形式で取り扱った作品を僕は知らないし、「旅人自身」にフォーカスにした小説もあまり見かけない。


とは言え、探せばあるかもしれない。ここまででは「凡庸ではなく、興のあるもの」にはならないかもしれない。


僕が『Journey×Journey』にロマンを感じるのは、ここで描かれる5人の旅人とは別にいる、まだ見ぬ「6人目の旅人の6つ目の冒険」だ。6人目の冒険は他の旅人の話を聞いた上で、僕がストーリーを起こしてもいいし、僕ではない誰かが続きとして6つ目の冒険を書くというのも面白いんじゃないかと思っている。


そういうことができればロマンチックだなあ、と僕は妄想する。







クールな現実とクールに向き合うのも僕の仕事だが、



ロマンチックな妄想とロマンチックに向き合うのも僕の仕事だろう。





 

 

 

「商売不繁盛論」と「冒険」③-小説「Journey×Journey」前編-

採用がうまくいったとしても、うまくいかなかったとしても、今年は店舗運営とは別に新しいことに挑戦していきたいと思っている。その一つが小説『Journey×Journey』の執筆と完成。ここに「出版」という文字も加えたいが、実際にそこまで持っていくのはちょっと現実味に欠ける。それに、「小説」というのは表現方法の一つであり、「出版」というのは形式の一つ。小説にも出版にも意志はあっても、執着はない。


では何故、小説『Journey×Journey』を目標とするか。


どんな仕事も大変であり、尊い。大変で、尊いからこそ、そこに然るべき対価が生まれ、報酬や給料が発生する。うまくつけこんで楽して報酬を得る人もいれば、ズルをして給料をかっさらう人もいる。けれど、楽をするにも、ズルをするにも、知恵と根気が必要だ。マクロにそう考えれば、世の中に簡単な仕事なんてない。


その中でも飲食業はやはりタフな仕事だと思う。ある程度は経験と工夫で緩和することができたとしても、飲食業の拘束力は如何ともしがたい部分がある(開業当初はなおさら)。生産性と業務効率の改善は当たり前の至上命題であると同時に、常に神話性を帯びている。現実は神話のように優しくない。


でもだからと言って、「飲食ってそういうもんだから」とあっさり屈するのも癪だ。どうにかしてこの神話を切り崩していきたい。


本業を持ちながら、並行して、あるいはサイドビジネスとして飲食業をまわすというケースは少なくない。けれど、その逆は稀だ。飲食業で独立した事業主が他の事業を起こしたり、レバレッジを効かせた展開を図るのは難しい(勿論、その境界線を踏み越えていく成功者もたくさんいるのだけど)。これはひとえに飲食業が宿命的に孕む拘束力がネックになっているのだと思う。


ここで言う「拘束力」には2つの側面がある。一つは時間的拘束。店が主体者及びスタッフを拘束する時間が長いという問題。軌道に乗って、一定の売上を担保できるようになれば対応の余地はあるけれど、その領域に早い段階で達することができるのはごくごく限られた店舗であって、一般的ではないように思える。もう一つは属人的拘束。もしオーナーシェフとしてずっと現場に立っていたいのであれば、この属人性は問題にならないが、そうでないのであればここも関門となる。個人店のアイデンティティはその店の経営者や店主のパーソナリティに直結している。それが自分の店を持つという喜びであり、個人店の醍醐味でもあるのだけど、場合によってはリスクでもある。「店」と「自分」が完全に同一化すると、そこから離れるのが極めて難しくなる。「あの人がいるから、あの店に行く」という図式は飲食ならではの幸福であると同時に「拘束」を意味する。



飲食業を取り巻く数々の問題の原因も突き詰めれば、この一点に集約されているように思える。


この拘束が時にやりがいを与え、時に疑心と閉塞感をもたらす。経営者や主体者はやりがいがあろうがなかろうが、閉塞感を感じようが感じまいが、基本的にはとにかくやるしかない。けれど、その切実かつ必死な現実をその店で働く社員スタッフに100%、共有するのは難しいし、そもそもその必要もないと思う。スタッフは何らかのメリットがあるから、そこに所属しているのであり、そのメリットを見出せなければ残るのは「このままでいいのだろうか」という疑心と、「このままではどこにも行けない」という閉塞感だけだ。


独立や将来の成功を目標に掲げ、強固な信念を持っていれば多少大変なことがあっても走り抜くことができるかもしれない。でも、飲食従事者はそういう人たちばかりではないし、飲食業がそういう人たちだけで成り立つわけでもない。


だから、お店の主体者は働いてくれるスタッフに何らかの「明確なメリット」を提示し、疑心や閉塞感を寄せ付けないような環境を作っていかなければならない。頑張るのはその先に明るいものがあるからであり、薄暗い行き止まりに近づくために汗水垂らしているわけではない。僕はそういうマネイジメントを目指したいと思っているわけだけど、実践しうるのはまだ当分先の話だろう。まずは自分自身がそうした疑心や閉塞感を克服していかなければならない。


飲食業が持つ拘束力は上記したように、時間的拘束と属人的拘束の2つの側面を持つ。けれど、根幹にあるのは自分が自分を縛る拘束だと思っている。「ずっと店にいなければならないから、他に何もできない」という強迫観念とも言える暗示だ。まずは店の主体者である僕自身がその暗示を打破していかなければならない。


小説『Journey×Journey』はそのためのベンチマークだ。「他に何もできない、ということはない」という反証を小説『Journey×Journey』を通して、示していきたい。商売不繁盛論はその反証への冒険のための一手でもある。


反証作業はできるだけ実利的でないほうがいい。かつ、店舗運営と直接的でないほうがいい。より地道で、よりクラフトでなければ、反証としての価値はない。そして、店舗の運営者でありながら、プレイヤーでもある今取り組むからこそ意味がある。万が一、出版されたとしても、さして利益は見込めないだろう。と言うか、実利はほぼないに等しい。でも、書く。ありったけのエネルギーを注いで、書く。


小説『Journey×Journey』の構成はもう出来ている。「完」まではあともう一息というところだけども、「完成」まではまだ程遠い。


でも、書く。


ありったけのエネルギーを注いで、書く。


(この記事を書くだけでも5時間近く要しているが…)


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「商売不繁盛論」と「冒険」②-採用-

前々回の記事に書いたように、僕はオープンしてからこの1年8ヶ月の間、「商売不繁盛論」をベースに店舗運営を進めてきた。結果として、まだまだではあるけども、それなりの成果は出たと思うし、一定の手応えも感じた。基本姿勢はこのまま変えず、前のめりにならぬよう、できるだけ丁寧に運営を進めていきたい。


でも、ここから先、自分の思い描くイメージを実現していくためにはもう一歩踏み込んだ、攻めのストロークが要される。もっと「冒険」していかなければならない。


その第一は仲間を増やしていくこと。ずばり、採用。


J×Jとしては初めて、ゼロから採用活動を始めようと思います。今まではもともと目途をつけていた人に、言わば一本釣りのような形でジョインしてもらってきたけれど、今回は全くのフラットな場所から採用活動を始めていくことになります。他の飲食店の方々がどうなのかはわからないけれど、僕はこの未開の地にけっこうドキドキしてます。そして、ワクワクしています。



とは言え、求人広告を出して、展開していこうとも思ってません。採用や求人広告は今後勉強していかなければならない項目の一つだけど、現時点ではそれで自店とうまくフィットする人を採用できるイメージが湧かないし、外した時の損失が大きい。スタッフを多く抱える店が複数人の同時採用を目標とするのであればともかく、スタッフ1人を採用できるかどうかを目指すにはコストのかかる「広告」はリスキーだと考える。


なので、当面はブログやSNSなどで地道に進めていくしかないかなと考えています。募集期間はいったん今日から4月末までを目途に、断続的に取り組んでいきます。


求人は1人、社員、調理経験者もしくは海外の食文化や多国籍料理に強い興味を持つ方、の採用を目指します。さらに、店舗運営や総合的なマネイジメントを求めている方がいれば理想的。


本当はここで、給与面含めたもっと細かい募集要項や応募条件も示していかないと思うのだけど、現時点ではその提示はあえて控えようと思っています。


シフトや予算面から生じる「枠」に対して「ヒト」を当てこむのではなくて、その「ヒト」に対して「枠」を用意したいし、作っていきたい。だから上記にアバウトな募集要項は書いたけれど、もしお互いに整合性を持てるのであれば、社員という勤務体系じゃなくてもいいし、調理スタッフにこだわらなくてもいいかなという気持ちもある。


結局すごくふんわりしちゃったけど、


採用もまた不確かな手探りの中、進めていきたい。


J×Jで働くことに興味を持ってくれた人がもしいれば、まずは飲みに行きましょう。


*お問い合わせはお店の電話番号、

08040965577

に直接お電話いただくか、もしくは、

s.yamamoto.jj@gmail.com

までメールをもらえると幸いです。よろしくお願いします。

担当:山本






百姓「山本ジャーニー」のジャニーズ「嵐」への冒険

「のぶあきおじさん」(仮名)は僕から見て4親等(多分)にあたる、いわゆる「親戚のおじさん」の一人だ。今は故郷である山口に帰省する機会をあまり持てていないし、帰ったとしてもどうしても時間がタイトで、ろくに挨拶にも伺えていない。早くお店を落ち着かせて、このあたりの慌ただしさを改めたいと思ってはいるが、とにかく、僕は「のぶあきおじさん」とすっかりご無沙汰だ。

なので、僕は今の「のぶあきおじさん」を語ることはできない。昔のままかもしれないし、昔とは一転しているかもしれない。ただ今、ここでスポットライトを当てたいのは25年前の「のぶあきおじさん」であり、25年前の「僕」だ。


この『百姓「山本ジャーニー」のジャニーズ「嵐」への冒険』は25年前の山口まで遡り、2016年12月のお台場を経て、2017年1月3日の秋葉原に至る。


幼少期の僕に映る「のぶあきおじさん」はとにかくよく飲む人だった。自分含め親族一同、皆、大酒飲みなので珍しいことではないのだけど、その中でものぶあきおじさんは突出していたように思える。正月や、お盆は朝起きて、顔だけ洗って、そのまま缶ビールのプルトップを引く、そういうレベルだ。僕も飲む方だけど、寝起きビールの領域には未だに辿り着けていない。


僕がおじさんに挨拶に行くのは決まって正月かお盆の帰省中だったので、飲んでるイメージが色濃く、素面の残像はなく、そもそもノンアルコールのおじさんを僕は知っているのだろうかと疑わしいほどだ。


そんな「のぶあきおじさん」だが、「大酒飲み」に加え、がっちりとした体格で、声量も大きい。多少口は悪いが(おじさん、ごめん‼)、ガンガン喋り、ガンガン飲み、白も黒も一緒くたにしたユーモアを派手にばらまいて、いつもまわりを笑わせる。そして、自身もまた「ガハハッ」と大笑いしながら、また酒を飲む。何と言うか、とにもかくにも豪快なのだ。


普段は厳格な父もおじさんと飲むときはとっても楽しそうだったし、なかなか見れない一面が見れたりして、子供ながらにその時間がけっこう好きだった。同時に、おじさんのそのただならぬ豪胆さは桁外れの迫力を放ち、小学生の僕を圧倒し、威圧した(勿論、おじさんにそんな意図はなく、僕が一人でビビッていただけだが)。


そんなある日、両親に外せない用事があったのか、初めて僕と弟だけで「のぶあきおじさん」に挨拶に行くことになった。「もうお兄ちゃんなんだから、K(弟)を連れて、挨拶に行ってきなさい」みたいな具合で。僕はマジか…、と戦慄しながら、弟を連れて、恐る恐る大魔神の居城を訪ねた。


缶ビールを片手に「ガハハッ」と現れたおじさんは、弟の頭を撫でながら「おお‼よく来たな、ジャニーズ‼」と言った(弟は僕とは正反対で、ジャニーズ顔のイケメンなのだ)。僕は魔神にいい子いい子されるジャニーズを誇らしげに眺めていた。なんだ、全然大丈夫じゃないか、僕たちだけでちゃんと挨拶できるじゃないか。ガハハッ。


 

「で、お前は何しに来た、百姓」



魔神が振り下ろした斧は僕のハートを一刀両断に引き裂いた。



 

今思えば、やっぱりおじさんは面白いよなあと思う。「ジャニーズ」とのコントラストに「百姓」かあ、とそのワーディングのセンスに惚れ惚れする。これが例えば「不細工」だったりしたら、全然シャープじゃない。この鋭い切れ味は出ない。


と、今では思うけど、思春期手前の僕にはそれなりに刺さる一言だった。この一件は僕の心に刻まれ、その後、好きな女の子が森田剛の下敷きを持っていたり、掌にマジックで「堂本光一ラブ」と書かれているのを見る度に、僕は劣等感に苛まれる羽目になった。

 

 

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時は流れ、2016年12月。タクシーの車内、レインボーブリッジの先に見える球体を眺めながら、「のぶあきおじさん」のことを思い浮かべていた。





百姓の尊厳と意地を胸に、ジャニーズへの冒険が始まった。


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しかし、僕の断固たる決死行はあっというまに緊張に支配された。加速度的な緊張は走馬燈となって、過去をフラッシュバックさせた。

 

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初めてお店にゲストが来た時のことや、

 

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世界一周に旅立った日の空だとか、

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女の子に初めて告白したあの夏の日の駐輪場だとか(フラれた)、

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今までの半生において経験したありとあらゆる「緊張」が頭の中を駆け巡り、

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僕は「無」になった。

 

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「無」になった。

 

 

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緊張は限界値を超えると「無」に還るということをこの日初めて知った。

 

 

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2016年12月31日。僕は久しぶりに「のぶあきおじさん」に電話で話した。



「わしゃ、そんなこと言うたんか。覚えとらん、ガハハッ」。


と、言っていた。相変わらずの、のぶあきおじさんが僕は好きだ。




最後に。


この冒険は多くの方々のご協力とご理解の上に、奇蹟的に成立したものです。何かがほんの少しでもずれていれば実現しえないものでした。関係各位に心から感謝します。


そして、今回は25年前の「のぶあきおじさんと僕」を軸に据え、物語を展開したけれど、いつかまた、時間を置いて、この冒険がいかに奇蹟だったかを描きたいと思ってます。

 

そのためには百姓の尊厳と意地を胸に、コツコツとした日々をコツコツと積み重ねていくしかない。



さすれば、こんな日もやがてめぐる。



自分の世界一周がこんなふうに取り上げられることになんて夢にも思わなかった。深夜のデニーズで一人、あのアルバムを作りながら、その「意味」を自問自答していた自分に言いたい。



「全ての可能性はオープンだ」。



*写真は放送直後、僕の真似をするスタッフ茜とお昼寝から起きる中華屋のおじさん。

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全ての可能性はオープンだ。