この大恐慌の中において、飲食店の苦境ばかりが取り上げられることに初めから違和感を覚えていた。2月上旬から今日にかけて、睡眠以外の全ての時間をほぼ店で過ごしているので、テレビは観ないし、情報はニュースアプリでしかチェックしていない。なのでちゃんと観ればちゃんと報道されているのだろうし、飲食店は数も多いし、さくっと取材しやすく、日常生活にとって身近だから取り上げられるんだろうなと思っている(少なくともライブハウスや言わゆるナイトクラブよりは)。
にしてもちょっと偏りすぎでは?、と思っていた。大変なの飲食だけじゃないし、旅行や宿泊は勿論、他にもいろいろあるでしょ、と。
そうした背景もあって『超貧窮問答歌』を始めてみた。
大変なのは飲食だけではないが、過酷なレースであることは間違いない。では実際、自店においてはどれくらいシビアなのか。それをオンタイムでできるだけ克明に記したかった。一方、4月8日、それまでかろうじての生命線だった本店の店内ランチの来店数が1名になったことを受けて、この極限まで限定された状況下で何をどこまでできるか、ルールに則った上でどれだけ抗うことができるのか、試したくなった(本当はどうすればいいかを「問答」しているところ、その過程を中心に描きたかったがそれはあまりできなかった)。
禍が本格化するにつれて、友人や知人や常連さんから心配や激励の連絡を多くいただいた。中にはダイレクトに送金を提案してくれるような方もいて、痛み入るとともに「これはまずい」とも思った(その提案については有難く遠慮させていただいた)。そうした提案は応援や支援の一心であり、その気持ちはほんとに嬉しいのだけど、僕としてはそうした気持ちの受け皿をせめて可視化したかった。「J×Jの何を応援しているのか」、「その支援は今後J×Jの何になるのか」、逆に言えば「J×Jは何を応援されるのか」、これを透明化し、明確にすべきだと思った。おそらく応援する側にとっても、応援をいただく側にとってもプラスに働くはずだ。数字公開にはそうした想いもある。
本店家賃 :203,704円
2号店家賃 :186,230円
最低人件費:300,000円
合計689,934円。この金額はいわゆる「固定費」にあたる。
これに関しては期限まで5日残し、5月1日にクリアすることができた。あくまで自店の話なので、「飲食業界的にこのコミットは実際のところどうなのか」という点については僕もよくわからない。ある店からすればすごいことなのかもしれないし、違う店からすれば全く寒々しいことなのかもしれない。ただ一つ言えるのは、休業に踏み切っていれば売上はゼロだったということ。そして、この駅から離れた人の往来が全くない路地裏で考えたとすれば上出来(というか皆様ほんとにありがとうございます)、というのが僕個人の感想だ。
当初、設定した目標はクリアできたわけだけど、赤字であることには変わりはない。そもそも「食材原価」が含まれていない。売上の30%弱に相当する20万を原価、水道光熱費等その他経費を10万とすると、あと30万を加えた989,934円が一応の損益分岐点、赤字と黒字の境目となる。この数字を目がけて、おせちのテイクアウト及び5月3日のデリバリーに集中投下した結果、
目標の989,934円に対し、総売上は828,790円。161,144円の赤字となった。
ここまで肉薄できたことに僕は達成感を感じている。
一方で、これが全力疾走のタイムであり、全力投球のスコアでもある。すなわち、ここがこのやり方の限界。僕はこの1ヶ月(というか、貸切のキャンセルが始まった2月中旬からの約3か月)、ここまでやってダメなら閉店もやむを得ないという気概で、もてるもの全てを総動員して、打ち込んできた。その結果が161,144円の赤字。正確に言うなれば他にも色々経費はあるし、何よりスタッフのシフトを極限まで制限している、そして、僕自身の給与というか報酬はその先にある。とてつもなく果てしなく、果てしなくシビアだ。そのための補償や助成なのだけど、損失は緊急事態宣言や都の要請とともに発生しているのではなく、2月から始まっている。当面の運転資金になるとしても、この3か月で削られたわずかながらの貯蓄が戻ってくるわけではなく、反面、一瞬にして膨れ上がった借金が返済されるわけでもない。
1877年、明治新政府に対して反旗を翻した西郷隆盛は士族最後の反乱として九州で暴れまわったわけだけど(西南戦争)、最終的に官軍に四方八方囲まれ、側にいた別府晋介に「もうここらでよか」と言って、介錯を頼んだと伝えられている。
介錯は頼まないけれど、僕もわりと「もうここらでよか」だ。
このやり方の、このチャレンジは「もうここらでよか」だ。
ちなみに僕も西郷どんみたいにお腹が出ている。全力疾走したにのも関わらず痩せなかったな。
STAY CHALLENGE.2に続く。