Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

「なんだよ!やってないのかよ!」

J×Jは間もなく8周年を迎えます。最初のレセプションを行ったのが2015年の3月28日(土)で、グランドオープンが4月1日(水)なのですが、どちらを誕生日とすべきなのかよくわからないまま、8年間ふわっとやり過ごしてきました(一般的には4月1日ですかね、どうなんでしょう)。多分、このまま「この日」とは定めず、ふわっとさせ続けるのだと思います。一方、そんな具合で適当な割には「周年」にはそれなりの思い入れもあって、毎年、4月の土曜日にイベントは開催してましたし、その前後には近隣のお客さんに向けて感謝フェア的な催しも続けてきました。

3年前にコロナが始まって、その流れが途切れました。今、J×Jも遅ればせながらようやく元の日常が戻ってきましたが、3年も経てば、コロナ関係なく、様々なものが自然と移ろいゆくわけで、自分の考え方も、人間関係も、取り巻く状況も、為替も、玉子の値段も良くも悪くも色々と変わっていきました。

そうした移ろいや変化を目の当たりにする中で、8周年とか、周年イベントとか、開催する意義あるのかなあと感じたりもします。このままないならないでいいかあ、とも思いましたが、結局やることにしました。

2022年7月末、自分も含めて、スタッフ全員、コロナに罹患しました。感染者数としては一番、多かった頃ですね。僕は無症状だったので今でもピンと来ませんし、陽性と診断されるまで時間がかかったということもあって、「スタッフ全員、陽性になっちゃったから営業はできないけど、自分は元気なので、お店でデスクワークしてる」っていう日が1日ありました。

シャッターに臨時休業の案内を張って、僕は店内でデスクワークしようとするのだけども、ランチに来てくれるお客さんが店の前まで来て、帰っていく姿を見て、「やっぱ気まずいなあ」と思ってました。そもそも、なかなか稀有な状況です。仮に自分が一人になったとしても、元気であればなんらかの形で一人でも営業するでしょうし、店に出れないほど元気じゃないという状況というのはまあよっぽどです。実際、この8年、体調不良でランチを休んだことは一度もありません。

だから、「自分は元気だけども、お店は休んでいて、かつ自分はお店にいる」というのはいくつもの条件が重ならないかぎり、発生しえないシチュエーションです。そして、実際に、2022年7月末にそのシチュエーションが起こりました。

重複になりますが、その状況はすごく気まずかったです。やっぱり休むのなら店内にいないほうがいいなあと痛感しました。そんなふうに感じているところに、「常連ってほどじゃないけどちょくちょく来てくれる、顔と好みはわかるけど話をしたことはない、暗くはないけどかと言って明るいイメージもない」という微妙な距離感の男性客(多分30代)がお店に前に来て、閉じられたシャッターを見て「なんだよ!やってないのかよ!」と、まあまあの声量で言い、まあまあの力で手のひらを自分の太腿に叩くのを目撃しました。


その光景を目にした瞬間、気まずさと同時に、それまでになかった新しい感情が芽生えました。「すいません…、でも、なんか、ありがとうございます…」的な。仮に僕が一人営業しててんやわんやだったとしても、彼はいつものように黙々と注文し、黙々とお召しになり、黙々とお支払いいただき、黙々と退店されていたかと思います。でも、僕が店内から見た店外の彼は全く黙々としていなかった。「なんだよ!やってないのかよ!」。

普段日常的に見ていることや、情報として記録されていることだとか、自分が想定していることは事実ではないし、実際に「実際」ではない。けれど、彼がその時発した言葉と、彼が自分の太腿に打った平手は、予定調和なレビューや、取ってつけたかのようなコメントを無に帰すような、生々しい反応であり、シンプルな肉声でした。彼のその落胆をライブで目の当たりにした時、自分は自分のお店をもう少し誇らしく思ってもいいのかも、と感じました。満足することなんてないし、常に何かが足りないと感じているからこそ頑張るし、工夫するし、よりよくいよう、よりよく在ろうと思うけども、同時に「そんなふうに思ってくれてたんですね…、ありがとうございます…」と、もう少し素直に受け取ってもいいのかもしれない、なんていうふうにも思いました(単純に暑かっただけかもしれないけど。去年の夏は暑かった…)。今や闇の根源とされ、陰口のトッププレーヤーでもある「承認欲求」ですが、「承認欲求を承認」することも大事かもな、と感じたのです。

という、そんないきさつもあり、8周年はやろうと思いました。



誕生日は依然行方不明ながらも、ざっくり8年もの間、どうにか戦火を潜り抜け、今のところは今もなお、この路地裏で生き延び続けているJ×Jを3月28日と4月1日と今年で言えば4月22日に、まずは何はともあれ、自分がちゃんとお祝いしてあげなきゃな、と思うのであります。