Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

【嵐ツボ】第2位「ジャイロ」への冒険

「世界を一周しよう」と思い立った時、まずはじめにそのコースについて考えることになるのだが、「西からまわるか、東からまわるか」で大きく2極化される。傾向からすると西周りを選ぶ人の方が多い。まずはアジアでならしてから(あるいはフィリピンでの英語留学を経てから)、徐々にハードルを上げ、クライマックスに南米やアメリカを持ってくるパターンだ。

 

僕の場合、アジアはそれまでにも何度も行ったことがあったので、東周りを選んだ。そして、まず最初に訪れる国はニューヨークだと前々から決めていた。世界の政治・経済・文化の牽引役であるニューヨークを旅のスタートとしたかった。

 

きらきらしたものを想像していたけれど、そううまくはいかず、空港でのっけからぼったくりに遭うわ、タクシー運転手にはスラム街で乗り捨てられるわ、次につかまえたタクシー運転手には再びぼったくられるわ、で散々な滑り出しだった。おまけにこの日のマンハッタンは大雨でユースホステルに着いた頃にはずぶ濡れだった。「こんなんで本当に世界一周できるのか」と不安いっぱいの初日となった。

 

ふんだくられた分を少しでも取り戻すため、初日の晩御飯は抜きにして、翌朝、ホステルの近くでクリームチーズとハムを挟んだベーグルをテイクアウトした。ホステルのエントランスでベーグルを頬張りながら、コーヒーを飲んでいると、宿泊客が続々とチェックアウトしていく、そして、続々とチェックインしていく。寄せては返す波のようにひたすらに人が入れ替わっていく。まだ朝7時にも関わらず。

 

あまりの混雑っぷりにびっくりして、ピークが落ち着いた頃を見計らって、

「毎日こんな感じなの?」と聞いてみた。

するとエントランスのお姉さんは「毎日こんな感じよ」と答えた。

「毎日600人が世界のどこかからここを訪れて、毎日600人がここから世界のどこかに飛んでいくの」

 
「すごいね」

「Welcome to New York」とお姉さんは言った。

 
そのいかにもな言い回しに、僕は心が弾み、初日の失態を忘れて、ニューヨーク観光を多いに楽しんだ。2日目は特にトラブルに見舞われることなく、ホステルへと戻り、近くの食堂で初めての晩御飯を食べた。それが「ジャイロ」だった。

f:id:journeyjourney:20180105214022j:plain
「ジャイロ」は円盤状のピタパンにスパイスで味付けした肉を乗せ、レタス、玉ねぎ、トマトなどを野菜たっぷり重ねたものをくるんで食べるベンダーフード。中東のケバブサンドに似ているが、特徴としてはケバブに使われるピタの多くがポケットに具材を詰め込むスタイルに対して、ジャイロは具材を乗せてそのままくるむ。ジャイロの由来はギリシャの「ギロ」にあるとされ、では「ギロ」と「ケバブ」の違いは?、「ジャイロ」と「ギロ」の違いは?、ところで僕が食べたジャイロの生地はインドのナンの食感に近かったがこの関連性は?、と調べれば調べるほど混迷を極める。


ひっくるめて、ニューヨークらしい食べ物だな、と思う。


ユースホステルのチェックインカウンターがそうであったように、ニューヨークは人々の往来が無限に繰り返される街だ。人々の往来とともに、世界中の情報が届けられ、世界中の文化が運び込まれる。確立された内的なものに外的なものが入ってくる場合、排他的な反作用が起こりやすくなるが、ニューヨークにその傾向は見られない。果てしない新陳代謝の中で、その新陳代謝そのものがニューヨークをアイデンティファイしているように思える。「確立しない」ということで「確立している」、という逆説をニューヨークは体現する。ジャイロもまた、ニューヨークという新陳代謝が体現したハイブリッドの一つであるように思えた。


少なくとも、2011年の11月まではそう思えた。今はどうなっているだろう。


日本から日本的なものが消失してしまったら悲しいように、ニューヨークからニューヨーク的なもの、僕にとってそれはすなわち「何者も拒まない新陳代謝」なのだけど、それがなくなってしまったらやっぱり寂しいだろうな。この街に魅せられた一旅行者としては。

f:id:journeyjourney:20180105214507j:plain

 
ちなみに本場のジャイロもきっちり食べづらかったです。でも、そこが醍醐味でもあります。思いきってかぶりつこうじゃありませんか。Yes,we can.