Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

2018年のクリスマスイヴに日本の日本橋にて、モザンビークにかつて住んでいた台湾料理店店主とブラジル人観光客がポルトガル語と英語と日本語を楽しそうにしゃべるのを見て、世界一周をした多国籍料理店の店主が感じた孤独と昂揚について。

3月31日というのは自分にとって思い入れのある一日で毎年、決算するかのように、棚卸しをするかのように、自分の思っていること、感じていることを書き残すようにしている。何故、思い入れがあるかというと、諸々の個人的な事情はあるにせよ、ジャーニージャーニーのグランドオープンが4月1日だったからというの一番の理由になる。2019年の3月31日で4年目の営業が終わり、4月1日から5年目の営業が始まる。

 

一年前のブログでは、

www.journeyjourney-blog.com

どれだけ遠くまで見通したとしても、どれだけ細部まで目をすぼめたとしても、不測や想定外は鮮やかに劇的に神出鬼没を繰り返す。それはきっとこれから先も続いていくのだろう。だけども、やっぱり楽しみで、楽しい。仕事をするのが何よりも楽しい。

 

と、書いている。去年の3月31日にこれを書き、翌4月1日はお店のスタッフたちとお花見、そして4月2日にかつてない未曽有の緊急事態に見舞われた。そして同時多発的に複数の問題が立ちあがった。「仕事をするのが何よりも楽しい」というのを嘲笑うかのように。


けれど結局、そのシリアスな局面はクリアすることができた。そして安堵した矢先にまた別の経営的な難局を迎え、それもとりあえずどうにかできたと思ったら、今度はまた思いもよらないかたちでの重大なイレギュラーが起こった。「リスクヘッジ」という概念では予期できない「不測」であり、「想定外」と言い切れる。そして、それらのインパクトは誰かや何かに落ち度があった事柄ではない。純度100%、不測であり、想定外だ。

 

そういう時にこそ本領が問われるし、本質が露見する。自分自身に余裕がなくなって、リカバリーやカバーが間に合わず、ないがしろにしてしまったものはあるし、それで失ってしまったものもある。「仕事」は自分的にどうだったかという尺度は不要であり、あくまでも他己完結だ。反対に、どうであれ、なんであれ、目の前で起こっていること、起こってしまったことは自分の責任だ。「俺のせいじゃねえし」とわめいたところでどうにもならない。

 

ただ難局がもたらすものが困難だけかというと、断じてそんなことはない。そうしたハードな局面だからこそ生まれるものもある。思えば4年目のこの一年、かつてないほど多くの方々にご協力いただいた。スタッフはもとより、助けてくれた皆様に心より御礼申し上げます。ひたすらに恩人であり、ただただ感謝であり、ずけずけと今後ともよろしくお願いします。

 

「僕たちね、今まで取り組んできたプロジェクトで、この16か国に縁があったのね。かくかくしかじかで、今度の貸切でこの16か国にちなんだ料理を出してほしいんだけど、それって可能⁇」

 

と、先日、貸切希望の幹事様に聞かれた。

 

イタリア、中国、ベトナム、スペイン、フランス、アルゼンチン、メキシコ、タイ、ドイツ、クロアチア、イギリス、トルコ、スイス、ベルギー、カナダ、ロシア。

 

ロシアとスイスとクロアチアが厄介だなと思いながら、このご希望を了承させていただいた。「わかりました、大丈夫だと思います」。

 

多少、強引なかこつけがありながらも、その16か国を一つのコースに組み込むことができた。これはこれで一つのチャレンジで、これはこれで一つの成果だ。きっと4年前であればもっと頭を悩ませていたに違いない。こじつけやかこつけに適切な距離感を見いだせずに委縮して、恐縮して、リクエストを断っていたかもしれない。

 

けれど今はそれができる。

 

何故ならば、この4年間の間に多くの食材に触れ、多くのメニューに取り組んできたからだ。僕が決めたもの、決められたものをただ作って、ただ出すだけであれば、その「幅」は出てこない、出せない。多少厄介なことがあっても引き出しをひっくり返して、「挑戦」と「調整」とあえての「妥協」と「無難」をほどよく混ぜあわせながら、ゲストが求めているものを提供する。それだけだ。ゲストがJ×Jに求めているものは「挑戦」だけではない、「妥協」や「無難」を無碍に敬遠しているわけでもない(ゲストは本格的なフレンチと本格的なその他15か国の本格的な料理を求めているわけではない)。ただ満足して帰りたい、それだけであり、僕らの仕事は「最適化したベスト」を尽くして、その期待値をちょっと超え、そしてコミットすることだ。

 

そして、これは食材やメニューに限ったことではない。すべからく全てのことに通じる話で、「4年前にできて今できないこと」も多少はあるものの、「4年前にできなかったけれど今はできること」は遥かに多く、一年後にその幅をもう少し積み上げることができればそれで十分ではないか、と思う。

 

店から家までの通り道に台湾料理屋がある。

 

ずっと前から気になっていたのだけど、昨年の暮れ、12月24日にランチで初めて入った。僕は町の中華屋さん的なノリで、がっつりしたものをがっつり食べたかったのだけど、席に着いて初めて気づいたのはそのお店がお肉類を一切取り扱わないビーガン台湾料理屋だったということだ。

 

求めていたものをちょっと違うんだけどなあ、と思いながらも、まあ席に着いちゃったしなとメニューリストを眺め、その中から適当なものを注文した(何だったかは覚えていない)。店内には外国人客3名1組のみ。店主であるおばちゃん(普通に考えて台湾人だ)は僕の注文を作ったあとその外国人客3名とお互いに拙い日本語と英語を織り交ぜながら話していた。

外国人客3名はブラジルからの観光客だった。ブラジル人とわかるやいなや、おばさんはポルトガル語を話し始めた。ブラジル人は何故ポルトガル語がしゃべれるのかとおばちゃんに聞く。おばちゃんは昔、モザンビークで働いてたことがあるからよ、と答えた。僕は野菜だけの台湾料理を食べながら、スマートフォンをいじって、モザンビーク公用語を調べた。「ポルトガル語」と書いてある。

 

つまり、

 

日本の東京、日本橋にある台湾料理店でクリスマスイブの午後にいた客は日本人である僕と、台湾人であろう店主のおばさん、そしてブラジル人観光客3名。そのお店は町の中華料理屋さんにありがちの肉々しい料理はなくオールべジ。ブラジル人観光客と店主はモザンビークとブラジルの公用語であるポルトガル語を話しながら、日本語で「オイシイ」と「アリガトウ」の言葉を交わしあい、世界一周を経験し、多国籍料理店を営むんでいる店主である日本の日本人である僕はその「オイシイ」と「アリガトウ」を聞きながら、何だか言いもしれぬ孤独と昂揚を感じている、日本の、東京の、日本橋で。


そういう状況だ。


食べ終わったあとにおばさんに「美味しかった」と伝えた(本当に美味しかった)。

 

おばさんは「アリガトウゴザイマス!!」と言った。

 

「ちなみに聞きたいんですけど、おばさんは台湾の人なの?」と聞くと、

 

「イイエ」と言った。

 

「ワタシハマレーシアジンデス」

 

 

僕が思っている「多国籍/無国籍」、「世界/海外」なんてまだまだ狭い。

 

 

国境線は極めて軽快だ。

 

 

5年目、まだまだ冒険しよう、もっとジャーニーしよう。

 

 

 そう思った。