売上は当初の想定よりもずっと低かったけれど、とりあえずひとまずオープン直後の狂騒曲が落ち着いてきた6月。身体的にも気持ち的にも少し余裕が出てきて、一息つけるようになってきていた。
この6月はお祝いごとや、送別会が多く、そうした機会に自店をご利用いただくことができてそれが嬉しかった。飲食で働いているとなかなか時間的な融通がきかない。けれど自店であればそれも問題なく、改めて「自分の店を持ったんだな」としみじみとした記憶がある。
身内や近しい間柄でのご利用ではあったけれど、このようにお店の使われ方が広がっていった時期だった。自店のような立地の悪いお店では「お店の使われ方」というのは重要なポイントになる。正方形型のシンプルな間取りはそれによるネガティブ面もあるのだけど、利点もあり、選んだ(あるいは与えられた)スペースをどうすれば有効に活用できるか、を実際に思索し続けた。その結果がのちの営業スタイルにつながってくる(とは言え、2018年現在、「お店の使われ方」としての幅は一時期に比べて縮小傾向にある。もっと自由に使ってもらえるよう、取り組んでいかなきゃなと記事を書きながら痛感)。
その一方、メニューのリニューアルにも着手。
これについては意図的に意識していたことであるのだけど、特にオープン当初においてはメニューも「お店の使われ方」もあまり決めつけすぎず、弾力を持たせたほうがベターのように思える。出だしが肝心であるのだけど、最初から完成度を求めるとしんどいし、のちの軌道修正がききにくい。これだけは絶対、という部分以外は極力固執せず、トライとエラーに素早く柔軟に反応できる体制を作っておくほうが大切だと思う。そして、思うにそれは飲食業だけにあらず、まして、お店作りに限ったことではない、きっと。
と、ブログを書きながら、ちょうどトモ君とLINEのやりとりしていたので、上記イベントのこととそこでトモ君が出したメニューについて触れてみると、下記のようなレスが送られてきた。
きっと数年後からすれば「今」もまた同様に映るのだろうけれど、やはり、こだわりや完璧主義はほどほどに、手探りで進めていくべきだと思う。その方がのちのち感慨深いし、お互い口に出すのが憚れる年齢ではあるが、「青春」と口にしやすい。