商売不繁盛論vol2(9月10日の記事)の中で僕は以下のように書いた。
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ポイントは「売上をどう抑えるか」であり、「どう下げるか」ではない。言い換えれば、「どう最適化するか」。自分の身の程をわきまえた上で、自分の身の丈にあった営業をする。一言で言えば、そういうことになる。
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「一言で言えば」と書いたけれど、まさにこの一言に尽きる。であれば、vol2で終わりにしてもよかったのだ。にも関わらず、3ヶ月かけてこの大長編をとにかく書き進めた。これだけの時間と労力をかけたのにはそれなりの理由がいくつかあるのだけど、この文章を「自分がいつか最大化に傾斜した時のブレーキにしたかった」というのが一番の理由かもしれない。
勿論、店舗を運営していく上で「最大化」を図るタイミングはあると思う。アクセルを全開に踏むべき一瞬はあるし、何が何でも売上を作らなければならない時もあるだろう。けれど、その状態がデフォルトになるのは極めて不健康であり、不健全だと僕は思っている。オーバーワークの先にあるのはただひたすらの疲弊であり、それがただひたすらに繰り返される。その皺寄せが経営者やオーナー本人に降りかかるのであればともかくとして、それは大概スタッフに振り分けられ、商品やゲストにまで降りかかるケースもある。そうなれば悲惨の一途を辿るだけだ。
企業の目的は何か。
(自店はまだ個人商店だけれども)
「利潤の追求である」と真顔で答える人は今時少ないと思うけど、中にはそう言う人もいるだろう。ゴーイングコンサーンに基づき、「継続」と回答する人もいると思うし、「社会貢献」と答える人もいるかもしれない。
自分たちの仕事や店舗が何らかの形で社会貢献に繋がれば素晴らしいことだと思う。だが、胸を張って「社会貢献」と口にするためには相応の、そして相当の実績を積み重ねていかなければならない。そのためには利益を出さなければならないし、勿論、継続もしていかなければならない。
その上で、大切なのは「利益そのもの」や「継続そのもの」よりも「どう利益を上げるか」、そして「どう継続させるか」だと思っている。これはダイエットの感覚に近い。強引なダイエットに反動はつきものだし、無理なダイエットは身体に予期せぬ負担をかける。そうしたところで維持はできないし、努力は水の泡となり、振り出しに戻る。下手をすれば振り出しよりも後退する。このような本末転倒を回避するためには「痩せることそのもの」よりも、「どう痩せるか」と「どう維持するか」を考えるべきであり、導き出した「How」を現実的かつ計画的に実行していく必要がある(もっとも、僕にダイエットを語る資格はないのだが)。
インターネットがもたらした変革は世界に夢をばらまいた。起業や独立の敷居を下げ、門戸を開き、世界を加速させた。スピードが価値となり、スピードが評価基準となり、あらゆる場面でスピードが問われるようになった。オンラインの世界でスピードが生命線になるのはわかる。「味」が飲食業の根本的な要件であるように、「スピード」がこうした事業の要件に位置づけられているし、とにかく収益を上げて、ぐんぐんスピードを上げて、ずばっとイグジット、というゴールも選ぼうと思えば選べる。
飲食業はなかなかそうはいかないし、オンラインのそうした価値観の対極にある。にも関わらず、同じようにスピードを価値とするのにはそもそもの無理があるし、そうした風潮に飲食業が乗っかるのを訝しく思う。わずか1年で2店舗目、たった5年で10店舗、そうしたフレーズは誰のためにあるのだろうかと思うし、そうしたフレーズに踊るのは本人だけだ。2店舗目には2店舗目の必要性が必要で、5店舗目には5店舗目の必要性が必要であり、その必要性を持たずに踊り続けるダンスフロアにはきっと自分以外、誰もいない。と、自分は自分にそう諭している。肩肘張らず、道中、ゆっくり景色を眺めながら楽しんでいこうと。
過度なスピードは出さず、過度な傾斜もつけず、低め低めから始めて、然るべき成長速度と、然るべき成長角度で、緩やかでありながら確かな成長曲線を描く。そうデザインするのが自分の性分に合っているし、主体者として自分が据えるべき視座だと思うし、適正な利益と継続性を導くための近道なのではないかと考えた。
何より、多分、それぐらいの温度でいるのが一番楽しいはずだ。
盛者必衰の理は平安時代から語り継がれている。盛者でさえいつかは必ず衰えるのだ。不盛者は自らをどう継続させ、どう成長させるか、逆に言えば「どう衰えないか」をより慎重に考えなければならない。
という見地に立てば、最初から「栄えようとしない」というのはけして愚策ではないと個人的に思っている。
オープン当初、自分にとって最大化は不適切で、最適だったのが不繁盛であり、それがめぐりめぐって、のちのちの「ほどほどの繁盛」に繋がると信じていた。
今(2016年12月)はまだ当初の「のちのち」の手前で、
今はまだ当初の「ほどほど」には至らない。