久しぶりのブログの更新は番外編。
お店をやっていれば新しい出会いが尽きることはそうはない。その分、きっちり別れもあって、「いつかまた」と締めくくれるものもあれば、その隙間さえないものもある。いずれにせよ、出会いと別れの一体性はわりとソリッドで、「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」という多くの作家や詩人が愛した名言もあながち過言ではない。
10月、公私問わず、今までお世話になった方々が集中して新天地に向かわれた。転職、転勤、異動、留学、長期旅行、それぞれの然るべき理由と思惑で。これまでだって散々繰り返してきたことだけど、お店を通じてのしばしの別れはまだ慣れない。この手の寂しさはもう少し先にあるものだと思っていただけに余計にしみじみと迫るものがある。自分も、店も、幼いんだろうなと思う。事実、幼い。
新天地に旅立った人たちの中の一人に「貝」(仮名)という女の子がいる。2年前くらいからの友人で、出会った当初から旅に出たいと言っていた。
立て続けの送別会で酒と涙に暮れた出発直前の彼女は以前よりもすっきりしているように見えた。素敵な送別会だったなあ、と思いながら、店を閉めて、後片付けを済ませた。そして、買ったばかりのプロジェクターとスクリーン(と言ってもただの布なんだけど)をセットして、スタッフの加藤君と一緒に『龍馬伝』を鑑賞することにした。
我々の中で至高の傑作と位置付けている『龍馬伝』。どの回を観ようかと思索した結果、第7話『遥かなるヌーヨーカ』を選択した。何度観ても震える回で、家族を連れての世界一周を生涯の目標に据える福山龍馬とこれから世界一周に出発する彼女をかこつけて、「貝に捧ぐ」と言って乾杯した。見始めた矢先、「どうせなら貝にも見せよう」と思い直して電話をかけた。終電まではまだ一時間ある。
わけもわからず呼び戻された彼女は、「いいから黙って見なさい」と言われるがまま、わけもわからず第7話を鑑賞した。そして、もう流し尽くしているはずなのに、そもそもいきなり第7話から始まって、わけもわからないはずなのに貝は泣いた。「我々からは以上だ」と言った加藤も何故か泣いていたし、なんならもう何十回も見ている俺もこっそり泣いた。もうほんとに素晴らしい、第7話『遥かなるヌーヨーカ』。
結局、それでおさまらず、朝まで名シーンをダイジェストでお届けした。我ながら他にはなかなか真似できないであろう極上の送別だったと自負し、ご満悦だった。いい送り出しできたなあ、と。
数時間後、お店に戻ると貝の忘れ物があることに気付いた。連絡すると「今日、取りに行く」と言う。昨日から今朝までかけて盛大に送り出したと言うのに…。忘れ物だけ渡して「じゃあまた」というのも何ともキマリが悪く、結局近くの中華で一杯飲むことになった。
「私、面白い人になりたいんですよね」
と、レモンサワー片手に彼女は言った。
いいね、と思った。いいな、と思った。
「面白い」と言うのは「一面が白やむ」と書く。目の前に見えていた面を白やませて、明るくさせるということ。俺も「面白く」在りたいし、面白い人の中にいたい。
「じゃあ、今度こそ良い旅を」と言って、別れた。その後ろ姿は以前よりもすっきりしているように見えた。
わりとソリッドな出会いと別れの一体性の中で、
「花に嵐のたとえもあって、さよならだけの人生」の中で、
軒先から、あるいは厨房から、これから先もこうして凛とした背中を見ていきたい。
貝、「ヌーヨーク」じゃなくて、「ヌーヨーカ」、ね。