Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

秋葉原路地裏酔いどれ経済論vol2「ブレずにグレるくらいであればブレよう」

今までの店舗経営の振り返りですが、2015年の12月までは書いていたので(3年前に)、2016年からざっくりリスタートしていきたいと思っています。ですが、その前にそれまでのことを振り返りの振り返りとして、超ハイライトで整理します(久しぶりの自分のために)。

2015年の4月にオープンし、12月までの8ケ月の中で、一番重要視していたのは「いかに売上を最適化するか」でした。その最適化とは自店にとっては「商売不繁盛」という言葉と直結していました。

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「商売不繁盛」の言葉が意味する範囲は広いのですが、要は「頑張りすぎない」ということです。さらに言えば、「どれだけ売上を捨てれるか」。本来であれば独立開業は一世一代の大仕事なわけで、なりふりかまわず全身全霊を注ぐべきところで、それはそれで間違いないのですが、自分の場合、その全身全霊を一極集中せずに細分化するようこ心掛けました。一つのことに全力を注ぐということはある意味、他の可能性を自ら捨てるということであり、一つのことに一生懸命頑張るということは他のことを頑張らない、頑張れない、ということでもあると自分は思います。

「わかりやすいメッセージ」とか「ターゲットを絞ったコンセプト作り」だとか、「その店/会社のコアコンピタンスは何か」とか、何を始めるにしてもやたらとそういった明確性が問われ、求められます。実際に明確であることに越したことはないでしょう。自店の場合は「世界一周×多国籍料理」というある種の明確性がそもそも自然とあったので、アイデンティティについて深堀りすることはありませんでした。でも、そうした明確性というのは自分だけでなく、お店を開きたい人には大体あるんじゃないか、と思います。なんとなくの感じで、なんとなくお店やりたい、という人も中にはいるでしょうけれど、今となってはそういうタイプはむしろマイノリティで、大多数はすでに明確な意図だったり、何かしらの強い目的性がすでにあるように感じます。

だから、むしろ大切なのはその核たる部分を補足するサブ的なものにあるんじゃないかと。メインタイトルの次に来るサブタイトル的な部分であったり、メインターゲットの次の層であったり、わかりやすいコンセプトの裏に潜む小難しい理念であったり、複雑でセンシティブな想いであったり。そうしたサブや裏面がメインと掛け合わされることにより、初めて個性を個性として発揮できるような気がします。わかりやすいメッセージだけでこの乱世を潜り抜けることができるとは到底思えません。それに、尖れば尖るほど確かに希少価値は保たれ続けられると思いますが、よほどの職人気質でないかぎり、同じことを同じようにやり続けるというのは相当難儀なことです、多分。

だから軸たる部分は大切にするにしても、その軸の支え方というのはその時々において流動的で柔軟であったほうがいいと思うのです。全てを明確かつ固定的にしてしまうと行き詰ったときに修正がきかなくなってしまうので、どこかでアソビの部分を作るのも必要です。よくブレるのは良くない、と言うけれど、これだけ消費と新陳代謝がスピーディーな世の中において「ブレずに貫く」というのは、商売的にはもはや致命的ではないかと。ブレずにグレるくらいであれば、ブレてもいいんじゃないでしょうか。

そう考えれば、わかりやすいメッセージというのはほんとにそんなに大切なのかなと感じます。むしろ、そう易々と言語化できない、伝えきれない、ごちゃごちゃした感情の方が魅力的だったり、応援したくなるような気がするのだけど、それは僕が偏屈だからですかね。

と言いつつも、幸いなことに僕は今までさほどブレずに一点突破で店舗運営を推し進めることができたと思ってます。メインの軸が「世界一周の経験に基づく多国籍料理」なのであるならば、サブは「貸切利用」です。2015年と2016年はまさにこの「貸切」との闘いでした。

 

 

改めて秋葉原路地裏酔いどれ経済論vol1「MDが蘇る時代は来るだろうか?」

このブログの名前は『Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌』としています。開設当初からもう8年くらい経っているので、こんな青臭い名前さっさと変えてしまえ、とも思うけども、自分自身も、店そのものも歳を重ねていくばかりな一方で、このブログの名前だとか、あるいはJourney×Journeyという店名だとか、そういったものは数少ない「変えようとしないかぎり変わるものではないもの」なので、そう考えれば据え置いててもいいかもしれない、とも思います。多少、恥じらいはあるにせよ。

ブログ名にもあるように当初、このブログは「独立」だとか「開業」というワードに主たるテーマを置いてました。基本的にその手のコンテンツは成功者の成功談か、もしくは失敗者の失敗談のどちらかしかありません(もしくは何らかに誘導されるような広告的記事)。独立する前の自分としては、そうした両極端なエピソードではなく、もっとリアリスティックな情報や実践知がほしかったという経験を踏まえ、このブログを立ち上げました。成功するのか、失敗するのか、その狭間を漂うのか、それはわからないけども、とにもかくにもこれから独立・開業を目指す人に生々しい参考になるような、生々しいブログになることを目指してました。

個人店の開業前というのはとにかく忙しいし、身も心も余裕がないのが普通だと思います。ましてや発信なんて、というところですが、ごく一部のモノ好きはそれでもなお「お店ができるまで」的な物語を時系列に沿って発信します。その発信手段はストーリーやTwitterなどでポップにテンポよく、が主流だと思うけれど、僕はそのポップにテンポよく、がどうにも苦手で、このようにして時代錯誤で、かつ重労働で、おまけに甲斐のない、ブログ(文章)という形に落とし込んできました。

 

でも、いざお店が始まると「ポップにテンポよく」でさえ継続するのは難しく、経営の内面的部分や、思考や論理、あるいは単純な心情や想いをアウトプットできないまま、その日のメニューやキャンペーン的なもの、もしくは店内の楽し気な様子を告知するので手一杯となります。そうこうしているうちに、次第に上記のような内面的発信のプライオリティは下がる一方で、最終的にはどうでもよくなり、内に秘めたまま眠らす、というのが大方のパターンのように思えます。おそらくこのようにして、僕が独立前に知りたかったリアリスティックで生々しい情報(そして物語)というのは撤退し、跡地に残るのは、くだらない失敗談か、それよりもくだらない成功談か、あるいはしょうもないアフィリエイトになってしまうのです。

さも「だが、俺は違うぜ」と言いたげな論調ではありますが、僕も見事に上記のとおりのステップを踏みました。見事に挫折し、見事に降参しました。リアリティや生々しさを大切にするならばオンタイムで発信してなんぼで、当初は眠い目をこすりながらなんとか頑張っていました。お店をオープンしたのは2015年の4月ですが、その4月の出来事はできるだけ4月に書いてました。が、5月の出来事は7月に書き(この時点で全くオンタイムではありません)、7月の出来事は11月に書き、と次第に時間的乖離が進み、最終的には「オープンした2015年12月のことを2019年5月に記述」し、更新を終えています。

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逆に言えば、2019年5月まではどうにか過去のフィードバックを書いていたことになりますが、3年半前に降板し、以降、何事もなかったかのようにやり過ごしてきました。ついこないだまで、「まあいいや、そもそも誰も読んでないし」と思っていましたが、いろんな紆余と曲折を経て、再び誰もいないスタジアムのマウンドに立つことにしました。もはや全人類が見捨てたと思われたカセットテープが、今時を超えて地味なスポットライトを地味に照らされているように、何がどうなるかはわかりません、今後、巡りめぐってMDが謎の復権を果たすかもしれません。文章や、ましてや長文が嫌われれば嫌われるほど、逆説的に、あるいはシニカルに、その元来の本質が特殊な熱を帯びるかもしれません。成田悠輔さんが「言っちゃいけないことは大体正しい」と言っていましたが、転じて言うなれば「みんながいいというものは大体たいしたことない」とも言えるような気がします。

といった具合の、退廃的戦略があるわけでもないのですが、先述したようにいろんな紆余と曲折を経て(極めて個人的な)、3年半の沈黙を破り(極めて孤独に)、2015年12月以降の歴史(そして物語)を再び、書き進めていこうと思っています。と言っても、月単位はさすがに無理なので、大雑把な感じで、年単位の尺で、書いていきます。


コロナと、他の様々な経験と、加速度的な加齢を通じ、自分的にはいい意味でいろんなことがすっかりどうでもよくなってきたので、いいブログが書けるのではないかと、そんな気がしています。



何故、BIGBOSSは開幕投手をドラフト8位指名のルーキーに任せたのか。

昨日、推している横浜ベイスターズクライマックスシリーズで敗退し、全日程を終えました。終盤、ドラマティックな展開だっただけに喪失感強めだけども、喪失感が強い分、来年までいっそう楽しみに待ちたいと思います。

というわけで僕は横浜ベイスターズファンなわけだけど、今年、前半のプロ野球の話題をさらったのは何といっても日本ハムファイターズのBIGBOSSでした(後半は激闘だったパリーグ上位3位と56本のホームランを打った村上選手でしょう)。話題にはなるものの、開幕前の評価は低く、解説者からはけっこう馬鹿にされていました(ゆえに解説者の方が少し炎上していた)。途中巻き返したものの結果は惨々たるもので、ぶっちぎっりの最下位。が、来期も続投が決まったので、推しでもないし、リーグも違うけども、ファイターズの野球は今からけっこう楽しみです。

今年の指揮や采配も随分とトリッキーで、野球にそれなりに精通してる人にとっては常識外れのびっくりなシーンが多かったと思いますが、BIGBOSS劇場の神髄は「開幕戦」に集約されていると思っています。開幕戦というのはその名のとおり、シーズン143試合中の1試合目です。そして、開幕戦を先発で投げるというのはピッチャーにとって名誉あることで、毎年、そのチームを代表するエースピッチャーが任されます。

が、BIGBOSSが起用した開幕投手は今年プロ一年目のルーキー、北山投手。注目のルーキーということもなく、ドラフト8位指名(12球団全体で77番中76番目での指名)。ドラフト8位の選手が1軍登録するされること自体が珍しいのに、開幕投手を担うなんて…、とびっくりでした。ただ、BIGBOSSは元々「アウェイの開幕三連戦(福岡)は遊び、本番はそのあとの本拠地(札幌)の開幕戦」と言っていました。にしても…、と思う気持ちもありますが、開幕戦と言っても結局は143試合のうちのただの1試合に過ぎません。1試合目も120試合目も同じ1勝であり、同じ1敗です。「勢い」とか「流れ」とか、そういうのもあるんでしょうけど、よくよく考えれば「開幕戦」にこだわる必要もまあないか、とも感じます。考えてみれば、必要以上にちょっとアツくなりすぎてるのかも、と。

野球というのはチームスポーツでありながら、個人の数字を明確に問われる数字でもあります。打者で言えば、ホームランの数だとか、打率だとか、盗塁数だとか、です。一方、投手は奪三振数とか、フォアボールの数とか、色々あるのですが一番の指標となるのは「防御率」と「勝敗数」です。防御率の説明をすると長くなるので割愛しますが、要は「どれだけ点をとられていないか」の数字です。数字が低ければ低いほどいい、とされるものです。一方、勝敗数はどうかと言うと、これもややこしいのでざっくりいきますが、その投手が投げた結果、勝ったら勝ち星がつき、負けたら負け星がつきます。つまり10勝10敗の選手がいたとしたら、10試合はその投手のおかげで勝ったけど、もう10試合はその投手のせいで(と言うといいすぎだけど)負けた、ということになります。今年のセ・リーグで言えば最多勝阪神の青柳選手で13勝4敗、パ・リーグオリックスの山本投手で15勝5敗、エンゼルスの大谷投手は15勝9敗、です。

ただ、この勝敗数というのはどうも漠然とした数字です。仮にその投手が好投して1点で抑えたとしても、相手が2点取れば負け投手です。逆に5点取られたとしても、味方が6点取れば勝ち投手となります。「防御率はともかく、勝敗数なんて関係なくない?」と思いますが、投手のステータスを図る上で勝敗数は今でも重要視されています(専門家同士の世界でどうなってるかはともかく、少なくとも一般的には)。

開幕戦にそのチームの一番いいピッチャーを持ってくる。次の試合は2番目にいいピッチャー、といった感じでローテーションを巡っていきます。先発投手は週に1回しか投げないので、金曜日が開幕戦だったとしたら、一週間後の金曜日にまたその投手が投げます。エースが向こうのエースと投げ合って、次の一週間後にはまたそのエースが違うチームのエースと投げ合うことになります。勿論、両チームのエース対決は白熱するのだけど、勝ち負けの総数を考えるのであればエースにエースをぶつけるってどうなんだろう?と思わなくもないです。確かにあちらのエースが投げるのであれば、こちらは打てないかもしれないけども、であれば相手チームが5番手、6番手の投手(裏ローテと呼ばれる)が先発の時にこちらのエースをぶつければいいじゃないか、と。少なくとも投手は自分の成績が勝敗数で見られるので、毎回毎回エースと投げ合うよりはエースじゃない投手との投げ合いの方が嬉しいんじゃないかと思っちゃったりします。エースは相手のエースに投げ勝ってこそ真のエース、というのもわかりますし、そのようにして大投手になっていくのでしょうけど、根性論の要素が多い気がするし、みんながみんな大投手になれるわけではないのでは、とも思います。そもそも打撃が強いチームの投手の勝敗数と、そもそも打撃が弱いチームの投手の勝敗数がフラットに並べられることそのものがおかしいんじゃないかと。

今年こそ2位でしたが、基本的には強いチームではない横浜ベイスターズを応援してるので、これは僕がいつも思ってたです。こっちの貴重なエースを向こうのエースにぶつけるな、と。だってこっちのエースが向こうのエースに負けちゃったら、他の誰も勝てなくなっちゃうんだから。


ゆえにプロ経験のないルーキーを開幕投手に選ぶのもありなのかもしれない、とちょっと思いました。結果、北山投手は強力ソフトバンク打線を3回までゼロに封じ、そうこうしてるうちに日ハムが1点をとり、その後は元々のエースや主力級を少しずつ投げさせ、スコアボードにゼロが続きます。あれ、これもしかして番狂わせあるか?、と思った矢先の8回、ソフトバンクの新外国人に満塁ホームランを打たれて玉砕。さらに言えば、開幕戦黒星からその後本拠地に戻っても連敗が続き、結局5連敗。ハタから見れば作戦は失敗のようにも思える。けども、実際のところどうなのか。

スポーツの世界は他の世界よりもよりシビアに「勝つか負けるか」、「数字を残せるか残せないか」が問われます。過程ではなく結果、これもわかる。それはそうなんだけど、今年例年よりもちゃんと見ていたせいか、もっと根っこというか、奥にあるものに、あれこれ考えを張り巡らせるのも試合の勝ち負けと同様に面白かったです。

その作戦に「意図」はあるのか。意図があるのだとしたら、どんな意図なのか。その意図は次のどんな意図につながるのか。昨日の敗北はそれほど落ち込むことなのか、今日の勝利はそれほど重要なのか。結局、143試合の1つに過ぎず、考えるべきは143試合全体であり、もっと言えばその翌年の143試合でもある。


というのをプロ野球の143試合ではなく、お店の日々に営業に置き換えてみる。


今日一日にどんな意図を持つか、どんな意図を持てたか。


意図だとか、意味だとか、いちいち考えてたら疲れるし、まいっちゃうけども、にしても日々を何となく消化し、何となく浪費するよりはいいように思える。






「罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」

思いがけない時間ができたので、思いがけない場所に行ってみることにした。セブンイレブン寒川小谷一丁目店。茅ヶ崎と厚木の間の寒川という町にあり、自分が15年前に初めて直営店の店長として(セブンイレブンの社員として)、新卒2年目で配属された店だ。このお店で働いた7か月は自分の人生の中で最も壮絶な日々で、それ以降も、J×Jを開けてからも大変なことはあったけれど、この7か月間に比べればどうってことのないと思える。

残業は200時間くらいしていた。残業8時間を25日間すれば大体それぐらいの数字になるわけども、そんなものだろうと思っていたし、単純に自分の能力が低いからそうなっていると思っていた。ひどい時は朝方帰ってきて、風呂の中でビールを飲み、めざましテレビを観て、そのまま出勤、なんていうこともあった。

お店は陸の孤島で(のように感じていた)、仕事が終わっても遊びに行けるような場所も手段もなく、店から歩いてすぐにある今にも崩れそうなアパートの、今にも窒息しそうな狭い部屋に住んでいた。隣の部屋にはブラジル人が数人かでシェアしていて、ドアを開けてシュラスコを作っていた。今であればそのシュラスコに混ぜてもらいたいと思うかもしれないけど、当時はそのバイタリティも気力もなかった。

過酷な販売目標を負わされたクリスマスケーキをがむしゃらに売り、死ぬ物狂いで予約を獲得したケーキを、サンタクロースの恰好で配達していると地元のヤンキーたちに煽られ、絡まれた。俺は一体何をやっているのだろうかと虚しさに浸ることもできないまま、年末商戦を迎え、その殺人的な忙しさのまま、年越しを迎えた。元日には寒川神社への初詣に来た参拝客と車で店はごった返した。ごった返すのは喜ばしいことだけども、問題はトイレで、焦りと苛立ちを纏うその長蛇の列はまさに邪悪な蛇かのように店を這い、店の外へと容赦なく伸び続けた。その矢先に、顔を真っ青にしたアルバイトが戦慄の一言を放つ。

「店長、小に大があります…」

我慢の限界を超えたお客様が男子用の小に大を放たれた。その堂々たる鎮座と、その後ろに並ぶ苛立つ長蛇の列を見た時の絶望感たるや。強固な意志と未だかつてない覚悟を持って、その緊迫した情勢に臨み、手際よくその爆破物を処理したのだけど、記憶は朧気だ。極限状態の中で、自分のスタンドか何かが出現してくれたのだと考察している。


深夜1時まで働いて、2時に寝て、3時に深夜シフトのアルバイトにクレームで呼び出されてスーツに着替えて店に行ってみると、明らかに社会に反する勢力の方々がいた。販売期限が切れた幕の内弁当が売り場に並んでいた(そのバーコードを打つとレジが自動的に弾くような仕様になっている)、というのがクレームの原因だった。

「よく聞け、兄ちゃん。罰金か、土下座か、ポール看板に吊るされるか、どれか選びな」と言われた。「はやく選ばねえと若い衆呼んで、暴れさすぞ」と彼は付け加えた。「若い衆」というのを実社会で聞いたのは後にも先にもこれが初めてだった。そんなの圧倒的に土下座に決まってるじゃないか、と、圧倒的土下座をそそくさと準備しようとすると、彼に電話がかかってきて、そのままお帰りになられる運びとなった。「悪かったな、ちょっと機嫌が悪かったんだ」と帰り際に彼は言った。ちょっと機嫌が悪くてこれか…、さすが、スケールが違うぜ…、と驚愕した。いずれにしても、このようにして難を逃れたわけども、選択肢の一つとして挙がった「ポール看板に吊るされる」というのも、人生経験としては悪くなかったかもしれないな、と15年ぶりにそのポール看板を眺めながら思った。多少辛いことがあっても「小に大」ほどのインパクトがなければ大抵は忘れてしまうものだし、土下座したところで微妙な非公開ネタとしてお蔵入りするだろうけども、ポール看板に吊るされたとしたら、自分だけのとっておきとして生涯にわたり語り継ぐことができたのではなかろうか。駆け付けてくれたおまわりさんや救急隊員が僕に聞く。「なんでこうなったんですか!?」。「すいません…、販売期限切れの幕の内弁当があったんです…」と儚げに僕は言うのだろう。


何が一番強烈だったかというと、そういうことではなくて、当時の上司なのだけど、もう大分長くなってしまったので、そこはショートカットします。上司はHunter×Hunterのフランクリンに似ていて、


まさに両手で機関銃をぶっ放すかのように、毎日のように自分をあらゆる言葉と角度で罵倒していたのだけど、

会社全体が上と右へ倣えの風土の中で、フランクリンはまさに幻影旅団のように自由に暴れ、その暴れっぷりには彼なりの哲学と信条があった。その哲学と信条は少なからず、心を打つものがあり、ある種の憧れとして今の自分の中にも生き、J×Jの運営にも投影されているように思える(こんなこと言ってるのを見られたら、また両手で機関銃をぶっ放されそうだが)。

ネガティブなようなことを散々書いたけれども、何故その過酷の中で頑張れたかと言うと、優秀で素敵なパートさんに恵まれたからというのは大きい。今回、お店に行ってみて、もし当時のパートさんがいたら…なんて思ったけども、当然、不在だった。あれから15年経つ。

あれから15年経つのにも関わらず、数多くのセブンイレブンの中の一つに過ぎないにも関わらず、店舗の前に立つととても厳かな気持ちになった。ついでに寒川神社にも寄ろうとスケジュールを組んでいたけれど、十分に厳粛と静謐を感じることができたので、旅程から外すことにした。ビニール傘を買って、あのシュラスコアパートはどうなったかと歩いてみたが、その場所には大手ドラッグストアが建っていた。近くに小さなサンドイッチ屋さんがあって、そこのひじきとくわいのサンドイッチが最高だったのだけど、ここもまた同ドラッグストアの駐車場として飲み込まれていた。

これも「時代」ということになると思うのだけど、僕は「時代」という言葉があまり好きではない。時代という言葉で処理されるほど、物事は一元的ではない。自分が本質と信じるものはたかだか数年の時代区分によって翻弄されるものではないし、変容するものでもない。純度100%、生粋のブラックな7か月だったわけども、ブラック的なものが一元的にブラックであるとは思えないし、ホワイト的なものが一元的にホワイトであるとも思えない。あくまで人それぞれだろうし、個人の話で言えば、過去のどんな白よりもこの黒の方が今の自分に脈打ち、実際的に役に立っている。

あの日々が悪夢だったのか、いい思い出なのかは自分次第。自分にとっては、悪夢やいい思い出という枠を飛び越えた、かけがえのない礎だ。黒と少しの白がマーブルに塗られた礎だ。そして、僕はそのマーブルな礎の上に今も胸を張って、立っている。

 

J×J Books①レシピ本×旅エッセイ『世界一周ナニソレシピ』

J×Jをオープンする前から、ECサイトを作ってみたい、物販もやってみたい等、飲食営業だけでなく、それに付随する事業(と言えるほど大それたものではないけれど)にも取り組んでみたいと思っていました。それと同様に「本を出版したい」という気持ちも強く、いつかチャンスがあれば…、なんて考えてたりもしてましたが、そんな簡単に「機」が転がってくるはずもなく、一方、緊急事態宣言やマンボーによって(もはや懐かしき言葉になりつつある)時間だけはたっぷりあり、であれば自分で作ってしまえということで、レシピ本を作ってみました。同人誌と言えば同人誌ですが、同人活動から生まれてるわけでもないので、「ZINE」と言ったほうが近いかもしれません。要はフリーではないフリーペーパーのようなものです。

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メインテーマは「レシピ本×旅エッセイ」です。レシピ本を作ろうというところから始まりましたが、いくら多国籍と言ってもいわゆるのレシピ本を作っても退屈だし(他に色々名著もあるし)、ということで旅エッセイの要素を加えることにしましたが、それにしてもなんだか凡庸です。「レシピ本×旅エッセイ」をベースとした上で、また違う切り口というかフックがほしいと思い、考案したのが「ナニソレ」の概念でした。

全ての料理に名前があるかと言うと、そんなことありません。むしろ、名前を授けられている料理はごく一部の恵まれた特権階級で、名前すら与えれていない料理も数多く存在します。でも、そうした無名性にこそ、新しい発見や可能性があったりするのだと僕は思っています。例えば、「白いご飯の上にオリーブをのせて、オリーブオイルをかけて、塩胡椒を振ったもの」、これだけで十分美味しいのですが、名前はないですし、日本人の感覚からしたら「何それ?」感が強いです。

一例とした挙げた「オリーブ」ですが、例えば、本格的なパスタを作ろうと思って買ったはいいものの、その後、使い道を見失って成仏させられないまま、冷蔵庫の中でお地蔵さんのように鎮座させている、そんなようなことありませんか?そうした食材のことを化石化食材と呼んでいるのですが、本書ではその化石化食材たちをサルベージし、海外料理(や海外ならではのアイディアや工夫)との掛け合わせにより、新しい価値としてトランスフォームさせることに挑戦しています(そして提案しています)。上記「オリーブごはん」はその典型例ですし、パクチーとかピクルスとか豆とか、買ったはいいけど使い道ない、あるいはスーパーでたまに見かけて買ってみようと思うけど結局買わないとか、けっこう多いと思うのです。そうした不憫な食材たちに不必要なまでに強烈なスポットライトを当てているのがこの『世界一周ナニソレシピ』です。


まさに大多数の方にとっては「何それ?」かつ不必要なレシピのロイヤルストレートフラッシュだと思いますが、ごくごく一部の方にとっては必要な「ナニソレ」なのではないかと自負しております。ごくごく一部の方の中のごくごく一部の方にこのナニソレシピをサルベージしていただくことを願います。正気の沙汰ではないことを重々承知しながらも、1000部、刷りました。狂気です。大変です。どうぞよろしくお願いします。店頭、もしくはJ×Jのオンラインサイトからご購入いただけます。

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J×J online apartmentについてのお知らせ②

J×JのECストア「J×J online apratment」。コロナ療養中に自分で作りました。商品はもともとあるものですし、ブログなどコンテンツを作りこんでるわけでもないでもなく、拡張アプリを使ってどうのこうのというのもないので、シンプルな作りですが、所要日数は3日かからないくらいです。でも、まあ丸3日空けるというのも普通ではなかなか難儀なので、ずっとつっかえていたものを療養中に対応できてよかったです。

店のECならBASEでもいいかと悩みましたが、結局、今までどおりShopifyを使うことにしました。その理由について話し始めると長くなるので割愛しますが、簡単に言えば「BASEより色々充実してる」ということです。個人がブログを持ち、メディアを持つようになり、ネットショップを持つようになり、さらにそれがメタバースへと展開されるような世の中です。僕的には個人がShopifyでネットショップを普通に持つような世の中になるのではないかと思ってますが、メタバースやNFTのことを言い始めたら、それすらももはや旧時代の考えなのかもしれません。

このアパートメントの品揃えは現在のところ、

①東京ロマンティックベーカリーのパンと燻製ジャム
②世界一周した弱激辛ジャム
③J×J Books
④J×J Fashions

の4カテゴリーで構成されています。①についてはコロナの始まりとともにすぐに取り組んだ事の一つで、SNSやブログでも積極的にアナウンスしてきました。定期的にご購入いただけるファンのお客様もついてくださり、嬉しい限りなのですが、ネックとなるのはその超属人性で、パン職人であるゆかさんがお休みとなると営業も休止せざるをえません(実際、この4か月、ゆかさんのご家庭の事情でお休みしておりました)。なので、今後は季節に応じたアイテムを特化させつつ、ラインナップそのものは絞りながら、アパートメントの中で「東京ロマンティックベーカリー」というブランドで販売していきたいと考えてます。また燻製ジャムに関しては上記のような課題を克服してる商品なので、燻製ジャムは燻製ジャムで強化していきたいポイントです。

東京ロマンティックベーカリーjourneyjourney-ec.myshopify.com

 

②の弱激辛も初期から構想し、アクションも早かったのですが、実際にOEMをかけて商品化するまでには結局、かなり時間がかかりました。販売してから半年経ったあたりで激辛インフルエンサーの方に弱激辛ジャムを取り上げたいただり、そこからの派生でグルメ系Youtuberにも紹介していただいたりしたのですが、

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この波と流れに乗り切れなかったのは僕の失敗です。通常営業が忙しくなってきたタイミングと被り、手がまわらなかったのが実際のところです。もう少し頑張って、踏ん張るべきだったと反省しています。

インフルエンサーの方々と絡んだのも今回がはじめてでしたが、楽しかったです。

インスタやYoutubeでは世界中の唐辛子を使った世界中の激辛料理を一度に同時にお楽しみいただける「世界一周弱激辛コース」を中心に取り上げていただきましたが、ECにおける商品は「世界一周した弱激辛ジャム」になります。

実店舗におけるメニューも含めて、J×J史上、最も尖った最も刺激的なアイテムとなっております。となると当然、万人受けはしないわけですが、一部の方には強烈に刺さっていただいておりますww何と言ってもJ×Jのジャックナイフ的な存在なわけなので、お客さんにとっては近寄りがたいよなあと思っていたのですが、意外と店内営業において反応がよく、意外とお買い上げいだいております。けれども、本懐としてはせっかくEC用に立ち上げた商品なので、店内に留めず、やはり広い世界に羽ばたいてほしいのです。改めて、この弱激辛ジャムも仕切り直して、現状をなんとかブレイクスルーしていきたいと思います。

 

 

J×J online apartmentについてのお知らせ①

8月8日に通常営業を再開しましたが、スタッフの嗅覚が戻らなかったり、体力低下が顕著だったりで、夏季休暇は夏季休暇で予定通り8月11日~14日まで、しっかりいただきました。そして、8月15日から通常営業を本格的にリスタート。

ではありますが、さてどうしたものか。

見事に暇です。まあ本格的に再開したのは今日ですし、やってみないことにはわかりませんが、予約が入りません。予約が入らなければたとえ平常時での金曜日でも来客数ゼロを叩き出すお店なので、予約が入らない=売上ゼロにほぼ等しいわけです。つまり、当然、どくどくと赤が流れていきます。

強みが時に致命的な弱みとなることを重々承知した上で築き上げてきたスタンスですし、禍が始まって2年以上、シフトチェンジに踏み切るだけの十分な時間があったわけですが、結局、本店は従来のスタンス(事前予約及び貸切重視)を継続してきました。勿論、天秤にかけたとしても、その方が売上と利益と最適化(最大化ではなく)と、労働環境の適正化を実現できると考えたからです。

ただし、これは本店に限った話です。本店が頑固親父のように自分の型を貫き通すのに対し、2号店はむしろ逆で、状況に合わせてカメレオンのようにアジャストできる柔軟な存在で在りたいのです。去年一年は、2号店はほぼ無視(手が回らなかった)の状態でしたが、今年に入ってマンボウの影に隠れて、2号店をカメレオンにすべく、あくせくせこせこ進めてきました。本来であれば今こそ、そのあくせくせこせこを放流すべきなのですが、いかんせん、スタッフが足りないのと、いてくれる主力スタッフも嗅覚味覚が失われているし、そもそもお客さんもいないとなると、実店舗営業においては手の打ちようも、足の出しようもないという状況です。なので、ここ数か月で仕込んでいた2号店のカメレオン作戦も封じられてしまい、残念ではあるのですが、まあそのうち、役に立つこともあるでしょうということで、いったんポケットにしまうことにします。

となると、どうするか。療養中、僕が籠って取り組んだのは「J×JのECサイトを作ること」でした。それこそ禍が始まって以来、ECサイト自体は3つ作りました。自家製パンがメインの「東京ロマンティックベーカリー」と、スパイスをテーマにした「スパイスホリック&ハングリーアパートメント」、そしてオリジナルの調味料である「世界一周した弱激辛ジャム」、この3つです。ただ、どれも独立したサイトで、「J×Jの~」という感はあまり前面に出してきませんでした。そういう意味では「J×JのECサイト」というのは今までなかったのです。

意図的にそうしてきたわけですが、それを方針転換し、この3つのECストアを一本化し、J×JのECサイトの中に「東京ロマンティックベーカリー」というパン屋さんがあり、その隣に激辛ジャムを販売しているお店があるという運営にシフトします。本来であればJ×Jとは切り離した形でECを運用したかったわけですが、現状でそれは難しいと判断し、諦めました。一方、J×Jが運営するECサイトなわけだから、「J×JのECサイト」というのはある意味、自然なところに落ち着いた、とも言えます。

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店名は「J×J Online apartment」です。複数のお店が複数のメニューやアイテムを展開する形になるので、スーパーマーケットのようなイメージになるのですが、今後はJ×Jのスタッフや提携先のお店を出店できるような形にしていきたいので、「それぞれの部屋にそれぞれの人が住んでいるアパートメント」の方がより近いかなと。

というわけで、トップページには香港にある実際のモンスターアパート(マンション?)を採用しました。ここまでごちゃごちゃさせるわけにはいかないですが、これぐらい雑多な感じに仕上げていきたいと思ってます(今はまだスカスカですが)。





全滅まで③

前回に続き「採用」、広く言えば「人」の問題です。採用をどうするか、というより採用すべきなのかどうか、も色々と悩ましい、という話ではありますが、ここにも「そもそも」が立ちはだかります。前回のブログでも少し触れましたが、そもそも「応募があった20名のうち面接にまで至ったのは3名」なのです。面接まで至らなかった17名のうち、まず10名が「応募はしたけど応募しただけ(=それ以降は無反応)」、残りの7名のうち面接の日程は組んだけど面接に来ずが4名(そのうち連絡があったのは1名)、そして面接をしたのが3名、採用したのは2名、採用はしたけれど一度も出勤せずそのままフェイドアウトが1人、働いてくれたのが1人(のち、3か月後退職)。なかなかシビアな世界です。

勿論、ここにも様々な要因が絡んでいるので一概に何がどうとは言えません。今の世の中こんなの普通なのかもしれないし、僕ができるのはお店の中のことだけで、お店の外に関してできることはほとんどありません。けれども、この20名の方とのやりとりを通じて感じたのは「採用活動に取り組んでいるのではなく、何か別のものと戦ってるような感覚」でした。「面接をセッティングしたのに時間になっても来ず、そのままバックレ」が続くと、面接に対する期待は自ずと低下し(やっぱ、つらいんで…)、中途半端なモチベーションのまま、なんとなく気持ちが雑になっていくというのを自分で感じます。ので、まずは自分自身がこのあたりの無重力感を改めないな、と思います。

一方、自分のマインドセットと病める現代社会はともかく、現実的には今いる既存のスタッフと人数でまわさなくてはいけません。そこで初めて導入してみたのが「Timee(タイミー)」。

timee.co.jp

橋本環奈さんがCMしてます。「この時間だけ働きたい働き手」と「この時間だけ働いてほしい雇用主」をつなぐ、スキマバイトアプリ。自店の場合、昼のパートさんは保育園などの事情により突発的な欠勤があったり、ランチはある程度単純作業に落とし込めるので、その点においてタイミーは有効です。さらに言えば、タイミーはワーカーさんを直接、採用することを禁止していないので、もし双方お互い条件があったりすれば、そのまま採用につながる可能性もあります。場当り的な採用活動よりもタイミーの中から模索するほうがいいかもしれません。

あとは近隣店舗と提携して、人的補完を構築するのも有効な一手でした。人手不足のお店もあれば、逆に人が余っていたり、売上と人件費が見合わずシフトを作れていないというケースもあるので、店同士がつながってそうしたスキームを作ったり、予防線を張るというのも、これからの飲食業にとっては必要なことだと考えます。

あとは「業務委託」。「間借り」という言葉が今どれほど一般的なのか、僕は中の人間なのでわからないけども、「空いてるスペースと時間を貸して有効活用したいテナント」と「飲食業、飲食店を試しにやってみたい方」をつなぐための仕組みとして取り上げられますが(物件の転貸借は賃貸借契約上NGなことも多いので個々に確認は必要ですが)、業務委託として外部の方に自分たちでまわせない部分を部分的、一時的に担ってもらうのも、ケースによっては人手不足による損失の軽減にもつながるかもしれないし、飲食業の利益構造の改善にもなりうるかもしれい、と捉えています。

といった具合で、採用や「人」の問題がその折々において変遷するように、その解決策も形を変えていくし、新しいパターンも出てくるので、それを自店の状況に合わせて当てはめていくことが重要だと思うし、何よりも「人がいないならいないでフォーメーションAで、ダメならBで」という状況を作れるかどうかが、もしかしたら抜本的なのかもしれないな、と。

というわけで、人手不足の問題はずっと続いているわけですが、タイミー、他店舗との提携、業務委託など新しいやりくりでなんとか凌いできたというのが今です。そして、そうして築いてきたその身軽さゆえ、全滅でもまだ冷静でいられるという逆説。では今後はどうすべきか。今まさにそれを考えていて、そして答えは今まさに出ていません。

 

 

 

全滅まで②

というわけで、すっかり全滅しているジャーニージャーニーですが、

www.journeyjourney-blog.com

通常営業再開は8月8日(月)で調整しています。幸い、僕は無症状なので問題ないですが、まだ起き上がれないほど直撃しているスタッフもいるので、療養期間を終えたからと言ってスムーズに営業再開できるのか、ちょっと不安だったりもします。そもそも、営業再開したとてもすぐにお盆で暇だろうなと不安な観測が立ち、ていうか、そもそも、今の感染状況じゃお盆とか関係なく、お客さん来なくない?、とその点も不安です。7月後半から予約の問い合わせもまた全滅しています。そもそも、その「そもそも」たちを打開するために今から準備せねばならず、楽しみだった『愛の不時着』を離陸したものはいいものの、完走できないまま不時着しそうで残念です。

そんな暗澹たる状況の中で唯一、ポジティブなのは「スタッフの数が少ないこと」。人手不足はそれこそ今年になってずっと課題だった点ですが、今は逆に助かっています。採用活動がうまくいって、全開で推し進めていたら、その分、現在のこの反転がもたらすインパクトはまた一段とシビアなものになっていただろうなと痛感します。まるでオセロのよう。白が黒になり、黒が白になる。


ただ、人手不足を課題としながらもどこかで慎重な自分もいて(ここまでの感染爆速再拡大は想定していなかったものの…)、採用のために予算と時間を大々的に投じたかというそうでもなく、最低限の採用広告を出しながらの様子見にとどめました。去年のうちに税金対策の意味合いも含めて、飲食店専門の求人サイトである「飲食店.com」に年間広告(1ヶ月約2万、年間だと確か18万くらい)を申し込み、それを掲載するのみで、あとは特に施策を打ってこなかったのが実情です。

job.inshokuten.com

年間広告を出して、今7か月が経過し、結果がどうだったかと言うと、応募自体は20件くらいはあったかと思います。ただそのうち、面接に至ったのは3人程度で採用したのはアルバイト1人のみです(そのアルバイトは3か月で退職しました)。今まで一か月のスポットで求人を出したことはあるものの、まとまった期間の間、掲載したのはこれが初めてなので「約10万という予算に対して採用が1人」というのが適正かどうかは何とも言えませんし、広告効果というのは媒体や予算の多寡で測定できるものではありませんが、結論を言えば「採用活動はうまくいってない」ということになるでしょう。

ただ、繰り返すように「うまくいかなったからこそ、今まだやりようがある」という側面もあります。そして、今の感染再拡大は今後の見通しをより不透明とせしめ、より消極的に考えるべきなのか、あるいは積極採用に転じるのがベターなのか判断が難しいところです。皆さんだったらどうしますか?多分、これをここまで読んでる人の7割は「いや採用すべきでしょ」と思う人が多い気がしますが、テレビ朝日の『相棒』がシーズン21に突入するように、このあと波が第21波まで続くかもしれませんし、世界ではケンタウロスが暴れ始めてるように、そのうちサルだけでなく、ユニコーンやペガサスの痘が猛威を振るう可能性だってあります。

という皮肉はさておき、僕自身もどこかで積極姿勢に転じなければ、立ちはだかる「そもそも論」を打ち破ることなんてできないとは思っていますが、問題はそのタイミングです。飲み屋における恋愛論において、散々議論したのち「結局タイミングだよね」と着地してしまうことに敗北感を感じてしまう自分ですが、結局タイミングです。

今回は「採用・求人」をテーマに書きましたが、次回もまた同じテーマを違う側面から書いていきたいと思います。飲食店の問題点はマンパワーへの依存度だと思います。その依存度をDXで最適化しようぜという話も十分わかりますが、DXな飲食店が自分のやりたい「飲食業」なのかという疑念もあります。難しいです。難しいからこそ掘り下げたいものです、無症状の療養中のうちに。

 

全滅まで①

2022年7月末、J×Jはついに全滅しました。

禍が始まってから今に至るまで(というかオープン以来7年)、対外的にどうなろうとも、店内的にどうであれ、なんやかんやでランチは営業しつづけてきました。誰も罹患することなく、どういうわけかくぐりぬけてきたわけですが、ここにきてスタッフ全員が陽性となり、最後の砦ごっこをしていた自分も感染し、華麗なるパンデミックに追い込まれました。

僕は幸い、無症状なので「じゃあ久しぶりにブログでも書こうか」という次第です。ブログを書くのはいつ以来だろうかと振り返ってみると4か月ぶりでした。どんなに忙しくても、気持ち的に余裕がなくてもそれこそオープン以来、7年にわたり継続的に書き続けてきた(むしろ切羽詰まってる方が書きたくなる)ので、大分疎かにしたなあとは思いつつ、ただ単に書かなかっただけで、この筆不精には特に意図も背景もありません。

さて改めましてになりますが、この度、J×Jは全滅いたしました。

最近の感染急増に伴い、病院や発熱外来は見事なパンクを起こしており、政府があれほど苦心、連呼していた「医療提供体制」はあっさりと打ち砕かれた様相を呈し、正式な診断を受けようにも受けれない状態なので、ほんとのところ全滅なのかはちょっとわかりませんし、逆にあからさまな症状が出ているのにも関わらず、陰性の通知が届けられるスタッフもいたりするので、事態はいっそうの混迷を極めています。なので、「見なし」や偽陰性の可能性など不確定要素も含めて、になりますが、合計4人のスタッフが4人とも離脱している状況です。

興味深いのは発生源がJ×Jではないこと。勿論、疫学に詳しいわけではないので素人の観測ですが、状況的に考えて、4人がそれぞれの場所でそれぞれに感染し、アベンジャーズのごとく集結したという線が濃厚です。予感や予兆めいたものはなく、息つく間もなくわずかこの1日,2日にして、あっというまにバルスされました。この大都会の片隅にさえ、東西南北、四方八方からウィルスが押し寄せてきたということであり、今のウィルスそのものを疾病上の脅威と見るかはともかくとして、一定期間に渡る臨時休業を余儀なくされている現実を考えれば、まさしく「禍い」に他ならず、これぞまさに緊急事態宣言です。



おそらくは7月22日にこの記事をスマートニュース内の中央日報の記事として見かけ、「中央日報って韓国のゴシップ誌だっけ?」と逡巡しながら、ついにウィルスもこんなふうにいじられ始めたか、と思っていましたが、ほどなくして日本の大手紙もこれを真面目に取り上げはじめ、

www.asahi.com

おいおい…、と失笑しながら(ケンタウロスだけでもヤバいのに、しかも「あだ名」って…)、さらに言えば今のBA5ではなく、「BA2.75」系統という部分に「人造人間は19号,20号がヤバいのではなく、17,18号がぴえんで、16号はさらにぱおん」のような数秘の出現にもはや抱腹していたら、鮮やかなる報復にあい、たちまちに一網打尽にされたというわけです。どうぜなら「BA3.14」や「BA7.77」などの新たな数秘を狙いたいところでしたが、病院にも行けないのでそれも叶わぬという状況です。

話を戻すと、タイトルは『全滅まで①』としましたが、というわけで、全滅そのものについては犬神家のように少しずつ蝕まれたわけではなく、一両日中に劇的かつ速やかにコミットされ、これといって特筆すべき点があるわけではないので、その詳細と過程を描くわけではなく、4月1日に前回のブログを書いた時(蔓延防止措置解除直後)から目下の全滅に至るまでのジャーニーを備忘録の意味合いも含めて、ブログとして残していきたいと思うのであります。


あ、というわけでしばらくの間、臨時休業となります。「今後は保健所の指導のもと…」と一度言ってみたかったのですが、当面、保健所まで辿り着けそうにないので、指導してくれる方を探しながら、営業再開時期については慎重に見極めていきたいと思います。よろしくお願いします。