Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

TOKYO都台東区アキバ系路地裏経済論③

自店は中小でもないし、スタートアップですらない。ただのイチ飲食店だ。そうした最弱の存在に救いの手はないかと言うとあながちそうでもない。税金は事業主にとって確かに荒々しいものではあるのだけど、一方で時に筋道を示す。

例えば、助成金補助金

これは挙げだしたらキリがないのだけど、この4年間で僕が実際に申請し、実際に受理されたもので言えば、

【小規模事業者持続化補助金

これは商工会議所管轄で、ごく簡単に言えば、店舗運営のために設備などを導入した場合にその3分の2を補助しますよ、というもの。上限70万。なので70万で内装をリニューアルした場合、その3分の2相当の46万を補助してくれる。すなわち通常であれば70万かかる買い物が24万で済むということになる。*これについては別途ブログで詳細を書く予定

 

【キャリアアップ助成金


厚生労働省管轄。キャリアアップ助成金というのは総称なので一言で表すことはできないのだけど、厚生労働省のHPに記載された概要には、

有期契約労働者、短時間労働者、派遣労働者といったいわゆる非正規雇用の労働者(以下、「有期契約労働者等」という。)の企業内でのキャリアアップを促進するため、これらの取組を実施した事業主に対して助成をするものです。


と書かれている。

これらは税金や雇用保険料をベースに予算が組まれているもので、こうした補助金助成金の要件を満たし、申請することはある意味、自分が納めている税金の有効活用するという側面も持つ。だから税金に嘆くばかりではなく、逆にそれを活用するためにはどうしたらいいかも事業主は模索すべきだと思う。例えば50万の助成金が支給された場合、飲食の損益計算書上10%の純利益を目安とするなれば、50万というのは500万の売上相当となる。500万という売上が高いのか低いのかは勿論店舗によってそれぞれだが、10〜20坪の店からすれば繁盛店であれ不振店であれ、それなりの金額ではあると思う。

僕自身はまだ取り組んだことはないのだけど、インバウンド/外国人/外国人留学生が要件になっている補助金助成金に興味を持っている。これまたかなりの数があるし、ややこしいものも多いのだけど、例えば英語表記のメニューブックを作成したり、外国語表記のHPを用意したりした場合に補助されるものもあれば、外国人を雇用した場合に発生する助成金もある。人手不足が深刻な飲食業界もチェーンだけでなく、個人店ももう少し目を向けてみてもいいんじゃないかと思っている。


数年前、コンビニに外国人スタッフが入るようになった時、大丈夫なのかなと心配したけれど(勿論うまくいかないケースも多々あるかとは思うが)、コンビニにおける外国人労働者の数は飛躍的に上昇し、都内においてその光景は日常と化している。飲食においてもこの傾向は今後より加速していくだろう。

 

社内に中国人の営業やインド人のSEがいるなんていうのはけして珍しくないはずだが、浸透度で言えばグローバルに展開する大企業の方が高いと思える。中小の外国人雇用へのアプローチはまだ甘く、つまり現在日本で働く外国人は極端に2極化している。エリートの方々は大企業で働き、留学生を中心とした若年層はコンビニや飲食店で働く。建築現場でも外国人労働者を多く見かけるようになった。


けれど、この2極化もやがて徐々に解体されていくだろう。もっと普通に、もっと日常的に外国人雇用が至るところで発生していくことになると思う。グローバル化とは日本人が海外に出やすくなることではなく、海外から日本に人材が入ってくることを指し、良くも悪くも切実だ。J×Jの内装事業において解体をモンゴル人の業者にお願いしているのだが、内装のハヤカワは「彼ら、めちゃくちゃ働きますよ。仕事、全部彼らにとられちゃうんじゃないですかね?」と言う。また最近、担当する飲食店のオーナーが中国人が多いことも懸念している。この夏、ハヤカワが関わった2件の店舗は2件とも中国人がオーナーだ。「そのうち中国人だらけになりそうですよね、彼ら、資金力とマンパワーがあるから若い個人事業主なんて太刀打ちできないですよ」。

 

そもそも少子化で日本人の労働人口が少なくなってきている中、海外から労働力を招致するのはもっともな話だ。けれど、お金が日本国内でまわらなければ景気的にはあまり意味がないように思えるし、そもそも若い外国人労働者のパワーと野心が本気で押し寄せれば、一部の貧弱な日本人はひとたまりもないのではないだろうか。近い将来、「甘ったれた日本人よりもハングリーな外国人の方が働き者だぜ」と言って、外国人の採用を優先する経営者が多くなってきたとしても不自然ではない気がする。

 

これに加え、国から補助金助成金が出るのであれば(そう長くは続かないと思うが)外国人採用も先行して積極的になるべきではないかと考える。AIは確かに世の中の多くの仕事を人間から剥奪するだろう、けれども同時にAIと対極に位置するシンプルかつハングリーなマンパワーも単純に脅威だ。働き方改革コンプライアンスもライフワークバランスもあくまで仕事と働き口があっての話であって、仕事そのものがなければ改革もバランスもない。日本国内において右へ倣えの挙国一致で「ゆとり」を謳歌したとしても、国際社会は競争をやめないし、情報化はよりシャープに、よりドライに労働そのものを、労働者そのものを合理的に仕分けしていくのだと思う。

 

そう考えればこの手の話は「ゆとり教育」の功罪を問う議論に似ている部分があると思う。大義を掲げて教育の改善に取り組んだが、国際学力テストで順位を落としたことで学力低下が指摘され、結果的には「脱ゆとり」へと方向転換した。「あれ、気づいたら他の国に抜かされてました、てへへ」というのが国家規模で起こってしまったとしたら、それは「やっぱり円周率は3.14にしましょ」では済まされないような気がする。

授業時間も労働時間も削減そのものが目的ではなく、円周率が3であれば「ゆとり」が生まれ、残業がなければ「バランス」が生まれるというものではないはずだ。重要なのは効率化によってもたられた時間をどう使うかであり、ゆとりによって何を生むか、何が生まれるかであるのにも関わらず、この部分に関しては誰も何も追わない。逆に考えれば、そうした趨勢であるからこそ逆張りは有効であるかもしれないし、抜きんでる人は抜きんでる。結局のところ、何がどうあれ、やるやつはやるし、やらないやつはやらないという原理主義だけが静かに佇む。