Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

「商売不繁盛論」と「冒険」③-小説「Journey×Journey」前編-

採用がうまくいったとしても、うまくいかなかったとしても、今年は店舗運営とは別に新しいことに挑戦していきたいと思っている。その一つが小説『Journey×Journey』の執筆と完成。ここに「出版」という文字も加えたいが、実際にそこまで持っていくのはちょっと現実味に欠ける。それに、「小説」というのは表現方法の一つであり、「出版」というのは形式の一つ。小説にも出版にも意志はあっても、執着はない。


では何故、小説『Journey×Journey』を目標とするか。


どんな仕事も大変であり、尊い。大変で、尊いからこそ、そこに然るべき対価が生まれ、報酬や給料が発生する。うまくつけこんで楽して報酬を得る人もいれば、ズルをして給料をかっさらう人もいる。けれど、楽をするにも、ズルをするにも、知恵と根気が必要だ。マクロにそう考えれば、世の中に簡単な仕事なんてない。


その中でも飲食業はやはりタフな仕事だと思う。ある程度は経験と工夫で緩和することができたとしても、飲食業の拘束力は如何ともしがたい部分がある(開業当初はなおさら)。生産性と業務効率の改善は当たり前の至上命題であると同時に、常に神話性を帯びている。現実は神話のように優しくない。


でもだからと言って、「飲食ってそういうもんだから」とあっさり屈するのも癪だ。どうにかしてこの神話を切り崩していきたい。


本業を持ちながら、並行して、あるいはサイドビジネスとして飲食業をまわすというケースは少なくない。けれど、その逆は稀だ。飲食業で独立した事業主が他の事業を起こしたり、レバレッジを効かせた展開を図るのは難しい(勿論、その境界線を踏み越えていく成功者もたくさんいるのだけど)。これはひとえに飲食業が宿命的に孕む拘束力がネックになっているのだと思う。


ここで言う「拘束力」には2つの側面がある。一つは時間的拘束。店が主体者及びスタッフを拘束する時間が長いという問題。軌道に乗って、一定の売上を担保できるようになれば対応の余地はあるけれど、その領域に早い段階で達することができるのはごくごく限られた店舗であって、一般的ではないように思える。もう一つは属人的拘束。もしオーナーシェフとしてずっと現場に立っていたいのであれば、この属人性は問題にならないが、そうでないのであればここも関門となる。個人店のアイデンティティはその店の経営者や店主のパーソナリティに直結している。それが自分の店を持つという喜びであり、個人店の醍醐味でもあるのだけど、場合によってはリスクでもある。「店」と「自分」が完全に同一化すると、そこから離れるのが極めて難しくなる。「あの人がいるから、あの店に行く」という図式は飲食ならではの幸福であると同時に「拘束」を意味する。



飲食業を取り巻く数々の問題の原因も突き詰めれば、この一点に集約されているように思える。


この拘束が時にやりがいを与え、時に疑心と閉塞感をもたらす。経営者や主体者はやりがいがあろうがなかろうが、閉塞感を感じようが感じまいが、基本的にはとにかくやるしかない。けれど、その切実かつ必死な現実をその店で働く社員スタッフに100%、共有するのは難しいし、そもそもその必要もないと思う。スタッフは何らかのメリットがあるから、そこに所属しているのであり、そのメリットを見出せなければ残るのは「このままでいいのだろうか」という疑心と、「このままではどこにも行けない」という閉塞感だけだ。


独立や将来の成功を目標に掲げ、強固な信念を持っていれば多少大変なことがあっても走り抜くことができるかもしれない。でも、飲食従事者はそういう人たちばかりではないし、飲食業がそういう人たちだけで成り立つわけでもない。


だから、お店の主体者は働いてくれるスタッフに何らかの「明確なメリット」を提示し、疑心や閉塞感を寄せ付けないような環境を作っていかなければならない。頑張るのはその先に明るいものがあるからであり、薄暗い行き止まりに近づくために汗水垂らしているわけではない。僕はそういうマネイジメントを目指したいと思っているわけだけど、実践しうるのはまだ当分先の話だろう。まずは自分自身がそうした疑心や閉塞感を克服していかなければならない。


飲食業が持つ拘束力は上記したように、時間的拘束と属人的拘束の2つの側面を持つ。けれど、根幹にあるのは自分が自分を縛る拘束だと思っている。「ずっと店にいなければならないから、他に何もできない」という強迫観念とも言える暗示だ。まずは店の主体者である僕自身がその暗示を打破していかなければならない。


小説『Journey×Journey』はそのためのベンチマークだ。「他に何もできない、ということはない」という反証を小説『Journey×Journey』を通して、示していきたい。商売不繁盛論はその反証への冒険のための一手でもある。


反証作業はできるだけ実利的でないほうがいい。かつ、店舗運営と直接的でないほうがいい。より地道で、よりクラフトでなければ、反証としての価値はない。そして、店舗の運営者でありながら、プレイヤーでもある今取り組むからこそ意味がある。万が一、出版されたとしても、さして利益は見込めないだろう。と言うか、実利はほぼないに等しい。でも、書く。ありったけのエネルギーを注いで、書く。


小説『Journey×Journey』の構成はもう出来ている。「完」まではあともう一息というところだけども、「完成」まではまだ程遠い。


でも、書く。


ありったけのエネルギーを注いで、書く。


(この記事を書くだけでも5時間近く要しているが…)


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