Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

Kの冒険【退職編】

今回のブログはスタッフの退職に関した記事です。前もってアナウンスさせていただきますが、けしてポジティブな退職ではないし、最後まで読み通したとしても何ら救いのない内容になっています。であれば、わざわざ書く必要があるのかという話にもなるけれど、オープンからの一年、主体者である僕だけではなく、彼もまたお店にとってのアイデンティティだったと思ってます。少なくとも僕はそういう気持ちで彼と働いてきた。

 

 

けれど、彼はこの一年でお世話になった皆様に一言も言えないまま、お店を去ることになりました。これに関し、「あー、あいつ、辞めちゃったんだよね」で、済まそうとは思わないし、思えない。僕にとっても、店にとってもネガティブな話ではあるけれど、この記事を通し、言える範囲で、彼の「退職」をお知らせさせていただきたいと思ってます。

 

 

なお、本記事については今までと変わって、彼のことを「K」とイニシャルで表記します。今さらだし、何だか小賢しいし、夏目漱石の『こころ』みたいだけど、以下、「K」とする。

 

 

 

 

タイから帰国して6日後の2月16日、出勤時間になっても来ないKに対して、電話をかけた。Kは寝ぼけたような声で電話に出た。その日はまるちゃんが出勤していたのでシフト的には問題なかったが、ランチに出すグリーンカレーを初めてKが作るという予定だった(Kはグリーンカレーを連日練習していた)ので、「このタイミングで遅刻するか…」、と僕は落胆した。でもまあ、遅刻や寝坊自体はしばしばあったので、それほど気に留めなかった。

 

 

 

 

しかし、30分経っても、45分経っても、Kは来なかった。今さら寝坊ぐらいでまごつくようなことはない。何かあったのかと心配になった。オープンまでまだ少し余裕があったので、Kのシェアハウスまで様子を見に行くことにした(Kの家は店から徒歩2分)。まさか慌てて飛び出て、事故ったりしてないよな、と思いながら家まで行くと、そのすぐそばの大通りに救急車が一台、停車していた。

 

 

 

急いで救急車まで駆け寄るが、誰もいない。中から物音もなく、人の気配もない。ちょうど通りの向かいに交番があるのだが、おまわりさんは何ともなしに街の様子を眺めていた。仮に数分前にここで事故があったとしたら、何らかの痕跡があるはずだし、もっと張りつめた空気になるはずだろう。しかし、救急車のまわりに流れる日常は穏やかそのもので、何の変哲もない時間が何の変哲もなく流れていた。Kの自転車はシェアハウスの駐輪場に置いたままになっていた。少なくとも深刻な事故に巻き込まれた可能性は低い。

 

 

 

とりあえず、反対側にまわって、何故あの救急車が来ているのかをおまわりさんに聞いてみようと思い、横断歩道を渡るとその間に救急車が発車してしまった。サイレンはない。無意識に追いかけるが、当然、徒労に終わる。

 

 

いったん店に戻り、通常どおりに営業する。気もそぞろだけども、お客さんに迷惑をかけるわけにもいかないので目の前のランチ営業に集中する。

 

 

ピークが終わった12時40分頃にKから着信が来た。

 

 

ふう…。

 

 

「ヤマモトさん、すいません…。俺、家の前で倒れちゃったみたいです。今、点滴打ってもらってます…」

 

 

「今どこなの?」

 

 

「A病院です」

 

 

店の近くにあるB病院ではなかった。2駅先にある病院だ。

 

 

「もう診てもらったのかな?」

 

 

「はい」

 

 

「お医者さんは何て?」

 

 

「貧血みたいです」

 

 

 

貧血か。女子か、と言いたいところだけども、問題は貧血ではなく、「何故、貧血になったのか」だった。でも、大事に至っていないことにひとまず安心した。

 

 

 

「わかった、とりあえずランチ終わったらあとでまた連絡する」

 

 

と言って、電話を切った。

 

 

そのやりとりのあと、僕の母親が千葉からランチを食べに来た。

 

 

 

「K君はどうしたの?普通のお休み?」

 

 

3ヶ月前、Kが無断欠勤していた際も母親はランチに来た。来店はそれ以来3ヶ月ぶりだったが、またもKの姿ないことにがっかりしていた。

 

 

「なんだ、せっかくバレンタインのチョコ、持ってきたのになあ。会いたかったなあ」

 

 

と言う母親に対して、誤魔化すのも悪く思えて、状況を簡単に説明した。

 

 

「というわけで、会いに行こうと思えば会いに行ける。電話の声は普通だったし、貧血なら行っても問題ないんじゃないかな」

 

 

 

「じゃあ、お母さん、ちょっと行って、お見舞いがてら様子を見てくるね」

 

 

 

そう言って、2駅先にある病院までバレンタインデーのチョコレートを持って、歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、Kは病院から店に戻った。点滴を打ち、睡眠をとり、大分持ち直したようだったが、夜の営業はそのまま休んでもらうことにした。

 

 

 

 

 

翌日と翌々日は出勤できたが、その週末からまた体調不良を理由にお店に来れなくなった。

 

 

 

 

 

何とかその翌週のタイ・ラウンドに出勤することはできたし、その際、料理を作ることもできた。しかし、今思えば、この日来れたのが逆に不思議なことだったのかもしれない。

 

 

 

 

タイ・ラウンド後、ランチは休みにしてディナー営業のみの出勤となったが、それも長くは続かず、3月に入ってすぐ再び、体調不良となった。それ以来、一度も出勤していない。

 

 

 

 

その「体調不良」に関して、言えることは少ない。僕自身も正確には把握できていない。

 

 

 

 

 

その後、何度かのやりとりを経て、2016年3月31日を以って、正式に退職する運びになった。