Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

『J×Jの冒険』への冒険vol18.【橘さんの冒険】編

2015年2月26日木曜日、夜22時。冷たい雨がしとしとと降る中、僕はファミリーマートの前で缶ビールを飲み、そしてファミチキを食べていた。

 

 

経験上、おそらく橘さんはビールではなく、いきなり強い酒からはじめる。肴を用意したりもしない。淡々と、ひたすらにバーボンを飲むだろう。それに僕も手土産にブラントン・ブラックを用意した。個人的には最も好きなバーボンだ。これでお互いの新しい門出を祝えたら嬉しい。

 

 

空腹にバーボンはこたえる。ファミチキを食べ終えたあと、念のためにシーチキンマヨネーズのおにぎりもお腹の中に入れておいた。どうなるかわからないけれど、いずれにしても今夜は長い夜になるだろう。

 

 

 

 

 

 

「山本さんはトマトクリームパスタって作れますか?」

 

 

乾杯するなり、橘さんは意外なことを尋ねてきた。トマトクリームパスタ?

 

 

「作れることは作れますけど、どうしてですか?」

 

 

「私、作るの初めてなんですけどソースを試作してみたんです。良かったら味を見てもらえないでしょうか?」

 

 

と言って、橘さんは厨房に入り、皿にパスタソースを少しだけ盛って、僕の前に差し出した。何が何だかわからないまま、そのソースをスプーンですくって食べてみた。うん、繊細で、優しい、橘さんらしい味がする。そして、そのままそう橘さんに伝えた。

 

 

「今日で通常のランチ営業は終わりにしました。手続きやら片付けやら色々あるので明日はもう通常営業はやりません。でも一人だけ最後にランチを食べてもらいたいお客さんがいるんです」

 

 

それだけ言って、橘さんはブラントンの水割りを飲んだ。こういう時に僕の方から掘り下げたりはしない。橘さんと飲むときは橘さんのペースに合わせるほうがいいということを僕は心得ている。

 

 

「昔からの常連さんじゃなくって、ここ最近ついてくれたお客さんなんです。毎日、ピークが終わった14時過ぎに一人で来ます。物静かなヒトで特にしゃべったりもしないから、どこで働いているか、何の仕事をしているのかもわからない。そもそもこのあたりに勤めている人なのかどうかもよくわからない。取り立てて美人というわけでもない。でも、何故か、引っ掛かるものを感じると言うか。ああ、最後はこのヒトに食べてもらいたいなって思ったんです」

 

 

それって…、なんて野暮なことは聞かない。僕も橘さんに合わせて水割りを飲む。

 

 

「それで今日聞いてみたんです。明日最後なんだけど、何か食べたいものある?って。そしたら、トマトクリームパスタが食べたいって言うんです。おかしな話だと思いませんか?私、ランチでは和食しか作らないのにどうしていきなりパスタなのか。おまけにトマトクリームパスタ。ぺスカトーレだとか、カルボナーラならまだ分からない気もしないんですが、トマトクリームパスタをピンポイントでご指名なんて、いよいよよくわかりません」

 

 

その話を聞きながら、橘さんはほんとに数奇な運命を辿る人だなと思った。5年間、この場所で和食を作り続け、最後の注文が今まで作ったことのない初めての料理で、しかもそれがトマトクリームパスタ。確かに、よくわからない。けれど、明日提供するパスタソースを先んじて僕が味見したことに対し、何だかその女性に肩身の狭い気持ちになった。どうせなら、それを食べるのは世界中でその女性ただ一人、っていうほうが然るべきシナリオであり、在るべき運命論のように思えた。

 

 

話は変わり、僕と橘さんはありとあらゆる話をし、ありとあらゆる話に花を咲かせた。我々は酔っ払った。

 

 

「僕、橘さんを羨ましく思います。出会ったばかりの頃、橘さんはこうおっしゃった。〝私がここで表現したいと思ったことは全て出し切った″。すごいなと思いました。僕はようやくこれでスタートラインに立てた。橘さんはそのゴールにいる。僕もいつかそう言えるようになりたいものです」

 

 

ブラントンブラックの残りはもうわずかだ。

 

 

「お店を手放すということは長く連れ添った恋人と別れるようなものです。当然、中途半端な人には渡したくない。私は山本さんだからこそ、ここから退こうと思ったわけですが、その一方で、山本さんとはもっと違うかたちで出会いたかったなとも思います。バトンタッチするのではなく、もっとシンプルに友人でいたかった。端的に言うと、飲み友達として最高です、山本さんは」

 

 

と、橘さんは言った。

 

 

「だとしたら、僕はもっとニーチェを勉強しないといけませんね」

 

 

と、僕は言った。

 

 

 

こうして、持参したブラントンブラックは空になった。

 

 

 

 

 

この時のブラントンのボトルキャップは今もお店全体を見渡せる場所に置いてある。一種の御守りのように。そして、僕がこのキャップを見上げる時、いつでも初心に戻れるように。

 

 

 

 

3日後、2015年3月1日、日曜日。

 

 

 

池尻さんの立ち会いのもと、橘さんから僕にお店の鍵が渡された。

 

 

 

 

最後にこっそり聞こうかとも思ったけども、野暮だと思ってやめた。どうせなら、それを知っているのは世界中でその女性ただ一人、っていうほうが然るべきシナリオであり、在るべき運命論のように思えた。

 

 

 

 

橘さんのトマトクリームパスタの行方は彼女以外、誰も知らない。