Journey×Journeyと山本ジャーニーの冒険-独立・開業と「旅食」の航海日誌-

秋葉原の多国籍・無国籍のダイニングバー「Journey×Journey」。独立開業までの過程とオープン後の日々を綴る、山本ジャーニーの営業日報。

【2018年下半期の事業計画①】「まあ、いいや、ここで」への冒険

7月1日。2018年、早くも折り返し。

早いなあと思うのはいつもいつものことだけど、1月1日、4月1日とならんで、7月1日はなんだか背筋が伸びる一日。一年の折り返し地点ということもあるけれど、7月1日ほどソリッドに新しい季節の訪れを告げる日付はないんじゃないかと思う。浜崎あゆみはかつて『July.1st』という歌を歌った。やっぱりパワフルな日付なんだろう、7月1日。6月1日や11月1日を歌にしてもピンと来ないだろうし、つまりは売れなそうだ。

というわけで、夏だ。ちなみに僕はあまり好きではない、夏。昔、あれだけ楽しみにしていたのが嘘みたいだ。

若者たちがギラギラな夏にギラギラと繰り出していくように、J×Jでも本日より新しい取り組みが続々と始まります。上半期に仕込んでいたものがここからどんどん芽を出していく予定です。すくすくと伸びるように、大切に育てていかなければなりません。この猛暑の中、枯らすわけにはいきません。2号店や間借り3号店含め、今まではどちらかと言うと、ディフェンス重視の考え方で進めてきましたが、ここからはよりオフェンシブに展開していきたいと考えております。「ここまでならできるだろう」の領域から、「ほんとにできるのか?」の領域へのシフト。夏に繰り出す若者たちはワクワクしてるかもしれないけれど、僕はけっこうビクビクしてます。でもまあどこかでアクセル踏まないとなりません。今です、July.1st。

スケール大きめのことから、わりとコンパクトなものまで色々試していくのだけど、その一つ一つはおいおいアナウンスしていくとして、今日は先日、ゲストに言われた一言について紹介したいと思ってます。今後、お店を運営していく上での重要なことだと僕は認識してます。

先日、「というわけで店、変えようかなとも思ったんですけど、まあ、いいや、ここで、ってことになりました」と貸切の幹事様に言われました。ごく一般的に考えて、わりとキツめな言葉です。

その幹事様はリピーターのお客様で、ちょいちょい歓迎会や打ち上げでうちを使ってくれます。今回は中国の方のスタッフを大量に採用されたということで(幹事様自身も中国の方。日本語堪能)、新しいスタッフさんとの親睦会とのことでした。「和食は自分でも食べてるだろうし、かと言って、洋風なところに行くのもあれなんで」というのがJ×Jを選んだ理由。僕としては嬉しいかぎりです。

いつもは大体時間通りに来る幹事様が当日は30分前に店へ。何だか落ち着かない様子で店内を見回す幹事さん。どうしたんだろうと思いながらも、黙々と仕込んでいると、「いや実はですね」と幹事さんの方から切り出してきた。

「いや実はですね、今日の会に急遽、副社長も来ることになりまして…」

と言われ、ドキッとした。幹事さんは日本を代表するような超大手のメーカーに勤めている。日本経済を動かしてる一員の一人と言っても過言ではない。重役や重鎮の方々がふとしたきっかけでたまたま来ることはあっても、そこまでは大物はそうそうない。

そうした文脈の上で、

「というわけで店、変えようかなとも思ったんですけど、まあ、いいや、ここで、ってことになりました」

と、幹事さんに言われた。僕は思わずあからさまな苦笑いを浮かべてしまった。

ただならぬ緊張感の中で始まったその親睦会だったが、取り立てて大きな問題もなく、スムーズに終わった。日本のスタッフも新しく加わった中国のスタッフも副社長も思った以上に気持ちよくお召し上がりいただいた。



「まあ、いいや、ここで」。


これってネガティブなことじゃないよな、と洗い物をしながら思った。と言うより、今回のケースで言えば、むしろポジティブなことだし、安全圏にいるということの裏返しでもある。副社長のことを抜きにして、フラットに考えてみたとしても、むしろJ×Jの目指すべき在り方なのではないだろうか。


先週はアフガニスタンの方が15名来店された。日本人含めて20人の貸切。

「肉類は勿論、玉子もNGですが、お魚はいけます。それでコース組むことできますか?」と予約時にお問合せをいただいた。「できます」と答えた。

また別のお客様からは「ヨルダンで一緒に仕事した取引先との会食なんです。タブーリってサラダを入れてもらえることできます?」とのご要望。「できます」。

「メニューの半分はベトナム料理で…」「できます」。

「イタリアンのアンティパストのみでオードブルを…」「了解」。

「W杯にちなんだ…」「やりましょう」。

「I wanna eat Japanese traditional food」「Sure」。

 

ランチの常連さんの中で一人、肉も魚もNGな方がいる。インドか、スリランカか、わからないけれどおそらく南アジアの方だ。

来るとわかっていれば用意しておくことはできるけど、ランチなのでそうもいかない。他のゲストも待たせている中で、その方だけ特別な対応をするのは正しいことなのか、判断が難しいところではあるけれど、僕としてはやはり対応してあげたい。何故なら、J×Jであればそれが「できる」からだ。

「絶対あそこがいい」とおっしゃっていただけるのであればそれは勿論、嬉しい。でもそれを突き詰めた先にあるのは特定の人のニーズに応えた限定的な店になってしまうような気がする。それもまた店の在り方の一つではあるけれど、僕が目指したい姿ではない。

南アジアのゲストだけでなく、他の多くのゲストの方々も「なら、まあいいや、ここで」、「だったら、そこでいいよ」、「じゃあ、あそこでよくない」という心理の上でJ×Jを選んでくれているのだと思う。僕の仕事は「なら」と「だったら」と「じゃあ」の範囲を広げ、「まあいいや」の質を高めることだ。


ランチのピーク中、彼に提供するベジタリアンメニューが定まらないまま、先におしぼりを出したことがあった(いつもは前もって決めてから、「これでいいか」?と確認する)。「ごめん、ちょっと考えるから時間もらっていい?」と言うと、彼は、


「Anything OK.I trust you」

 

と言った。嬉しかった。

 

これからJ×Jが目指すのは、「まあいいや」の質を高めること、


そして「you」ではなく「yours」にすること。

 

そう思っている。

 

 

J×Jの冒険-2015年9月「褒められて伸びるタイプと叱られて伸びるタイプ」-

「褒められて伸びるタイプ」か「叱られて伸びるタイプ」か、逆の立場で言えば、「褒めて伸ばす」か「叱って伸ばす」か、という議論をまあまあ聞くし、まあまあ見かけるけれど、不毛だなあとその度に思う。

大手企業であれ、個人事業主の小さな飲食店であれ、「その場所で何が何でも這いつくばって生きていかなければならない」という状況下に置かれることの少ない現状(転職や独立、フリーターやニートが珍しいことではない現代の風潮と環境)において、「叱られて伸びるタイプ」というのはそもそも指定文化財に近い希少な存在ではないかと思う。よほど切迫した状況にいるか、もしくはトラディショナルな武士道精神がない限り、「叱られて伸びる」という現象は生じにくいと思う。そして現代の日本においては、それほど切迫するシーンはなく、武士道精神が要されることもそうはない。勿論、豊かになりたい、だとか、生活水準を下げたくない、とかそういうのはあるだろうけど、仮に何かに追い込まれたとしても、結局のところ、「まあ、なんとかなるだろう」という楽観に多くの人は至るのではないだろうか(そして、実際に多くのことはまあなんとかなる)。

と言っても、大体はそんな感じだろうという、あくまで個人的な見解だ。依然、自殺者は多いし、心を病む人はあとを絶たない、毎日のように救いようのない事件は起こっている、けれど、それは社会問題であって、この記事の本筋とは離れるので考慮しない。

大体のことが「まあ、なんとかなる」のであれば、大体の人は「褒められたい」し、「承認されたい」。僕もその一人だ。そして、歳を取れば取るほど、その傾向は強まる、か、もしくは一切合切がどうでもよくなる、無感覚になる。あなたのまわりの若いコの中に「叱られて伸びるタイプ」はいるかもしれないが、あなたのまわりのおじさんの中に「叱られて伸びるタイプ」はいるだろうか?


かつて叱られて伸びるタイプだった青年も、いつかは褒められて伸びるタイプのおじさんか、何がどうあれ何とも感じないおじさんになる。そう考えれば、みんながお互いを尊重しあって、称えあって、スパイラルアップしていけばいいじゃないか、という話になるのだけど、まあ、そうもいかない。

そもそも話の前提として、「伸びる/伸びない」という視点がまずナンセンスだなあと思う。経営層や管理職は一般的に「伸ばす」のが仕事であり、それがいわゆる「マネイジメント」なのかもしれないけれど、と言うより、その前段階として「伸びたい」、「伸びたほうがメリットがある」と思ってもらうように働きかけたり、示唆することが根本的に大切なのではないだろうか。そうした意識さえあれば、自分の本来的な性格部分を超えて、たとえ褒められようが、叱られようが、主体的に伸びていくのだと思うし、主体者側が「このコは褒めたら伸びるタイプだから」、「あいつは叱ると落ち込むから」など余計な気を遣わずに済むんじゃないかと思う(そうした気を遣ったり、遣わせてる時点で本質的には乖離がある)。「伸びる」に限らず、「育つ」、「成長する」などそうしたワードというのはあくまで自動詞的でなけれならず、「伸ばす」、「育てる」、「成長させる」など他動詞的なものではないような気がする。あくまで、どこまでも、究極的には自分次第だ。

 

と僕は思っているのだけど、その一方で、もう一つの視座がある。「伸びる」ではなく「強くなる/たくましくなる」という観点で言えば、やはり「叱る」というのは意義のある行為ではないかと思う。褒めておだてて、叱らず怒らず、大事に大事に丁重に、というスタンスで営業成績が伸びたり、パフォーマンスのレベルが上がるというのは往々にしてあると思うが、その路線でいざという時に対応できうるタフネスさが養われるかというと、個人的には疑問だ。たとえばセンスのいい料理人がいたとして、もうちょっとこうしたらいいなあと思いつつも、まあいいや、ここまでできれば十分、大丈夫、として、小言は奥に閉まって、おだて続けたとする。気を良くした彼は確かに伸びると思うけど、お客さんからちょっとした指摘が入ったり、文句を言われたりすると、その時の反動たるや甚大であることは容易に想像できる。感性と価値観が入り乱れる中で、一つの空間で全てのゲストを満足させるというのは至難で、ある意味、その謙虚な諦観はあって然るべきもだと考える。中には気に入らない人もいるだろうし、中には指摘してくる人もいるだろう。特別なことではない。

そうした想定外や不意、言ってしまえば、トラブルやクレームをクールにタフに対応できるかどうかが大切で、そうした人間を求める主体者は多いのではないかと思う。勿論、責任は主体者が取らなければならないのだけど、全ての問題に立ち会えるわけではないので、現場で対応しなければならない人間は必ず出てくる。仕事における本領は調子のいい時ではなく、何か問題が起こった時に問われる。そうした時に備えてタフネスさというのはどうしても必要で、それは褒めて、おだてて、甘やかしてるだけでは養えない。

だから叱ることは大切だ、と安易な逆説を持ち込むつもりはないけれど、厳しい言葉やエッジのきいたコミュニケーションを取る時、そうした気持ちが少なからず脳裏にある。褒められて伸びる人間はいても、褒められて強くなる人間はそうはいないし、おだてられてたくましく人間も同様にまあいないだろう。

 

だがそれもこれも、伝わって、相手側の血肉となってなんぼだし、あくまで、どこまでも、慈悲深く、残酷にも究極的には自分次第だ。

 

オープンして半年、そんなことを考える日々だった。

J×Jの冒険-2015年8月「近隣問題」-

当時、電気代の他にもう一つ悩みの種だったのが「近隣問題」。飲食店の場合、その大体が「騒音」に由来するのだと思うのだけど、自店においても多分に漏れず、騒音が問題となっていた。

ただし、その騒音は「声がうるさい」とか「外で騒ぐな」とかそういう類いのものではなかった(それについては常に細心の注意を払っている。うるさくなってしまうこともあるけれど、過去3年の中でクレームが来たのは今のところ一度だけにとどまっている)。

問題となったのは外に設置していたエアコンの室外機の音だった。オープン当初は入口のすぐそばにあり、景観的にあまりよくないし、排出される風が通行人にとっても迷惑だろうということで木枠で囲うようにした。つまり、その室外機は前テナントが使用していたものであり、僕がそこに置いたわけではなく、もともとそこにあったものなのだ。にも関らず、室外機の音に対して近隣住民からクレームが上がったので、対応に窮した。「だって、今まで問題なかったんでしょ」と。

そうとは言ってもここで無碍に突っぱねるのもいかがなものかと思い、まずは室外機を覆っていた木枠の前面を外すことにした。これでもやはり響くと言われたので次に木枠そのものを入口の反対側に移し、完全に元の状態に戻した。

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立て看板の後ろの木枠で室外機を覆っていたが、

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この木枠ごとまるっと移動させ、室外機は元々の状態に戻した。

ところが、これでもやはりNGだった。先方も高圧的な姿勢ではなく、「色々対応していただいてるのに申し訳ないですが…」という温度であり、僕としても極力穏便に解決したい。だが、こうなってくるとあとは室外機を屋上にあげるしか対応策はなく、それなりの費用がかかる(20万前後だ)。

一番の懸念は仮に屋上に上げたとしても、問題が解決しないこと。こうなるとお互い、落としどころのない最悪な展開を迎えることになる。そうなった時に備えて、僕は奔走し、自分(お店の営業)の正当性を固めることにした。こうした騒音問題において当事者同士の間に入るのは行政になるので、まずは区役所へ行き、「これで屋上に上げたとしても解決しない場合はどうなるんだ?」ということをヒアリングした。

こうした問題で難しいのは結局、「騒音」というのは基本的にその人の匙加減による、ということ。うるさいと感じる人もいれば、何も思わない人もいる。性格的な部分に依拠されるケースもあれば、その人のコンディションによる側面もある。神経や思考がナイーブになっていれば音に関しても過敏になりうる。こうした部分に客観性を持たせるために区役所の環境課は騒音計を貸し出している。騒音には騒音値という数値的基準が用いられ、騒音計を使用し、デシベル(音圧レベルの計算単位)を測定する。また規定の騒音値は区域によっても異なる。自店の場合、「第3種区域/商業地域」に該当し、住居地域に比べ規制は幾分緩い。

「騒音に困っている方に貸し出しすることはまあたまにあるのですが、騒音を出されている方にお貸しするのは稀ですねー」と担当者は言った。「いやいや、僕も騒音で困ってるんですよ。当事者同士で無事に解決できなかったら、その時はよろしくお願いします」と言うと、「いやはや、我々はお店を指導する立場なんですよねー、はは」と言っていた。やれやれだ、と思った。

というわけでこうした案件は行政管轄にはなるのだけど、一応、警察にも行った。こういう場合、どうなるのかと警察サイドの見解も聞いておきたかった。とにかく、事態を収拾できなくなる前に諸々のリスクヘッジを講じた。

並行して屋上に上げる場合の見積もりを取りながら、ここまで準備を整えた。そして、最終的にどうするかの話し合いの中で、「屋上に上げる場合、費用は折半で」という先方からの申し入れもあり、ここで折り合いをつけることにした。何とも言えないと言えないが、積極的妥協を図ってくれた先方の対応には多いに安堵したし、以降、室外機が問題となることもなく、多少うるさくしてしまってご迷惑をかけることはあっても、概ね良好な関係を築けていると思う。

騒音や近隣トラブルの類は法律や判例はあるにせよ、そのケースは多岐にわたり、抜本的な解決策はないように思える。ただ大部分は当事者同士の関係値とコミュニケーションである程度は解消されるように思うし、相手方の意向に対してどれだけ真摯になれるか、歩み寄れるかがシンプルに大切になってくる。一方で、お店の営業は守らなければならないので、いざという時のために、自分たちの正当性は感情ではなく客観的かつ論理性を以って、ソリッドに研ぎ澄ませなければならないように思える。

 

 





J×Jの冒険-2015年8月「電気代問題」-

2か月ぶりに通常更新。なかなかブログを進められず、歯痒く思っているが、コツコツと地道に書き進めていきたい。

オープンから5か月目、2015年8月。この時点で厄介な問題が2つあった。1つは「近隣問題」、もう一つは「電気代」。電気代というのは非常に切実で、クリティカルな問題だと思う。自分のような個人事業主が初めて自分のお店を持つという時、その物件の電気料金や、契約がどうなっているかまでなかなか頭がまわらないのが実際のところではないだろうか。

僕自身、これについてまったくノーマークで(恥ずかしいことに)、初めて請求書が届いた時、戦慄した。4月の電気代が5万。4月は初月だからしょうがないだろうと思っていたが、5月の請求も同様の金額だった。夏場は一体どれくらいになってしまうんだろう、と戦々恐々としたのを今でもよく覚えている。

約14坪、26席で5万というのは一般的に見て、けして高すぎるということはないのだけど(当時、サイトで調べたところ)、かと言って、当然安くもない。オープン当初ということもあって、電気の無駄遣いにはとりわけ敏感だったし、よく聞く節電対策はすでに講じていた。今思うとおぞましいけれど、どれだけ暑かろうが、休憩中エアコンは切るようにしていた。

売上に応じて経費を調整できる「変動費」と違って、飲食店において電気代は「固定費」に該当する。営業時間が同じであるかぎり、時期によって多少の変動はあるにせよ、決まったコストが決まって発生する。売上が悪ければ悪いなりに工夫することができる経費がある一方、電気代についてはどうにもできないので、その点が電気代の切実かつ、クリティカルな部分となる。反対に言えば、ここに対策を講じることができれば、それはそっくりそのまま経費の節減に直結する。

当時は電力自由化の前で、お店でできる抜本的な対策としては「LEDへの変更」ぐらいしかなかった。3年前、LEDが全体の市況の中でどのように位置づけられていたのか、僕自身あまりピンとこないけれど、少なくとも今よりは普及されていなかったし、けっこう高いイメージだった。長期的に見れば安くおさまるれど、初期費用はかかる。この天秤をどう考えるか、暑い店内で汗を滴らせながら考えていた。これは僕が初めて直面した、いわゆる「経営判断」案件だったかもしれない。

ちょうどそんな時、業者から営業の電話がかかってきた。「うちのサービスを使えば電気代、けっこう安くなりますよー」というノリで、「月々の電気代、教えてもらっていっすかー??」とその営業マンは言った。タイムリーな事案だったので藁にもすがりたい気持ちだったが、結局、このノリは怪しいとたっぷりのバイアスをかけて、お断りした。

数日後、知り合いの先輩オーナーと電気代の話になり、業者を紹介してくれることになった。その会社は先日電話をかけてきた会社と同じだった。先輩が紹介してくれた業者さんにも関わらず、それでも訝しく思いながら構えていると、イメージとは打って変わって、百戦錬磨を思わせる落ち着いた感じの営業マンが現れた。名刺には「所長」と書かれていた。「所長さんも現場で営業とかされるんですね?」と聞くと、「Aさん(先輩オーナー)とは私が若い頃からの付き合いでして。Aさんからのご紹介とあらば、自分で行こうと。それに私、今でも現場が好きなんですよねー」と所長は言った。

この会社はLED事業とは別にもう一つ「節電事業」を展開していた。一般に、中規模の飲食店であれば「従量電灯」の他に、「低圧電力」(動力)という2つの電気契約を結ぶ。この2種類の電力の相関性が同業者の節電事業のポイントになるのだが、説明しはじめると長くなるので割愛する(と言うか、僕自身あまりわかっていない)。

もともとはLED交換だけのつもりだったが、説明を受けながら、所長が提示するもう一つの対策にも興味を持った。ただし、初期費用で60万程度かかる。勿論分割もできるが、分が悪い。現金一括の方がどう考えてもリーズナブルだ(所長は月々のお支払いの方を勧めていた)。こんなこともあろうかと思って開業資金はある程度余力を残してある。それをまわせば済む話だけれど、それにしても60万は切実だ。でも所長の言うように、本当に月々2万程度抑えられるのであれば2年と半年でペイできる。さて、どうしたものか。

ギリギリまで交渉して、結局、抱き合わせのLED交換の料金を抑えてもらい、提示金額よりも抑えた値段で契約した。

5万前後だった電気料金は2万5千程度に抑えられ、夏場も3万前後。オープンして3年経過した今だからこそ言えることでもあるけれど、オープン間もなくのあの判断は賢明だった。さらにLEDに変更したことによって、店内(特に厨房)の温度上昇の大幅緩和にもつながった。変更前はまさに灼熱であったが、今はそこまで過酷なことにならない。当然、その分、エアコン代も浮くことになる。

さらに言えば、所長とコネクションを作れたことが大きい。信頼できる専門業者とつながりを作るというのは店舗運営においては不可欠で、特に電気まわりの問題は自力ではどうにもならないので、いざという時にこれほど心強いことはない(その後、何回か電気系統のトラブルがあったが、その度に当所長ならびに業者さんに助けられている)。

その後、電力(の小売り)自由化を受けて、様々な企業が進出している。現時点においては個人事業主にとってハルエネでんきがいいとか、先々を考えれば東京ガスとのセットがいいとか言われているが、今後、この業界がどうなっていくのかよくわからない。が、先述したように、「電気代」ほど動かしがたく、また工夫の余地のない経費もそうはないので、何も着手していないのであれば、何か手は打つべきだし、市場の動向は逐一チェックしていたほうがいいように思える。



あかねの冒険

「正直、私、生のお魚って苦手なんですよね…。苦手というか、今までほとんど食べてこなかったというか…」

仲良くさせていただいてる近所の海鮮居酒屋で、極上のお刺身を食べながら、僕は心の中の動揺と落胆を悟られぬよう、極力、平静を装った。

「どうしても生臭く感じちゃうんですよね。と言うか、クセがあるものがダメなんです、きっと。あ、でも酢飯は好きです。ちっちゃい頃、回転寿司屋さんでネタだけ外して、下の酢飯だけ食べてました」

「なるほど…。なるほどね…。じゃあさ、好きな食べ物は何?」

動揺も落胆も隠し通せていないだろう。多分、顔に出てしまっている。それも致し方あるまい、寿司屋でネタを外してシャリだけ食べるという愚行にどうして平静でいられようか。ああ、俺は今、君にドン引いてる。けれど、そんな不安をよそに、あかねちゃんはどこまでも屈託なく、どこまでも真っすぐに、

 

「ハンバーグとポテトです」ときっぱりと答えた。

 

「そっか…。そっかー…」

 

そうだよねー、美味しいよね、ハンバーグとポテト。だよねー。そだねー

 

「じゃあ普段、友達とエスニックとかそういうとこには行ったりしないってこと?」

 

「行ったことないですね…。あ、でも、パスタとピザは好きです」

 

だよねー。

 

「ちなみにパクチーは?」

 

「食べたことないです。多分、私、クセがあるもの全般、無理だと思います」

 

そだねー

 

サビを見失ったメロディーが抑揚なく無気力にリピートするかのように、僕は何らの手応えも突破口も見い出せないまま、四苦八苦した。たとえ相手がどうであれ、お酒を飲みながら一定の時間を共有していれば、どこかしらに「ポイント」を掴めるものだと自負していたが、あかねちゃんとの飲みにおいて、それは煙のごとく僕をすり抜けていった。

 

J×Jにジョインしてくれることが決まる前に一度、面接を兼ねて一緒にお酒を飲んだ。この日は二度目のお酒で、すでに採用は決めていた。あかねちゃんは多国籍料理店という「クセそのもの」の中で働くことができるだろうか。いや、もはやそれは決定事項なのだ。すでに幕は切って落とされている。あかねちゃんはクセそのものと戦わねばならないし、僕は彼女の偏食というクセと戦わなければならない。双方に、血と汗は流れる。

 

今後、好き嫌いは最初の面接の時に聞くようにしようと戒めて、話題を変えることにした。まだ社会人2年目なので「仕事観」と言えば大袈裟だけど、この一年で「仕事」のどういう部分に楽しさや面白味を感じたかをちょっと聞いてみよう。業態は違えど、同じ接客業として通ずるものがあるだろうし、今後どう進めていくかのフックになればいい。

「あかねちゃんは1年、アパレルで働いてみてどうだった?」

 

「どうだったと言われましても、特に何も…」

 

ハンバーグとポテトです、と言ったキレはどこにもなかった。けれど、確かに俺の質問が悪い。質問はもうちょっと具体的にすべきだ。

 

「そしたら、1年働いてみて最も嬉しかったことは?」

 

「特にないですかねえ…。まあ、お客さんが買ってくれたら嬉しいですけど…」

 

「じゃ、じゃあ、この1年の中で最も印象的だった1日は?」

 

「うーん…、印象的だったことも特にないですね…」

 

この返答については、もはや苦笑いすらできなかった。


帰り際、「しんさん、ここのお魚は美味しいと思いました。私、初めてこんなにたくさんお魚食べました。ここ、すごいですね」とあかねちゃんは言った。やや上からかい、と思いながらも、同時にどうにか救いとなる一言となった。

 

この日からあかねちゃんの冒険が始まった。

 

そして、2年経ち、昨日、あかねの冒険が終わった。


「何食べたい?」と聞くと、きまって「タイ料理」と答える。「どこ行きたい?」と聞くと、「千寿司」(近くのお寿司屋さん)と言う。苦手だったパクチーも辛いものも今では好んで食べる。性格に多少の難はあるけれど、性格に難のない25歳女子なんて皆無に等しいし、むしろ多少の難はある意味健全である証拠だ。そして、そもそも僕の性格にも難はある。勿論、ある。

僕にどれだけ怒られても次の日、必ず出勤した。仕事を理解できる仲間に愚痴を言いたいこともたくさんあったろうに、残念ながら愚痴を言える相手はともかく、愚痴を心から理解できる相手は僕しかいなかった(地獄だ)。そうして500日が過ぎ、仲間ができたころには茜は先輩になっていた。そのようにして残りの250日を過ごし、750日間、無遅刻・無欠席を続けた。

 

「ここで私が突然、休んだらお店もシンさんもどうなっちゃうかなー」と考えた日は少なからずあったと茜は振り返る。思うに、人間はここで二手に分かれる。そう思ったとしてもそうしない人間と、そうしちゃう人間だ。茜は前者であった。自分が苦手とするものやストレスを感じるものは徹底的に牽制し、自分の好きなものだけをおもむくままに取り入れ、みょうがとしょうがの違いもわからぬまま、「maybe」や「same」の意味も定かでないまま、極端に狭い了見の中で、とにもかくにも走りきった。「無遅刻・無欠席なんて社会人であれば当たり前のことじゃないか」と思う人もいるかもしれない。けれど、僕はそうは思わない。飲食業も、J×Jという店も、僕も、甘くない。とことん甘いところもあるけれど、とことん甘くない部分もある。

でもだからこそ、見えてくる物事があり、広がる風景があると信じている。何ら険しさのない山道の先に胸が高鳴る景色は用意されていない。と、そう思う。これ以上言うとブラック飲食店の気配が漂ってしまいそうなのでやめるけど、本当にそう思う。

茜は数か月後に世界一周の旅に出る。

多分、彼女らしい世界一周を彼女らしく旅すると思うのだけど、きっと楽しいことばかりではない。苦手な食べ物だってたくさんあるだろうし、苦手な人にも会うだろう、愛想を尽かすこともあれば、愛想を尽かされることもあるだろうし、嫌な気分になることも少なからずきっとある。勿論、逆のこともたくさんあるはずで、それ全部ひっくるめて旅であり、冒険だと僕はやはり思う。そう考えれば、J×Jでの日々もある意味で旅と似たようなものだと感じなくもない(どのような仕事もそうだと思うけど、より人と人がダイレクトである点において、飲食店は旅先に似た生々しさがある)。とにもかくにも、何はともあれ、走りきってほしいなと切実に願う。その先には汗をかいた分だけの景色が広がっているだろう、きっと。


J×Jの立ち上げを共にした初代のスタッフ(K)は不本意な形で(僕にとっても、おそらく彼にとっても)、J×Jを辞めてしまった。本来であれば丁重に扱わなければならない茜だったが、僕はそれをできなかったし、しなかった。むしろ、Kよりもさらに遠慮なく、容赦なく、本気で一緒に仕事をさせてもらったことに僕は心から感謝してるし、ゆえ、僕の中でこの先もずっと生き続ける経験になるだろう。


いささか気の早い話だけれども、一周から帰国後、茜がどうするかは僕にはわからない。でも、誰かが茜を面接することがあれば、その面接官に是非、聞いてみてほしい。




「じゃ、じゃあ、その秋葉原での2年間の中で最も印象的だった1日は?」と。

 

 

 

【作品紹介】ジャーニー映画祭2018/4月29日(日)の部

今回は映画祭2日目、4月29日(日)に上映予定の3作品の紹介です。

まず初めに16時の回は『ロミオ&ジュリエット』。

言わずと知れたシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を現代版にアレンジした1996年公開の映画。『ギルバート・グレイプ』や『レヴェナント』での演技がとにかく圧倒的なディカプリオだけども、単純なカッコ良さで言えばこの時が一番なんじゃないかなあと思う(当時22歳)。映画自体もとってもファッショナブルで斬新。アロハシャツを着ながら、銃をぶっ放すロミオ、最高です。

が、それより眩しいのはジュリエット演じるクレア・デーンズ

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この水槽のシーン、「映画史に残る最も美しい視線」だと思ってます(ちなみに「映画史に残る最も美しい背中」は『アイズ・ワイド・シャット』のニコール・キッドマン)。その後のキャリアは今一つパッとせず、結局本作が代表作となったクレア・デーンズでありますが、とにかくこのジュリエットが破壊的にいとうつくし。6作品流すんであれば一本ぐらい恋愛映画がないとなあと思ってチョイスした映画でありますが、と言うよりも、久しぶりに水槽越しに痺れたい(これ以上は気持ち悪くなるのでこのへんで)。

 

次、『ダークナイト』。

ダークナイト』もまた後世に語り継がれる作品であろう1作。言い始めたらこれこそキリがないのだけど、監督であるクリストファー・ノーランジョーカーを演じたヒース・レジャーの常軌を逸した才覚に尽きる。24歳で『Tommorow never knows』を歌った桜井さんもすごいなあと思うけど、28歳でこの堂々たる狂気を演じたヒースに戦慄が走ります。彼は公開を待たずに急性薬物中毒で亡くなってしまうのだけど、今もなお遺憾、極めて遺憾。ここまでぶっ飛べる俳優はダニエル=デイ・ルイス(役者の頂点でしょう)以外、いないんじゃないかと思う。

 

で、最後は『コヨーテ・アグリー』。

 最後はポップに、カジュアルに、とにかくスカッとしましょうということで。アメリカのクラブ(と言うかバーと言うか)が舞台のお話しですが、飲み屋さんで働いてる人にとっても、飲み屋さんによく行く人にとっても、少なからず良くも悪くも刺激になる映画でしょう。内容的には特にあれですが、作中の英語の使い方とかがけっこう好きです。そして、ちょい役で出てるくジョン・グッドマンが好きです。コーエン兄弟の映画によく出てくるジョン・グッドマン、昔から何故かやたら好きです。

以上、2日目に上映する映画の紹介でした。ご参加、楽しみにしてます!!

 

【作品紹介】ジャーニー映画祭2018/4月28日(土)の部

今回はブログの本筋から外れて、今月末に予定している「ジャーニー映画祭」についての紹介記事となります。

4月28日、29日と2日間にわたって映画祭を開催します。前々から、「GWに何か軽いイベントやりたいね」とお店でスタッフとあれこれ話していたところ、「ヤマモトさん、カンヌ映画祭って毎年5月にやるらしいですよ。映画祭よくないすか?」というスタッフからの提案を受けて、今回初めて取り組むことにしました。

と言っても、仰々しくするつもりはなく、「なんとなく映画が流れていて、飲みながら、食べながら、なんとなく見る」という会にしたいと思ってます。なので、「集中して映画を観たい」という人向きではないのでその点については予めご了承くださいませ。

参加費は両日とも飲み放題フード付きで5,000円(16時~23時までの間、何時にご来店いただいても、ご退店いただいてもかまいません)、2ドリンク/フード付きで2,500円と致します。フードは別途お店で取り組んでいる「300品チャレンジキャラバン」の中からランダムでお出しします。ビュッフェ的なスタイルになりますので、「いろんな料理を少しずつ食べられる」というのも今回のイベントのポイントになります。


さて肝心の映画になりますが、初日の28日土曜日は下記3作品を放映予定です。

 

・16時~   『ハングオーバー!』
・18時30分~ 『ランボー
・21時~   『スワロウテイル

*なお今回は2号店BOXに貼ってあるポスターの映画群の中からセレクトにしました。

せっかくなので簡単に作品紹介いたします。まず、オープニングを飾る『ハングオーバー!』です。

 比較的最近の公開ですし、その後シリーズ化されるくらい人気のコメディー映画なので観たことある人も多いかと思います。オープニングを飾るのはこれくらいラフな方がいいかと思い、セレクトしました。ただひたすらの二日酔い(ハングオーバー)ムービー。きれいさっぱり中身なんてないのだけど、その空っぽさがたまらなく魅力的です。GW初日の夕暮れ時にふさわしい映画と言えるのではないでしょうか。

お次は、『ランボー』。

ランボー [DVD]

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先日、友人と『ランボー』の話になり、「1作目がどんな内容だったか覚えてる?」と言われ、ハッとした。全然覚えてないのである。筋肉ムキムキのアクション映画という認識だが、それは2作目以降であり、1作目はかなり重厚でシリアスな作品である、とのこと。ベトナム戦争の帰還兵である主人公ジョン・ランボーPTSDを描いていると友人は言う。「えー、そんな感じでしたっけ?」と自分でも色々調べてみたけれど、何を見てもどうにもこうにも評価が高いのです。通常、他人のレビューというのは気にしないけれど、断片的な記憶と先入観とのギャップも相まって、俄然興味が湧いているのです、ランボー。というわけで、2作目にチョイスしました。ハングオーバー!との落差がけっこう激しいかもしれません、悪しからず。

そして、初日のトリを飾るのは『スワロウテイル』。

スワロウテイル

スワロウテイル

 

これはもう、僕にとっての青春そのものです。公開当時、中学1年生だったかと思いますが、この作品を通じて自分の中で初めて「芸術」という概念が生まれたような気がします。これがゲイジュツってやつだ、って思いました。岩井俊二作品はどれも好きで、どれも青春で、どれも芸術ですが、『スワロウテイル』がぶっちぎってます。

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むかしむかし、円が世界で一番強かった頃、その街は移民たちであふれまるでいつかのゴールドラッシュのようだった。円を目当てに円を掘りに来る街、そんな街を移民たちはこう呼んだ。


円都《イェンタウン》


でも日本人はこの名前を忌み嫌い自分たちの街をそう呼ぶ移民たちを


円盗《イェンタウン》

と呼んで蔑んだ。


ちょっとややこしいけどイェンタウンというのはこの街とこの街に群がる異邦人のこと

頑張って円を稼いで祖国に帰れば大金持ち、夢みたいな話しだけど何しろここは円の楽園...イェンタウン。

そしてこれはイェンタウンに棲むイェンタウンたちの物語。

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というところから物語は始まります。


バブル経済が崩壊した直後に公開された映画というところも面白く、「円」をモチーフに、過度に加熱した資本主義や貨幣経済への警笛やアイロニーを散りばめてるような気がします。価値経済やトークンエコノミーが叫ばれてる現代から遡って考えてみると、『スワロウテイル』は予言的なパラドックスだったのかもなあ、なんて思ったりもします。登場人物達が日本語・中国語・英語(加え、それらを混ぜた言語)を話す無国籍な世界観も現代のグローバリゼーションを表象するかのようです。

と言っても、内実、そんな難解な映画ではなく、とにかくスタイリッシュでクールな映画です。若かりし、三上博史江口洋介CHARA渡部篤郎桃井かおり伊藤歩、大塚寧々、隅から隅までひたすらカッコいい。公開から20年経ってますけど、色褪せるどころか、逆に今観たほうがぶっ刺さるのではないかと思うくらいであります。

というわけで、以上が28日(土)に放映する3作品です。近いうちに翌29日(日)に流す映画も紹介したいと思います。

 

J×Jの石の上の4年目への冒険

「3周年の時は感慨深かったな」

と、三か月前くらいに知り合いの飲食店経営者が言っていたのを思い出した。その方は先日5周年を迎えたところで、僕にとっては遥か先を走る先輩にあたる。

 

「やっぱり3年ってひとつ節目だと思うんだよね」と彼は続けた。

 

J×Jも無事、4年目を迎えることができた。皆様の日頃のご愛顧に厚く御礼申し上げます。けれど、先輩が言った「感慨深さ」があるかと言うと、実際そうでもなかったりする。日々をこなすのにわりと精一杯で、予期せぬ事態が次から次へと持ち上がる。どれだけ遠くまで見通したとしても、どれだけ細部まで目をすぼめたとしても、不測や想定外は鮮やかに、そして劇的に、神出鬼没を繰り返す。

 

石の上にも3年、という諺がある。先輩や上司が若手によく言うフレーズだが、誤用とまでは言わないものの、この用い方にはいささかの強引さがある。「3年」というのはあくまで「ある一定期間」を喩えた表現であり、具体的な年数として「3年」を示したものではない。「石の上に座ると最初は冷たいけれど、ずっと座り続けているとそのうち自分の体温であたたまり、そのうち石そのものがあたたく感じるようになる」というのがこの諺が意味するところだ。

 

3年前、知人や身内、友人から多大なる応援やお祝いをいただいてオープンすることができたJ×Jであったが、それは物事の一側面であり、そうした一側面だけで立体性は保てない。お店は継続できない。他方から見ればJ×Jが腰を下ろしたその石は、多くの石がそうであるように、とても冷ややかなものであった。ゼロから物事を始める時に伴うその冷たさに動ずることなく、平常心を以って居座るのにはそれ相応の覚悟と根気がいる。辛抱強く我慢すればやがて物事は好転する、とそんな甘いことは思わない、けれど、「耐えないかぎり、石は温まらない」、これも事実であるように思う。げんなりすることも、がっかりすることもあるけれど、投げ出したり、腐ったりさえしなければゼロにはならない。100になることはないかもしれないけれど、ゼロになることもない。

 

1年目の夏に男女6人でご来店いただいたゲストの中で、急に体調を崩し、途中で帰られた女性がいた。全員近くに勤める会社員の方々で、それから半年ぐらいして今度はその6人を含めて大人数の貸切でご利用いただいた。

 

「実は半年ぐらい前にこのお店で飲んでたんですけど、その時、〇〇さんが急に体調崩しちゃって…。あれから半年、今日は〇〇さんがめでたく産休に入られるということで、お店はやっぱりここだろうと思ったわけです」

 

と、幹事の方が挨拶でそう言った。

 

「ここに来るとあの時のつらさを思い出すんですけど…」と苦笑いしながら、「元気なコを生みます」と妊婦さんは照れ笑いしていた。

 

それからさらに2年経って、この時の幹事の方がつい先日、再び送別会で自店を使ってくれた。ご挨拶がてらに、少ししゃべっているとあの時の女性の話になった。僕としてはその後どうなったのか少し気になっていたので、ちょうどいい機会だった。

 

「今、二人目を妊娠してるよ」と幹事さんに言われ、ちょっとびっくりした。

 

けれど、3年とは実にそういう歳月だ。

 

当時、着たくもないスーツを嫌々纏っていた新入社員の方々が今ではお洒落なスーツを見事に着こなしながら、飲み会の勝手がわからない後輩をフォローしたり、世話をしてたりする。飲みすぎて、とろけるようにとけて、内に秘めた小悪魔を全開に解き放っていた女の子が入籍を報告していたりする。自店で転職の誘いを受けていた方が実際に転職していたり、海外赴任が決まって外国に行っていた方が日本に戻ってきたり、かと思えば、「秋葉原は今日が最後になるんで、お昼食べにきました」と言ってくれる方がいたりする。そうした交差が身内や友人ではなく、お互いに名前も知らない間柄の中で、唯一の共通項である店を通して行われる。僕は彼らの人生がいかようなものか、まったく知りえないのだけど、一方で彼らの人生の一部に確かに立ち会っている。そして、3年という時間を経て、その一部と一部はストーリーとして連続性を帯び始めている。

 

3年とは実にそういう歳月だ。こうして夜遅くにお店で独り、ブログを書いていると、その歳月の重みに改めて驚かされる。

 

この3年の間に自分自身がどうなったかについてはわからない。それを測れる尺度はない(残念ながら、お金は全然貯まっていない)。


一周年の時に書いたブログはこれで、

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2周年の時に書いたのはこれ。

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自分自身はこの3年でどのようになっただろうか。自分ではよくわからないけれど、ただ、仲間は増えた。

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自分がこの3年でどう成長したか、それを測れるのは、それを示せるのは、僕がこれから、この仲間たちと一緒に何をするのか、何ができるかに由るのだと思う。それが本当に楽しみだ。

 

どれだけ遠くまで見通したとしても、どれだけ細部まで目をすぼめたとしても、不測や想定外は鮮やかに劇的に神出鬼没を繰り返す。それはきっとこれから先も続いていくのだろう。だけども、やっぱり楽しみで、楽しい。仕事をするのが何よりも楽しい。

 

3年前の自分はともかく、15年前の自分とは変わったなと思う。社会に出るのも、就職活動するのも嫌で嫌で仕方なく、ずっと放浪して生きていたいと思ってた自分に「働くってけっこう面白いぞ」と偉そうに言いたい。「石の上にも三年だ」と先輩風吹かせたい。

 

“石の上に座ると最初は冷たいけれど、ずっと座り続けているとそのうち自分の体温であたたまり、そのうち石そのものがあたたく感じるようになる” 

 

 

3年経ち、自分自身のことはさておき、石そのものは今、あたたかい。

 

 

 そのあたたかな石の上の4年目を冒険させてくれるスタッフと、取引先と、ゲストの皆様に心より感謝。

 

 

 

 

J×Jの冒険-2015年7月後編「スペイン・ラウンド」-

5月のGWにKと飲んでる間に企画したイベントが近づいてきた。

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J×J主催の初めてのイベントは「スペイン・ラウンド」。その名のとおりスペインをテーマにしたイベントで、スペインにちなんだドリンクを出しながら、スペイン料理を提供する、というシンプルな構成。けれど、特定の国にフォーカスすることで通常営業ではできないパフォーマンスができるという点で、僕にとっても楽しみなイベントになった。

「まるさんに手伝ってもらうんで、当日、ヤマモトさんはホールで飲んでてください」とKは言った。確かに僕が料理を担当するとなると、「K主体のイベント」という感が薄れる。それでは意味がないので、僕は基本ノータッチの姿勢でいた。

というわけでフードメニューに関してはKとまるちゃんが二人で打ち合わせしながら決めたのだが、ドリンクに関してはスペインビールやサングリアの他に試したいことがあったので一つリクエストを出した。それはスペイン・ラウンドに「世界遺産カクテル」を提供することだった。

世界遺産カクテル」はオープンする前からずっとやりたいなと思っていたメニューだったのだけど、そこまで手が回らない上に、そもそもカクテルに関する知見もほとんどない。そこで、世界一周仲間のバーテンダー(エビちゃん)に相談してレシピを考案してもらっていた(世界遺産カクテルについてはまた別の記事で触れる)。5種類ある世界遺産カクテルの中に『サグラダ・ファミリア』があったので、ちょうどいい機会だと思って、スペイン・ラウンドに絡ませることにした。

世界遺産カクテル『サグラダ・ファミリア』はこんな感じ。

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サングリアをベースにしたカクテルで、サグラダ・ファミリアの螺旋階段を表現するためにレモンの皮を使ったホーセズネックスタイルにしてある。

世界遺産カクテルをスペイン・ラウンドで提供するにあたり、レシピの考案者であるエビちゃんもイベントに参加してくれることになった。準備はこれで概ね整った。

イベント前夜、Kは夜遅くまで練習と仕込みに励む。

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そして、当日。

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7月最終週の土曜日、そして墨田川花火大会と被る日程だったにも関わらず、大勢の人が参加してくれた。

 

助っ人として参加してくれたエビちゃん

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当時下北沢のバーテンダーだったエビちゃんは今は渋谷で『ebian』という自分のバーを経営している。

当日厨房に立った3人で記念撮影し、

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時間はあっという間に駆け抜けた。

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何かと緊張してしまうKにとって、この時の達成感と解放感は並々ならぬものだったと思う。僕自身もKが頑張ってくれたおかげでフロアで飲むことができたし、イベントの終了を受けて多いに安堵し、おそらくかなりのお酒を飲んだ。この日、ゲストが帰ったあと、Kと何をどう話したかよく覚えていない。

よく覚えていないけれど、日高屋に向かう二人の背中がこの時の昂揚を示しているような気がする。

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この時すでに次の渡航先を決めていた。次は日本。真夏のスペイン・ラウンドは9月のジャパン・ラウンドにつながっていった。

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J×Jの冒険-2015年7月前編「まるちゃんとパニパニ」-

「まるちゃん」は僕が独立する前に働いていたお店PUSHUP(@秋葉原)の同僚で、一年間一緒に切磋琢磨した戦友だ。まるちゃんについては以前も記事にしている。

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僕が前職のPUSHUPを辞めた数か月後、まるちゃんも同店を退職した。そして、彼女が次のステップに行くまでの踊り場として、オープン当初から断続的にJ×Jを手伝ってくれていた。

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ワックス掛けする、まる。

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配膳する、まる。

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飲む、まる。

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食う、まる。

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休憩中にお外でモンスターハンターをする、まる。

こんな感じで働きながらも悠々と過ごしていた。一方で、まるちゃんにはパニーニ屋さんをやってみたいという憧れもあり、それをどう実現していくかを模索していた時期でもある。

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当時、J×Jの店頭で売ってみようかという話もあった。

営業が終わったあと、どうすればうまくいくか、朝まで試食とミーティングをした日もあった(いやはや、僕らはこの頃元気だった)。

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近隣のサンドイッチを一通り買ってみて試食。


試行錯誤の結果、J×Jのスタッフとしてではなく、個人として前職のPUSHUPからキッチンカーを借りて、3か月間営業してみるということで落ち着いた。こうして、「パニパニ」は生まれた。

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7月の準備段階を経て、当初の予定通り8月から10月まで3か月の期間限定営業。その後、11月からアルバイトとして正式にJ×Jに加わることになった。